第03話
魔女が立つ円形の空間を、闘技場と呼ぶモンスターもいた。だが個人的には、ここは闘技場というより処刑場の方が相応しい。常日頃から魔女はそう思っていた。
玉座には黒い霧に覆われた魔王がおり、その両隣には四体のモンスターが並ぶ。ただし、この四体を四天王などと呼んではいけない。それは人間側が付けた名称であり、迂闊に呼べば殺されても文句は言えない。
幸いにもというか、いつも通りと言うべきか。今日は四体のうち二体が欠席していた。
もっとも残った面子を見て、魔女は思わず顔をしかめる。どうにも一筋縄ではいきそうにないなと、被ったカボチャを外した。
「これ! 何度も言うておるだろうが。パンプキンウィッチにとって頭のソレは神聖なるもの。人前で妄りに外すでない」
魔王の右隣に立つ老人が、茶色い髭を揺らしながら怒鳴った。まるで枯れ枝がそのまま人間の姿になったよう、と言えば本人は激怒するだろう。ミレニアムという珍しい種族で、木にも、土にも、火にも、水にもなれるのだ。普段は木の姿をとっているが、その気になれば一瞬で変化出来る。
それなのに人のような姿をとっているのは何故なのか、尋ねた事があった。曰く、人間の方がオールドの姿を真似て進化したとか何とか。なので今更容姿を変えるのは、人に屈服したようで絶対に嫌なんだとか。
「オールドは考え方が古臭せえな。それじゃあ今時の若い奴はついてこねえぞ。外せ外せ、外した方が美人なんだから。むさくるしい空間が、多少は改善されるってもんだ」
魔王の左隣に立つ幼い少女が、黒髪を揺らしながら笑った。額に生えた角がなければ、それこそ人間と間違える奴もいるだろう。だが見た目で侮れば、鞘鬼という種族の恐ろしさを存分に味わうこととなる。単純な力比べなら、この城で勝てるのは魔王ぐらいだと言われている。
「…………」
その魔王の表情をうかがい知ることは出来ない。黒い霧が邪魔をしていた。それに魔王が発言する事は滅多になく、魔女もその声を聞いた回数は片手で数えられるくらいだ。
大抵の場合、発言するのは両脇に控える四体のモンスター達のみ。どうやら今日もそういうパターンらしい。オールドが、蓄えた髭を撫でながら魔女に厳しい視線を向ける。
「さて、呼び寄せたのは他でもない。お前もよく分かっているだろう?」
「なんだなんだ? 他の隊長でもぶっ殺したのか? だとしたら面白い」
ゲラゲラ笑う鬼に対し、オールドの視線は冷たさを増していく。
「笑いごとではあるまい、焔鬼。事もあろうに、この魔女は我らが魔王様の住まう城へ人間を連れてきたのじゃぞ」
「あん? それの何が問題なんだ? こいつらが人間を連れてくるのは不思議でも何でもないだろ。ウチの手下どもも特訓に使ってるし、研究馬鹿の所にだって送ってるだろうが」
オールドは首を振った。今になって魔女は後悔する。カボチャを被っていれば、この厳しい視線からも逃れられたかもしれない。馬鹿な真似をしたと。
「こやつは人間を拘束もせずに城へ入れようとした。そして今もその人間は拘束されておらず、この城を堂々と歩き回っておる。特訓用の道具でも、実験用の材料でもなく。ただの客人としてな」
「ほお」
焔鬼の眼光が鋭さを増した。頑固でねちっこいオールドも嫌だが、頑固で単細胞の焔鬼も嫌だ。魔女の頬を、汗が流れて逃げて行く。こんな事なら、水の一杯でも飲んでおくべきだった。さっきから頭を過っていくのは後悔ばかりだ。
トコトコと魔王の側を離れ、焔鬼が目の前まで近づいてくる。表情こそニヤニヤしているが、その目は全く笑っていなかった。一歩近づかれるだけで、寿命が一年縮んでいるような気すらする。
村で殺した母と娘は、きっと今の自分のような心境だったのだろうなあ。と思った。
