2学期
お嬢様と共にあたいがサンフラワー学園の女子寮にやって来て半年が過ぎた。秋になりつつある今、あたいはいつも通り働いている。たまに授業で必要になる物を突然求められて慌てることはあるけど、大半は日々の身の回りの世話だから困ることはほとんどない。王都にも学園にもすっかり慣れた。
ただ、あたいの周りはいい状態とは言えなくなっている。夏期休暇が終わって新学期になっても、シェリル様に言動を改めていただけないせいだ。田舎出身のメイドの一部とはまだ一応繋がりはあるものの、それ以外の同業者からは避けられている。特に高位の貴族様に仕えるメイドには露骨に無視されていた。ただし、実際に何かをされたということはない。このままだと時間の問題だと思うけど。
春よりも肩身の狭い思いをするようになったあたいだけど、主人であるシェリル様の状況は更にひどいことになっていた。新学期から嫌がらせを受けるようになったらしい。今のところ、無視されたり微妙に聞こえるように陰口を叩かれたりしているとお嬢様本人から伺った。しかも嬉しそうに。
初めてそのご様子を目の当たりにしたとき、嫌がらせに耐えかねて気が触れてしまわれたのかと本気で心配した。しかし、ご自分でおっしゃるには正常らしい。
尚もあたいが心配そうにしていると楽しそうにおっしゃる。
「大丈夫よ、ベティ。今のところ予定通りだから何も心配いらないわ」
「嫌がらせが予定通りなんですか? ご冗談を。一体何をなさっているんです?」
「ふふ、それは自分の夢を叶えるための布石を打ってるのよ」
「嫌がらせを受けることが布石なんですか」
「そうよ、嫌がらせを受ける内容も時期も完璧だわ! 後はあの人たちの好感度を上げてどんどんイベントをこなしていくだけよ!」
自分の仕えるお嬢様がこんなに神経が図ぶ、いえ、心が強い方だとは知らなかった。大したお方なのか異常に打たれ強いのかそれとも超絶鈍感なのか、あたいにはわからない。
それと、最近はよくわからない言葉も頻繁に口にされるようになってきた。一体何をされているんだろう。間違っても関わりたくないけど、少し気になってきた。
不安を抱えながらもあたいは今日も仕事に励んだ。手を抜くわけにはいかない。万が一、今ここで解雇されてしまうと再就職が大変だ。何しろ評判の悪いシェリル様に仕えていたというだけで悪印象を持たれてしまうのは間違いない。王都にはこれといった伝手なんてないだけに、ここはお嬢様に何とかしがみつくしかなかった。
そんなあたいは今日も作業に勤しむ。周囲との関係は良くないけど、日々の仕事をする分にはあまり人付き合いは必要ないから仕事への影響は少ない。
ただ、それでもやっぱり知り合いと話ができるというのは大切だ。息が詰まるような状況だからこそ息抜きがしたくなる。こういうとき、まだ付き合ってくれるラナとナタリーの存在は貴重だ。
洗濯物を叩き終わって一息ついたあたいにナタリーが声をかけてくる。
「ベティのところのシェリル様、最近他のお嬢様から嫌がらせを受けてるって聞いたわよ。実際のところどうなの?」
「本当よ。無視されたり微妙に聞こえるように陰口を叩かれたりしているって、ご本人がおっしゃっていたわ。楽しそうに」
「え、楽しそうに?」
思いきり不思議そうな顔をしたナタリーにあたいは疲れた表情を浮かべながらうなずいた。ナタリーが思った通りの反応をしてくれて内心で安心する。あたいの常識は正しいと信じられるから。
今度は気遣わしげに声を潜めてラナが話しかけてくる。
「耐えられなくて心を病まれたの?」
「お嬢様がおっしゃるには正常らしいわ」
「あたしのお父さんってお酒が好きなんだけど、酔っていても酔ってないってよく言ってたわ」
「最初はあたいもそんな感じかなと思ったけど、普段の生活は今まで通り過ごされているのよ。だから、案外本当に何ともないかも」
「よっぽど変わったお方なのね」
そこで心が強いと出てこないあたりラナらしいとあたいは思った。思ったことははっきりと言ってくれる。それでたまにあたいの心が傷付くことがあるけど、今は心強い。
小さくため息をついたあたいは思わず愚痴る。
「お嬢様、本当に言動を直してもらえないかしらねぇ」
「性格や性分みたいなものっぽいから無理なんじゃないかなぁ。メイドに優しいご主人様っていうのが救いよね」
洗濯物を取り込んだナタリーがあたいを見ながら言ってきた。隣でラナも困った表情を向けてくる。
「こうなってくると、あんたも気を付けないといけないわよね」
「無視されたり避けられたりはもうしてるけど、直接何かされるのは嫌だなぁ」
肩を落としたあたいはラナに同情の視線を向けられた。シェリル様ほど強くないあたいの心は少しずつ削られてしまっているのだ。
そんなあたいは二人に願う。
「何かあったら助けてよね」
「影ながら応援するわ」
ラナから曇りのない笑顔を向けられ、ナタリーはあたいから目を背けた。知り合って半年、職場で雑談する程度の仲なんてこんな程度だ。王都の風は冷たい。
洗濯物を洗い終わったあたいはラナとナタリーの二人と別れた。
年末が近くなって来た。年内最後の月になる頃には冬支度も終わり、学園生であるご子息様やご息女様は来る冬期休暇を前に浮ついていらっしゃる。ただ、メイドであるあたいたちは相変わらず忙しいから共感はできないけど。
学園全体はそんな微笑ましい状態である一方、あたいのご主人様であるシェリル様の状況は困ったことになっている。秋頃からいじめが悪化したのだ。高位の貴族様のご令嬢方は無視や陰口をする一方で、低位の貴族様のご令嬢方がついに手を出してこられたらしい。具体的には、持ち物を隠したり壊したり、水を引っかけようとしたり、足を引っかけようとしたり、体を突き飛ばそうとしたりなど、冗談では済まないようなこともされるようになってきたと聞いている。
