第16話
ふと目を覚ます。背中に当たる感触は固く、枕の一つもありはしない。目の前に天井がなければ、地面に倒れているのかと錯覚しただろう。
ムクリと身体を起こそうとしたが、杖でそれを止められた。そこでようやく、隣にオールドが座っていたことに魔女は気が付いた。
「寝ておれ。まだ身体の傷が癒えておらん」
言われるがまま横になる。どうしてこんな所で寝ているのだろう。部屋の内装から察するに、ここは医務室のようだ。ただ普通のモンスターが使うような部屋ではなく、設備のいい方の部屋であった。魔女が眠るには少々ランクが高い。
魔女は目を瞑り、自分の記憶を探る。勇者が攻めてきた所までは覚えている。それで無謀にも挑み、敗れ、死にそうになりながらも生き延びた。だが、どうしてそんな真似をしたのか。
そして魔女は再び起き上がる。
「ダストは見つかりましたか!」
オールトは呆れ顔で深い溜息を吐いた。
「勇者の前にまずそれか。全く、度し難いほどの愚か者じゃな。どこにおったのかは知らんが、あの人間なら勇者が連れていった。投獄されて勇者に連絡し、それを助ける為に勇者が攻めてきた。そう考えるのが自然じゃが……脱獄の謎が相変わらず解けん。それに連絡方法も」
杖から生えた枝にリンゴが実り、それをオールドが毟り取った。かと思えば、喉元から生えた鋭い枝が、林檎をスルスルと器用に剥いていく。
「それに、儂の予想が正しければ勇者を呼んだのはあの人間ではあるまい。おそらく勇者は偶然アレを見つけて、仕方なく撤退していったのじゃろう。ほんの僅かではあるが、その件に関してはあの人間に感謝してやってもいい」
ゴクリと唾を呑みこむ。
オールドは八等分したリンゴを齧りながら、そのうちの一つを手渡した。
「勇者を呼んだのはお主じゃな」
身体が硬直する。だが、ここで迂闊な反応を見せれば疑惑は確信に変わるだろう。何食わぬ顔で、魔女はリンゴを齧る。甘い味を期待していたのに、とても酸っぱかった。
「私が勇者を呼んで何の得があるというんですか」
「どさくさに紛れて人間を助け、城から逃げ出そうとした。充分、お主に得のある話じゃと思うが」
他の全てを騙せても、このモンスターだけは騙せる気がしない。いっそ白状すべきかと思ったが、最後まで白を切ることにした。
「魔王様を危険に晒すような真似はしません」
「ふん、白々しいことを。まぁ、いい。証拠は無いし、今回の件で馬鹿共の目も覚めたようじゃ。これでようやく、勇者に対して一致団結して挑むことが出来よう」
まさか追及の手を休めるとは思わなかった。魔王様を危険に晒すなど言語道断。お前を代わりに処刑してくれよう、などと言われるのも覚悟のうえだったが。
「あ、ありがとうございます」
「ふん、どこで教育を間違えたのやら。いや、それとも儂が拾ったからこうなったのか。やれやれ」
億劫そうに杖に体重を預けながら、ゆっくりと立ち上がる。
「これから対勇者の会議が開かれる。どうせお前たち略奪部隊の出番はないのだ。しばらく謹慎しておれ」
本心と見るべきか、優しさと見るべきか。間違いなく前者だろう。情に流されるようなモンスターではない。ないのだが、魔女への処遇を見ていると後者の可能性も大いにあり得た。
本来なら処刑されても文句は言えない。立ち去るオールドは何も言わなかったが、この場に他の側近がいたら異議を唱えていただろう。
「相変わらず、オールドはてめぇに甘いな」
誰の声だと周りをよく見れば、隣のベッドがモゾモゾと蠢いた。そこから一本の角が生えてくる。
「焔鬼様!」
重傷を負って治療していると聞いたが、この部屋に居たのか。焔鬼はシーツを跳ね除け、ベッドに座る。不敵な笑みは変わらずでも、体中のあちこちに痛々しい傷が残っていた。よく見れば、自慢の角も若干削れている。
自分とは比べものにならないほど強い焔鬼の有様に、改めて勇者の化け物じみた強さを実感した。
「ダストは勇者に連れて行かれたのか……最悪だな。正直、あいつ相手だと俺でも歯が立たねえ。魔王様なら……いや、どうだかな。ひょっとしたら、歴代でも最強かもしれねえぞ。あの勇者」
見た目は村娘そのものなのに、鞘鬼にこうまで言わせるとは。それほどの完敗だったのだろう。語る焔鬼の表情も、苦々しいものに変わっていた。
「そうかもしれませんね」
ベッドの脇に置いてあった鎌をとる。カボチャは無いが、新しく作っている暇もない。このまま行くしかないだろう。他のパンプキンウィッチが知れば、卒倒して魔女の存在を記憶から消す所業だ。
