背徳
ある日の昼休み。俺は先日の経験を活かし、部室でひとり弁当を食べようとしていた。
チャイムが鳴り、のんびり旧校舎へ向かう。すると一階で菫先輩に出会った。
「あれ、どうしたんです昼休みに旧校舎なんて」
「えー、お互い様じゃないかなー」
「ですね。俺はひとりで弁当食べに来ただけですよ」
「ふふっ、知ってるー。ゆまゆまに聞いてねー、今日もいたりしないかなーって」
そう言って後ろに隠していたお弁当を見せびらかし、にこやかに微笑む菫先輩。
「ありがとうございます」
「いえいえー。なにせわたしー、おっぱいとお尻が大きくて優しいえっちな先輩だからねー」
「なんて言うか教室も食堂も、俺がいると周りの居心地が悪そうなんですよね」
「するするーっとスルーっ!?」
珍しく菫先輩がおとなしくツッコミに回ったので、不覚にも笑ってしまう。
「でもそうだねー。だからっていなくなってたらー、いないのが当たり前になっちゃうぞー」
「一応、男子に話しかけてみたりしてるんですが。相変わらずです」
「あれー、男の子だけー? 女の子はー?」
「特には。あ、でも最近は俺がいない時だと里奈は交流が増えてるみたいで。里奈とセットで二言くらい話してどっか行く、みたいなのはちょくちょくありますかね」
交流が増えたきっかけは小説だったらしい。羨ましい限りだ。
里奈が馴染めない理由は俺以外だと、やっぱり内面と外面の乖離が大きいからなのだろう。
「なるほどー。飼い主以外に全然なつかないけどー、可愛いから触りたいって感じだー」
「なんですかそれ」
「ようするにー、クセのあるペット扱いだねー」
ひどい。けどまぁ、たしかに。昔はよくひとを噛んでいたけれど今は大丈夫!
そんな言葉にどれほどの人間が無警戒でいられるか、という話だろう。やがて四階に着く。
「ところでー、部室じゃなくてこっちで食べなーい?」
前をゆく菫先輩は途端に身をひるがえすと、ポケットから大教室の鍵を取り出した。
「? いいですけども」
ついでの用事だろうか。とりあえず中に入る。電気をつけ、椅子に座って弁当を置く。
「菫先輩はあれですか。今日は模型部的な気分の日ですか?」
「んー? んーとねー」
――ガチャリ、と。不意に鍵の閉まる音がした。直後、つけたはずの電灯が消える。
「え?」
「残念。正解は、背徳的な気分の日だよ――智成」
軽やかな身のこなしだったのだろう。目が慣れる前に耳元でいきなりささやかれた。
瞬間。ガチャン、と。いつかとは段違いの手際の良さで手足が拘束される。
「えっ、は、ちょっ! て、手癖が悪いっ!?」
「小さい頃の夢、忍者だったって言ったことなかったっけ。ニンニン」
どうだろうか。あった気がしなくもないが、今はそれどころではない!