「随分と面白い真似してくれるじゃねえか。それは勿論、俺たちが人間をどう思ってるか知った上でやってるんだよな? いやあ、大した度胸だ。御見それしたわ」
焔鬼が額の角を抜く。それは大きな剣となり、そして気づいた時には焔鬼の姿も成長していた。身長は魔女よりも高く、先ほどの姿が子供だとしたら今は完全に大人だ。ブカブカだった着物を着こなした女がそこにいる。ただ威圧感だけは全く変わっていない。
首筋にピタピタ当てられた刃先が冷たく、唾を飲み込むだけで斬り捨てられそうな気がした。
「事情を説明して、納得できへんかったらココで殺すわ。ええな?」
口調は変わっても、その過激さは変わらない。殺すと言えば、本当に殺すだろう。
上司であるオールドも止めない。魔王も動かない。ここでしくじれば、間違いなく自分は殺されてしまう。頷く以外に方法は無かった。
「ほな言うてみ。理由とやらを」
ここへ来るまでに、既に考えは纏まっている。後はそれを言葉にして、納得して貰えますようにと祈るだけだ。
「我々が人間の事を知る為です」
「ほう?」
オールドの毛虫のような眉がピクリと動く。対する焔鬼は表情を崩さす、赤い瞳がじっと魔女の目を見ていた。
「勿論、普通の人間に関しては問題無いでしょう。多くのサンプルがありますし、様々な研究も進んでいる。だからこそ人間との戦闘を有利に進めることが出来、魔王様の支配地域も広がっている」
魔王は何も答えない。顔が見えないので、こちらの話を聞いているのかどうかさえ不明だ。それでも口を閉ざすわけにはいかなかった。
「ですが、誰もが忘れているわけではないでしょう。我々の支配地域が減ってしまうのは、普通の人間のせいではないと。もしも大軍が攻めてきたとしても、我々は絶対に敗北したりはしません」
作戦によっては大敗する事もあるが、この際それはどうでもいい。
「我々はもっと、特殊な人間について知るべきです」
「ほう。つまりお前の連れてきた人間、は勇者になる資質を秘めているという事か?」
人間はどうやって勇者を選別しているのか、モンスターは何も知らない。いつの間にか現れ、いつの間にか人間の救世主となり、いつのまにか魔王を滅ぼしているのだ。あらかじめ分かっていれば、もっと対策している。
故にダストが勇者なのかと訊かれても、魔女には答える術がなかった。言ってしまえば、人間である以上、誰にだってその可能性はあるのだ。
「分かりません。ただあの少年が普通の人間でない事は間違いない。少なくとも、観察する価値はあるのではないかと思います」
「やったら鎖に繋いで、檻に入れればええやろ。わざわざ自由を与える必要があるんか?」
剣を握る手に力を入れる焔鬼。首筋を冷たいものが落ちて行く。見るまでもなく、それが自分の血であると分かった。
「私は少年に対して、同じように鎌を首筋に突き付けました。私ですら怖いのに、少年は怯えることなくこう言いました。お客様に飲み物をお出ししたいのですが、よろしいでしょうか、と」
焔鬼の表情が訝しげなものに変わった。オールドも興味深そうに髭を撫でている。
「義理とはいえ育ての親が殺され、すぐ側にその死体が置かれているにもかかわらず、彼はそう言いました。普通の人間であれば、恐怖に怯えるか助けてくれと命乞いしたでしょう。あるいは、覚悟を決めて死を受け入れたかもしれない。だが、少年はそのいずれにも当てはまらなかった」
勇者と言われる人物像とはかけ離れている。伝承に聞く勇者というのは、もっと強く厄介で、モンスター側から見れば化け物のようなものだ。ダストのように、軽く小突けば死ぬようなものではない。
ただ、ダストが普通の人間かと言われたら否定する。
