マッサージ1
「ねぇ、波瀬くん。ねぇってばぁ」
「だる絡みなら無視しますよ」
バイトで先に帰った里奈と別れ、ひとり和室へ向かった放課後。
着いて早々、先輩たち不在で暇らしい先生がベタベタと肩に触れてきていた。
「ま、失礼しちゃう。ただあたしは、いつもみたいにマッサージして欲しいなって」
「それはべつにいいですけど。少し前にもやったばかりな気が」
言うとなぜか得意げに胸を張り、顎を突き上げながら先生は答える。
「ふふーん、甘いわね。大人って頑張って生きるだけで、肩が凝ってくるものなのよ!」
「へぇ、そういうもんなんですね。で、本当は?」
「ひと回り年下の男の子にご奉仕されるの気持ち良すぎでしょ! ぐへへっ……――はっ!」
どうせそんなことだろうと思った。だって古賀ちゃんだもの。ため息が出る。
「お願ぁい。うっかり色々、触ってもいいからぁ」
「そういうのいいですから。ほら、横になってくださいよ」
「ありがどぉ、波瀬ぐぅん」
「はいはい」
「ふふふ。やっぱり年頃の男子高校生なんて、ちょろいちょろ――ほぐわぁああああっ!?」
隙だらけの足元を刈り取り、すかさず寝技へ持ち込む。いつもの関節技だ。
畳を叩く音が和室によく響く。その合図から二秒ほど遅らせ、身体の拘束を解いた。
「つ、ツンデレヒロインは……も、もう絶滅したはずじゃ……」
「誰がツンデレヒロインですか。思うだけならともかく、口に出したらダメですよ」
先生がしょんぼりうなずき、しょうがないので俺はマッサージを始める。
たしかにもうこり固まっており、ほぐしていくとだらしない声が漏れた。
「あぁ~。さすが理学療法士を~、目指してるだけあるわぁ~」
菫先輩と千雪先輩の他は、両親にしか公言していないはずだけど広まっているらしい。
理学療法士とは身体障がい者やその発生が予測されるひとに対し、座る、立つ、歩くなどの基本的動作の回復、維持、予防を支援するリハビリ専門職のひとつで――俺の夢だった。
「べつに普通ですよ、ふつー」
素直に褒められるのは少し照れくさくて、わずかに視線をそらしてしまう。
「ま~た可愛い反応するわねぇ、あなた。でもこんなテク、どこで会得したのよぉ~」
「最初は菫先輩か千雪先輩にやっていて……最近は父と義母も。あ、里奈もですかね」
ありのままを伝えれば、先生は「ほほぉーん」なんて妙な表情を浮かべた。
何となくそれに腹が立って、先生の可動域の限界まで身体をいじめてみる。
「んぐぅぉお、おぉおぉ、おおぉんっ!?」
オットセイみたいな濁った声が、野太くこだました。ちょうどその時だった。
「想像以上に防音ひでーな。獣みたいな声が廊下まで響いてんぞ、古賀ちゃん先生」
襖の向こうから呆れきった様子の部長がやってきて、和室の隅にカバンを置く。
マッサージの手を休めると、涙目のままぐったりする古賀ちゃんが言った。
「た、たまには……き、貴戸さんも……や、やってもらったら、どう?」
「いいよ、私はべつに。そういうのは基本的に間に合ってんだ」
「勧めるほどのもんじゃないですよ。素人のマッサージなんて」
「で、でも……波瀬さんはけっこう、やってもらってる、らしいわよ……家で」
部長の動きがぴたりと止まった。ジッとこっちを見た後で、小さくつぶやく。
「……やる」
「え?」
「や、やるって言ったんだっ! それでなんだ。横になりゃいいのか?」
「いや、部長。そんな無理に……」
「いいから! やるの!」
ニヤつく先生は速攻で尻を蹴り飛ばされ、部屋の端でお茶を点てながらいじけ始めた。
