6.重なる
春の午後、図書館の一角。
窓から射す光が、ページの上に淡く差し込んでいた。
そのとき、まだ名前も知らなかったふたりが、偶然同じ本棚の前に立った。
柚月は中学三年の春休みだった。
学校帰りの制服のまま、鞄を肩にかけて、静かな閲覧室に入ってきた。
目当ての作家の文庫本を探して、階段の奥にある静かな棚へと進んでいく。
陽は、その日たまたま図書館に来ていた。
妹に頼まれた本を探しに来たのだが、気になっていた短編集を見つけてふと足を止めた。
背表紙に手を伸ばしたその瞬間――向かい側から、同じ本に向かって手が伸びてきた。ふいに、重なる手。
「――あ、ごめん」
声を出したのは、陽だった。
柚月は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに手を引っ込めた。
「……どうぞ」
小さな声。けれど、その響きはやけに耳に残った。
黒髪の少女。揃えられた制服の袖口と、まっすぐな瞳。
陽は「あ、いや、俺あとでいいから」と慌てて手を引っ込めたが、
柚月はそのまま静かに頭を下げて、本を手に取った。
そのやりとりは、それだけだった。
名前も、学校も、何も知らない。
けれど、陽の中に残ったのは、本を持つ彼女の指の細さと、
ほんの一瞬だけ見えた表情――どこか遠くを見ているような、静かな目だった。
柚月の記憶にも、その場面は小さく刻まれていた。
気配を乱さない、けれど不思議と目立つ男の子。
言葉も短く、やりとりもほんのわずかだったのに、妙に胸に引っかかっていた。
その日以来、図書館で再び顔を合わせることはなかった。
けれど春が終わり、夏が過ぎ、新しい制服に袖を通すころ。
高校の図書館で、柚月が窓際の席に座って本を読んでいたとき、
ふと現れたその声に、彼女の指が一瞬止まった。
「……この本、面白い?」
顔を上げた先にいたのは、あの春の日と同じ目をした少年だった。
ふたりの物語は、そのとき、ゆっくりと動き出した。