エピローグ
魔女は動けなくなった。
スティラから逃げ切り、喜びに沸いていたのが少し前。
今は目の前に立つ魔王とオールドの姿に絶望している。魔王の方は霧で覆われ、相変わらずその表情は見て取れない。オールドの方も無表情に徹しているようだが、こんな所までやってきた時点で怒っているのは明白だ。
先ほどの攻撃は、おそらくこの二人の仕業だろう。だが、魔女を助ける為のものなのか。それとも勇者を食い止める為のものなのか判断できない。ただどちらにせよ、魔女たちのやった行為が許されるはずもない。
魔女はダストを庇うようにして前へ立った。オールドが魔女に甘いとはいえ、ここまでの事をやったのだ。このまま黙って見逃してくれるとは思えない。それに、ダストに関しては最初から見逃すつもりなどなかったはず。
「愚かだ愚かだとは思っていたが、ここまで愚かだと最早言葉も無いわ。しかも焔鬼までそれに加わるとは。愚かさが伝染したのか?」
「ふん。お前には一生分からんことだ。気にするな」
忌々しそうに顔をしかめるオールド。焔鬼が相手でも退くつもりはないようだ。
ゆっくりと杖を振りかざすが、魔王がそれを手で制した。
「焔鬼よ。貴様は降格処分とする。これより貴様は我が側近ではなく、制圧部隊の隊長とする」
言うなればオールドの地位から魔女の地位まで落とされたようなものだ。
矜持の高いモンスターのこと。普通は我慢できるものではない。
「……はっ」
「魔女とヘドリーも降格処分とする。全員、ただの兵士としてやり直せ」
跪き、素直に命令を受け入れる。
とはいえ命を奪われなかっただけでもありがたい。やったことを考えれば、ここで処刑するのが普通の処罰に思える。
あまりにも軽い処罰だ。最悪、ここで魔王と敵対する可能性も考えていたのだが。そこまでの処罰ではなかった。
オールドも不満そうだ。
「魔王様、それはあまりにも軽すぎるのではないでしょうか。事が事がですので、降格だけでは周りに示しがつきませんぞ。それに、全員が降格になると代わりは誰が?」
「焔鬼の代わりは焔鬼の配下の中から選ぶがいい」
誰になったところで、大して違いはないだろう。焔鬼の配下は全員とも、性質がよく似ていた。纏めていた焔鬼にしたところで、他の候補者をぶちのめして力ずくで地位を勝ち取ったようなものだ。おそらくまた、熾烈な殴り合いが始まるのだろう。
「では第一から第三の略奪部隊の隊長は?」
「それらは統合し、特別略奪部隊とする」
霧の中から魔王の腕が伸びる。黒い鎧で覆われた、その腕の示す方向にはダストの姿があった。
「隊長はそこの人間だ」
一瞬の静寂。そして絶叫が響き渡る。オールドは発言を撤回するよう猛抗議をしているが、魔王は何も言わない。オーク達と焔鬼は素直に喜んでおり、その他の連中は一様に唖然としていた。勿論、当の本人も。
略奪部隊を統合するのはいいとして、その隊長が人間。どう考えても荒れる要素しかない。魔王は一体何を考えているのか。姿だけではなく、その真意も全く見えなかった。
「お前たちへの処分は以上とする。後はそこの人間と二人きりで話したい。行け」
「しかし魔王様!」
「聞こえなかったのか。行け」
さしものオールドも、魔王に凄まれては言葉を呑むしかない。
抗議を諦め、すごすごと離れていった。
「お前たちもだ。全員行け」
そして魔女たちも、逆らうことなど出来るわけがない。チラチラと後ろを気にしつつも、ダストから距離をとる。
一体何を話すことがあるのか。
「うちもダストはんの部隊に異動しようかなあ」
隣で焔鬼が物騒な事を呟いていた。
魔王が自分のような人間にどのような話があるのか。そもそも、先ほどの隊長発言は本当なのか。色々と聞きたいことはあるが、聞いていいのか分からない。相手は魔女たちよりも遥かに強い、地位のあるモンスターだ。
歴史の上では勇者に負けているとはいえ、それ以外の人間に倒された事はない。まさしく規格外なのだ。この魔王という存在も。
「笑顔を忘れるぐらい驚いたのか。まぁ、良かろう」
どこか楽しげな魔王の言葉が聞こえたかと思えば、魔王を覆っていた霧がゆっくりと消えていく。
「今、お前にだけ見えるよう調整しているところだ。安心しろ、声も周囲には届かないようにしてやる」
足元から首までは黒い甲冑で包まれ、新品のようにキラキラと光っていた。その恰好は魔王というより、黒い騎士と呼んだ方が似合っている。
それに、何よりその顔はまるで人間のようであった。年齢は五十代半ば。口元に髭を蓄え、いかにもベテランの騎士と言った風格がある。
カボチャを脱いだ魔女と同じぐらい、その顔は人間そのものだった。ウィッチ族に男はいないので、他にもそういう種族があるのだろうか。
「まるで人間のようだろう」
「はい」
「当然だ。私は人間だからな」
魔王の発言に息を呑んだ。
モンスター達を束ねる魔王が人間?
