慰め係
校庭から運動部のかけ声がよく聞こえる。和室に来たものの、中には誰もいなかった。
なので俺は新入部員らしくコタツを引っ張り出し、お茶を用意しておくことにした。
するとドタバタ騒がしい音を立て、和室に駆け込んできたのは顧問の先生。
俺と同じアパートの住人でもある、古賀瞳――古賀ちゃんだった。
「うぅ、うぅ……」
来て早々にテーブルに突っ伏し、どうしたのと聞いてと言わんばかりな態度。
またなんかあったのか。なんて思いつつも、お茶の準備が間に合ってなかったのでしばらく先生を放置した。すると明らかに、チラチラとこっちを見ているのがわかった。
というより途中から全部「チラ」が声に出ていた。心配しなさいよ、なだめなさいよ、話を聞きなさいよ、優しくしなさいよ。みたいな圧が本当に強い人だと思う。
「聞きますよ。えぇ、聞きますとも。どうしたんですか、古賀ちゃん先生」
お茶とお菓子を置き、正面に座る。先生ものそりと顔を上げ、今度はわんわん泣き出した。
仕方なくティッシュを取って渡せば、勢いよくかむ。
すかさずゴミ箱を持ってくれば涙目で「ありがどぉ」とそこに入れていた。
「ぅう……やっぱり波瀬くんだけよ。先生の話をちゃんと聞こうとしてくれるのは。皆、最初だけ。段々と素っ気なくなって冷たくあしらわれちゃうの。なんでかなぁ……寂しいなぁ」
「なんでなんですかねー」
ちょっと面倒くさいからでは、なんてことは口が裂けても言えない。
口にしたところで、言えばそれもなだめるハメになるのは火を見るよりも明らかだ。
「それで、どうしたんですか今日は」
「……うん、えぇとね」
お茶に口をつけて少し落ち着いたらしい古賀ちゃんが、深刻そうな表情で続ける。
「どうしてあたしは結婚できない……もっと言えば、なんで彼氏がいないんだろうって」
「またですか……」
知らんがな、と言いたい気持ちをグッとこらえる。もう慣れたものだった。
なにせこの話、先生と知り合ってからすでに軽く数十回は同じ話をしているのだから。
しかも先生とは中学三年の春休みに、新居のアパートで出会ったばかりだ。
「仕事が忙しくて出会いがないからじゃないですか」
「そー、そー。そーなのよ。普通は。普通は! なのに松っちゃん……あ、松前先生ね。が、どこぞの歳下イケメン社長をつかまえて、人生あがりかもーとか言ってるのがっ! もーっ、強烈に悔しくて悔しくてっ! 波瀬くんっ! 先生は……先生はっ、悔しいですっ!!」
古賀ちゃんはボリボリとお菓子に手をつけ始めて、暴飲暴食に走り出した。
先生の愚痴に付き合い、ひたすら「うんうん」うなずくのが役割とわかる。
しかし、とにかく先生の自信を取り戻すようなきっかけになれば何でもいいわけで。
「でも松前先生と古賀ちゃん先生を並べたら、男なら間違いなく先生を選びますよ」
ピクリ。先生の耳がおもむろに反応を示す。手ごたえあり。けど、まだ足りないらしい。
正直、松前先生のことはよく知らないんだけども。ごめんなさい……。
「たとえばそうですね。その歳下イケメン彼氏と一緒にいるところに偶然、古賀ちゃん先生が街中で出会ったとして。先生が歳下くんみたいな彼氏が欲しいー。って言ったらその人きっと失敗した! かわいい! 隣にいる自分の彼女を見て、つい舌打ちすると思いますもん」
ピクピクっ、ピクピクっ。
古賀ちゃんは、徐々に自分を美化――もとい、失った自己肯定感を取り戻してゆく。
「ちなみそのイケメン社長の家、大きいとか何とか言ってましたか?」
「えぇと、たしか。背の高いタワマンに住んで……くぅう」
みるみる先生が萎びていってしまう。そこへ間髪入れず、事実を叩き込んだ。
「知ってますか、先生。本当のお金持ちは、縦じゃなくて横に広い家に住むんです」
