マッサージ2
いつも通りの休日。すっかり日も沈みきった頃合い。
カフェでのバイト帰りに夕飯の買い物を済ませると、ポケットのスマホが振動した。
『終わったから帰る。アスパラガスもらった』
『おつ。明日の昼、家いる? いるなら牛肉とアスパラで焼きそばでも作るわ』
『いる』
『今日の夕飯はマグロ丼、豆腐つくね、ほうれん草とかにんじんでナムル』
『ありがと』
里奈からの淡白なLINEに返信し、その後は何もなかったので画面を消した。
親と離れてひとつわかったことがある。献立を考えるのは、けっこう面倒くさい。
最初は日ごとに当番を決めたりしたけどうまく回らなかったので、最近はもう先に帰るほうが料理をすることになったし、献立は決められる時に決めておくようになった。
俺たちの住むアパート――きりん荘が見えてくる。二階に上がり、202号室へ。
今日は珍しく大家さんと出くわさなかった。鍵を開け、靴を脱いで廊下を進む。
まずは買ってきた食材を冷蔵庫に収納し、次は洗濯物を取り込んでいった。
男物も女物も関係ない。全て丁寧に畳んでそれぞれのタンスにしまうだけだ。
それから風呂を沸かし、料理を作り始めたタイミング。玄関から音が鳴った。
「ただいま」
「おかえり。あと5分くらいで風呂沸くから」
「ん。あ、これアスパラガスね」
抱えたダンボールから取り出し、几帳面に野菜庫の隙間を埋めていく。
「さっき見たけどアスパラは冷蔵らしいぞ」
「あ、そうなんだ」
「ついでに根元切って濡らしとくと長持ちなんだとさ。やっとくから先、入ってこいよ」
「ありがと。じゃあお願い」
里奈はダイニングキッチンを通り抜けて自室に向かい、化粧を落として浴室へ直行する。
「着替えはー? 遅くても40分で出ろよー?」
「も、持ってるし。毎日言わなくてもわかってるっ!」
「本当かよ……」
少し強い口調で恥ずかしがるが、共同生活を始めて数日はひどいありさまだった。
長風呂が好きなくせして、平然とのぼせた状態になって出てくるのだ。
全裸でへろへろされるのは色々としんどく、もう身体に覚えさせるしかない。
50分後、三人分の夕飯を作り終える。もちろん、古賀ちゃん先生の分だ。
合鍵があるので一応持っていき、真下の汚部屋――102号室に向かう。
「あれ、波瀬くん? ウーパーイーツでも始めうそですうそです怒らないで許ぁあああっ!」
制裁を加えて帰れば、白い湯気をぽわぽわさせた里奈がリビングで柔軟をしていた。
「な、なんかすごい音してたけど」
「知るか。とりあえず二度と作ってやらないと決めた」
「へぇ。それで? 明日は何を作ってあげるの?」
「……うるさいよ」
小さく笑われる。ちょっと悔しい。けどしばらくは自分で取りに来させよう。
「で。今日も背中、押すのか?」
「あ、うん。お願い」
きっかけはポールダンスらしい。上手くできなかったのがお気に召さないようだ。
身体をやわらかくし、筋肉もつけてトイプードルの汚名は返上したいとのこと。
見た目に似合わず、努力家だと思う。もし返上したら何か買ってやろうか。
「ぅ、やっぱり数日くらいじゃ変化ないね……」
「なんだってそうだろ。おまえのギャルレベルが低いのと同じだ」
「ほっときなさいよ、ばか。でも、目に見えてわかる成果が出ないとめげそう」
「そん時は俺がケツを叩いてやるから安心しろ」
「叩かれたくないから頑張りますよっと」
「ぜひそうしてくれ」
ややあって手伝いを切り上げ、俺もさっさと風呂を済ませて柔軟をすることに。
湯上がりからしばらく上裸だが、ダメとは言われないので特に気にしていない。
暑さも和らいだところで服を着る。里奈が残念がったように見えたのは気のせいだろう。
ともあれ適当に雑談しながら夕飯を食べ、終わったらふたりで洗い物をした。
共同作業をするには少し手狭だけど、効率とかはこの際あまり関係ない。当番制だと面倒が起きそうなので、必ずふたりでするように決めただけ。おかけで口論もなかった。
やがて九時を回り、明日の支度を済ませた俺たちはそろって勉強を始めた。
かりかりと走るシャーペンの音だけがダイニングに響く。いつもの光景だ。
2時間ほど勉学に励めば、「んぐーっ」と両手を伸ばして里奈も一息をついた。
「ふぅ、キリもいいからおしまい」
「お、じゃあ今日も寝る前にちょっと付き合ってくれよ」
「え。う、うん……いい、けど。なにするの?」
「肩甲骨はがし。というわけでこう、腕枕して横向きになって。腕を後ろに垂らしてくれ」
里奈の頭側で両ひざを立てて座り、浮いて掴みやすくなった肩甲骨の下から手を入れる。
さらに身体の内側と合わせ、両手で挟みながら肩甲骨を動かしていった。
俺から見て前後上下。大きく円を描いてゆっくりと肩ごと回す。
「ね、肩甲骨ってはがれるとどうなるの?」
「肩こりとかむくみが減って、猫背がよくなるんだと」
小さく「そ」と答え、里奈の上半身が寄せて返す波のように揺れた。
「しかしまぁ、いつもそうだけど体温高いよな」
「えっ。き、気のせいだと思うけど……そ、そっちが冷えてるんじゃないの?」
言われてみれば、たしかにその可能性もある。血行がよくないのかもしれない。
続けるうち、段々と肩甲骨に入れた指先が中に食い込んでいく感触があった。
「おぉ、ちょっと中まで入るようになってきた。見える――わけないか」
「…………っ!」
今度は姿勢を入れ替えてもらい、逆も同じくていねいに回していく。そうして、
「とりあえずこんなもんか。身体やわらかくするのにもいいだろ? で、今日こそ足の――」
「あ、足はっ。絶対にっ、ダメっっ!」
提案した瞬間だった。里奈は飛び上がる勢いで立ち上がり、スマホとともに駆け出す。
「なんで足をやろうとするといつもトイレに逃げるんだ、あいつ……」
しょうがないので諦め、大人しく自分で手のマッサージをすることにした。
――以下、おまけ。
智『あのー、すでにトイレに1時間ほど滞在されているわけなのですが。ただいま、里奈様はいかがお過ごしでしょうか? 平たく言うと俺はトイレに行きたいです』
里『既読無視』
智『既読無視って送信してくるのは、もう構ってちゃんだろ……』
里『(怒っている女の子のスタンプ)』
智『ていうか、さっきからなんで無視? 文章打つ労力で体力が削られるんだ』
里『出しちゃえ(ハート) 出しちゃえ(ハート)』
智「く、くくっ」
里「はい、アタシの勝ち」
智「ふ、普段、絶対言わない台詞で笑わせるのは反則だろ漏れちゃう……高校生にもなって、漏らしたらおまえは慰めてくれるのか優しく抱きとめてくれるのかなあなあなぁっ!?」
里「わ、わかったわよ。い、今、出るからっ! 絶対、漏らさないでよ?」
智「ありがとう。でも里奈おまえ、今後トイレに立てこもるの禁止な……」