あんな発言、モンスターですら出来ないというのに。
「肝が据わってる……というのとはちゃうようやな。確かに人間らしからぬ奴のようやけど」
「儂としては、だからこそ殺しておきたいがの。そんな心を持った奴こそが、あるいは勇者たりえるのかもしれん。勇者の芽は摘むべきだ」
やはり一筋縄ではいきそうもない。これだから頑固爺は嫌いなのだ。
「ですが、そういった人間を観察することで分かる事もあるかもしれません。そもそも、ただの人間がウロウロしたところで問題はないでしょう? 何かあったとしても、ここの方々が本気を出せば瞬殺出来るんですから」
挑発的な言葉に、焔鬼の目が怪しく輝く。
「せやな。何かあったとしても、ぶっ殺せば済む話やし」
剣を額に戻し、焔鬼の姿が幼く変わる。首筋のプレッシャーが消え、密かに安堵する魔女。それを見越したかのように、焔鬼が魔女の足を刈り取った。
バランスを崩し、床に倒れたところで喉元を踏みつぶされる。声どころか息も出来ない。
「焔鬼!」
「黙ってみてろ、オールド」
必死で抵抗しようとする魔女を片足で押さえつけ、楽しそうな笑顔で見下ろされる。
「ただし、何かあったらお前も連帯責任だ。ガキだけじゃなく、てめぇも一緒にぶっ殺す。覚えておけ」
足が離れ、ようやく息が出来るようになった。むせこみながら、「は、はい」と細い声で答える。命の危機はあったものの、焔鬼の許可はとれた。後は……
「ふむ。儂としては、やはり勇者の可能性があるなら芽を摘むべきだと思うがな。観察して得られる情報よりも、身の安全を買うぞ。それにどうせ勇者の条件が分かったとしても、人間を根絶やしにすれば済む話じゃしな」
これだけ話しても、オールドだけは説得できなかったようだ。直属の上司であるだけに、一番許可を取りたかった相手なのだが。頭の中まで樹木で埋め尽くされている爺には、人間を野放しにするという選択肢がないらしい。
さて、これ以上どう説得したものか。せき込みながら魔女は悩んだ。
だがその考えを打ち払うかのように、鈍い音が辺りに響く。しばらくしてからようやく、それが魔王の出した音だと気付いた。
「良い。好きにさせろ」
霧から伸びた手が剣を床に突き立て、魔王はそう言い放った。驚いたオールドが反論しようとするが、魔王の手がそれを止めた。
「勇者ならば、俺が殺す。人間ならば、好きにさせても影響はない。それに……」
魔王の目がこちらを見たような気がする。身体が硬直し、言葉を発する事さえ出来ない。
「普通ではない人間を知る、という発想は悪くない」
こうまで言われては、オールドとてひっくり返すことは出来ない。そんな事をすれば、むしろ立場を悪くするだけ。重い溜息が口から漏れて地面に達し、足元の床から青い芽が生えていた。
「良かろう。許可する。だが何かあれば、責任をとるのはその人間だけでは済まないと知れ。お前は隊長なのだから、軽率な真似はせんように。それをくれぐれも覚えておくのだ、魔女よ」
カボチャを被り直し、鎌を拾った。
「了解です。感謝いたします、魔王様」
魔王は何も言わず、無言のまま部屋を立ち去って行った。
荷車は大きな建物の前で止まった。煉瓦造りにしては隙間がなく、まるで大きな一枚岩をそのまま削って小屋にしたように見える。入口も普通の扉の何倍もあり、ダストの力では開くのも難しそうだ。ゴブリン達は家畜を止まらせ、建物の壁に付けてあったベルを鳴らした。
すると建物の裏からダストの何倍もありそうな大きさの人形が姿を現す。全身は灰色の石で覆われ、頭に当たる部分には黒く沈んだ目のようなものが二つあった。ゴブリンはその石人形に書類を渡し、一仕事終えたとばかりに立ち去って行く。
