小さな巨人
「ふんふっ、ふんふっ、ふ~ん♪」
放課後。いつものようにお茶を淹れていると、部長の鼻歌が聞こえてきた。
急須と二人分の茶碗を用意し、コタツのほうへ運びながらその理由を訊いてみる。
「えらくご機嫌ですね。何かいいことあったんですか、部長」
「お、わかるか。わかっちゃうか、ペポ」
「そりゃわかりますよ」
「そっかそっか。いやな、今読んでる漫画がイイ感じなんだこれが」
「当たりだったんですね」
「そーそー。珍しくチユとスゥが推してきたんだよな。あ、お茶せんきゅー」
ちょうど一冊読みきったらしく、入れ替わりに立ち上がって続きを取りにいく。
楽しそうな姿を横目に腰を下ろし、千雪先輩が毎週買ってくれる少年誌に手を伸ばした。
(あれ? でも千雪先輩は基本エロ漫画か官能小説だし、菫先輩も偏ったライトノベルばかり読んでるから。たどり着くところは部長の苦手な展開というか。オチなのでは……)
一タイトルを読み終えて、ふと思う。ちょっと心配だった。というよりも、
「まだ探してるんです、部長」
「うん。二巻がどこにも見当たんないんだぞ」
仰向けになってごろんと寝返る。茶道部には似合わない、立派な本棚の前でうろうろとする部長が見えた。少年誌を置いて立ち上がる。もしかしたら上にあるかもしれない。
「え、と。タイトルは?」
確認して下段から順に端から見ていく。ずっと見ていく。たしかにどこにもない。
部長を見れば「だろ?」という顔をしている。なぜだかちょっと得意げだった。
「でもほら、あれじゃないですか? 一番上の、なんか奥で横になってるやつ。見えます?」
「見えん。取って!」
「いいですけど……あれ? いつもの踏み台は?」
皆がそれぞれ本を持ち寄ってることもあり、千雪先輩が用意した本棚はやたらと大きい。
そのため、そこそこ身長があっても台なしだと一番上には絶対に届かなかった。
「わからん。消えた!」
「なるほど……まぁいいですよ。ほら、部長。こっち来てください」
きょとんと首をかしげ、とことこやってくる部長。前に立ってもらい、両腋に手を入れる。
「ひょっ!?」
抱っこ。というか、たかいたかい。この姿勢を維持したまま背伸びをすれば、届くはずだ。
「お、お前なぁ……わ、私にだって心のっ、じゅ、準備とかってやつがだな……」
「え。ダメでした? 届きません?」
「と、届くけどさぁっ! そうじゃなくて……いいよもう。ほれ二巻だぞ、降ろせって」
「あぁ、子ども扱いっぽかったですかね。じゃあ、今度から肩車にしまあばぐえぁっ!?」
後ろ蹴りがみぞおちにクリティカル。しかし部長を落とさないようにそっと倒れる。
部長は「ふんっ」とだけ言い残し、にやにやと声を漏らしながら続きを楽しみ始めた。
その傍らで、俺はしばらくいじけていた。ややあっていざ立ち上がろうとすれば、
「おい、ペポ。いつまで寝てんだよ、お前。まぁいいや、これちょっと見ろって」
げしげしと尻を蹴られて呼ばれる。微妙に根に持っているらしい。部長に手渡されたのは、一枚の紙きれ。そこにはかわいらしい筆跡で〝三巻以降は本棚のうえ〟とある。つまり、
「さっそく肩車の出番じゃないですか……」
「せ、背に腹は代えられないだろっ! いいからしゃがめって。言っとくけど、見るなよ」
「見えませんって」
じとじとした視線を感じつつも、部長は「んしょ」と両足を首の後ろから乗せてくる。
ぴっちりな黒タイツに包まれた足をしっかり支え、ゆっくりと立ち上がった。
「ぅう……あっ、でも。いいなこれ。高いた、か……い」
「丈が高ぇ――いたいたい、痛いですって部長」
