茶道1
「おほん。皆、聞いてくれる? さすがに今日は、茶道をやろうと思います」
放課後。珍しく一番に来ていた先生が、背筋をピンと伸ばしてらしくないことを言った。
部長、俺、里奈の視線が一挙に集まり、呆れたように部長が疑問する。
「なんで?」
「そこでなんでって言葉が出る部活はやばいですよ、部長」
「アタシもそう思います……」
とはいえ、俺と里奈が入部してからまだ一度も茶道部的活動に取り組んでいないのは、紛れもない事実。興味がないと言えば嘘になるし、やらないのはもったいないと思う。
「いやだってさぁ、古賀ちゃんだぞ? 何か理由あるに決まってんじゃん」
「失礼しちゃう。先生はただ、顧問で指導員の責務を果たしたいだけよ!」
「あぁ、つまり真面目に取り組んでるのかを聞かれたってわけですね」
「え? いくら単純な古賀先生だからってそんな……」
里奈は相変わらず擁護なのか非難なのか、いまいちわかりにくい言葉選びだった。
対して先生は明らかに動揺しながら、元々ない威厳を保とうとする。
「り、理由なんて何でもいいでしょっ! とにかくレッツ茶道! お茶の飲み方を知らなくて許されるのは小学生までっ! 飲めないやつは部から追放よ! つーいーほーっ!」
「そうですか。で、本音は?」
「皆からの羨望で自己肯定感高めて、ひとりだけ気持ち良くなるちゃあああんすっ!」
「このひと、なんで教員免許取れたんだろう……」
里奈のストレートすぎる発言にもへこたれず、先生は茶道具をいくつか持ってくる。
「さて、まず質問。あなたたちの思う茶道とはなんぞや? はい、波瀬さん!」
「え、え? えと、その……お茶を淹れて、それを飲む作法、ですか?」
「なるほどね。でもそれだけじゃ、まだ足りません。はい、波瀬くん!」
「足りない……のなら、相手を思う心を込めた作法って感じじゃないですか」
古賀ちゃんは少し考え込み、「まぁ、いいでしょう」と話を続けた。
「〝茶の湯とはただ湯をわかし、茶を点ててのむばかりなることと知るべし〟。神仏に供え、お客様に差し上げ、自分も頂く。そんな当たり前が茶道ですよ、って意味の和歌ね」
「「ははぁー……」」
「利休道歌だな。千利休くんの言葉をかみ砕いて歌にしたやつ」
「ぶ、部長が、部長っぽいこと言っている……」
「う、うん」
「ど、どういう意味だよお前ら! 私を古賀ちゃんみたいに言うんじゃねぇーっ!」
「そんなことより褒めるべきは、先生がまともに見えたことじゃないかしらぁあああっ!?」
半分、承認欲求モンスターと化した先生と部長がはしゃぎ始める。それから、
「……うぅ、じゃあ次行くわよ? 茶道をやるって言ってもね、いきなり一から百まで、はい暗記しなさいとはならないの。だから作法をいくつかに分割して教えるんだけど――」
「割り稽古つって、たとえばこの帛紗のたたみ方な」
部長は赤いハンカチ? の両角を親指と人差し指で持って広げ、丁寧に折りたたんでいく。
「これで茶碗を拭いたりすんの。あと茶道ではたたむことを、さばくって言うんだぞ」
「「へぇー……」」
「どぉぢでなのぉ」
わざとなんだろうけど、先生がちょっと可哀想なので部長にはひとまず自重してもらう。
一度、慰めタイムを挟んだ後。元気になった古賀ちゃんが訊く。
「こほん。じゃあ座り方と立ち方、襖の開け閉め、お辞儀。どれからやりたい?」
「お辞儀に誘導されてる気がしますけど……襖の開け閉めからで」
「素直じゃないなぁ。じゃあアタシからも開け閉めでお願いします」
「ふたりとも真面目ねぇ。どれも地味だからお茶飲ませろって言うかと思ったのに」