焔鬼もつられてベッドから飛び降りる。
「それでも行くのか?」
分かり切った質問だ。
「ええ。オールドが私に甘いように、私はダストに甘いんですよ」
勇者を連れ込んだと知りながら罰を与えなかったオールド。勇者にさらわれたダストを救いに行こうとする自分。親子でもない他人なのに、こうまで似るものか。そのことを一番後悔しているのは、間違いなくオールド自身だろう。
「そうか。だったら、俺も行くぞ」
「……よろしいんですか? こればっかりは御咎めなしとはいきませんよ」
勝手に出撃して勇者を倒してきたなら、一転して英雄扱いだ。敗れて死んだとしても、馬鹿が消えるだけの話。
だが勝手に出撃して勇者を倒すでもなく、人間だけを連れ帰ってきたとしたら。その時は各所から非難轟轟の嵐だろう。さすがのオールドも庇いきれまい。処刑待ったなしだ。
そもそもダストの処刑は撤回されていないのだ。城へ連れ帰ったところで、また捕まって投獄されるのは目に見えている。
最悪、この城へは戻って来ない可能性は高い。
それを踏まえた上で、それでも行くのか、と問いかける。
魔女と違って、焔鬼の地位は高い。勝手に飛び出して勇者に負けるという失態こそ犯したが、怪我さえ治れば、またすぐ魔王の片腕として復帰できるだろう。
「完敗した時点で、俺はもう魔王様に仕える資格なんてねえよ。このまま寝てても、今度は勇者に殺されるだけだ。だったら、愛しい男を助けたいと思うのは当然のことだろう?」
「い、愛しい男?」
小馬鹿にするように笑う焔鬼。
「言葉のあやだ。気にするな」
あれだけ人間を嫌っていたのに。こうも反転すると逆に気味が悪い。鬼は人間に惚れやすいというも、あながち嘘ではなかったのか。
「じゃあ、早速勇者の所へ乗り込むか?」
「いえ、その前に他の連中の意志も確かめておきます。私達だけじゃ戦力も足りませんしね」
どれぐらいが付いてきてくれるのか。そもそも、戦力があったところでどうにかなるのか。
不安は尽きない。それでも諦める道はない。
ダストを取り戻す。
元は自分が蒔いた種なのだ。例え相手が勇者だろうと。その決意だけは揺らがなかった。
勇者というのは大軍を引き連れて行動しているものと思っていた。国の威信を背負って魔王討伐に向かうのだ。それこそ、あちこちから大量の兵士を引きつれて進軍してもおかしくない。
だが、ダストが連れて行かれた先にいたのは数百人程度の兵士のみ。勿論、ただの村人であるはずもない。殆どの人間が鎧を着こみ、武器を携えていた。これほど多くの兵士を見たのは、生まれて初めてのことではあるが。勇者の連れる兵だと言われたら、些か数が足りないように思える。
黙ってしまったダストに対し、大男が嬉しそうに胸を張る。
「どうだ、小僧。我が王国最強の精鋭共の姿は。勇者様に比べれば劣るのは仕方ないとしても、これだけの精鋭。並のモンスターの軍団であれば、あっという間に壊滅してしまうぞ」
そう言われても、見ただけで強さが分かるはずもなかった。身体の大きさで言えば、兵士よりもオークの方が勝っているし。それに城と比べたら、ここは殆どダストが暮らしていた村と大差ない。
城壁はないし、見張りの櫓もない。ただの村に兵士が滞在しているだけのように見える。
「ここがあなた方の拠点なのですか?」
「いや、違う。本来ならもっと遠くに立派な拠点があるのだが、移すほどの時間がなかった。故に、まずは物資と兵だけでも敵の近場に移動してきたわけだ。勇者様、次はもっと時間をかけてから攻めることをお勧めしますぞ」
大男の忠告に顔をしかめる勇者。
「情報を手に入れたのは昨日だ。時間をかけていたら、折角の情報が無駄になる。それに元々、速攻で攻めるつもりだったからな」
スティラの発言に大男が目を丸くした。
「あくまで偵察だと言ったではありませんか!」
「そうだったか? だが大勢の兵士がいなくても、魔王は倒せるだろう」
「それはそうかもしれませんが、制圧するには人手が必要です。我らがずっと城に籠るわけにもいきませんし、モンスターの拠点だってあの城だけとは思えませぬ。補給も滞れば、兵士の士気にも関わりますし」
「私は半月何も食べなくても平気だ」
「ですから、勇者様を基準にされては困ります!」
どれだけ大男が叫んでも、勇者は全く気にした風もない。周りにいる兵士たちも、どこか呆れ顔だ。
と、いきなり腕を引っ張られた。
