同じ夢を語る相手がすぐ傍に居た。
「リリ、悪いがおれはお前をそんなふうには見れない」
可愛い妹分から愛の告白を受けた男は、何の未練も残らぬようにとばっさり断った。
「うん。わかってた。ありがとうナオ兄」
農具入れの真ん前で、あたりには当然幼なじみ達が居る。それでも堂々と思いを告げたとあれば、きっと何かしらの理由があるんだろうとナオには予想はついた。
けれどそれは、汲んでやる程のものではないと判断した。
――残念ながら、ナオにとってはその程度の相手だった。
何十年かの付き合いで、リリはきっとそれも理解していたろう。
「リリ」
「おばさん」
身寄りの無いリリにとっては村の大人が親代わりだ。呼びかけた相手が慰めるだろうと、ナオはさっさと狩りの支度をはじめた。
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「冷てえの」
「だったらお前が慰めろリック」
森の中、狩り仲間のリックにそう咎められ、想定内だったナオは軽く答えると弓を構えた。
使いやすく改造した弓は手に馴染むようで、ぴゅう、と良い音を立てて獲物を捉えた。
「お見事。いつも狩り担当やってくれりゃ良いのに」
「こっちは本業じゃない」
小さめの獲物はリスのようで、数が要るなとリックに手渡す。
良いペースで狩りは進み、やがて昼を迎えた。
「ナオ兄知ってるか?リリに領主から結婚の申し込みが来たみたいだぜ」
「へえ」
昼休憩中のそんなネタに、ナオはだからわざわざ目立つ場所で告白して来たのかと納得していた。
振られているところを見せれば、村中納得するだろうと。
――リリは村人から好かれている。きっと好いた男がいれば村中協力して逃がしてやるつもりだったのだろう。
「気持ちは変わらないのか?」
「おれの好みじゃない」
やっぱり冷てえの、と。言いつつしかしリックはわかっていると頷いた。
「ナオ兄には理想があるんだもんな」
「なかなか叶わないんだがな」
年上の、包容力のある女と世帯を持ちたいと。
身持ちのしっかりした、学もある女が良いと。
公言して止まない、理想が高すぎる男だ。
「そんでその年まで独り身ってなってりゃ世話ねえや」
「うるさい」
傭兵まがいの事をして稼ぎは良い。貯蓄もある。小さいが家も持っている。
引く手は数多だというのに、欲は娼館で発散するからと一夜の相手ともされず。
村の女たちは諦めている。
しかし。
「そもそも小さな頃から知ってる相手を選べるか」
「妹、へたすりゃ娘ってか」
リックはからかうようにそう言った。
「領主は奥さん亡くしてるし、正妻になれるだろ。年の差はあるけど大事にされたらいいな」
「は?あのじじいの申し出受けるのか?」
「逆になんで断れると思ってんのナオ兄」
リリには決まった相手もいないのに、と皮肉っぽく言うとリックはそろそろ行こうと腰を上げた。
ナオに罪悪感は少しも無かった。――なかったのだ。
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「んー!」
納屋近くで聞こえたくぐもった悲鳴に、ナオは足を止めた。
「ナオ兄?」
「待て」
狩りを終え、獲物をさっさとさばこうと足早だったリックは急に止まった相方に訝しげに呼びかけたが、返ったのは真剣な響きだった。
「ナオ兄、なにか」
「んんんんん!」
リックもぎくりと動きを止めた。同時、聞き違いで無かったと判断したナオは納屋の扉を引いた。
――そこには。
猿ぐつわを噛まされ男に伸し掛かられたリリが居た。
「何してんだてめえ!!」
叫んだのはリックだったが男を蹴飛ばしたのはナオだった。
良い勢いで吹っ飛んだ太った男には目もくれず、抱き起こしたリリを検分する。