身に危険が及んできたのでさすがのシェリル様でも気が滅入るのではとあたいは心配した。持ち物を壊されたり水を引っかけられたりとなるとあたいも気付く。ついに一線を越えたと思った。
初めて噂を聞きつけたその日の夕方に声をかける。
「お嬢様、さすがにお道具を壊されたりドレスに水を掛けられたりしたとなると、あたいも黙っていられません。教員の方にご相談してはいかがでしょう」
「まー面白くはないけど、大体予定通りよ。しばらくはこのまま我慢ね」
また予定通りと返されたあたいは呆れた。この状況のどこが予定通りなのかわからない。このまま放っておいて更にひどいことをされては危険だ。
真剣な表情であたいはシェリル様に問いかける。
「予定通りとは一体何のことですか? 複数のご令息様に声をかけていらっしゃることと関係あるのですか?」
「あるわよ。何しろ私の一生にかかってるんだから、妥協なんてできるわけないでしょう。つらいのは来年の春前くらいまでだから、もう少し我慢してね!」
「ご婚約は一人だけとしかできないのですから、一人に絞ればよろしいですのに」
「そういうわけにはいかないのよ。ここまでうまくやれてるんだから、最後までやってやるわ!」
力強く返答されたあたいはため息をついた。決意は固く、今回もやはり翻意していただけそうにない。
暗澹たる気持ちになったあたいだけど、それでも仕事はいつも通りにこなす。何があっても日々の作業は止められない。
けれど、ついにシェリル様の影響があたいにも及んできた。ある日、洗濯物を持って洗い場へと向かう途中で、他の貴族様に仕えるサラとセルマから声をかけられる。
「ちょっとベティ、あんたのところのお嬢様、いい加減にしなさいよ。最近フェイビアン様やギデオン様に随分と馴れ馴れしくしているそうじゃないの」
同業者のサラにあたいは睨まれた。春頃は田舎訛りの言葉遣いで馬鹿にされていたけど、最近ではそれに加えてシェリル様のことでも非難されるようになる。
ただ、お嬢様の件についてはまったくその通りなので反論できない。なので、あたいは思わず自分の心情をぶつける。
「あたいも止めるようお諫めしているんですけど、止めてくださらないんですよ。説得できるいい方法ってあります?」
「え?」
「もう春から何度もお諫めしているんですよ。なのにちっとも考え直してくださらなくて。こういうとき、サラさんはどうやって自分のところのお嬢様を説得なさるんです?」
せっかくなので他家での諫言のやり方を教えてもらおうとあたいはサラに迫った。すると、サラは驚いた表情を浮かべて一歩下がったので更に顔を近づける。
「なっ、ちょっと、近づかないでよ!」
「あたいだってできればやめてほしいんです。ですから、わざわざ忠告してきてくれたくらいですから、何かいい方法を教えていただきたいなと思いまして」
「そんなの自分で考えなさいよ!」
「考えてわからないから教えてもらおうとしてるんじゃないですか。サラさんはお仕えするお嬢様をどうやってお諫めしてるんですか?」
「そんなのできるわけないでしょ!? あの方は性格が、ああいいえ」
「性格が? どうされたんです?」
「何でもない! もういいわ。行きましょ!」
顔を引きつらせたサラが隣のセルマに声をかけるとあたいから慌てて離れた。焦りと驚きと怒りを混ぜた表情を浮かべつつそのまま立ち去ってゆく。
それを見送ったあたいはその場に立ち尽くした。シェリル様を止めるいい手立てはないらしい。
そうして洗い場に向かおうとしたところでラナとナタリーに会う。
「ベティ、大変だったわね」
「見てたの? だったら助けてくれてもよかったじゃない、ラナ」
「助けるもなにも自分で追い払ったじゃない。それにしても、あのサラが逃げるなんてね。そういえばあそこのお嬢様、気性が激しいらしいわよ」
「それは大変でしょうけど、あたいと何の関係があるの?」
「あんたんとこのお嬢様が声をかけているご子息様の一人にご執心らしいから、ずっと機嫌が悪いらしいのよ」
「ああ、それは悪いことをしたわね」
原因がシェリル様にあることを知ったあたいはため息をついた。自分にとっては優しいご主人様だけど、そのご主人様が原因で同業者に詰め寄られるのはたまらない。
次いで洗濯籠を持ったナタリーがあたいに話しかけてくる。
「でも、つい不満が漏れちゃうところを見ると、あんたもサラも大変みたいよねぇ」
「あたい、サラさんの事情を知ると申し訳なくなってきたわ」
「あたしとラナでベティの立場を周りに話してあげているから、あんまりひどいことにはならないと思うわよ」
「ありがとう、助かる」
「王都出身の人たちはともかく、田舎出身の知り合いは大体信じてくれてるみたいだから同情してる人も多いわよ」
「そんな人見たことないんだけど」
「悪目立ちしてる人に近づくのは勇気がいるから。そういう人もいるっていうことは覚えていてよ」
自分のことを理解してくれている人が少なからずいることを知ってあたいは嬉しかった。できれば表立って応援してほしいけど、ナタリーの言う通り巻き込まれたくないという気持ちもわかる。だから今はこれで良しと思うことにした。
安心したところで、あたいはおしゃべりに結構時間を取られたことに気付く。この後も仕事はたくさんあるから、ラナとナタリーを急かして洗い場へと向かった。