第05話
カンテラの炎が揺らめく。
ダストは天井を見上げた。
地下とはいえ、換気は必要。その為に開けられた穴から、時折風が吹き込むのだ。じめじめと湿っぽいため、心地よくはないが、ゴブリン達にとってはこれで十分らしい。雨が降った時はどうするのだろう。
文句があるわけではない。ただダストも人間。暑い時は汗だってかくし、湿気が多ければため息の一つも出る。
かといって、冬になればなったで凍死しそうだ。ここは下手をしたら、あの家の屋根裏よりも寒くなるかもしれない。
「よし」
紙の束を纏める。とりあえず、これで魔女から頼まれていた仕事は終わった。力も弱く、頭も悪い自分にはこれぐらいしか出来ない。資料の翻訳作業を任された時は驚いたものだが、ただ黙って部屋の中にいるよりかは遥かにいい。それに魔女が使うウィッチ語にも興味があったし、何かを書くのは慣れている。
束を掴み、部屋から出た。薄暗い通路を歩き、魔女の部屋へ分かりやすいよう束を置いておく。天井から滴り落ちる水滴が当たらないよう、鉄製の蓋でガードしておいた。
仕事のない時は洞窟にいるゴブリンとは対照的に、魔女はあまり部屋へ戻って来ない。自分を拾ったこともあり、色々と忙しいのだろう。なにせ隊長だ。どれぐらい偉いのかは分からないけれど、きっととても偉いはず。
自分も頑張らなくては。そう思いながら部屋へ戻ろうとしたところで、不意にお腹がなった。そろそろ食事をとらないと。
地上への階段の側にある横穴へ入り、腰を屈めて奥へと進む。ここは魔女も入る事ができない、ゴブリン専用の通路だった。幸いにもダストの身体は小さいので、こうして利用することが出来る。
そこを抜けるとテーブルと椅子が乱雑に置かれたスペースがあり、コック帽をかぶったゴブリンが包丁を研いでいた。
「こんにちは。食事はまだありますか?」
「おう、まだあるぞ。そこに座ってろ。いま出す」
統一言語を覚えたおかげで、こうしてゴブリン達と会話する事も出来るようになった。ついでにゴブリン語も習得できたのだが、そちらはあまり使っていない。なるべく統一言語を使うようにと、ゴブリン達は魔女から命令されているようだ。
「いつものでいいか? デザートも」
「はい。お願いします」
ゴブリンは篭に頭を突っ込み、緑色の野菜を引っ張り出した。そして壁についている小さな扉を開いて、鳥の肉を取り出す。普通、肉は燻製にしないと腐りそうなものだが。あの扉の中に入れておくと腐らないらしい。魔女が作ったもので、ゴブリンも原理は分からないそうだ。
研いでいた包丁を水で洗い、肉と骨を分けて行く。肉はぶつ切りにし、焼いた鉄板の上へと並べる。香ばしい香りが辺りに立ち込めたかと思えば、ガヤガヤと騒がしい声が近づいてきた。
「おお、丁度良かった。俺達のも頼む!」
ひょっこりと穴から顔を覗かせるゴブリン。その後ろには三体のゴブリンが付き従っていた。ゴブリン同士だと顔の違いも分かるらしいが、生憎とダストにはまだ区別がつかない。おまけにゴブリンには名前を付ける習慣もないので、いよいよ区別しづらい。
ゴブリンを引きつれているから、先頭のゴブリンが副隊長なのだろう。それも席に座ってしまえば、誰が誰やら分からなくなってしまう。
「ダストと同じもんでいいか?」
「おう、それでいい。ああ、でもパンプキンパイだけはいらんからな」
共に暮らして分かったが、ゴブリンというのは欲望に弱い種族らしい。そういう性格の者が多いのではなく、種族としてそうなっているのだ。だからやりたい事はすぐやるが、やりたくない事はやりたがらない。
ただ、強い者には滅法弱く、命令されたら素直に従う。略奪部隊の仕事も、命令されているからやっているらしい。そうでなければ、洞窟の中で細々と木の実とかを食べながら生活する方が性に合ってるとか。
もっとも最終的には自分の命を優先するので、あまり信頼しない方がいいとは魔女の話。
「美味しいですよ、パンプキンパイ」
「いや、あれを美味しいとか言って食ってるのはお前だけだぞ。作った魔女様でも食べたがらないってのに」
