茶道2
「……ふぅ」
襖の前で里奈がひとつ息をつく。俺がミスをし、さらに先生が手本を見せた後なので完璧のように俺には見えた。けれどまだ茶道のサ、その一画目みたいなものだ。
「やっぱあれだな。後ろから見てると、姿勢がいいだけでちょっとかっこいいのな」
「や、やめてよもう。茶化さないで」
「だよなー、古賀ちゃんですらそうだもん」
「ゆ、由真先輩まで。た、たしかにアタシもさっき同じこと思いましたけど……」
赤らんだ里奈が顔を下げ、人差し指をこすり合わせながら困ったようにもじもじする。
古賀ちゃんは白目を剥いてツッコミ待ちだったが、誰も触れようとしなかった。
「べつに茶化してはないし、素直にありがとうでいいじゃないの」
「そうそう。りーぽん結構、背があるから。なおさらなー」
「うぅ……そういうのはっ、心の中で褒めていてください!」
これ以上言うと何かしてきそうなので、俺と部長は「はぁーい」とおとなしく引き下がる。
「で。古賀ちゃんはいつまでいつも通りの顔してんの?」
「…………っ! うふふ。理解ってるわね、貴戸さんあなた。そう、あたしはクラスにひとりはいる、変顔に可愛さを残そうとするこざかしい女とはちがうの! 常に美人!」
ふふふふ、と。ポジティブすぎるうえ、言動の節々に私怨がこもりすぎていた。
部長がこっちを見て「どうにかしろ」と伝えてくるが、どうにもしようがない。
「はい、というわけで! 続き続き。じゃあ問題、次は何をするでしょーかっ」
「……座り方と立ち方じゃないんですか?」
「せ、い、か、い。んーちゅっ」
下手なウィンクと投げキッスが飛んでくる。あざとさ以前にシンプルにうざい……。
「せ、先生。そ、そういうのやるとあの、ほらカワイイ系に寄っちゃいますから」
「そ、そうですよ。古賀先生はキレイ系のほうがお似合いだと思います、アタシ」
「そーそー、古賀ちゃん。いつも通りが一番よ」
「あら。そう? じゃあ、そうしましょうかしら。ふふふふふ」
そろって安堵し、結束が少し強くなった気がしたその時である。がらりと襖が開いた。
「やっほー、ってあれー? 今日、もしかして茶道なのー?」
「みたいだねぇ」
「あ、こ、こんにちは。千雪先輩、菫先輩」
「うん。こんにちは、りーちゃん」
「ちはちはー。それで次は何やるのー? 歩き方からの席入りー?」
挨拶もそこそこにカバンを置いて戻ってくると、菫先輩が訊く。
「ちげー。襖の開け閉め先にやったから、座り方と立ち方」
「そういうこと。というわけでついでに実演よろしく、ふたりとも」
促され、先輩たちが快く了承した。入口から離れて位置を取り、座り方から教わる。
「まー、難しくないから気楽にねー。両膝からついたらー、かかとを開くだけだしー」
「可能な限り上半身はぶらさず、まっすぐにできると望ましいねぇ」
そう言って軽くつま先立ちになりながら、ゆっくりと真下へスライドするように正座する。
先生と部長もふたりに続き、最後に俺と里奈も徐々に腰を下ろしていった。
(たしかにやること自体は難しくない……難しくないけど)
つま先立ちの姿勢を維持したまま上半身をぶらさず、というのは案外、足腰がちゃんとしていないと生まれたての小鹿みたいになる。実際、隣の里奈がそうだ。
「ぷるぷるだねー、りなりな」
「うぅ、やっぱりそうですよね……」
「大丈夫よ、波瀬さん。やってるうちに自然と慣れていくから」
「そうだぞ、りーぽん。私も最初そんな感じだったから気にすんな!」
「ペポくんは結構、いい感じだったね?」
「どうもです。まぁ、普段からランニングしててガクガクなら逆に恥ずかしいですが」
「アタシも走ろうかな……でも、足太くなったらヤだし……」
むしろ最近はお肉のあるほうが、ってひとも多いからべつにいいんじゃない?
なんて個人的には思うけど、口にしたらひどい目にあうので絶対に言わない。
「はいはーい。そしたら正座だねー。まずこぶしひとつ分、両膝の間を開けまーす」
「ペポくんはふたつ分かな。そうしたら足は、親指が重なる程度にかかとを開いて」
「両ひじも男の子は横、女の子は縦にこぶしが入るくらい張ったらー」
「両手を膝上で、右手が上になるように軽く組んでおしまいだよ」
言葉の説明だとややこしく聞こえるだけで、さほど難しくはなかった。
とはいえ忘れないよう、帰ったらちゃんと寝る前に里奈と確認しておこう。
「あと覚えとくのは、正座をする位置ね」
「「位置?」」
「そう、畳の縁から16目。さっきの襖の時と同じ、8寸の位置で座るの」
古賀ちゃんにならい、指先で編み目を数えていく。こんなとこ人生で初めて数えた。
隣の里奈と両膝がそろう。なるほど。たしかに基準のあるほうが見栄えがいい。
「毎回数えるのはだりーから、自分の手が何目か覚えとくと楽だな」
言われるがまま手を置いてみれば大体12~3目あり、だいぶ省略できた。
「はい、じゃあ最後は立ち方かな。まずお尻を浮かせて、開いたかかとをそろえて乗せます」
「そうしたらー。まー、場合によるけどー、基本的には右膝を立ててー」
右足を前に出して立てるのではなく、軽くつま先立ちになる程度で。
座る時と同じように、その場からまっすぐ立つためなのだろうとわかる。
「頭から上に引っ張られる感じでー、立ちまーす」
「足の力だけですっと立てるといいね」
「でー、立ったら両足をそろえておしまーい」
まるで微動だにせずふたりは立ち上がる。素直にキレイだと思った。
俺たちもやってみるが、今度は里奈もそれほど姿勢が乱れた様子はない。しかし、
「どしたの古賀ちゃん」
先生が里奈をじろじろ見るので、「おかしかったかな?」と不安になっている。
「いやね、見た目ギャルが着物で茶道したら映えるんだろうなぁ、という期待感が」
その発言に里奈以外の全員が「あー」と声をそろえた。
「いっそインスタとかでー、和風のインフルエンサー目指してみればー」
「それ、いいね。部にある着物だけじゃ足りないし、千雪がお金出してもいいよ」
「え、あ。ほ、本以外に趣味が欲しいとは思ってますけど! そ、そういうのはイヤです!」
里奈が慌てふためく。たしかに、SNS初心者にはあまりに高すぎるハードルだった。
――以下、おまけ。
瞳「というわけで、お辞儀についてもぱぱっと解説していくわよ!」
智・里「よろしくお願いします」
瞳「まず裏千家ではお辞儀の基本姿勢を、大木のように構えると言ったりします」
智「なんかすごそう」
瞳「両手の指先を合わせて抱っこするようなイメージで、そのまま両手を膝に置くの。まぁ、ぶっちゃけ普通にピシッとしてれば、問題なくそれっぽく見えるわね」
里「え、心を込めるのが茶道って……」
瞳「お黙り! それでお辞儀には〝真〟、〝行〟、〝草〟の三種類があって〝真〟は畳に両手をびたんっ! 〝行〟は第二関節までずんっ! 〝草〟は指先だけちょんっ、よ!」
智「カンタン解説すぎる……」
里「も、もう少し何かないんですか?」
瞳「背筋はピンと伸ばして、頭を下げるのは手が膝先で畳に触れるまででおっけー!」
智・里「不安だ……」