第3幕 試される大地
住宅街の夜は、異様なほど静かだった。
神代迅斗はフードを深く被り、路地裏から自宅のアパートへと滑り込む。
腕には、布で何重にも包んだ長い何か。
――妖刀【阿紫花】。
鍵を開け、ドアを閉めた瞬間。
「……ふぅ」
息を吐いた途端、膝から力が抜けた。
ベッドに腰を下ろし、包みをほどく。
月光を受けて、鈍く紫がかった刃が光った。
「……本当に、とんでもないの拾ったな俺」
『今さらですね』
脳の奥に直接響く、落ち着いた女の声。
迅斗は肩をすくめる。
「もうバレてんのかな?管理局に。」
『ほぼ確実に。』
阿紫花は淡々と告げた。
『私の封印は強固でした。解除された瞬間、魔力の残滓が周囲にばら撒かれた。異戒師管理局の観測網なら、遅くとも数時間で特定されます』
「……最悪だな」
『私は歴史書に載るくらいには有名な妖刀ですから……“国家案件”になるかもしれませんね。』
さらっと言われて、迅斗は頭を抱えた。
「なんでこんなの拾ったんだ俺……」
だが、文句を言っても仕方ない。
「で。どうする?」
『逃げます。』
「即答かよ。」
阿紫花は声のトーンを少し落とす。
『捕まれば、あなたは解体――』
「待て待て待て待て。」
『――いえ、研究対象にされる可能性が高い。』
訂正になっていない。
『そもそもあなた、魔力ほとんどありませんよね?』
「……ああ。」
『その身体能力に加え、私を起動させた前例など存在しません。過去の一回を除いて。興味を持たれない理由がない』
迅斗は無言で天井を見た。
人生詰みかけてないか、これ。
『ですが――』
阿紫花の声が、わずかに低くなる。
『私が魔獣を吸収した際、あなたの肉体にも微量ながら還元されています』
「……は?」
『筋繊維、神経伝達速度、骨密度。すでに初期値から数%上昇しています』
迅斗は自分の手を見る。
確かに、ダンジョンから出たあと――
疲労が異様に少なかった。
「……つまり?」
『私を使えば、あなた自身も強くなる』
「……悪魔の勧誘だろそれ。」
『妖刀ですから。』
即答だった。
『ですので提案です。都市部を離れましょう。管理局の包囲網が完成する前に』
「……どこ行くんだよ」
少し考えたあと、刃がかすかに鳴った。
『魔獣密度が高く、監視網が薄く、地形が広い……』
「……」
『蝦夷地です。』
「蝦夷……北海道か。急だな。」
だが、迅斗はスマホを取り出す。
ニュース速報。
――《市内高校ダンジョン化事件により、市内全校休校》
――《夏季休暇を前倒し》
「……確かに、長めの夏休みみたいなもんだな。」
『言い方が軽いですね。』
「逃亡旅行だろ?」
苦笑しながらも、迅斗は立ち上がった。
「それに……一族に見返すには、強くなるしかねぇからな。」
視線を刃に落とす。
「お前に利用されてるの、分かってるからな。」
『それはお互い様でしょう。』
阿紫花は微笑む気配すら感じさせる声で言った。
『あなたは私の刃。私はあなたの力』
「……嫌な関係だな」
『私は素敵だと思いますよ?』
数時間後。
新千歳空港にて、
僕は窓の外の街並みを眺めていた。
その時――
『……大きいのがいますね。』
阿紫花の声が鋭くなる。
「管理局か?」
『いいえ。今はいません。』
一拍。
『――魔獣』
迅斗は眉をひそめた。
「ダンジョン外だぞ?」
『しかも、』
刃が、微かに震える。
『知性を感じます』
「……は?」
北海道の大地。
本来、結界で隔離されているはずのエリア、その中に。
『……厄介ですね。ですが面白い。』
阿紫花が囁く。
『今日からあなたは“狩られる側”ではありません』
迅斗は息を吸い、布の中の柄に手を掛けた。
「……じゃあ?」
『私がいるのですから。』
刃が愉悦を帯びる。
『狩る側です。』