破かれた服が目に入り、ひとまずと自分の上着をかけて隠してやる。
顔を覗き込むと殴られたのだろう頬が腫れていた。猿ぐつわを外し未遂かと尋ねた。
リリは一つ頷いた。
「襲われた女の子に先ず聞くのそれえ?」
「どういうつもりだ貴様らぁ!!」
リックの呆れた呟きと、太った男の叫びは同時だった。
「あのさあ、どういうつもりはこちらの台詞なんですよ領主サマ」
「ワシは妻となる女をしつけていただけだ!無礼にもほどがあるぞ!」
リリはびくりと震えた。ただ俯き、うらみの言葉も否定の言葉も無い。
それを一瞥し、ナオはどうしたいと小声で問いかけた。
「え……」
「村のためにと我慢は要らない。お前はどうしたい」
アレに嫁ぎたいのかと、気持ちを尋ねる。
「……私がすきなのは、ナオ兄だから」
だからほんとうは嫌、と。小声で、しかしはっきりと答えた。
「わかった」
ナオはリリを抱き上げた。
領主との結婚が嫌でついた嘘で無かったのなら、と。
妹分を助けるのは兄の仕事だと。
ふたつ理由を用意して自らを納得させると、ナオはリリにそっと口付けた。
「へ」
「貴様何をするかあ!」
「何って、許嫁を慰めてるんだが」
リックの抜けた声と領主の叫びが狭い納屋に轟く。もともと何の騒ぎだと村人が集まっているなか、ナオの台詞は彼らの間を巡った。
「領主さんよ、リリに求婚した事は聞いてるが、返事は未だの筈だな?」
「返事だと?そのようなモノが必要だと言うのか貴様は」
村の者は自分のモノだとでも言いたげに領主は叫んだ。
「身よりも無い村娘だぞ?ワシの妻となれば贅沢もできる。何が不服だと言う」
「おれも蓄えはあるし家もある。贅沢とまではいかないが、食うに困ることはない」
「あと領主サマに比べたらナオ兄の方が相当若いよねえ」
最後のそれが頭にきたのか刺さったのか、領主は覚えていろと小物感丸出しの捨て台詞を置き納屋を出て行った。
ご立派な馬車は直ぐに村を去ったようだ。
「悪いな皆。あのデブ仕返しに何かして来るかもしれねえ」
「いやあ。何かしようもんなら何とかするさあ」
村人たちの返事は明るい。税を上げるなら立ち向かうし、襲って来るなら返り討ちだと農具を上げる。狩猟と畑、満足できる食事で村人たちの体格は良い。
頼もしいなとナオは笑う。そうして、腕の中のリリを覗き込んだ。
「リリ、手当しよう。おばさんはどこだ?」
今は女性の方が良いだろうと、そう提案するがリリは顔を赤くして固まっていた。
「リリ?」
「いやしかし、肝心のリリにナオがついてるなら安心だな」
「そうだな!いやあ、あのバカ領主が戻って来ないうちに式を上げちまわんとなあ」
「は?」
形だけ、暫くの間だけ保護する腹積もりだったナオは着々と埋められていく外堀を慌てて振り返った。
しかし笑っている村人たちの目はその実笑っていない。
わかってるよな?と。ナオに迫っていた。
「……ッ、そう、だ、な」
乗りかかった船だと、喉まででかかる文句を飲み込み、ナオは肯定の形で首を振った。
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「うっそだろ……」
なんと結婚式は騒ぎの3日後だった。村人たちは翌日にでも挙げたそうだったが、リリの頬の腫れがひくまではと伸ばした結果だった。
うなだれるナオの現在地は自宅のベッド。村人たちに初夜らしくそれに花びらを散らされており、何を期待してるんだとため息を零した。
「こちとら妹に口付けたってだけでも罪悪感あるってのに」
抱き上げた感触も小さくて柔い、印象は子ども時代とまるで変わっていなかった。
幼女趣味はおれには無いなと、はっきりとわかった瞬間だった。
ナオはどうしたものかと、この先を考える。