何かの聞き間違いではないか、とさえ思える。
「既に失われた歴史ではあるが、元々この世界には恐ろしく強い人間が二人いたのだ。そして目覚ましい功績をあげたものが勇者と呼ばれ、そうでない方は勇者を怨んで魔王を名乗った」
それは、どこの資料にも載っていない話だ。
おそらく魔王しか知らない歴史だろう。
「今も変わらない。この世界には度々強い人間が二人生まれ、片方が勇者となる。そして勇者となれなかった方が魔王となるのだ。私が魔王となった時代にも勇者はいたが、十になるぐらいの時に病で倒れたらしい」
そして時を経て、再び勇者が現れた。それがスティラなのだろう。
「あるいはこのまま勇者不在で、とも思っていたが。そうそう世界は甘くはないようだ」
魔王は倒され、勇者が栄光を勝ち取り、その勇者が死んだところで、再び世界に魔王が現れる。歴史はその繰り返し。だが、まさかそのどちらも人間だったなんて。驚きを通り越して、言葉もない。
「試しに攻撃をしてみたが、あれなら数日で復帰してくるだろうな。やれやれ、今代の勇者は歴代でも最強の資質を持っているのかもしれん。頭が痛いぞ」
苦笑しながら、魔王は髭を撫でる。そうしていると、他の人間と全く変わらない。少なくとも魔女たちは、この事を知らなかっただろうに。どうして自分に話してくれたのか。
もしかして。
「まさか、私が魔王に?」
「いや、それはありえない。お前には我や勇者に匹敵するだけの力が無いからな。それに、魔王候補が生まれるのは我が死んだ後の話だ。同じ時代に魔王、あるいは勇者が二人いることはない」
言われてみるとその通りであった。そもそも自分には勇者と戦うだけの力などない。あれば、スティラから逃げることもなかった。自惚れてしまった自分を深く恥じたくなる。
「だが、同じことを繰り返していては意味がないのだ。新しく生まれた魔王候補を魔王にしたところで、どうせ勇者に倒されるだけ。歴史の上ではそうなっている」
魔王の腕が、ダストの方を掴んだ。
「なればこそ、我はお前に賭けたいと思ったのだ。頭は良いが力がなく、モンスターとも普通に接することの出来るお前に。もう既に、モンスターと共に生きると決めたのだろう?」
優しい目が真正面からダストを見つめる。
「私は何をすればいいのでしょうか?」
「地位は与えた。後はお前の好きなようにやるがいい。もしもお前を魔王にという声が多くなれば、その時は喜んで魔王の座を譲るとしよう。もっとも、その前に私が勇者に倒されてしまうかもしれないが。その時は逃げて、勝手に魔王を名乗っても構わん」
自分が魔王に、と言われてもピンとこない。そんなダストの頭を魔王が撫でる。
「久しぶりに人間と話せて気が楽になったよ。ありがとう。ああ、それとこの事は他言無用だ。私とお前以外に知っている者は誰もいない」
「それなのに、魔王になれたのですか?」
魔王が腕を振ると、その手に黒い剣が現れた。
「モンスターの世界では力こそが全て。倒して倒して倒していったら、いつのまにか魔王になっていたのだ。過去に関しては全て捨てたので、オールドも我の正体は知るまい。知ればとんでもない事になるのだ」
「そこまでして魔王になりたかったのですね」
魔王は苦笑した。
「どういう因果か知らんが、生まれた時から俺は魔王にならなくてはいけないと思っていた。故に別にモンスターと共に歩もうなどと、そんな事は思っていなかった。正直、今でも違和感を覚えている。勇者を倒すのはいいが、人間の我がどうしてモンスターと共にいるのか、とな」