「なん、ですって……っ!?」
「高いところに住みたいのは成金とかの思考なんです。つまり、その彼氏はいつ転落するかもわからない男の可能性大! ということはですよ? 運が良いだけの女とそんな男、お似合いだと思えてきません? いやむしろお金で買えないすばらしい魅力を持った先生には、人生を10回くらいやり直してもお釣りが出ちゃうくらい釣り合ってないって」
「――――っ!」
自分で言って、さすがに持ち上げすぎだと思う。けど先生もけっこう単純なのでこれくらい過剰で丁度いい感じだった。その証拠にニタニタと笑い始める。
「ふ、ふっ。ふふ、ふふふっ……そうっ、そうなのよ。波瀬くんの言うとーおりっ! 先生は松っちゃんに分け与えてあげたの! よく考えたらそんなにカッコ良くなかったし? 何なら波瀬くんのほうがカッコいいし? そもそも男に見る目がないだけで? ということはつまりあたしはなんにも悪くない! うんうんっ、知ってた知ってた!」
「そーですねー」
開き直りって、怖い。活力を取り戻して立ち上がり、先生は俺を見下ろす。
それからこちらにやってきて、横から思いきり抱きついてきた。
「あぁ~。やっぱり波瀬くんしゅきしゅき。だいしゅき。先生っ、思わずハグしちゃう~」
「んごぉっ!? ふがふがっ!」
それは苦しいとやわらかいの調和だった。甘いとしょっぱいの繰り返しから、逃れられない感覚に近い。もう自分の力では抜け出せず、されるがままに息を乱していた。
「あっ、そうそう」
「ぷはっ」
唐突に解放され、ちょっと惜しいと感じてしまうのは男の子だからだろうか。
古賀ちゃん先生は背を向けて座り、「ん」と両肩を差し出してくる。
「今は肩だけでよろしよろし。もう凝ってきたのよねー」
「またですか……いいですけども」
いつものように凝り固まった肩を揉みほぐしていく。たしかにだいぶ凝っていた。
「ぁあ~、そこそこっ。んぁ、ぎもぢいい~。波瀬ぐんが、一家にひどり欲じいぃ~」
「素人じゃなくてお店行ったほうがいいですよ、ほんと」
「じがんもなげれば~、おがねもないのよぉ~」
切実だと思う。趣味にお金をかけていると言っていたので、そのせいなんだろうけど。
「ぁ~、やっぱりこのまま足とか背中も――」
その時だった。ドタンっ、と和室の襖が一気に開けられる。そこにいたのは、
「げっ、松っちゃん!」
「げっ、じゃありません。職員会議のお時間ですわよ、瞳ちゃん!」
「うゎああんっ、波瀬くんへるぷ。へるぷみーっ!」
もちろん、古賀ちゃん先生をいい笑顔で見送った。ふぅ、今日もお茶が美味しいです。
――以下、おまけ。
瞳「設問1 先生が結婚できない理由を全て挙げなさい」
智「解 容姿以外の全て」
瞳「え? つまりアイドルだっておならするし、うんこもするよね現象ってことっ!?」
智「クソみたいなポジティブシンキング……」
瞳「な、の、にっ、後ろ向きなメルヘン女よりモテないという事実っ! もうこれ映画の宣伝PVだったら衝撃のラストを見逃すな! って言われちゃうやつよ!?」
智「衝撃のラスト(孤独死)じゃないですか……というか、結婚だけが幸せなわけでも――」
瞳「結婚したいって思ってる人間によぉおおくそんなことが言えるわねええっ!? そんなの結婚に失敗したひとがうだうだ言ってるだけでしょぉおおおっ、自分が失敗したからって勝手に他人も失敗するって決めつけないでくれませんかねぇええっ!? あたしの結婚は約束されし勝利の剣なのっ! というかねぇ! 結婚したことないくせに結婚は悪だとか言ってる女もそれを真に受けるやつもなんなんだぁあっ、お前は処女がセックスは気持ち良くないって声高に叫んでたら信用するのかよぉおっ!? くっ、こうなったら男子高――……」