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第09話

 また一枚、翻訳が終わった。全ての資料を翻訳する必要はないと焔鬼は言っていたが、どうしても読み始めたら最後が気になるのだ。そうする事で、オークの秘術も見つけている。それに序盤は関係ないように見えて、案外最後に目的の情報が、という可能性もあった。

 見落とした資料に肝心の秘術が、となれば焔鬼に合わせる顔がない。折角、このような広い部屋を用意してくれたのだ。

 部屋中が棚で埋め尽くされ、至る所に資料が積み重ねられている。来た当初は紙の沼を連想したが、掃除をしたおかげで足の踏み場は出来た。そうなれば、最早ここは書斎と何ら変わりがない。机もあるし、椅子もある。ダストには不相応なぐらいの設備だ。

 代筆した手紙の中で、何度かそういう設備があることは知っていた。まさか、自分がそこに入れるとは思ってもみなかったけど。

 食事もホコリまみれのパンから、ホコリのないパンになった。食べられるだけでもありがたいけれど、やはりホコリはあまり美味しくない。贅沢を言うなら、無い方がよかった。


「ふむ、これも違うと」


 次の資料にも目を通す。鬼の歴史に関するものだった。提出するなら、こういうのを纏めるべきではと思ったが。それはいいから強化の秘術を優先しろとの事だ。


「ふむふむ」


 意外にも、鬼にとっての天敵は人間らしい。オークやウィッチの歴史では他の種族に追いやられ、奴隷のようにこき使われたりしたものだが。鬼の歴史にそういう記述はなかった。むしろこき使う側だった。

 それなのに、どういうわけか人間に対しては滅法弱い。どれだけ強いと言われる鬼であっても、何故か人間の、それも勇者でもない相手に殺されたりしている。その手法は様々あるも、どれもこれも鬼の弱点という風には見えなかった。

 あるいは、人間そのものが弱点なのだろうか。いやいやと首を振る。つい夢中になってしまったが、それは焔鬼の探している資料とは関係ない。目当てのものは強くなる方法で、鬼の弱点ではないのだ。


「早く見つけられればいいのですが。こればっかりは、どうしようもありませんからね」


 暗い気持ちになりかけたが、いけない。諦めてしまえば見つかるものだって見つからない。ダストは首を振り、笑顔を取り戻した。

 と、カンテラの灯りが弱くなっていることに気づく。蓋を開け、机の上にあった黒い塊を放り込む。カンテラの中でフワフワ浮いていた灯りが塊にとびつき、ボリボリと噛み砕く音を鳴り響かせる。くれぐれも逃がすなと言われていたので注意はしているが。どうやら中にいるのは生き物らしい。

 これも資料を翻訳していったら、分かったりするのだろうか。次の資料へ手を伸ばしたところで、乱暴に扉が開かれた。


「終わったか?」

「申し訳ありません。まだです」

「チッ。なんでもいいから、死ぬ気で急ぎな。生憎とこっちには余裕がなくなったんだ。一刻も早く、俺を強くする方法を見つけないと」


 明らかに苛立つ焔鬼。いつもの彼女には、人間に対する憎悪ばかりが浮かんでいたが今は違う。彼女の顔には明確な焦りの色があった。


「何かあったのですか?」

「うるせえ。お前には関係の……いや、待てよ」


 そのまま床へ腰を下ろす。視線はダストから外れることがない。睨むような眼差しが、体中を突きぬけて行くようだ。普段ならば「急げよ」と吐き捨てて、そのまま出て行くはずなのに。


「前は人間の村で暮らしてたんだろ。じゃあ、勇者について聞いたことはないか?」

「勇者ですか?」


 記憶を掘り起こす。数多くの手紙を代筆し、その中には当然勇者に関することもあった。だがそれは何処にいるとかいうものではなく、勇者がいればモンスターを退治してくれるのに。そういった希望をこめたものばかり。