それではまるで呪いのようだ。口には出さなかったが、魔王には気づかれてしまったらしい。
「だからこそ、お前には期待している。この因果を断ち切ってくれるのではないかと」
「私にそのような事を期待されても……」
出来るとは思えない。
「願掛けみたいなものだ。気負う必要はない。それに、いざとなれば他の奴の手を借りればいいだけの話だろ。我とて統一言語を作ったのは、他種族の言葉を覚えるのが面倒だったからなのだが」
便利だとは思っていたが、まさか面倒だから作ったとは。確かに、知れば大変な騒ぎになるだろう。
「その言語にしたところで、作ったのは殆どオールドだ。我は殆ど何もしていない。ああ、これも内緒だから。誰にも言うなよ」
「分かりました。誰にも言いません。ただ……一つだけ訊いてもいいですか?」
魔王の身体が再び霧に包まれていく。優しそうな目も見えなくなった。
「なんだ?」
「私を牢獄から出してくれたのは、ひょっとして?」
霧が全てを覆い隠した時、その中から楽しげな声が聞こえてきた。
「知らなかったのか。あれを設計したのは私だぞ?」
それだけ言い残し、魔王は立ち去った。不満そうな顔のオールドがその後ろに続き、しきりに抗議の声をあげている。何度もこちらの様子を窺い、処刑すべきだと声を荒らげていた。
ありがとうとございます、という感謝の言葉をその背中に投げかけたのだが、果たして霧の中まで届いたのかどうか。もう確かめる術はない
入れ替わるように、魔女が慌てて駆け寄ってきた。
「大丈夫か、ダスト!」
大丈夫ですと答える前に、思い切り抱きしめられる。そういえば、母からこうして抱きしめられた記憶はない。物心ついたころには、もうあの家にいた。こんなに温かいと知っていれば、もっと違った人生が歩めただろうか。いや、知らなかったからこそ魔女と出会えたのだ。
今更、過去を嘆いても始まらない。
「ダスト! いや、隊長か。俺らの活躍があったことも忘れないでくれよ。勇者じゃねえんだから」
ゴブリン達が明るく笑う。
「隊長! おら達は一生あんたについてくぞ!」
オーク達が拳を振り上げた。
「俺もダストの下で働きたいなあ。やっぱり上司にするなら、愛しい男だよな!」
焔鬼の眼光が鋭く光った。
「に、人間の部下! こ、怖いこと命令しないでください! お願いします!」
「ぐぬぬ……ヘドリー様に何かしたら容赦しないからな! 人間!」
ヘドリーが泣き崩れ、ルドラがそれを支えた。スパイダーオーク達も必死にヘドリーを励ましているようだ。
そして魔女は。
「いつのまにか立場が逆転したな。まぁ、お前が無事ならそれでいいさ」
自分を嫌っているモンスターも数多くいるだろう。地位を与えられたとなれば、命を狙ってくるモンスターもいるはずだ。
スティラとて容赦はしないだろう。魔王たちの攻撃で怯みはしたものの、あれで倒せたとも思えない。また傷が癒えれば、再び侵攻してくる。次も何とかなると思えるほど、勇者は弱い存在ではないのだ。
それでも、あの家でただひたすら窓の外を見ていた頃とは違う。外にはきっと楽しい世界があるのだろうと、自分を殺しながら暮らしていたあの頃とは。
どちらの方がいいかと言われたら、迷うことなくダストは言うだろう。
「私は今、とても幸せです」
突然の言葉に、魔女が目を丸くした。
ダストは歩き出す。
次はどのモンスターの資料を翻訳しようか。そう考えながら。