魔女はカボチャを彫るのが趣味らしく、その度に削った中身を料理に使っている。頭のカボチャ以外にも、様々なカボチャの置物が部屋にあった。
ただ細工用のカボチャはさほど美味しくないうえに、料理に関しての魔女は素人未満。作られたパンプキンパイを喜んで食べるものはいなかったという。
それでも余った身を捨てるのは勿体ないので、定期的に振る舞われていた。今はダストが殆ど食べているので、とても助かるとゴブリン達から褒められる。前の家で食べていたものに比べたら、よっぽど御馳走だと思うが。それともモンスターと人間は味覚も違うのか。
「食ってくれるなら何でだっていい。おら、出来たぞ」
ドンと目の前に置かれた肉と野菜の盛り合わせ。味付けはされていない。肉の方は焼けているが、中まで焼けているかどうかは微妙だ。元々ゴブリンは生肉でも平気で食べるため、こうして肉を焼くという習慣が無かった。
最初はダストも生肉を齧っていたのだが、ひょっとしたら人間は焼いた方がいいんじゃないかとコック帽のゴブリンが言いだし、今では多少火を通して出してくれるようになった。正直、ダストとしては焼こうが生だろうがどちらでも問題ない。肉が食べられるだけで十分ありがたかった。元々住んでいた家では肉など食べたことがなかったし。
続けて出されたパンプキンパイに、ゴブリン達は露骨に嫌そうな顔をする。
「いらねえって言ってんじゃねえか」
「うるせえ。余ってんだから黙って食え」
「くそっ。そういえば、ダスト。翻訳は終わったのか?」
パンプキンパイから視線を逸らしながら、ゴブリンが尋ねてくる。
「はい、先ほど終わりました。あ、よろしければゴブリンさん達の翻訳もお手伝いしますよ」
ウィッチ語の翻訳を終えてしまった為、今のダストには仕事がない。
仕事がなければ、ここに置いて貰えるかどうかも分からない。
何か自分でも出来る仕事を見つけなければいけない。
「ハハハ、必要ねえよ。ゴブリンは賢い種族だからな。自分たちの歴史を晒すような真似はしねえのさ。だからゴブリンの資料は存在してねえ」
おお、と思わず拍手する。
「何を偉そうに言ってんだ! 単に資料を残したがるゴブリンがいなかっただけだろうが。やりたい事だけやるのがゴブリンなんだからさ」
ゴブリンコックの発言にゴブリン達がゲラゲラ笑う。違いねえ違いねえと、テーブルを叩きながら。カッコつけた副隊長は顔を真っ赤にして、叫びながら荒々しく生肉にかぶりついた。
ちなみに人間の肉は食べないのかと訊いたこともあるが、まずいから食べたくないそうだ。
「あ、翻訳と言ったらオークどもが随分と苦労してたみたいだぞ」
「第二部隊のか? あいつら翻訳とかしたことないだろ」
魔女の部隊は略奪担当の第一部隊で、他に第二、第三と続くらしい。第一の兵士がゴブリンなのに対し、第二はオークばかりだと以前に聞いた。
「あっちの隊長はウチと違って考えなしだろ。だから全部部下に任せたらしいけど、オークも俺らと同じであんま頭よくねえし。考えなしだし。適当に翻訳したら隊長にボコボコにされたって泣いてたのを見たぜ」
どうやら歴史の翻訳を命じられたのは第一部隊だけではないようだ。
魔女からそういう話は聞いていないけれど、他の部隊の事だから秘密にしていたのだろうか。
「可哀そうになあ。まぁ、俺たちには魔女様とダストがいるんで問題ねえよ! なあ!」
ゴブリン達の視線が集まる。そこには誰もいなかった。
空はどんより曇っている。天に注文する気はないが、雨よりは晴れの方が好きだ。青空の方が、見ていて気持ちいい。
ダストの前にはレンガ造りの建物があった。一階建てで屋根は高く、奥の方まで長く伸びている。建物の側には藁で出来た祠と、木で出来た祠もあった。ゴブリンの住処にはなかったが、モンスターも神様を信仰しているのだろうか。
扉に手をかけるも、ビクともしない。ダストの腕力が弱いのか、それとも扉が大きすぎるのか。人間の大人二人分ぐらいはありそうな大きさだ。重さも半端ではあるまい。
