構文
「そういや古賀ちゃん、国語の先生なんだよな」
「いや、あなたの学年の現代文を教えているのだけど? あたし」
ありふれた何でもない一日。ほのぼのとした放課後。
またおかしなことを言い出した部長に、先生からツッコミが入った。
「あとは書道を教えたりもしているねぇ。意外にも」
「古賀先生、普段の生活からは想像できないくらい。字は上手いですよね」
「こんなんなのにねー」
「茶道と書道なんてどっちも精神を鍛えてそうなのに。ほとんど詐欺ですよ」
「どぉぢで誰も先生を立でてぐれないのぉ……」
PCでのプリント作成作業を放り出し、泣きべそをかく先生が立ち上がる。
先生はいじけるとお茶を点て、延々と泡立てているのがほとんどだった。
「あ、どっか行っちゃうなよ古賀ちゃん!」
けれど、膝上から飛び出した部長が両足をダイビングキャッチ。
びたーんっ。畳に顔を思いきりぶつけ、先生は謎のうめき声を発していた。
先輩たちが笑っている。踏んだり蹴ったりでちょっとかわいそう。笑っちゃうけど。
「ちげーのよ。ちょっと聞きたいことあんだって」
「なによぅ、ぐすん……」
「〝AはBだが、AはBではない〟みてーな構文でいい感じのなんかある? ってだけ」
「……〝あたしは先生だが、あたしは先生ではない〟」
実感のこもった声は悲しみにあふれ、菫先輩が「たしかにー」とつぶやく。
「うぅ……〝貴校は第一志望だが、貴校は第一志望ではないっ!〟」
「おぉっ! そうそう、そんな感じ。すげー、やっぱ国語の先生だな」
「あぁ、なるほど。本音と建前ですね。さすが古賀ちゃん先生」
「はい本当に。少し考えてみましたけど、そんなにすぐ浮かんでこないです」
「やればできる子、というわけだねぇ」
「そ、そうよねぇっ! ふっふーんっ。あたしってば、やっぱりかしこいっ!」
あっさりと復活する古賀ちゃん。それでいいんだろうか、このひとは。
というわけで今日は構文を考えることに。これが意外と難しかった。
先生だけは得意げにしており、ちょっと悔しい。ややあって、ようやくひとつ思いつく。
「あ、こういうのはどうです? 〝俺は嘘つきだが、俺は嘘つきではない〟とか」
「絶対に嘘つきだと思う。そういうこと言い出すひと」
「あぁ、りーぽんの言う通り。くそだな」
「くそだー」
「くそだねぇ」
「なんで俺が責められてるみたいになってんですか?」
「やーいやーい、くそ人間くそ人間――ぐわぁあああっ」
膝上から部長をそっとどかし、先生だけは顔がムカついたので関節技をキメた。
ぐったりする先生など誰も気にせず、続いて部長の眉がぴくりと動く。
「おっ、閃いた。〝お父さんは父親だが、お父さんは父親ではないっ!〟」
「お父さんに悲しき過去……」
「そっか。そういうのもあるんですね。うーん……」
里奈はうんうん唸りながら、何度も首をひねっている。
そうじゃないかとは思っていたけど、こういうのはあまり得意じゃないようだ。
「はいはーい。〝先生はトイレだけど、先生はトイレじゃないー〟」
「こらっ。先生はすみれちゃんだけじゃなくて、みんなのトイレなのよ!」
「先生ぇ、ちゆきもすみれちゃんとトイレの相席がしたいですぅ」
「「ト、イ、レ、の、あ、い、せ、きっ」」
下ネタ適性の高い三人は大爆笑。もちろん、俺と部長はノーコメントだ。
一方で考え込む里奈の耳には入っていなかったらしい。部長がそれとなく進捗を訊ねる。
「りーぽん、なんか思いつきそう?」
「あ、いえ……まったく」
少し落ち込んだ様子で首を振り、それを見た千雪先輩がさらりと続けた。
「そうだねぇ、〝うちはアットホームな職場だが、うちはアットホームな職場ではない〟」
「馬鹿正直に雰囲気が悪いです、とは求人に書かないですもんね」
「ブラックな職場はノーサンキューだよー」
「アットホーム……ブラック――はっ、思いつきました!」
皆も少しは気にしていたのだろう。一瞬だけホッとしたような空気が流れる。
「〝今日は残業だが、今日は残業ではない!〟」
「本当にある怖い話じゃねーか」
「今日も明日もぉっ、サービスサービスぅ!」
「仕事繋がりだと〝お客様は神様だが、お客様は神様ではない〟とかもありよね」
「あ、そうですね! そっか、マナー。頭やわらかいなぁ、先生」
また褒められて「でしょでしょー?」と鼻を高くする古賀ちゃん。誰かへし折ってくれ。
「んとねー〝わたしは何でもするとは言ったけど、わたしは何でもするとは言ってないー〟」
「……たぶん。ちょっとちがうと思います、それ」
「〝あたしは処女だがあたしは処女ではないっ!〟」
「なぜ意味もなく早口……」
「先生流の強がりだねぇ、〝パパはお父さんだが、パパはお父さんではない〟」
「さっきと意味がちがう! ――あの、とりあえずそっち方面から離れません?」
すると三人は、「ぶぅーっ、ぶぅーっ」と唇を尖らせて抗議してくる。
「たとえば、〝愛は言葉だが、愛は言葉ではない〟……みたいな?」
自分で言って少し照れくさい。そして、しんと静まる空気。刺さるジトっとした視線。
「なに言ってんだ? 言葉にしてこその愛だろ」
「うん、現実に心理描写なんてないよ」
「伝えてもらっている、という事実に愛を感じられるわけよね」
「もー、これだから童貞はー」
散々な言われようだった。なんでこんな時だけ意思が統一されるのか。
「な、なんか今日は責められてばっかりな気が……」
「ふふ。まぁ、けどこういうノリがらしいと言えばらしいかなぁ」
「だな。〝この部は茶道兼模型部だが、この部は茶道兼模型部ではない〟――だっ!」
胸を張って宣言する部長に、皆が「おー」と声をそろえる。
たしかにそれは、ぐぅの音も出ない正論だけど、先生は納得していいんだろうか……。
――以下、おまけ。
里「古賀先生って、どうして先生になろうと思ったんですか?」
瞳「大した理由じゃないわよ? 初恋が先生だったから、あたしも男子を弄んでやろうって」
由「それで高校教師やってんの生々しくねーか」
千「初恋は小学校の先生?」
瞳「そうね。はぁ……今思い出しても小学生時代が栄光よ、ほんと。中学高校大学、ずぅっとギスギスギスギス。あらゆる選択で間違えてばっかり信じらんない、まったく」
菫「でー、古賀ちゃんは先生になってからその初恋のひととは再会したのー?」
瞳「無理無理。だってその先生、今はお縄について檻の中だもの」
智「えぇ……なにがあったんです?」
瞳「ほら、平均的な小学生って生意気じゃない? でね、歳とって急激に口臭がきつくなったらしい先生は、教え子のメスガキに死ぬほど馬鹿にされてストレス溜めちゃって。学校中の生徒、教師を問わず口臭を嗅がせ回って学校閉鎖に追い込んだから捕まったの」
里「ど、どれだけ臭かったんだろう……き、気になる」