 不思議な力を使える魔法使いのように、あくまで想像上の人間だと思っていた。今はウィッチ族やオーク族、それに鬼族の資料から実在していたのだと知ったわけだが。


「勇者様に関しては何も知りません。他の人たちにしても、いたらいいな、ぐらいにしか思っていなかったようです」

「そうか。チッ、役立たずめ」


 やはり今日の焔鬼はいつもと違う。あまりにも余裕がないのだ。これではいけない。

 苛立っていては何もかもが上手くいかないものだ。


「失礼します」


 席を立つダスト。ちょうどいい情報を資料の中から見つけていた。強くなるのとは無関係だから報告はしなかったが、今の焔鬼にはピッタリだろう。


「おい、どうした?」


 訝しげな焔鬼の表情。それを意に介した風もなく、ダストは真正面に座り込む。

 相手がちょっと腕を振るえば、それだけでダストの首はとぶ。だから焔鬼も警戒こそしても、遠ざけるような真似はしなかった。何か妙な真似をすれば、あっというまにダストを殺すつもりだろう。


「よろしいですか?」

「は? 何がだ?」


 焔鬼が呆気にとられている間に、ゆっくりと角に触れた。だが他人が触ったところで、鞘鬼の角は引っこ抜けない。その角を抜けるのは、鞘鬼自身だけだ。それを知っているからこそ、焔鬼も大した抵抗をしない。

 表情は困惑したままで、ダストの行動の真意を探ろうしている。

 ここまでやって分からないということは、これも失われた情報なのだろう。ダストは身を乗り出し、焔鬼の角に息を吐きかけた。


「あうっ!」


 焔鬼の身体がビクリと反応した。顔はあっという間に真っ赤になり、自分から漏れ出した声に驚いている。

 どうやら情報は正確だったらしい。ダストはもう一度、息を吹きかけた。


「やめ……んぅ!?」


 再び震える焔鬼の身体。息は荒くなり、目には涙が溜まっている。真っ白な肌も上気して、思わず前のめりに倒れそうになっている。


「お、俺に何をした!」

「資料の中にありました。鞘鬼は角へ息を吹きかけられたら、とても気持ち良くなると。どうですか、苛立ちは消えましたか?」


 気持ちよくなれば、自然と心も落ち着くはずだ。気持ちいいという感覚はよく分からないが、少なくとも不快という意味ではなかろう。人間も異性と気持ちいい事をしているようだし、モンスターもそれは変わらないはずだ。


「よ、余計なお世話はぁん! やめろ! 離れろ!」


 必死で抵抗するが、気持ちよくなった鬼に大した力はない。何とかダストを突き放そうとするも、満足に押し返せない状況だ。それどころか、逆に押し切られていた。


「大丈夫です! まだ吹けます!」

「そうじゃなくてぇっ! やめっ! くっ! お願い! やめてぇ!」


 目からは涙、口からは涎。呼吸は乱れに乱れて、床に仰向けで倒れたまま身体を小刻みに震わせている。これはかなり気持ちよくなってくれたようだ。先ほどまで溢れていた焦りが、今はどこかへ飛んで行ってしまったように見える。

 ただ、若干やり過ぎてしまった感は否めない。何も倒れるまでやる必要は無かった。反省しておこうと、心の中でメモしておく。


「焔鬼様。大丈夫ですか?」

「大丈夫な、わけ、あるか。これが終わったら、絶対に、殺してやるからな!」


 壁に手をつきながら、潤んだ瞳でふらふらと部屋を出て行く焔鬼。

 これから仕事があるのだろう。自分も負けてはいられない。なんとしても目当ての情報を見つけ出すのだ。











 ゴブリンの住処はとても小さい。その為、他の種族は滅多に入ろうとしなかった。

 魔女のように自分がいる時だけ天井の高さを高くするみたいに、何らかの対処をしないと常に中腰を要求される。ましてやオーク並の大きさになれば入る事も難しく、強引に入れば崩落の危険性すらあった。

 例外があるとすればヘドリーのようなモンスターぐらいである。その他の種族が訪れるのは、とても珍しい事だった。どこへ通すべきなのか、ゴブリン達も大慌てしていたし。急遽、応対する部屋を作り上げたが、急ぎなので机も椅子も全て土製だ。


「で、どういうご用件でしょうか」


 相手が隊長格なら魔女とて態度を崩す。彼女が畏まるとしたら、それは魔王と側近以外ありえない。そして、ここにいるのは側近の一人。それも魔女のいる部隊とは全く無関係の焔鬼だ。