他のモンスターも、これでは入れないだろう。そう思ってよく見たら、大きな扉の横に普通サイズの扉があった。なるほど、客はこっちから入れということか。ダストは躊躇いなく、そちらの扉を使った。
中は予想通り広く、見る人が見れば酒場を連想しただろう。ただ天井の高さは比べものにならないほどで、酒を飲んでいるのも人間ではなくオークの集団だった。何か楽しい事があったのか、大笑いしていた声がダストを見てピタリと止まる。
泣いていたというわりには、随分と賑やかだ。もう解決してしまったのだろうか。静かになったのをいいことに、ダストは笑顔でオーク達に話しかけた。
「はじめまして。私はダストと言います。翻訳に困っていると聞きましたので、お手伝いに来ました。もしよろしければ、オーク語が分かる本を貸して貰えないでしょうか?」
統一言語が伝わったらしく、途端にざわめくオーク達。警戒というよりかは、焦っているように見える。と、ドシドシと地面を揺らしながら、一体のオークが近づいてきた。
「おい、おめえ。馬鹿なこと言ってねえで今すぐ出てけ。こんなとこ、隊長に見つかったらぶっ殺されんぞ」
「隊長さんですか?」
「んだ。おら達の隊長はファイヤーオークって言うオークの亜種で、馬鹿みてえに強いけどプライドが高い。そんで人間が死ぬほど嫌いだ。おめえなんか、あっという間に焼き殺されんぞ」
オークの荒い鼻息に髪がふわふわ揺れる。酒の臭いがとても強かった。酔ってはいるようだが、ダラダラと流れる冷や汗は酒のせいではないだろう。嘘を言っているようにも見えない。
後ろのオーク達も一様に、んだんだと汗を流しながら頷いていた。
「ですが、翻訳作業が終わらないと大変困ったことになると聞きました。そちらは大丈夫なのでしょうか? もう終わっているのなら、それに越したことはありませんけど」
「うぐっ」
素朴なダストの質問に、オーク達は黙り込んだ。そしてすぐさま集合し、何やらフゴフゴと話し合い始めた。おそらく、あれがオーク語なのだろう。今のダストには何を話しているのかサッパリ分からない。
ただ立って待つだけだ。部屋の中には酒瓶が転がり、壁の所々は泥で汚れている。是非とも掃除したくなるが、今はそれよりも翻訳作業。掃除はそれが終わってからでもいい。
「と、とりあえず外で待ってくれねえか。んで、なるべく目立たないよう隠れててくれ。隊長に見つかったら、おめえもおら達も本当にヤバいんだ」
「はい、分かりました」
言われたとおりに外へ出て、祠の影にこっそり隠れた。しかしこのような藁の祠、吹けば飛びそうな気がするのだけど、どういう意味があるのだろうか。それも資料を纏めれば分かるのかもしれない。資料の中には歴史だけではなく、多種多様なものが記されている。
魔女の資料の中にも、美味しいパンプキンパイの作り方があった。おそらく、あれを参考にしたのだろう。ゴブリン達曰く、成果は出てないらしいが。
そうして待っていると、一体のオークが大きな方の扉から姿を現した。手には一冊の本と紙の束がある。しばらく辺りを見渡し、ダストを見つけるとドシドシと駆け寄ってきた。
「このままじゃ、翻訳できねえから結局隊長にぶっ殺されちまう。おめえは魔女の翻訳も手伝うぐらい頭がいいってゴブリンどもから聞いたし。た、頼めるか?」
「はい。お任せください」
本を紙の束を受け取ろうとするが、オークは戸惑っているようだ。巨体のオークが持っているから気づけなかったが、よく見れば本も大きい。あれをダストが持てば、間違いなくぺしゃんこに潰れるだろう。
「ゴブリンの住処まで持ってってやる。後はゴブリンどもに運ばせりゃあいい」
苦労をかけてしまうのは気が進まないけれど、持てないものは持てない。お願いするしかないようだ。
ビクビクと怯えながら運ぶオークの後を慌てて追いかける。歩幅が違いすぎるので、若干駆け足にならないと追いつけない。
「そういえば、あの祠は何なのでしょう? オークの神様を祀っているのですか?」