おそらく彼らが荷物を運んでくれるのだろう。荷車から食糧の袋を担ぎあげ、建物の中へと消えて行く。叔父だけは別の所へ運ばれていった。人間と食糧は別のようだ。
石人形の手伝いをするわけにもいかず、ダストはゴブリン達の後を追うことにした。
『次』『仕事』
ゴブリンは首を傾げ、ページを捲った。
『休み』
仕事はもう終わっている。これからは休憩の時間だ。そう言われても、ダストはどうすればいいのか悩んだ。普段ならば、もういいと言われたら屋根裏まで戻され、鎖に繋がれたまま次の仕事を待てばいい。
だがここには自分を縛る鎖がなく、ただ付けられた形だけの首輪しかない。外へ出たいと思っていたが、いざ出てみると戸惑いばかりだ。自分は何をすればいいのだろう。それに休むと言われても、どこで休めばいいのか。
ゴブリン達に尋ねるのは気が引ける。まるで自分の部屋を用意してくれと、そう催促しているように聞こえないだろうか。ただでさえ言葉が通じず、意志の疎通が難しい。変なことを言って、ゴブリン達に不快な思いをさせたくない。
いざとなったら外で寝ればいいのだ。今は冬ほど寒くはないし、そもそもストーブのない屋根裏部屋は外で寝ているのと大差なかった。
ゴブリン達は大きな建物の間を抜け、高くそびえる塔を後目に、小さな木製の小屋の中へと入って行った。ゴブリンの数は十を超える。それなのに、自分が居た家よりも小さな小屋で生活できるのだろうか。
ダストの疑問は入ってすぐに解消された。小屋の地面に扉があり、その向こうには地下へと続く階段があったのだ。
なるほど、ゴブリン達は地下で生活しているらしい。自分も地下まで行った方がいいのかどうか、迷っていると背中を軽く押された。振り向くと、ゴブリンの何体かが小さく声をあげ、視線から逃れるように地下へと駆け下りて行く。
怯えさせてしまったらしい。だがこんな力のない自分にどうして怯えているのだろう。彼らが本気で襲い掛かれば、自分など簡単に殺せてしまうのに。分からない。
気が付けば小屋の中にはダスト一人だけになっていた。とりあえず降りて、迷惑そうなら戻ればいい。そう考え、ダストも階段をゆっくりと降りて行く。結構な長さがあるわりには蝋燭もなく、よく足元を確かめながら進まないと暗くて足を滑らしそうだ。
そうしてようやく地下へとたどり着くが、どうにも暗くて前が見えない。申し訳程度に光る石が壁に埋め込まれているので、目を凝らせば多少は先が見える。ゴブリン達にとっては、これが普通の明るさなのだろう。ただ自分には少々厳しかった。
やっぱり地上へと戻るべきかと思っていたら、不意に背中を叩かれる。振り返ると、灯りのついたカンテラを持ったゴブリンがいた。
「これは?」
「…………!」
ゴブリンはカンテラを突きだした。受け取れということか。ダストが受けとると、ゴブリンは満足そうに頷き、そそくさと闇の中へと消えて行った。
お礼を言おうとしたが、先ほどのゴブリンの反応を見るに自分は怖がられているらしい。ここにいても何をすればいいのか分からないし、地上へ戻るべきだろうか。
しかし、こうしてカンテラを渡された。これはココにいろという事なのではないか。
その場に立ったまま、ダストはあれこれ考えを巡らせた。ゴブリン達は岩陰からこちらを見て、ヒソヒソと何かを相談している。だが近づいてくるゴブリンは誰ひとりとしていなかった。
そうしてどのぐらいの時間が経ったのか、
「何してるんだい、あんたは」
いつのまにか、目の前に魔女が立っていた。カボチャの頭を揺らしながら、腰を屈めてダストの視線に合わせている。
「お帰りなさいませ、魔女様。ところで、私はこれから何をすればよいのでしょうか?」
