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第19話


 彼女は多分知らないだろう。あの時、どれほど自分が嬉しかったのか。

 ただ笑顔で待っているだけだった。本来ならば、誰の手も借りられずにあのまま終わっていただろう。そんな自分を連れ出してくれた。たとえ、そこにどんな魂胆があろうとも。ダストが救われたのは事実だ。


 だが、ただ笑顔で待っているだけでは駄目なのだ。奇跡は二度も起こらない。どれだけ手を伸ばしても、自分がどこにいるのか分からなければ意味がない。だからあちこちの壁に、それぞれのモンスターだけが分かる文字で居場所を刻んだ。

 誰かがあれを見てくれたら、ここにいるのが分かるはず。幸いにも人間の中に、あの文字を知っている者はいなかった。

 ここへ来てくれるのかは分からない。だけど、来てくれた時に見つかりますように。そう祈りながら、ダストはこうして地下に籠っている。モンスターの集団がやってきたため、ここへ閉じ込められたのだ。


 様子を見ようと外へ出ようとするが、今度は鍵がかかって扉が開かない。諦めて地下に戻るしかなかった。

 やるべき事はやったのだ。後はただ待つだけでいい。

 俄かに頭上で足音がした。モンスターなのか人間なのか。迂闊に声を出して、モンスターに助けを求めた事がバレるのはよくない。かといって、モンスター達が捜しているなら、声を出さなければ意味がない。

 悩んでいる間に、足音は遠ざかってしまった。チャンスを逃したのか、危機を脱したのか。それすらも分からない。


 ひょっとしたら、魔女たちとは無関係のモンスターが攻めて来たのか。段々と募る不安を、首を振って追い払う。彼女たちはきっと来てくれるはずだ。自惚れに聞こえるかもしれないが、ダストにはその確信があった。

 仮に魔女が捕まったとしたら、ダストも全力で助けに行くだろう。それが逆になっただけの話。彼女たちは絶対にこの村へやってくる。

 そう信じながらも、祈るように手を合わせる。

 と、またしても頭上が騒がしくなった。今度こそ叫ぶべきなのか。そう迷っていた瞬間、何かが壊れる音がした。頭の上から差し込む光で、扉が壊れたのだと分かる。

 そして懐かしい声が部屋の中に響き渡った。


「助けに来たよ! ダスト!」


 ダストは梯子の所まで駆け寄る。見上げれば、そこには身を乗り出した魔女の姿があった。


「魔女様!」


 急いで梯子を上ろうとするが、焦るあまりに何度か足を踏み外した。それでもやっと地上へ戻れば、そこにいたのは魔女だけではなかった。ゴブリン達にオークの姿もあれば、ヘドリーやルドラにスパイダーエルフもいるではないか。戸の向こうでは焔鬼の戦う姿も見えた。

