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夕暮れの約束

作者: 燈 優

 手を伸ばしても届かないことは知っていた。

 あけに染まる並木通りに並び立つ銀杏が金と見紛うほどに。ほろほろと落ちている粒を見やれば硬いはずのそれが、まるで。ほろほろとくずれてしまいそうで。

 いつのことなのかなど、片欠かたかけも覚えていないはずなのにそのときの光景だけは。そのときの光景だけは。呆れるくらい夕暮れに濡れた鮮やかの中と、覚えている。


 冬を迎える鳥が後ろ頭の遠くで鳴いて。驚愕と根拠のない希望のない交ぜになった声で、疑った。

 「うそ。」

 きっと本当は、嘘だ、と。叫びだしたかったのかもしれない。そこに彼女は、諦めと覚悟のない交ぜになった声で、告げた。

 「ほんとう。」

 そして悲しみと悔しさと恐れと怖れとどうしようもなくやりきれないいろいろなものすぎるいろいろなものをぐちゃぐちゃに混ぜた声で、

 「ごめん。」

 謝った。

 腕の中で泣き声をあげて泣かない彼女を折れてしまうくらいに抱きしめながら、泣き声をあげることなく滂沱した。

 

 一日一日がコマ送りの映画のようで、一日一日がスローモーションのビデオみたいだった。慌ただしい入籍も、駆け込むような挙式も、これから。

 これからふたりで迎えるはずだった誕生日も、できる限り、ありったけ。

 わたしとの想い出は残さないでね。

 コマ送りのようなスローモーションのような一日の中で彼女が言った。

 どうして。

 聞き返すと彼女は困ったように笑うのだ。

 だってあなた、とてもさびしがりやさんだから。

 その言葉を聞いた瞬間あふれてしまい。

 ほら、そのすぐ泣いちゃうくせ、なおさないとね。

 彼女の肩に顔を押し付けて、その僕の頭をやさしい手が撫ぜてゆく。これでは逆だと思うのに、あふれる想いは止まらなかった。


 不思議なくらい冷たさのない部屋の中で。不思議なくらい穏やかな顔に。ゆがみ続ける視界をなりふり構わず拭い、不思議と落ち着いた声で。最後に彼女に届いた言葉を、もう一度言った。


 手を伸ばしても届かないことは知っていた。

 朱に染まる並木通りに並び立つ葉を見るとそれは銀杏よりも大ぶりの葉だった。金と見紛う色彩で描かれているのは、ほこほこと戯れる子猫で。

 手を伸ばしても届かない額の中へ伸ばしていた手は小さな声で引き留められた。

 「おとうさん。て、いたい。」

 意識せずにきつく握ってしまっていた手を緩めると、飽きたのだろう。

 「もういこう。」

 小さなピンク色のワンピースが揺れる。笑いかけ、「もう少しだけ。」と言い『夕暮れの約束』とタイトルのかけられた絵を見る。そこは朱に染まる並木通りで、ほこほことまるい子猫たちが木の下で遊んでいる。暖かみのある色使いだのに、どこか不安定な悲しさが垣間見えるのはタイトルを見たからだろうか。

 「ねー」

 くいくいとつないだままの手をひかれる。苦笑いしながら下をみればぷうとふくらんだ顔が目に入った。

 「ああ。行こうか。」

 その一言でにぱっと笑った顔にもう一度苦笑いして、一度だけ朱色の絵を振り返った。

 そこはあの日のような並木通りで。そこはあの日の色の並木道で。そこはあの日の並木通りではなくて。

 「おとーさんてばー」

 「ごめんごめん。」

 今歩いてゆこうとする道は、小さな手が傍にあった。


 彼女がさよならを言いかけたあのときに。約束をかわしたわけではない約束を僕は破った。

 「忘れない。」

 一度大きく見開いた彼女は、痛みも何も忘れたような笑顔で。

 「ばか。」

 そうして言葉にならなかった口唇で、嬉しさと安心と僕にはまだわからないものをたくさん詰めた口唇で。

 『ありがとう』



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