第06話
呼び出されるのはあまり好きじゃなかった。魔女が呼ばれる時は、大抵ロクでもない事になるからだ。以前玉座に呼ばれた時も、危うく焔鬼から殺されそうになった。
だから出来れば無視したい。そして部屋に籠ってカボチャでも彫っていたかった。いま被っているのも古くなってきたし、そろそろ新しいのが欲しいと思っていたところだ。今すぐ引き返してやろうかと思いつつも、気が付けば部屋の前まで辿りついてしまった。
城内でもひときわ目立つ塔の最上階。長い螺旋階段を上った先に、叩けば壊れそうなほど古い扉がある。あちこちがボロボロのくせに、ここはオークがやってきても欠片一つ落ちないぐらい丈夫に作られている。
乱暴に扉を叩いたところで、壊れるような音はしない。返ってくるのは「入れ」というしゃがれた年寄りの声だけだ。
言われるがまま部屋へ入ると、むせ返るような本の匂いが鼻に飛び込んできた。それに得体のしれない植物の匂いも。壁際に山と積まれた本と、天井から吊るされた奇妙な植物のせいだろう。さほど嫌いな匂いではないが、こうも濃厚だと思わず顔をしかめたくなる。
「座れ」
用意された木製の椅子へ腰を下ろし、被っていたカボチャを脱ぎ捨てた。
「お主は何度言えば分かるのだ。それはパンプキンウィッチにとって……」
聞きなれた小言は右から左へ流していく。オールドの杖に小突かれてカボチャの頭が割れた時から、こいつの前では外そうと心に決めていた。ひとしきり説教が終わったのか、それとも諦めたのか。オールドは溜息を吐いて魔女に向き直った。
だが魔女は何となく分かっていた。説教が終わった後、まだ別の説教が待っていることを。
「貴様を呼んだのは他でもない。この資料についてじゃ。見覚えはあるな?」
「はい。私が翻訳して纏めた、ウィッチ族の歴史です」
オールドは満足げに頷く。
「うむ。内容に関しては文句ない」
言語のみならず、歴史も纏めて管理しておくべきだとオールドが言い始めて数日。あちこちの隊長から悲鳴があがっている中、最初に提出したのは魔女のようだ。
ウィッチ族は大事な資料があれば個人で秘匿する為、出回っているものは大した量ではないし。歴史にしたところで人間にどれだけ火あぶりにされたかに尽きる。何かを成したとしても隠し、決して歴史の表舞台には上がらない。それがウィッチ族だ。
「ただ気になる点があってな。ここから筆跡が明らかに変わっておる。心当たりはあるか?」
誤魔化すべきか、正直に言うべきか。ゴブリンの仕業にしようにも、あれが翻訳作業など出来るわけもない。そもそも、ここに呼ばれた時点である程度は調べているのだろう。この質問だって、本当は分かっていながら訊いているに決まっている。
魔女は鎌を抱きしめながら、明後日の方を見て答えた。
「ダスト……人間が書いたからじゃないですかね」
嫌がる素振りすら見せず、嬉々として資料を翻訳し、それと丁寧に纏めてくれた。ウィッチ族の言葉も進んで覚えようとするし、魔女としても助かっている。処分に困るパンプキンパイも残さず食べてくれるのだ。そうした行為の甲斐あって、今ではゴブリンも警戒を解くほど。
かくいう魔女も、今では憎からず思っている。自分でも食べたくなかったし。パイ。
「言語道断!」
怒りに満ちたオールドでハッとする。杖で床を叩くたびに、石畳から木の芽が生えだしていた。力を抑えきれない証拠であり、オールドが本気で怒っている証でもある。
「貴様は自分が何をしたのか分かっているのか! よりにもよって人間の手を借りたのだぞ!」
「使えるものは使うのが性分でして。でも、よく出来てたでしょう?」
「それが問題じゃ!」
伸びてきた芽が一瞬で燃えて灰になった。
「歴史とは即ち種族の根幹である。だからこそ我々が纏めて管理しようと思っていた矢先、それを敵に公開するとは愚かしいにも程があるぞ! 翻訳出来たということは、間違いなく人間はこれを理解できているということになる! どうするつもりなのだ、魔女よ!」