「そうだね。次の仕事までは休みなんだけど……ああ、そういえば部屋とか用意してないからねえ。とりあえずココを案内しながら考えるか」
鎌を片手に歩き出す魔女。ダストは慌ててその後ろをついていった。
「私はこの通路でも構いませんよ」
「駄目だ。ゴブリンどもが怖がって通れなくなる」
それもそうだ。迷惑を避けるために動いて、更なる迷惑を招いては意味がない。
「ですが、どうしてゴブリンさん達は私のことを恐れるのでしょうか? 私は何の力もない、ただの人間です」
魔女は振り返ることなく、答えた。
「ゴブリンはあんたが思ってる以上に弱い。例えばそこらの石を握りしめて殴ってみろ。当たり所が悪けれりゃ、ゴブリンを一撃で殺せるだろうね。だから警戒してんのさ」
だとしても、集団で襲い掛かれば意味もないはず。本当にそれだけが理由なのだろうか。などと考えてみたところで、他の理由も思いつかなかった。魔女がそう言うのなら、きっとそうなのだろう。
ダストがついてきているのを確認しながら、魔女は足を止めた。
「ここがあんたの部屋だよ」
薄暗い洞窟の最奥。カンテラがなければ足元も見えないほどの場所に、それなりの大きさの横穴があった。魔女にとっては屈まなくては入れず、住むには厳しい。
だがゴブリンやダストぐらいの大きさなら、ここでも十分暮らしていける。ただ人間の基準でこれを部屋と呼ぶのかどうかは疑問だ。疑問だが、文句を言われても魔女にはどうする事も出来ないし、するつもりもない。
自由に出来るのはこの地下だけで、作れる部屋はゴーレムが削ったような横穴にしかならない。
ただ、地べたにそのまま寝るのもどうだろう。そう思い、鎌の柄で地面を叩き、土のベッドを作ってやった。
「ありがとうございます、魔女様」
ダストは不満の一つも零さず、笑顔でそう言った。ただ、いつも笑顔なので本気で喜んでいるのかどうかは分からない。ゴブリン共も怯えて警戒している。
色々と説明はしてみたものの、その不気味さが原因なのは間違いないだろう。馴染めとは言わないが、せめて軋轢だけは勘弁して欲しいものだ。
「あたしらの仕事は人間が蓄えている資源を略奪することだ。あんたには抵抗があるかもしれないが、こっちが奪わなかったらあっちが奪う。やられっぱなしなのは、モンスターとしても避けたいしね。分かるかい?」
「はい」
お互い様とはいえ、同族から略奪して虐殺しようと言っているのだが。ダストはニコニコとそれを受け入れていた。いや本当に受け入れているのかは分からないのだけど。やはり不気味だ。
「とにかく仕事があるまでは自由時間だ。何をしてもいいが、他のモンスターと問題を起こすのだけは御免だよ。特にあんたは人間だから、絶対に絡まれるだろうけど」
オールドや焔鬼が特別なわけではない。モンスターも人間も殺し合いをしているのだ。相手を憎むのは当然のこと。
むしろ魔女が異常なのだ。人間を受け入れず、絶滅させようと企む者だっている。そういう輩からすれば、ダストは目の上のたんこぶどころか爆弾だ。何人か面倒くさい奴の顔も頭に浮かび、魔女は溜息を吐いた。
「あの、魔女様。大変心苦しいのですが、一つだけお願いがあるのです。よろしいでしょうか?」
意外な発言に眉が跳ね上がった。受け身のダストから、そういう発言が飛び出してくるとは思ってもみなかった。こういうタイプは命じられるまで、何もせず部屋でじっとうずくまっているものだが。
「いいよ。言ってみな」
「文字はこの本のおかげで覚えられたのですが、発音が分からないので会話が出来ません。どうか私に皆さんの言葉を教えてくださいませんか?」
ダストの手には見覚えのある本が収まっている。確かに、ここで生活していくなら言語の習得は必須だろう。ただ言葉を覚えるのはそうそう簡単な事ではない。ゴブリン共も、統一言語を覚えるのは随分苦労したと聞く。