「お二人はそこで議論を続けてください。俺は、こいつを連れて行きますんで」
「そいつは人間だぞ」
勇者の言葉に弓兵は首を左右に振る。
「だとしても、モンスターに協力していたかもしれません。例えば、家族を人質にとられているとか。そうだとしたら、何をしでかすか分かりませんよ」
魔法使いは不服そうな顔をしていたが、特に止める様子もない。勇者や大男も、弓兵に任せるとだけ伝えた。ダストはそのまま腕を引っ張られ、一件の小屋の中へと入れられる。
壁は今にも崩れそうで、屋根の隙間から空が見える。これといって何もない部屋だ。弓兵は中へ入ると、足で床に敷いてあった藁をどかした。そこには一枚の扉が張り付けられていた。
扉を開けると、下へ伸びる梯子が見える。
「ついてこい」
言われるがまま梯子を下りた。ランタンの火を灯すと、部屋の中が仄かに明るくなる。棚には食器が収められ、水瓶に机もあった。床を這うゴキブリや、駆け回るネズミも見える。いわゆる隠し部屋というやつだろうか。どことなく屋根裏部屋を思いだす。
「しばらくはココに居てくれ。魔王を倒したら、その時はお前も解放してやるよ」
「はい。ありがとうございます」
「……ちなみに、本当に人質とかはとられてねえよな? いたら言え。俺は無理でも、勇者様が絶対に助けてくださる」
叔父が一緒に捕まっていたが、どうやらもう死んでしまっているようだ。そもそも、叔父を人質にされて従ってるわけでもない。ただ、お役に立ちたいから働いていただけだ。
「私に家族はいませんから。誰も人質になんて出来ませんよ」
ぐっ、と言葉にならない声を弓兵があげる。かと思えば、慌てて梯子を駆け上がっていった。そしてすぐさま戻ってきて、ダストにリンゴとチーズを手渡した。
「これを食べろ。いいか、何があっても絶望なんてしたら駄目だ。妙な気を起こしたら、きっと死んでいった家族も悲しむだろう」
どうだろう。常日頃から死ねと頻繁に言われていたぐらいなので、ダストが死んだところで悲しむとは思えない。代筆の代金が儲けらないから、悲しむ事はあるかもしれないが。ただ断るわけにもいかず、ありがたく受け取った。
「魔王は必ず勇者様が倒してくださる。だから安心しろよ」
弓兵の笑顔に、胸の辺りがチクリとした。
家から自分を連れ出してくれた魔女。城から自分を連れ出した勇者。
魔女がいなければ、ダストはあの家で死んでいたかもしれない。だが勇者がいなければ、ダストはあの城で処刑されていたかもしれない。どちらにも恩がある。どちらにも恩を返さなくてはならない。
だが、その二つは敵対しているのだ。どちらも選ぶわけにはいかない。
オールドの声が頭を過った。
お前は、どちらを選ぶのだ。
「……勇者様と話をすることは出来ますか?」
「それは無理だな。ここから出て貰ったら困る。鍵はかけないでおくが、出来るだけ外には出ないでくれ」
ダストの身を案じての発言だろう。
口は色々言っているが、根は優しい人のようだ。
「とにかく、大人しくしていてくればいい。そうすれば、そのうち全部うまくいく」
そう言って、弓兵は梯子をのぼっていった。その姿が見えなくなってから、ダストは木の欠片を拾い上げた。
魔女と勇者。モンスターと人間。どちらを選ぶのか。
その質問への答えは、葛藤するまでもなく最初から出ていた。ただ、自分が気づかなかった。いや、認めたくなかっただけの話。
選ばれなかった方から恨まれるのが嫌だし、それで再び自分が不幸になるのが怖かった。誰に対しても良い顔をしていれば、少なくとも恨まれる心配はない。役に立てることを証明すれば、とりあえずは生かして貰えるのだ。
そう信じていたからこそ、人間にもモンスターにも良い顔をしようとした。
だからどちらも選ばず、考えず、何も見ず、ただ世界が自分を幸せにしてくれるのを待っていただけ。
あの屋根裏部屋にいた頃から何も変わっていない。一度は魔女に助けて貰ったが、二度目があるとは限らないのだ。自分から行動しなければ、世界は何も変わらない。
「よしっ」
自分一人で脱出できると思うほど、ダストは自惚れてはいなかった。勇者どころか、兵士一人が相手でも逃げ切ることは出来ないだろう。だったら、自分に出来ることは一つだけ。最初から、自分にはこれしかなかったのだ。
結局は誰かを頼ることしか出来ないが、それで自分が助かるのなら何だってやってやる。
ダストは決意を固め、梯子を上って行った。