無言で蹴られた。しかも二回。よろめきながら本棚に近づいて「どうです?」と訊ねる。
「お。本棚の上に小さい本棚、発見。なんでこんなとこに置いてんだ」
「知りませんよ」
漫画を取り終わるまで待つ。けれど頭上からは延々と「うぐうぐ」聞こえるばかりだった。
それに部長が動く度、後頭部がそわそわと擦れてどうにもくすぐったい。
「届きませんか?」
「あ、とちょい……ぅ、ダメだ。手足の長さと身長が足らねー。肩に立っていい?」
「いいですけど。危ないから支える時、上は見えちゃいますよ」
「じゃあなし」
即答だった。その時、シャーという音が耳に届く。誰かが入ってきた。古賀ちゃん先生だ。
「なぁーにをイチャついてんの? あなたたち」
「あ、古賀ちゃん先生。いいところに。ちょっとこっち来て四つん這いになってください」
「えぇー? 波瀬くん大胆~。てのは冗談だけど、踏み台はどうしたのよ?」
「たぶん、千雪先輩と菫先輩がどっか持っていったんだと思います」
部長が「古賀ちゃんたのむー」と泣きつけば、先生は何だかんだ踏み台になってくれた。
「部長、ちゃんとつかまっててくださいよ」
「お、ぅ――……ぁ、んっ」
身体がびくりと跳ねたのが伝わる。俺が頭を後ろにかたむけすぎたのかもしれない。
すぐに「ごめんなさい」をしようとしたけれど、太ももの締めつけが増すほうが早かった。
「ぐぇっ。わ、わざとじゃないんです! し、締まってますってこれ。ぶ、部長……」
「し、締めてんだから当たり前だろ、ばか――……んっ、ひぁ。ん、んーっ」
抵抗のために自然と頭がぶれる。伴ってかすかに声が漏れて、たぶん口を抑えていた。
容赦なく踏んでしまっている足元からも、その都度「んごっ」と濁った音が聞こえてくる。
「おまっ、その……っ、あ、たま。てか、くびをっ。う、ごかすの……やめ、ろっ」
「ぶ、部長が首を締めるからっ。う、動いちゃうだけで俺は――」
「ねぇ、波瀬くん? もしかしたら先生の気のせいなのかもしれないけど。あたし今、色んな意味で踏み台にされてたりしないかなぁ、ちがうかなぁ……ぐすんっ。ひとみ、泣いちゃう」
「す、すみばてん……」
そうして、数分に渡る戦いの末。俺たちはようやく漫画を手にすることができた。
ひとり傷ついた先生は和室のすみっこでお茶をひたすら泡立てていて、部長は何故だか俺の膝上に座ってだらしなく漫画を読み続けている。いわく罰らしい。
しょうがないので一緒に漫画を読みながら、部長の耳たぶに触れて暇をつぶしていた。
途中、いきなり漫画が女主人公と悪役令嬢の叡智展開に突入。気まずくなりはしたものの、それはそれとしてこの日から。コタツが満員な時の、部長の定位置は俺の膝上になった。
――以下、おまけ。
瞳「ぐすん。ぐすんぐすん」
由「ご、ごめんなさい……」
瞳「やだ。次のハッピーが起きるまで許さないって、先生決めたの」
由「そんなんどうすりゃいーんだよ、パシリでもやれっての?」
瞳「自分で考えたらぁ~? とりあえず、もっと謝ればいいと思うわよ?」
由「う、うざい……ってか、ペポ! お前も今はお茶いいだろ!」
智「え? あー、いや。そのいじけレベルならほっといて平気ですよ。楽しそーうにしてれば勝手に寄ってくるんで、気にせずこっちでお菓子食べてましょう」
由「あ、そうなの? じゃあ、まぁいっか」
瞳「……うぅ、うぅううっ。どぉぢでぜんぜいだげ、ながま外れにずるのぉ!?」
智「してないですよ。ほら、ちょっと大きめの喜久福もありますから」
瞳「うわぁ~い。先生、その大福好き~。ありがとう波瀬くん~。しゅきしゅき~」
由「そ、それでいいのか、古賀ちゃんお前……」