門前払い
老作家は、一通の手紙を受け取ってから、青年作家を嫌うようになった。
孤高で、刃のように尖っている独身の老作家は最近、小さな乳飲み子の子猫を飼い始めた。
若いころは才気が溢れ、「鬼才」と呼ばれて何度も賞を得た。だがここ数年の作品は、いよいよ深く、いよいよ閉じていき、売れ行きはことごとく芳しくない。
売れなさが少しでも増すたびに、彼は独り住まいの小さな隅へ、さらに数尺ぶん身体を縮めて潜り込み、久しく高みに居座る自分の才能を、よりいっそう憐れむようになっていった。
そんなとき、青年作家が老作家へ手紙を書いた。
大学を出てすぐ芥川賞を獲った青年作家は、天才と謳われ、温和で善良で、作品もよく売れ、出版界の寵児だった。新刊は書店でもっとも目立つ場所に積まれている。手紙には、老作家への敬慕が綴られていた。
――少年のころ、あなたの本をいちばん愛して読み、文字というものがこんなふうにも書けるのだと知った。あなたの書の中のある力に、臆病さを削ぎ落とされ、少年の傲慢さのまま勝手に新しい世界へ足を踏み入れた。あのとき、作家になれないと思った。たとえ書いても徒労の模倣でしかなく、あなたの真似をすることは、結局あなたへの猿真似に過ぎないのだ、と。
老作家はその手紙を四度読んだ。
模倣、ふん――模倣などと、よくも口にする。
模倣とは水面だ。鏡だ。猫の瞳だ。言葉を持たないのに美しいものすべてだ。
そのとき老人は、かつて自分の庭の手入れをしていた、ある少年のことを思い出した。
高校を中退した男の子だった。
老作家に教わって漢字をあらためて覚え、古い書や詩集を読むようになり、初歩の文章を書き始めた。草むしりの鍬を、庭にぽいと放り出したままにすることもあった。
老作家は本来、それを喜ばしく思っていた。
だが少年の手稿を整えるついでに、彼が書いた数頁をそっと読んでしまったとき
――それは、ここ何年も真珠や宝石を一粒ずつ慎重に入れてきた細口のガラス瓶を、田舎者の大槌でいきなり叩き割られるような感覚だった。
黒く粗い原石から叩き出された玉。
混じり気がない。吸い取り、そして自分の纹理へと変えてしまう。
突然、そうだ、少年が机に伏して筆を走らせ続ける姿を見ただけで、歯を一本残らず噛み砕きたくなるほど憎くなった。
石のような心臓が、朽ちた胸腔の中で激しく跳ね回る。見たいのに、見るに値しないと思う。天下に告げたくなるのに、今すぐ喉元を絞めて殺したくなる。
おまえは書いてはならぬ。机から響く、あのコツコツという筆音のせいで、私は夜通し眠れない。
青年作家はまた手紙を書いた。
ぜひ一度訪ねたい、と。
編集者にも頼んで打診したが、老作家は終始、門前払いを続けた。
青年はまだ若く、拒絶を告げられたときの落胆が顔に出るのを隠しきれなかった。
青年作家は、きっと老作家の子猫を羨ましく思ったに違いない。
書斎にも廊下にも自由に出入りできる子猫。老作家は床に腹這いになって、子猫に話しかける。
青年が知らないのは、その子猫と、かつての読み書きできなかった少年とが、同じ名を持っていることだった。
老作家はさまざまな方法を考えた。
身体の利くうちに――と、郊外へ連れ出そうとした。
三町ほど先の坂道の端で、もうすぐ潰れそうなラーメン屋で食べること。
幸福小駅の裏にまもなく着工するごみ処理場のこと。あるいは、在野の考古学者が買い取ったという小さな丘のこと。そんなふうに、いくつもの場所を、いくつもの理由で並べた。ところが少年は、ふと尋ねたのだ。
「先生、人物の転換って、どう扱えばいいんですか?」
その後も青年から手紙が何通か来た。
――新刊を拝読しました。失礼かもしれませんが、私が作家になると決めた一年のあいだ、あなたの本をすべて鍵のかかる箱にしまい込みました。
それからようやく、呪いが解けたように感じたのです。あなたの本にはそんな魔力がある。今もそうです。そして、その呪文の生命力が、新刊の中ではさらに……牙を剥いている、とでも言うべきか。
読んでいると、あなたの世界へ入り込みたい衝動を抑えられない。書店にあるあなたの新刊を全部買い占めたくなる。
あなたの呪いが、私ひとりだけを傷つけるように、と。
老作家は機嫌のいいときだけ、手紙を開封した。
青年作家の本は、ついぞ読まなかった。
売れすぎる本というのは、大抵、人間の「無知」の上に座っている。
平均という名の段差を一つ下りた場所に立っているから売れるのだ。
幼いころから自分の文字を読んできた者が、どうして、どうしてあんな「平均」の本を書けるのだろう。老作家はときおり、手紙の中から青年の文体を嗅ぎ取ろうとした。
そこには、腹立たしいほどの誠実さがある。初対面の相手に小動物が腹を見せるような、あの白々しい誠恳さだ。
その点、少年はまるで違った。
老作家が教えれば教えるほど、少年は縛りを断ち切って、野草のように伸びていった。
粗野で、自在で、どんな形にも収まらない。
あるときは緋。あるときは青茜。あるときは泥沼から発酵した泡がぼこぼこと上がる混沌。
あるときは行雲飛鶴が大空を掠めて弧を描く、その一瞬の線。
だが文学賞に送った原稿は、杳として返事がない。
出版社のほうはやけに熱心で、「先生のお顔で」と少年の出版を持ちかけたものの、数か月後には平身低頭して詫び、正当な理由の一つも示さなかった。
少年は酒に溺れた。老作家に申し訳ないと思う一方で、才華という言葉そのものに絶望していた。
雨の日に、別れを告げた。
文学賞に落ちたある作家は言った。入選した別の作家の作品は下手だ、と。
あんなものが入選するなんて審査の恥辱だ、と。
以前はそういう人間の姿が醜いと思った。だが今は、誰だって自分のほうが上だと思うものだろう、とも思う。
少年は泣きながら言った。
「正直に言います。どれだけ努力して自分を抑えようとしても、私心では、結局、俺のほうが他人よりいいって思ってしまう。
なのに、どうして人は、別の“他人”のほうを好きになって、俺のほうを一度も振り返らないんですか」
老作家は少年の肩を叩いた。その言葉は、彼自身が自分に向けて何度も何度も唱えてきた台詞だった。あまりに馴染みすぎている。
またこの季節が来た。
雨が続いたあとの家は暗く、湿っている。雨の止み間に老作家は近所の書店へ出た。青年作家の本が、いちばん目立つ場所に積まれていた。老作家は視線を落とし、かつて自分がしたことを悔やまなかった。
手を伸ばして取ろうとした。だが、すぐ引っ込めた。
理由は他でもない。表紙がひどく醜い。
とりわけ帯が、いただけない。
老作家はぶつぶつ独り言を言いながら、背中に手を回して散歩するように帰った。
川べりを通り、水面で跳ね回る小虫をしばらく眺め、それから家へ戻った。