それから何事もなかったかのように、部長はごろんと仰向けに寝転ぶ。
「仰向けですか……うーんと。なら、頭と首と鎖骨のあたりをやりましょうか」
「な、何でもいいからっ! お急ぎくんでたのむぞ!」
目をつむっており、「早く介錯してくれ!」みたいな感じがすごかった。
ともあれ枕はあったほうがいいので、和室に常備されたタオルを持ってきて代用する。
「じゃあ始めますね」
「ぉ、おう」
頭側に座り、まずは胸部近くにある左右の鎖骨下を同時に親指で押していく。
部長の場合どこからが胸なのか曖昧なので、反応を見ながら慎重に慎重を重ねた。
次に首の付け根から肩関節前、首を持ち上げるようにして後頭部の両側面を揉んでゆく。
部長の肌は赤ちゃんみたいにやわらかくて、ずっと触っていられる気がした。
続いて耳の後ろにある乳様突起の下から鎖骨窩、後頭部から頭頂部までを揉み終え、ここまで約4分。それなりに時間をかけたためか、肌は熱を帯びてほんのりと赤い。
「どうですかね、部長」
「ま、まぁ? よ、よかったんじゃねーの? そこそこな、そこそこっ!」
「えー、けっこう声我慢してる感じの顔じゃなかったー?」
「千雪にもそう見えたねぇ」
「!? ……お、おまっ! い、いつからっ! ず、ずるいぞ忍び寄るなんてっ!」
「え? 菫先輩も千雪先輩も普通に入ってきてましたよ? 声もかけてましたし」
「――――っ!?」
ものすごい早さで頬が真っ赤に染まっていく。よほどリラックスしていたらしい。
立ち上がる途中、慌てて転んでしまうほどだ。手を取って立たせてあげる。
「あれー? 気づかなかったのー? なんでかなー、なんでかなー?」
「べつのことに気を取られてたからだったりしてねぇ」
返す言葉がなかったのか、「うぅ……」としばらく唸り、部長はコタツの中へ消えた。
先輩たちがけらけらと笑う。そして〝当然、次は自分たち〟という顔をしていた。
「そんな顔しなくてもやりますから。はい、順番にどうぞ」
すると千雪先輩が「はぁい」とコタツで斜めに寝転がり、黒タイツの両足が差し出された。
俺の位置からは千雪先輩の顔が見えないし、ふたりからも俺の手元が見えないはずだ。
わけもわからず足に触れれば、「やんっ、そこっ、だめぇ」とあざとい声が漏れる。
「あー、いいねいいねー。寝取られ感あってー。今ならー、先っちょまで許すよーぅ」
「千雪的には、かなり複雑だけど……まぁ、すーちゃんが喜んでるならいっかぁ」
よくないと思う。しかもどうやら、おかしなプレイに付き合わされるらしい。
結局、この日はずっとマッサージをさせられ、帰る頃にはもう両腕がパンパンだった。
――以下、おまけ。
菫「ぺぽぺぽのマッサージが気持ちよかったひと。手ぇーあげてー、はーい」
千・瞳「はぁーい!」
菫「あれぇ?」
千・瞳「あれぇー?」
由「こ、こういう時だけ手を組むよなお前らほんと。古賀ちゃんも」
千「じゃあゆーちゃんは、もう二度とやって欲しくない? 触って欲しくはないの?」
由「え。い、いやっ、そういうことじゃ、ないんだけど。ちがうんだけど、その……」
千「そのぉ?」
菫・瞳「そのぉー?」
由「う。お前らもうあっちいっちゃえよ! しっしっ、今日の部活は終了だ! 終了っ!」
瞳「まぁ、ふたりが来たの気づかないヘヴン状態だったわけだしぃ? しょうがないかぁ」
由「う、ううう、うるせー、ばかばかばーかっ! もう知らん! 帰る! また明日!」
女性一同「また明日ぁー」