反省
「いい、絶対に寝てなさいよ?」
「わかったわかったって、もう」
きりん荘の202号室。その玄関前。今朝からすでに数度目となる念押しにうんざりする。
理由は里奈基準で微熱だからなのだが、体温は高いほうなので今くらいなら平気だった。
「本当かなぁ」
「はいはい、ほら遅刻すんぞ。いってらっしゃいませ、お母さま」
「わ、わわっ」
床に置いたままのカバンを押しつけ、くるりと回して里奈を強引に外へ押し出す。
ガチャリ。出た瞬間に鍵を閉め、ため息をひとつ。しかし一向に足音がしない。
気になってドアスコープを覗くと、ホラー一歩手前な雰囲気の視線がこちらを見ていた。
(あ、やべ……悪霊退散! 去れ!)
息を殺して念じる。それが通じたのか、「ふんっ」という声の後に階段を叩く音が響いた。
(どうせ帰って来たら何か言われるだろうし、やることやっとくかぁ)
とりあえず寝汗にまみれたベッドのシーツを洗い、各部屋とトイレの掃除をし、休んだ分の授業内容を里奈のノートを見ながら写して宿題に手をつけると、午前が終わっていた。
「読書、トランプ、筋トレ、勉強……それとも、素直に寝る……」
我ながら選択肢の幅が狭い。悩んだ末、日課の筋トレに決めて、腕立て、背筋、クランチ、スクワットをそれぞれ100回ずつこなした。時間があるので普段よりも多い。
それから懲りずにランニングへ向かい、年齢が判別しにくい服装で河川敷沿いを1時間ほど走り続ける。帰ってプロテインを飲み、汗を流したら遅めの昼食を残り物で済ませる。
しかしまだ下校時刻には早く、読みかけの小説に手を伸ばすことにした。
やがて四時を過ぎたことに気づき、聞こえ始めた足音と声に本を閉じる。
(……まぁ、寝たふりしておけばいいだろ)
あらかじめ側に置いておいたタオルケットにくるまって、ソファーで横になる。
「――せめて帰ってきた時くらいは寝てて欲しいですけどね……」
「いや、こういうのって帰ってきた時に慌てて寝たふりするやつじゃねーの?」
「そうなの? 千雪はやったことないけど、それってすぐにバレるんじゃないかなぁ」
「えー、ちがうよー? りなりなの下着で自らを慰めてるとこを目撃するんだよー」
「す、菫先輩……」
「ま、これが少女漫画だったらシャワー上がりの全裸と遭遇する一ページ前だな」
誠に遺憾であるが、実際に寝たふりをしているのでとても恥ずかしかった。
これで白々しく起きるのも気が進まないし、何だか負けた気がして悔しい。
(お見舞いは嬉しいが……決めた。今から寝てやる)
「あ、寝てる」
「寝たふりじゃねーの?」
「わたしも寝てないと思うなー。だってぺぽぺぽ、いたずら待ちの変態だもーん」
「うん。聴くところたしかに、ちょっと寝息って感じの呼吸音ではないかなぁ」
さすがに鋭い先輩たちだ。当たり前のように身体へ触れて、確認してくる。
しかし、だがしかしだ! この程度なら大丈夫だ。問題な――
「「おはよう。おにい、ちゃん。あさだよ。お、き、て」」
瞬間。あっけなく。脳の奥底から生じる震えに堪らず転げ落ちてしまった。
わずかに驚いていた部長と里奈も、すぐに蔑み混じりな目線へと切り替わっていく。
「正座」
「え。いや、部長。それは――」
「「正座」」
「……はい」
縮こまりながら正座させられる一方、先輩ふたりはもう探索に夢中な様子だった。ひどい。
「つーか、そこのお前らも。ひとんち勝手にうろうろしちゃダメだろ」
「でもさぁ、ゆーちゃん。千雪、気になったことがあるんだよねぇ」
「そーそー。ぺぽぺぽの部屋であろう和室が狭すぎなんだよーぅ。ほとんど荷物だけー」
「え、じゃあ普段どこにいんのよ? ここ? どうなんだ、ペポ」
まずい。それは非常にまずい質問である。何がまずい? 言いにくいからまずい。
質問に対し、里奈まで焦り始めたことで何かを悟った部長が視線をそちらへ向ける。
「「あ、そっちは――」」
情けない声がそろう。同時に最後の扉が開かれ、室内の事実に絶句する部長。
「りーぽんもちょっと。そこ座んなさい、座って。早く」
「は、はい……」
里奈はしゅんと俺の隣に正座し、これでふたり仲良く圧迫面接を受けるかたちになった。
「私の目が腐ってなきゃベッドに枕がふたつあるけど、何これは。早急に弁明を求めるが?」
「いや、そのこれには深い事情がですね……」
嘘である。とんでもなく事情は浅い。しかしここはもう、正直に話すべきだろう。
「……意地の張り合い、嫌がったほうが負け、と言いますか。部屋の振り分けで揉めて、その時は普通だったんですけど、改めて部屋を見に来た時に。えー、紆余曲折……」
「へぇーーーーー。それで? りーぽんは?」
「ち、小さい頃からひとり暮らしは大きいベッドって決めていたのでその、譲れなくて……」
「ふぅーーーん、ふぅーーーーん。ふぅうーーーーーーーーん」
めちゃくちゃ長かった。言葉よりも多くの不満を部長の表情は雄弁に語っている。
結局、お見舞いではなく完全に俺と里奈の大反省会だった。
2時間近くも正座させられ、足と精神はすっかり疲弊。見送りのためにドアを開閉するのもやたら辛かった。どっと疲れがあふれ出て、つい余計な一言も出てしまう。
「……大体、なんで連れてきたんだよ。こうなるに決まってるじゃん」
「じゃあお見舞い断れって言うの? そっちのほうが不自然じゃない」
「それは……たしかに」
「そもそも風邪引くからでしょ。ふんっ、今から走ってくればいいのよ」
今朝のことを思い出したのか、外に追い出そうとしてくるので取っ組み合いになった。
(しょうがない、機嫌がよくなるまで待つか……風呂沸かして、入ろ)
一応、ポケットの中を確認する。しゅるり。エグめの白い下着が出てきた。なんで?
「は? マジかよ」
「それで、簡単だけど夕飯は普通に作っちゃってい、い、の――……」
里奈を見た。赤面を超え、やや瞳孔が開いている。怖い。てか、こんなの持ってんだ……。
「まず菫先輩の陰謀だろうけど結果だけが真実。降参だよ、白旗だ! さぁ、来いっ!」
痛烈な快音が響く。そして翌朝、目が覚めると無事に風邪をぶり返していた。
――以下、おまけ。
里『……菫先輩。アタシが隠してたの、どうやって見つけたんですか』
菫『おー。てことはぺぽぺぽわたしの陰謀だー、とか言ってたー?』
里『言ってましたし、怒りました。けどそれはそれとして適当を言うとも思わないので』
菫『妬けるねー。でもどうやってと訊かれても天性の勘だよー、としか言いようがないなー』
里『イ、イヤな勘ですね……』
菫『りなりなこそ、ああいうの大事にしまってても意味ないぞー。下着は穿かないと何の価値もない布だからねー。脱いだり、脱がされたり、見せるために買ったんでしょー?』
里『ぅ』
菫『大胆っていうかエグちだよー。わたしとちゆちゆもそんな持ってないやつだしー。しかも清楚を捨てきれない情熱を秘めた純白! もうむっつりじゃなくてがっつりだよー』
里『う、ぅ』
菫『というわけでー、今度わたしたちとお出かけしよー。約束ねー』
里『……はい、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします』