どうすると言われても、困った。
オールドは激怒しているが、そもそも魔女はさほど問題だとも思っていない。それを理解して貰えるかどうか。甚だ疑問ではあるが、やらなければ自分が灰になってしまう。
「御言葉ですが、この程度の情報が洩れても大して問題はありませんよ。ウィッチ族の歴史なんて、せいぜい何年に何人が処刑されたとか。あの偉大なるウィッチ族が処刑されたとか、その程度のものですよ」
人間に漏れたからどうだと言うのだ。
「だが、他にも歴史以外についても書かれた資料があったじゃろ。そっちはどうする」
「大事なものは選別済みです。だからあったとしても、美味しいパンプキンパイの作り方とか、料理のレシピぐらいです」
パンプキンパイという言葉にオールドが顔をしかめる。以前、差し入れに持ってきたのを思い出したのか。食べ物は粗末に出来ないと、水で強引に流し込んでいた姿が思い浮かぶ。
「大体、ダストがどうやって人間に情報を漏らすのですか。城の上空はあなたの結界で管理されていて、周りには高くそびえた城壁。出入りできるのは門だけ。荷物も厳しいチェックがかけられますし、そもそもダストも私達ですら、ダストを拾ってきてから一度も外に出ていないんですよ?」
「う、うむ……」
門での検査もオールドの管理下。つまり情報の流出は、オールドの管理が杜撰だった証拠でもある。自分の仕事に誇りを持っているこの爺が、そんな事を認められるわけがない。
仮にダストが人間のスパイだとしても、出られないのだから何の意味もなかった。伝書鳩の一つでも飛ばせば、即座にオールドにバレる。
それこそ本当にダストが勇者でもなければ、この城から連絡を入れるのは難しいだろう。その場合は魔王もオールドも自分も全滅させられてそうだから考えるだけ無駄だ。
「兎に角、あまり人間に情報を漏らさないこと。何が原因で問題が起こるか分からんのじゃから、注意はしておくようにせよ」
「分かりました」
カボチャを被り、部屋を出て行く。
ダストが優秀であることは間違いない。それを理解して貰えれば、オールドとて殺すに殺せなくなるはずだ。
いや、別に殺してもいいのだが。相変わらず目は不気味だし、何を考えているのか理解できない。ただウィッチ語を使える人間はとても珍しい。何かの役に立つ事があるかもしれない。
情が移ったわけではないのだ。そう自分に言い聞かせ、階段をゆっくりと降りて行った。
魔女はため息を吐いた。思えば、伏線はいくつもあった。
例えばダストがオークと会っていただとか、第二部隊も翻訳を任されていたが思うように進んでいなかったとか、ダストが仕事がありませんかと聞いてこなくなっただとか。並べてみれば、どうして気づかなかったのか自分を責めたくなる。
誰かの役に立ちたがるダストが、大人しく地下の部屋で過ごすわけがないのだ。仕事が無ければ探しに行く。ゴブリン達から困ったオークの話を聞けば、どこへ向かったのかは考えるまでもない。
そして残念ながらオークは馬鹿だ。ゴブリンが欲望に弱いように、オークは基本的にあまり深く考えない。翻訳作業を人間に頼んでも、バレなきゃいいと思っている。そして間違いなく資料の餞別などしていない。全部翻訳させただろう。
それを隊長のデブロンに渡し、デブロンは得意げな顔でオールドへ提出する。するとどうなるか。
「出てこい人間がああああああああああああ!!」
答え。こうなる。
地響きにも似た雄叫びに、ゴブリン達が震えあがった。ダストだけは気にした風もなく、私のことでしょうかと呑気に首を傾げている。
出たくはないが、放置すればあの馬鹿は小屋ごと地下を破壊するだろう。考えなしはこれだから困る。
彫りかけのカボチャを置き、鎌を片手に立ち上がった。