「いや、先祖を祀ったものらしい。よく分かんねーが、昔の魔王様が建てられたものらしい。だから多分、なんか意味はあるんだろ」
わざわざ二つも用意してあるのだ。無意味に建てたとは思えない。
「そ、そういえばおめえは何が欲しいんだ? わざわざおら達の所まで来たんだから、何か欲しいもんがあんだろ? 食い物か? それとも良い泥か?」
そんなものはありません、と本来なら言うべきなのだろう。食べ物は贅沢すぎるほど食べているし、泥がご褒美というのも想像できない。誰かの役に立てるなら、それだけで幸せだ。そう教えられてきた。
ただダストの心には、微かに芽生えた欲望があった。こんな事、言うべきではないと理解している。だがどうしても、お願いしたかった。
意を決して、ダストはオークを見上げた。
「オーク語の発音を教えてくださいませんか?」
「オーク語の? そりゃたまに教えてやるぐらいなら構わんけど、覚えてどうすんだ? おら達オークと会話するぐらいしか使い道はねえぞ」
「それでいいのです。オークの皆さんの言葉が分かれば、またあなた方の役に立てるかもしれません。それが私の望みです」
口をあんぐりと開けるオーク。足も止まっていた。
「急がなくていいのですか?」
「お、おう。そうだった。おめえさんが、あんまりにも変なこと言うから」
「変、でしょうか。役立たずの自分だからこそ、努力して皆さんのお役にたちたい。ただそれだけなのですけど」
首を傾げる。
「おめえは人間だぞ。人間ってのは、もっとこう俺らを敵視してるもんだ。まぁ、俺らもあいつらを沢山ぶっ殺してるからお互い様だけどよ。おめえは俺らが憎くないのか? 怖いだろ?」
オークが顔を近づける。鼻息どころか、鼻先が顔に当たるぐらいの距離だ。
「私が一番怖いのは、皆さんの足を引っ張ることだけです」
笑顔で断言すると、何故かオークの方が怯えだした。
「なんだこいつ……」
なんだと言われても、ダストにも答えようがない。そういう風に生きてきたのだから、そういうものなのだとしか言えない。そうやって暮していれば、世界は悲しくならないのだ。
「じゃあ人間に協力しろって言われたら、すんのか?」
「はい、勿論です」
困っているのなら人間もモンスターも関係ない。ただ、この答えでオークは若干安堵したようだ。
「それなら、まぁ理解できる。人間にとっては、人間の方が大事だかんな」
どっちが大事というわけではないが、モンスターを倒す手伝いをしてくれと言われたら断らない。お役にたてるのでしたらと、喜んでその人間の味方をするだろう。逆も然りだが。
「こっから先は俺だと入れねえ。後はゴブリンどもに任せた」
そう言って、オークは小屋の前に本と紙の束を置いた。確かに、自分よりも遥かに大きいこの身体では階段を下りることもままならない。下手すれば地下が崩れる。
分かりました、と小屋の中へと入ろうとするダスト。
「一つだけ言っておくが、もう二度とおら達の所には来るなよ。ウチの隊長は本当におっかねえんだ。人間が大嫌いだしよ」
魔女はそういう素振りすら見せなかったが、他の隊長は違うらしい。ダストは素直に頷いた。
「ちょくちょく様子を見に来るから、言葉はそん時に教えてやる」
「あの、よろしければあなたのお名前を教えて貰えないでしょうか」
ゴブリンに名前はないので、もしかしたらオークにもないかもしれない。ただやはり、名前はあった方が呼びやすいのだ。
オークは困ったように頭を掻き、身を屈めた。
「仲間うちじゃトッテルって呼ばれてるんだが、魔女は俺たちを『ブタ』だの『バカ』だの呼びやがる。多分人間の言葉なんだろうが、おめえさん。この意味分かるか?」
ダストは笑顔で知っている事を答えた。
トッテルが激怒してダストに一つだけオーク語を教えてくれた。それを魔女に言ってやれと吐き捨てて。
ただ博識な魔女のことだ。ひょっとしたら、オーク語も知っているかもしれない。
『乳無し』という意味の言葉に、怒らなければいいのだが。