魔女は鎌の柄で地面を叩き、土の椅子を生やした。腰を下ろし、貸してみなと本を奪い取る。
「まず基本的なことから説明しておくけど、モンスターは多種多様だ。一つの種族の中にも亜種がいて、一概にこのモンスターだからこうと決めつけるわけにはいかない。そして、それぞれの種族にそれぞれの言語がある。ゴブリンならゴブリン語、私ならウィッチ語ってね。だから本来なら、お互いの種族間で意思疎通なんて出来なかった」
ダストは正座で話を聞いている。その向こう側には陰ながら様子を窺うゴブリン達の姿もあった。
「それを今代の魔王様が嘆いてね。全てのモンスターが意思疎通できるように、統一言語を開発されたのさ。少なくとも他種族と会話するときは、この統一言語を使わないといけない」
「ということは、この本はその統一言語を纏めた本なのですね」
「そういう事さ。あたしは略奪部隊っていう性質上、どうしても人間の文字や言葉が分からないといけない。だから、その本を使って勉強してたのさ」
おかげで功績も上がり、はれて第一部隊の隊長へと昇格した。一方で人間の言葉が分からない連中は、いまだに下の方の部隊長として燻っている。贔屓だ不正だとギャーギャー文句ばっかり言われるが、だったら言葉の一つでも覚えろと毎回思う。
「そのような歴史があるとは思いませんでした。感銘しました。それでしたらなおの事、私もその統一言語を覚えたいです。文字はもう全部覚えましたから、発音を教えてください」
そんなに甘くはないよと注意しかけた口が止まる。今なにか、とてもおかしな事を言わなかったか?
魔女は身を乗り出し、出来れば直視したくない目を睨みつける。
「文字を全部覚えた? 統一言語をかい?」
「はい」
出まかせを言っているにしては、随分と堂々としている。いや、そういう性格なのかもしれない。試すことにした。
「水車小屋」
「はい」
即座にページを捲り、該当する箇所を指さす。文字を覚えるだけじゃない。こいつ、書いてあるページ数まで完璧に覚えている。後ろのゴブリン共が拍手を贈っていた。
「普通の人間は、そんなに簡単に覚えられない。あんた、何か特別な力でも持ってるのかい?」
「私は人より頭が悪いので、頭の中が空っぽなのです。だからきっと、詰め込みやすいのだと思います」
そんな理屈は初めて聞いた。袋に食糧を詰めるわけじゃあるまいし、空っぽだから何だと言うのだ。
「それに手紙の代筆をやっていましたから。文字に慣れているからではないかと」
慣れているから、あっという間に覚えられたと。そんなはずはあるまい。ただ当人は至って真面目だ。少なくとも自分の発言を疑ってはいない。
面食らいはしたが、言葉を覚えやすいのは幸いだ。恐ろしい力を秘めているよりかは遥かに良い。もしも統一言語を全て覚えたら、次はウィッチ語を教えこむのも悪くはないな。そうすれば、自分と極秘の会話をする事も出来るようになる。
なにかと敵の多い城内だ。秘密の連絡手段を用意しておくのは悪くない。
それに溜まった歴史書を整理させるのもいい。モンスターにだって一応歴史書はあるのだ。ただ纏められたものは少なく、大概は膨大な量のくせに歴史とは関係のない事ばかり。
最悪の場合、読んではみたものの全部関係なかったという事もザラだ。
オールドから各種族は歴史を纏めるよう命令されていたが、正直誰かに丸投げしたい気分だったのだ。ゴブリン共はウィッチ語を知らないし、そういう能力もない。
だがダストがウィッチ語を覚えれば。
思わず顔が綻ぶ。ついでに鎌の刃先で頭を撫でてやった。
「?」
ダストは不思議そうに首を傾げた。