 焔鬼は主に王国の制圧や、問題を起こしたモンスターの投獄や処刑を任されている。村人のような弱い人間を相手にするのが魔女たちならば、焔鬼は王国の兵士を相手に戦っていた。いわば魔王軍の主力部隊の最高責任者だ。

 略奪部隊の魔女とは、何ら接点がない。突然現れた時は驚くばかりで、こうして部屋へ通してもまだ驚きは続いている。

 焔鬼は難しい顔のまま、口を開こうとしない。まさかダストの事かと思ったが、それだったら口ごもりはしないだろう。鬼は人間を嫌っている。何かしたなら喜々として話し、連帯責任だと叫びながら魔女の首を狩っている。


「……あの人間はココで暮らしてたんだよな?」

「はい、そうですが」


 用件はダストの事らしい。やはりそうか、と思う反面、ここまで躊躇いを見せる理由はなんだろうと疑問もわきあがる。焔鬼は興味深そうに辺りを見渡しながら、


「ふん。だったら、お前が一番よくあの人間について知ってるという事だな?」

「ええ、まぁ、そうですね」


 家族は全員殺した。村人も全滅しているのだから、身内もいない。そういった意味では、一番よく知っているのは魔女である。そういう環境にしたのも魔女なのだが。当人は気にした風もない。


「……じゃあ教えろ」

「は?」


 そっぽを向いたまま、焔鬼はぶっきらぼうな口調で命じる。


「あの人間について教えろ」


 目を丸くした。思わずずれたカボチャをかぶり直し、焔鬼の真意を探ろうとする。鬼は人間を憎む一方、人間を侮っていた。それはオークが欲望に弱いように、種族的な本能なのだろう。

 人間は憎いが、その気になればどうとでも出来る。そうやって慢心して挑んでは、罠にはめられ返り討ちに遭うのだ。だから鬼が人間に興味を持つなどあり得ない。オールドがダストと握手するぐらいには信じられない話だ。


「あの人間というのは……ダストの事でよろしいでしょうか?」


 焔鬼は角を抜き、剣を突きつける。


「他に人間がここにおるんか? ええから、はよ教えてや。こっちは珍しくあんたに配慮して、我慢してあげとるんやからなあ」


 慌てて頷く。焔鬼は角を収めて、説明を促した。


「名前はダスト。年齢は当人もよく分かっていないようです。ただ外見から察するに十五歳以下ではないかと思われます」

「そうか。俺と似たような年齢だな」


 外見は、の話である。実際は桁が違う。


「どうやら家族から疎まれていたらしく、屋根裏部屋に監禁されていました。そこで虐待のような扱いを受けていたのではないかと推察されます。発見当時は首輪をつけており、柱に繋がれていたようですから。実の両親とは死別して、親戚に引き取られた感じでしょう」

「へえ。そのくせ誰かの役に立ちたいとか言ってるのか。なるほど、そりゃ確かに普通の人間とは違うな。かなりイカれてる」


 自分もかつては似たような状況に置かれていた。監禁したのは縁もゆかりもない人間で、今にして思えば捕まった自分にも腹が立つ。

 隙あらば脱出を考え、成功したら復讐してやると毎日のように思っていた。少なくとも相手が家族だったとしても、家族の為に頑張ろう、などとは欠片も思わない


「ただ監禁されていたわりに、学習能力は非常に高いです。手紙の代筆をしていたようなので、人間の文字を覚えているのは納得できますが。一般的な人間のみならず、優秀とされる人間と比べても異常な学習速度です。それは翻訳作業などでも証明されているでしょう」


 突然、焔鬼が立ち上がった。その表情が驚愕に満ちている。


「お、俺は知らねえぞ! 翻訳なんて!」

「はっ? えーと、私やオークどもはダストに資料の翻訳を任せておりまして。その実力はよく知っているのではという意味です。焔鬼様もご存じのはずですよね?」


 オールドには報告していたが、焔鬼は知らなかったのだろうか。


「ん、いや、そういう意味か。何でもない。続けろ」


 何を動揺していたのだろう。焔鬼の色白な肌が赤く染まっている。


「当人は頭が空っぽだから、沢山のものが詰め込めると言っていましたが。原因に関しては全く分かりません。ただ家族や家を鑑みるに、おそらくダストだけが特異だったのだと思われます」