当然のように馬乗りだった。シャツのボタンが外され、色々な部分を指先でいじられる。
「な、なんなんですかっ、どういうドッキリなんですかっ!」
「ドッキリなんかじゃないよ? 智成と……えっちなことしたい、だ、け」
「~~っ!?」
「あはは。やっぱり耳、弱すきだよ。可愛い可愛い」
からかいながら菫先輩は、制服を半分ほど脱いだ。目も慣れ、下着の色もわかってしまう。
「じゃあまぁ、しょうがないから先にご飯にしよっか?」
「意味わっかんないですよ、もう……」
俺が長机に置いたはずの弁当は、いつの間にか菫先輩の手中にあったのだ。
ふたが開き、「あーん」をされる。とてもそんな気分ではない。無言で拒否する。
「しくしく。わたし、すっごく悲しい。ね、悲しいから舌入れていい?」
俺以外の全員でふざけているなら、そろそろ部長と里奈が出てくる頃合いだろう。
だが、出てこない。超えてはいけないラインがなかった。観念して口を開ける。
「うん。素直でよきかな、よきかなー。はい、あーん。どうおいしい?」
「こんな状況じゃなければ、もっとおいしいと思います」
「つれないなぁ。そこはもっといい台詞があると思う。わたしおこだよ、おこ」
ぷんぷん、と。おどけながらこれ見よがしに同じ箸でウインナーを口へ運んでいく。
わからない。菫さんの気持ちが。それからしばらくして、ようやく絞り出すように訊いた。
「……千雪さんのこと、好きじゃなくなったんですか」
「ちがうかな。千雪が嫌いになったとかじゃなくて、こういうことして遊びたくなっただけ」
何でもないようなトーンの返答。曖昧な感情が顔に出ていたのか、菫さんは続ける。
「わたしはね。今この瞬間が楽しければ、後は全部どうでもいいんだ」
快楽的な刹那主義。過去でも未来でもなく、今だけのために生きるという考え方。
「それで誰が一番傷つくかなんて、わかりきってることじゃないですか」
「うん、でもわたし。嬉しそうな千雪もつまんなそうな千雪もたくさん見てきたけど、千雪が泣いてるとこはもう何年も見てないの。だって、毎日がキラキラしてちゃってるから」
つまりそれが、こんなことをする理由だと。菫さんはそう言い切った。
「……それは。そんなのおかしいよ、おかしいですよ菫さん」
「うん。だから今度、千雪の後ろで手繋いだりしてさ、一緒におかしくなってみよ。ね?」
恍惚としか言いようのない、あまりに破滅的な魅力を宿す微笑みに言葉を失う。
「完成された関係なんてつまんないよ。どうせなら一回壊れてめちゃくちゃになったり、元に戻らないほうが、不完全で不健全なほうが、ずっとずっと面白いってわたしは思うんだ」
俺の両頬に手を添え、視線を重ねる。まるで瞳の奥の自分を見つめるように。
「完成される過程に価値はあっても、完成されたものに価値なんてない。だから――」
「お父さんとお姉さんのせいだって言うなら、歪なようで単純だぞ。多感な時期の菫ちゃん」
地雷と知りながら踏み抜く。すると余裕のたっぷりの笑みが、徐々に薄れていった。
「そう、わかった。なら勝負しよっか。考えを変えたらわたしの負けでいいよ? 何でも言うこと聞いてあげる。でも、もしもその前に智成が誰かを好きになった、その時は――」
戦いの基本とは相手の弱点をつくこと。ならば、その先手が耳攻めなのは当然だろう。
「うぇるかむ、とぅ、あんだぁぐらうんど」
抗いようのない快楽が脳を駆け巡る。やがて〝それ〟に気づいた菫さんが立ち上がり、
「とりあえず今日はわたしの生理的勝利、でいいよね? ――じゃあまたねー、ぺぽぺぽー」
いつものように去っていく。ひとり残され、思う。千雪先輩に言えるわけがないと。
しかしこうして菫先輩との、お互いに負けはないと確信する勝負が幕を開けたのだった。
――以下、おまけ。
智「……ふぅ、えらい目にあった」
瞳「エロい目にあった?」
智「う、うわっ! びっくりしたぁ……な、なんだ先生か。驚いて損した」
瞳「どぉぢでなのぉ……」
智「急に忍び寄るからですよ。先生こそどうしたんですか? 昼休みにこんな」
瞳「ん? それはほら、クラスで浮きすぎな波瀬くんが、昼休みにひとりで部室飯してるって聞いたからよ。職員室に戻ったら松っちゃんが教えてくれたの」
智「そ、そうだったんですか。(か、完全ニアミスだ。あっぶねぇ……)」
瞳「それでなに。エロい目にあったの? というか波瀬くんひとり? 菫さんは?」
智「あー、いや菫先輩はどっか行っちゃいましたね。さっきまでいたんですけど」
瞳「怪しい……ナニかが決定的に怪しい――はっ、もしかして波瀬くんまさか、菫さん相手に校内で見抜きをさせられてっ!? ぐっ! やるわね菫さん羨まけしからん……ってぇえじょぉおおおっ!? ほ、放置プレ……あっ、行かないでいかないでやらあああっ!!」