「ナオ兄?なにか、困ってる?」
風呂から出て来たリリは純白の薄いシュミーズドレスを纏っていた。
小さく落とした灯りに透ける肌もまた白く、そういえばリリは畑仕事は担当していなかったなとナオはぼんやり思う。
「えと、失礼します」
返事の無いナオをどう捉えたのか、リリはそっとナオの隣に腰掛けた。
透けている事はわかっているだろうに、隠しも照れもしない姿にナオは再びため息を零した。
危機感が全く無いと。これはリリも理解しているなと。
「リリ、わかってると思うがおれは」
「うん。困らせてごめんねナオ兄」
私振られてるもんねと、リリの方こそ困ったようにわらった。
「だから、ナオ兄にすきな人ができるまでで良いから。私はそれまでで良いから」
お嫁さん役をやらせて下さいと、頭を下げる。
そんな姿に二の句はつげず、ナオはがりがりと頭かきベッドに倒れこんだ。
「お前も」
「うん?」
「おれより良い奴みつけたら、言えよ」
「私は、そういうの無いよ。ずっとナオ兄だけ」
ふふ、とわらう姿は確かに少女のものではない。大人びたそれに、ナオは目を逸らしお前も寝ろよとベッドに誘った。
並んで横になると、ナオはぼんやり天井を眺める。幸い世帯を持つつもりで建てた家、家具の為ベッドは広い。肩が触れる事も無い。
しかし誰かの気配のある部屋は、まるで知らない場所のように感じていた。
「起きてるか」
「うん」
「お前はさ、もしおれと本当に世帯もったらどうしたかったんだ」
「どうするか?」
「贅沢したいとか」
あはは、と笑いが返る。
ナオも別段本心から言ったわけではなかった。
長い付き合いだ。贅沢を好む気質で無い事は知っていた。
「私はね、家族を作りたいな」
「は」
「ナオ兄と、私と、子どもで暮らして。お仕事から帰って来るナオ兄に子どもと一緒におかえりなさいを言うの」
ナオの呼吸が止まる。
それは。リリが描くそれは。
「お前、おれの子ども、産める?」
「え?ええと、体の事なら勿論もう産めるよ?私」
音もなく身を起こしたナオはリリを覗き込み尋ねていた。
囁かれる問いに、リリは何故か頭のどこかで警戒を感じた。
「気持ちの方」
覚悟を問われているからだと、リリは理解した。
ほんとうに妻となって子を成して、その覚悟があるのかと。
答えは当然。
「うん。ナオ兄と私の、私たちの子ども、欲しい」
聞いたナオは笑ったようだ。
響いたのはしかし、はは、と軽い、作ったようなわらい声。
まるで泣きそうな事を隠すような。
「ナオ兄?」
「じゃあ作るか」
振り切るような、明るい声だった。
リリが聞き返すより早く、ナオはその唇を塞いだ。
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年上の、包容力のある女と世帯を持ちたいと。身持ちのしっかりした、学もある女が良いと。
公言していたそれはその実、恥ずかしさを隠すためだった。
ナオが本当に憧れていたのは、そんな女ではなく。
ただお帰りと、出迎えてくれる家族だった。
リリと同じく身寄りの無いナオにとってそれは、小さな頃から見ていた、自分には無いのに周りでは当たり前の光景だった。
そんな夢は口には出せず、だから理想が高いフリをしていた。
けれど。
全く同じ夢を語る相手がすぐ傍に居た。
「リリ」
愛おしさを隠しもせず、聞いている方が顔を赤らめるであろう甘さを含んだ呼びかけが響く。
わずかに朝日の差す室内は薄暗く、呼ばれた新妻はまだ目を開けない。
――リリが目覚める前に朝食を用意しようか。
――それとも風呂を用意してやろうか。
――どちらも用意しよう。
浮かれた夫は愛しいひとを起こさぬよう注意を払い、まるで昨夜生まれ変わったかのよう、家事を開始した。
END