「いいかい。あんたらはココにいな。絶対にダストを上に出すんじゃないよ」
「ですが呼ばれているのは私ですよ。行かないと駄目なのでは?」
「行ったらあのオークに丸焼きにされるのがオチさ。頼んだよ!」
仲間と抱き合って頷くゴブリン達を後目に、地上への階段を駆け上がる。まぁ、臆病者のゴブリンのことだ。ダストに行くなとは言うけど、止めはしないだろう。
出入り口を塞げればいいのだが、誰かにそうされたら魔女も閉じ込められる可能性がある。その為日頃からしっかりと対策を施しているのだ。おかげでダストを閉じ込めることもできず、間違いなくやってくるだろうなあと、魔女は確信していた。
それまでに決着をつけるしかないか。小屋から外へ出ると、案の定見覚えのある顔がそこにあった。
「うるさいよ、デブロン。あんたの声はでかいんだから、そんな大声で叫ばなくても聞こえるっての」
頭に灯された炎が、今は轟轟と燃えている。ファイヤーオークの炎は感情の起伏とも言われ、激しく燃えれば燃えるほど昂ぶっているらしい。そして炎の色が赤から青になった時は、絶対に近寄ってはいけないとさえ言われていた。
燃え盛る青い炎を見ながら、さてどうしたものかと魔女は考える。
「うるせえ! てめえが匿ってる人間のせいで、俺がどれだけ恥を掻いたか分かるのか! オールドから散々に言われて、よ、よ、よりにもよって、こ、この俺に人間に味方するのかと!」
ファイヤーオークはプライドが高い。そして人間に殺された怨念の炎が生み出したと言われるほど、人間を憎悪していた。おまけにオーク族の特色として考えなしときた。
後ろでボコボコにされたオーク達の姿を見れば、どれだけ考えなしか分かるというもの。
「絶対にぶっ殺してやる! あの人間を出せ!」
だが腐っても隊長格。マトモにやりあえば魔女とてタダでは済まない。それに人間が原因でいざこざが起こったとなれば、オールドがどれほど怒り狂うか。個人的には前から気に入らなかったので、デブロンをぶっ殺すことに異論はないのだが。
隊長格で喧嘩して、どっちか死ぬのは珍しいことでもないし。まぁだからこそ、デブロンの方も人間のついでに魔女を殺してやるぐらいには思っているだろう。カボチャを外せば人間に似ている魔女を、以前から気に食わないと言っていたし。
それでもダストを差し出せば丸く収まるかもしれないが。
「お断りだ。アレは魔王様の許可をとって住まわせてるんだ。あの子を殺すってことは、魔王様に刃向うってことに他ならない。あんた、それを理解して言ってるんだろうね?」
「知るか! いいから、人間を出せ!」
頭に血が上ったファイヤーオークと、交渉しようとした自分が馬鹿だった。魔王の命令がダストには手を出すな、ならデブロンも引き下がったかもしれない。いや、そうだとしても今と同じことをしたか。オークだし。
「あの子はウチで預かってるんだ。手を出すってことは、第一部隊を攻撃しようとするに等しい。引き下がらないなら、こっちにも考えがあるよ」
鎌の柄を地面につけた。言葉だけでは力が使えないと、相手も知っているはずだ。魔女の覚悟をデブロンも感じ取ったのだろう。一瞬だけ怒りの表情を引っ込め、面白そうに魔女を見下ろす。
「てめぇが俺に勝てると思ってんのか? 薄汚い魔女の分際で、このファイヤーオーク様に」
「暑苦しい口を閉じろってのが聞こえなかったのかい。お山の大将は豚小屋に帰って、部下を相手にブーブー言ってな。小屋の外は馬鹿が歩いてていい世界じゃないんだよ」
頭の炎が更に勢いを増した。拳でこられるとさすがに分が悪い。だが炎を使った攻撃ならこちらにも対策は幾つかある。
挑発すればするほど、自らの誇りである炎を使おうとするはずだ。
この世界でファイヤーオークほど挑発するのが簡単な種族もそうはいまい。こう言えば、簡単に攻撃してくれるのだから。
「巣に帰りな。人間より弱い子豚ちゃん」