花園の狭間
「ねぇ、ペポくん。最近、百合に挟まろうとする男は死すべしって風潮あるじゃない?」
同じコタツを囲む落ち着きはらった女子が、不意にそう訊ねてくる。
凛々しさの際立つ二年の先輩で、堂々と成人誌を読んでいる以外におかしな点はない。
「一部過激派のせいだと思いますけど。それがどうしたんです、千雪先輩」
百合とは、おおむね女性同士の恋愛や仲の良い状態を指すジャンルだ。
しかし行き過ぎた人類は男のいない世界を望み、アニメなどで火種になりやすかった。
「百合好きのひとって、自分は挟まりたくないのかなぁって」
「いや、それは……自分が挟まれないなら、せめてけがれるな! ってことでは」
「かなぁ。あ、あといきなり舌入れてキスし始めたら引く層がいるのは?」
とても複雑な問いだろう。答えあぐねていると、代わりに俺の背中から声があった。
「あれだよー、可愛がってたペットが急に腰ふり始めてなんか引いちゃうやつー」
「あぁー、無害そうに近づいてきたひとが不意に見せる性欲かぁ……すごい理解できた」
おもむろに顔をしかめ、考えなければよかったという風にお茶で口直しをする。
一方で背中。だらりと体重の預ける無防備な、同じく先輩が顔をべたべた触ってくる。
「……ていうかあの、菫先輩。そろそろどいてくれませんかね」
「えー、いいじゃないのぺぽぺぽー。自慢だけど抱き心地はすばらしいからねー、わたしー」
いち男子としては反応に困る発言だったが、隣で千雪先輩は強く頷いていた。
茅沼千雪と宇城菫。ふたりは付き合っているので当然なのだけど。
「千雪先輩もその、ほら、嫌じゃないんですか?」
「ん? イヤじゃないよ。千雪の大事な友達と大好きな彼女が仲良くしてるだけだもの」
すっぱりと言い切られる。身体が絶妙にむずがゆくなり、頬がわずかな熱を生んだ。
「……先輩って意外と恥ずかしい台詞をさらっと言いますよね」
「千雪からすれば、ペポくんほどでもないと思うけどねぇ」
「えへー、わたしも好きだよー」
しかし恥ずかしい台詞は効いたらしく、菫先輩が今度は千雪先輩に抱き寄っていく。
「そうだー。ねー、ちゆちゆ」
「なぁに、すーちゃん」
しばらく見つめ合った後。何やら耳打ちで相談を始めた。絶対ろくな内容じゃない。
やがて先輩たちはにまにまと立ち上がり、左右から挟む込むように迫ってくる。
「はい、じゃあペポくん。ちょっとここで両手を前に出して、肩幅で立ってくれるかな」
「……こう、ですか」
経験則として、拒否してもやるまで終わらない。そのため素直にコタツから出て従う。
「そーそー。目もつむってー」
(つ、つむりたくねぇ……)
視界が黒く染まり、その分だけ先輩たちの息づかいや匂いを強く感じられる気がした。
「で、なんなんです――」
ガチャン、ガチャン。言い切る前に、茶道部の和室で聞こえてはいけない音が続く。
目を開く。どうやら両手両足が、ふたりの両手足と手錠および足錠で繋がれたらしい。
「はいはーい、かーんせーっ!」
「ふふ、三人四脚だねぇ」
「……それで。どんな目に遭わされるんですか、俺は……」
つまりこれで無事、先輩たちの間に挟まれた男にされたわけだった。ため息がこぼれる。
訊けば千雪先輩と菫先輩は一度お互いを見やり、ささやくように悪魔の宣告をした。
「「こ、う、な、い、さ、ん、ぽ」」
「は、嘘だろ?」
つい敬語が消えるくらいの衝撃。今後の高校生活を考えれば、ありがた迷惑でしかない。
そんな俺のうろたえた様子を見て、他人事のようなふたりは楽しげに笑っている。
「い、いやっ、いやいや! 絶対に嫌ですよ!?」
「まぁまぁ、そう言わずにね。一周だけ千雪たちに付き合ってくれたら嬉しいかな」
「イヤならー、ぺぽぺぽ抱き枕にしてー、仲良くお昼寝でもわたしはいいけどねー?」
「う……」
正直、どちらも誤差だ。もし部長と里奈に見られたら、何を言われるか。
想像しただけでさっきよりも深いため息が出た。何事にも下には下があるようだ。
「はい、決まりということでね。気を取り直してぇ、しゅっぱぁーつ!」
「「おーっ!」」
「お、おぉー……」
とはいえどうせ足がもつれて転び、すぐに企画倒れになるのがお約束のはず!
しかしそんな確信を裏切り、気づけば部室を出て旧校舎の廊下をゆっくり進んでいた。
「な、なんでこんな息合ってるんですか……普通、部室の中で倒れてぐだるとこじゃ」
「えー、それはわたしたちを舐めすぎだよーぅ」
「ちなみに鍵は部室に置いてきちゃったかな」
「置いてきちゃったかな、じゃねぇですよ……はぁ」
バリアフリーにより四階から一階までスロープでも繋がっているため、どうにか下りられてしまうのも考えものだ。そうして、一階の渡り廊下に辿り着いた時。地獄は始まった。
「う、うう、う……」
すれ違う全ての生徒らに凍てつくほどの視線を浴びせられるのが、ただただ苦しい。
個人練習をする吹奏楽部女子の音が狂い、筋トレに励むサッカー部員が一斉に倒れ、用務員が箒を叩き折り、中でも先輩らの熱心なファンらしい女子たちの嘆きは凄まじかった。
そのうえ泣く泣く部室に戻れば、わざとらしく先輩たちが足をもつれさせて、部長と里奈の前でもみくちゃにされた結果、ゴミを見るような目を向けられる始末であった。
「絶対、変態だと思われたじゃないですか……」
「大変だねぇ」
「元からだしー、気にすることないでしょー」
ひどい。そして戻ってからもしばらくそのままだった鍵を、ようやく外してもらう。
「と、というか部長も里奈も。あの、そろそろ普通に話してくれませんかね……」
返事はなく、そこには蔑みの目だけがあった。とても悲しい。
すると悪意しか感じないタイミングで菫先輩が抱きついてきて、スマホを見せてくる。
「ねー、見て見てー。普段まったく活用されてない記名制の校内チャットが荒れてるー」
「あ、本当だ。やったね、ペポくん!」
「ちっとも嬉しかないですよぉっ!」
ただでさえ校内における俺の評判は良くないのだが、もはや手遅れの領域だろう。
チャットでは無情にも、サンドウィッチマンから派生した無能野菜と呼ばれていた。
――以下、おまけ。
千「サンドウィッチマンだって」
菫「無能野菜だってー」
智「うるさいですね」
千「まぁまぁ、これも青春だよ。青春」
菫「そーそー。すーぐ人間じゃなくなる、男の子のオタクみたいなものだよー」
智「俺べつにオタクじゃないですけど……あれってなにが原因なんでしょうね」
菫「知らなーい。でも不平等だよねー」
千「だねぇ。男は気軽に豚になって、女の子はヒトのかたちを保ち続けるわけだし」
智「ジャンルに関係なく、〇〇女子とか多い印象です」
菫「どう見てもおばはんの奥方でさえそれだからねー」
智「辛辣すぎる……まぁ、本当ならどっちかに合わせるべきで――」
千・菫「じゃあメス豚」
智「そっちに合わせるんですか……」