先生が立ち上がり、襖のほうへ歩き出す。部長はおとなしく茶道具を片づけていた。
たぶん、今日だけで道具を使うところまではいかないのだろう。
「ちなみに旅館で仲居さんとかがやってるのと同じなんですか?」
「作法も色々だから必ずしも同じとは言えないわ。まぁ、見てて」
「あ、はい。すみません」
小さく笑いながら襖の前で正座するのを、俺たちも正座でしっかり見つめる。
「まずは引き手に近いほう、今回は左手で5センチほど開けます」
わずかな隙間から外の空気が流れてきた。先生の手が止まり、下へと下がる。
「大体、下から8寸。24センチまで下げて、身体の中央まで開いたら右手に交代します」
左手とまったく同じ高さの位置から、残りの半分を開いた。
しかしよく見れば、完全に開き切っていない。閉める時も考えてなのだろう。
「はい、次は閉め方なんだけど……逆だしやってみる?」
言われ、里奈と目が合う。特に言葉を交わさなかったが、自信がないらしい。
「あ、じゃあ俺が」
先生と入れ替わり、正座。部長と先生はこれ見よがしでにやついている。
人前で何かをするというのは、やっぱり緊張した。深呼吸をし、襖に手を伸ばす。
(逆なんだから、こうだよな)
右手を逆手にして半分ほど閉めた。先生は何も言わず、合っているかわからない。
今度は開ける時と同じように左手に代え、高さはそのまま残りを閉めていく。
手の甲が端にぶつかる。それから左手を引き手に伸ばそうとして、ふと手が止まった。
(……ちょっとミスったほうが里奈もやりやすいってのは、余計な気づかいかね)
まぁ、普通に間違える可能性もあるが。ともあれ、思いついた選択肢は三つ。
1素直にこのまま左手。2開ける時は左だったから右手。3閉める時だけ実は両手。
たぶん正解は1だろう。けれどここは理由づけしやすい3を選び、襖を閉めた。
「どうですか?」
「ふふ、最後はどうして両手で閉めたの?」
「あー、なんて言うか、閉める時は両手のほうが丁寧とかありそうだなって」
「あ、すげーわかる。それ」
部長が同意してくれる。言い方から察するにやっぱり間違っているのだろう。
「そのまま左手でよかったんですか?」
先生も茶化さず頷いた。間違えても恥ずかしくない環境ってすばらしいと思う。
「ちなみにもうひとつミスがあったけど気づいた? 波瀬さん」
「た、たぶん手を代えた時に襖の、縁以外も触ってたから……とか?」
「あら、正解。よく見てるわねぇ、優秀優秀」
褒められて照れくさそうに笑みをこぼす里奈は、ちょっと可愛いかった。
――以下、おまけ。
瞳「ちなみに茶道もいくつか流派があって、中でも表千家、裏千家、武者小路千家が三千家と呼ばれているの。先生が教える資格を持ってるのは裏千家ね、一番メジャーなやつ」
里「裏なのにメジャーなんですね」
瞳「元々、三千家は千利休のひ孫たちが開いたんだけど、裏千家以外は保守派寄りなの。今の感覚だと着物もちょっと地味だし、お茶も泡立てないしね。けれど裏千家は学校とかでもよく教えられてるから、茶道人口の半分くらいはもう裏千家よ」
智「茶道人口ってどれくらいあるんですか?」
瞳「最盛期は500万人いたらしいけど、今は5分の1以下じゃなかったかしら」
里「すごく減ってますね」
瞳「自国の文化や伝統を重んじるなんて、もう少数派なんでしょうね。日本より海外のほうが茶道に興味あるひとも多いくらいだし。まぁ、おかけで稀少存在なんだけど。ふふ」
智「つまり、茶道やってるから素のテキトーさでモテないんじゃ……」
瞳「それは言わない約束でしょぉおおおおっ!?」