 不意にこみ上げてきた涙を拭い、自然と零れた笑顔で迎える。


「みなさん、ありがとうございます」


 ゴブリンとオークが歓喜の雄叫びをあげ、ヘドリーが怯えてルドラの後ろに隠れた。


「魔女様もありがとうございます。今日はカボチャを被ってないのですね」

「勇者にやられてね。とりあえず喜ぶのは後だ。今は一刻も早く、この村から脱出しないと。それも勇者を振り切って」

「それは……大変な状況ですね」


 既にモンスターと共に生きると決めた。そんなダストをスティラも生かしてはおくまい。説得したとしても、話が通じる相手ではなかった。

 だが不思議と、不安そうな顔をしているモンスターはいない。ヘドリーを除いて。


「おいおいダスト、忘れたのか。俺たちは略奪部隊。元々、戦うのは専門じゃねえのよ。言っておくが、逃げることなら誰にも負けねえぜ」

「自慢になるか、そんなもの」


 ゴブリンが得意げにそう言い張って、オークが呆れた顔で笑う。


「だが間違っちゃいないさ。行くよ、野郎ども! 私らがどれだけ逃げるのが上手いか、あの人間どもに思い知らせてやろうじゃないか!」


 一同が拳を振り上げ、ヘドリーがまた怯える。その声だけで、ダストの中にあった不安がかき消されていくようだ。


「あんたは……あいつに運んで貰いな」

「おう。任せとけ。何があっても絶対に落とさねえぞ」


 ダストはデブロンに持ち上げられ、小脇に抱えられた。見た目は完全に誘拐である。


「あなたは一体……」


 部屋の隅に、ロープで縛られた魔法使いの姿があった。モンスターの言葉を操るダストは、さぞや不思議な生物に見えただろう。

 特に説明する必要もないけれど、彼女が助けてくれたのは間違いない。


「助けてくださり、ありがとうございました」


 それだけ告げると、彼女は呆気にとられたようかのように目を見開いた。

 これでいい。彼女たちと生きていくことなど、もう自分には出来そうもないのだから。

 そして、いよいよ脱出が始まる。


「焔鬼! 行くよ!」

「その言葉を待っとった!」


 スティラの剣を強く打ち、逃げるようにこちらへやってくる焔鬼。一瞬だけ不意を突かれたスティラだが、すぐさまその後を追いかけた。


「ダストはん! 刺しとくれ!」

「はい!」


 受け取った角の剣を躊躇なく突き刺す。剣は徐々に飲まれていき、全てが消えたところで焔鬼の腕がスティラの剣を受け止めた。


「えらいせっかちやなあ。もうちょい待ってくれてもええやろに」


 だが、その言葉はスティラには届いていない。その目はただひたすらにダストへと注がれていた。


「何故そちら側にいる。お前は人間だろ」

「はい、確かに私は人間です」

「だが行けばお前はモンスターの味方となる。人間の敵となるし、私も容赦はしない。必ずお前たちを滅ぼすだろう。それでも行くのか?」


 恐怖も戸惑いもなかった。捨てられた自分を拾い上げ、ここまで大切に守ってくれた。一緒に暮らしてくれた。ただそれだけのことが、どれほど嬉しかったのか。

 ダストは即答する。


「はい。私の居場所は、この方々のいる場所です」


 その答えに、一瞬だけスティラが笑ったような気がした。


「そうか。だったらお前は私の敵だ。ここで殺す」

「誰が殺させるか!」


 魔女の鎌が地面を叩く。途端に、無数の石人形がキノコのように生えてきた。その数は十や二十では済まない。そしてスティラの足元が泥となり、頭の上から大量の網が降り注いだ。スパイダーエルフの糸を使った網だ。普通は簡単に外せない。


「いまだ! 全力で撤退開始!」


 脇目も振らずに一目散に逃げかえる。相手は勇者だ。あれだけやっても、時間稼ぎになるかどうか怪しい。

 チラリと後ろを見てみれば、僅か数秒の間に石人形の数が激減していた。最早あちらの方がモンスターではないかと、そう思えるぐらい強い。


「後ろは気にするな! とにかく走れ!」


 魔女の号令に全速力で駆ける一同。魔女やヘドリーはしきりに後ろへ壁やら泥の沼を作っているようだが、それも大した効果は得られまい。


「化け物過ぎんぞ……」


 デブロンの呟きが聞こえてくる。スティラはもう全ての石人形を破壊し、こちらへ向かって走り出していた。それも普通の速度ではなく、もう既に追いつきそうだ。


「ウチが時間を稼ぐ! その間に逃げろ!」

「焔鬼様! ならおらも!」

「あんたらはダストはんを連れて逃げへんとあかんやろ! ええから、行きい!」


 強化しているとはいえ、焔鬼の身体はボロボロだ。あのまま戦えば命を落とすのは確実。それに、多少時間を稼いだところでスティラを振りきれるとも思えない。それでも立ち止まっているわけにはいかないのだ。


「焔鬼様!」


 ヘドリーがスティラの足元を泥に変える。完全に足をとられてしまい、スティラは歩みを止めた。


「これでしばらく時間を稼ぎます! 焔鬼様も走って!」


 地面に鎌の柄を叩きつけ、スティラの周囲を分厚い土の壁が覆う。気休め程度だが、今はほんの僅かな時間でも欲しい。遅れそうな奴はオークが抱え、必死の思いで全員走る。

 魔女は当然として、焔鬼ですらも背後を振りかえらない。皆が分かっているのだ。後はもう、全速力で走るしかないと。

 抱えられたダストはチラリと後ろを見た。泥沼から這いずり出たスティラの眼差しが、こちらを捉えている。


 思わず視線を逸らしたところで、背後から大きな爆発音がした。続けて火の雨と雷がスティラのいたところへ降り注ぐ。あれも勇者の技の一つなのか。そうだとしたら、なんと恐ろしい存在なのだ。

 後ろを振り返りながら、ダストはそう思った。しかし、どうやら様子がおかしい。

 あれほど執拗に追いかけてきたのに、今となっては姿が見えない。巻き上がった砂煙の中から飛び出してくる人影はなかった。まさか、先ほどの爆発に巻き込まれたのか。そうだとしても、平気な顔で現れそうなものだが。

 疑問には思っても、足を止めるモンスターは一体もいなかった。勇者への恐怖が、全員の背中を激しく押していたのだ。ここで止まるほど馬鹿なモンスターなどいない。

 そうしてダストたちはスティラから逃げに逃げ、完全に距離を離したところで全員が安堵の溜息を漏らした。


「や、やったんですかね?」


 オークが不安そうに魔女を見下ろす。


「さてね。何が起こったのか、さっぱり分からない。だが、もう追ってないことは確かだね。よくやった! 私らは勇者から逃げ切ったんだよ!」


 歓喜の声が木霊する。勇者を倒そうとするモンスターから見れば、それは酷く滑稽な喜びに見えるだろう。憎き敵を倒さず、ひたすらに逃亡して何が嬉しいのかと。そう言われたところで、この喜びを抑えることなど出来まい。

 ダストの胸にも溢れんばかりの嬉しさがあった。あの時、屋根裏から助けて貰った時以上の感情がある。


「ありがとうございます、みなさん。ありがとうございます、魔女様」


 泣きながら、か細い声でそう呟いた。叫ぶモンスター達の耳には届いていないかもしれない。それでも、魔女は振り返ってダストに笑いかけてくれた。


「喜んでる場合じゃない。何でか知らないけど、勇者がまた追ってくることだってあるんだ。急いで逃げ」


 魔女の言葉そこで止まる。ダストたちの背後を見ながら、微動だにしなくなった。

 その先に何があるのか。一同が振り返り、そして、その顔がすぐに凍りつく。

 遥か広い草原のど真ん中。魔王とオールドがそこに立っていた。


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