 もしも家族全員が同じくらい優秀なら、あんな粗末な家には住まない。もっと王国の中央に近いところに住み、贅沢な暮らしをしていただろう。あれだけ優秀な人間、そうそう放置しておく理由は無い。

 だからこそ疎んで監禁していたのか。それともやはり、実の家族は別にいるのか。両親が死んで身寄りのない少年。能力だけは高く、上手く使えば一儲けできるだろう。金になるものは子供でも売るご時世。おそらく後者であろう。


「自分が空っぽだからこそ、誰かの役に立ちたいと考えたのかもしれんな。または、そう思うよう洗脳でもされたか。役に立つことで自分の価値を再確認し、生きる目的になっているのだとしたら。なるほど、あいつは危険だな」

「というと?」


 焔鬼は口の端を歪める。


「思想がないからこそモンスターの中でも平然と生活できる。だが、それは単に周りにモンスターしかいないからだ。人間から助力を求められても、あいつは平然とそちらを助けようとするだろうよ。なにせあいつ自身は空っぽだ。別にモンスターが好きで協力してるわけじゃねえ」

「それは……」


 薄々魔女も感付いていた。監禁されていた家から出し、部屋を与え、食事を与え、共に暮らしている魔女たちに恩を感じているわけでもない。怖くて仕方なく従っているわけでもない。

 単に役に立ちたいと思った時、近くにいたのが魔女たちだっただけだ。現に魔女からの仕事がないと分かれば、わざわざオーク達の所へ足を運んでいる。もしもモンスター全体がダストを必要としなくなれば、アレは平気な顔をして人間の所へ行くだろう。

 そして何食わぬ顔でモンスターの弱点を暴露して人間を助ける。仮にそれが魔女たちを殺すことになっても、ダストは全く躊躇わないだろう。

 微かに胸が痛む。


「繋ぎとめる鎖もないのに、あんな化け物をウロウロさせていいわけがない」

「ですが今は役に立っています! それに全く感情のない人間なんていないでしょう。接していれば、そのうちダストもこの城へ愛着が沸くかもしれません」


 可能性は低いが、そうでも言わないと焔鬼はダストを殺す。

 それはとてもまずい。何がまずいのかは自分でもよく分からないが、ダストが死ぬ光景を想像すると苦いものがこみ上げてくるのだ。


「愛着がわいたのはお前だろ。やっぱりダストに情が移ったな?」

「そのような事はありません。私はパンプキンウィッチ。人間に火あぶりにされてきたウィッチ族の亜種。人間など調査対象に過ぎず、そこに情や愛着などはありません。頭のカボチャに誓って、真実です」


 ニヤニヤと、面白そうに覗き込んでくる焔鬼の表情は崩れない。全く信じていないようだ。


「今のお前に任せておくと、情にほだされて逃走の手伝いでもやりそうだ。悪いが、もうしばらくダストは預からせて貰うぞ。異論はないな?」


 異論はあるが、飲み込んでおく。ここで逆らって魔女に得はない。

 ただ疑問はあった。


「殺すんじゃなく、預かるんですね」


 焔鬼は即座に角を抜き、魔女の鼻先に突き付けた。

 だがそこに威圧感はない。焔鬼の顔は真っ赤で、まるで何かを誤魔化しているように見えた。


「な、な、なに言うてはるんや! 言葉のあやみたいなもんやろ! 何かあれば即座に殺すし、あんたにも責任とってもらいますからね! お分かりかしら!」


 口調も変だ。何か心境の変化でもあったのか。

 まぁ、殺さないでおいてくれるのなら文句はない。これ以上突いて、藪からドラゴンを出すわけにもいかないし。素直に頷いておく。


「分かればええよ」


 角を戻し、肩をいからせて部屋を出て行った。それを見たゴブリンたちが、一斉に集まってくる。


「魔女様、焔鬼様は何の目的で来られたんですかい?」


 天井を見上げて、会話を思い出す。


「さあ?」


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