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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

“破滅願望”持ちの悪女ですが、敵国の皇帝に見初められました 〜陛下、どうか私を殺してください〜

作者: あーもんど

「────第一皇女エリザベス・レイラ・アーテル、貴様にはラミア帝国の皇帝フェリクス・ルーチェ・ラミアのもとへ嫁いでもらう」


 そう言って、こちらを見下ろすのは────アーテル帝国の皇帝であり、私の実の父親であるサミュエル・カーター・アーテル。

腰まである白髪を後ろで結び、アメジストの瞳に不快感を滲ませる彼は『はぁ……』と深い溜め息を零した。

恐らく、私を国から……自分の監視下から、出したくないのだろう。

でも、ラミア帝国からの要求には逆らえない。

というのも────戦争で惨敗したから。


 私はずっと皇城の一室に閉じ込められていたから、詳しい状況は分からないけど……使用人達の話を総合すると、手も足も出なかったようだ。

だから、早々に白旗を上げて全面降伏したという訳。


「クソッ……!アレ(・・)の封印さえ、解ければラミア帝国など簡単に蹴散らせるのに……!」


 苛立たしげに歯軋りし、父は勢いよく玉座の肘掛けを殴りつけた。

その音に、私は少しビクッとしてしまう。

『謁見の間って、無駄に広いから音が響くわね』と思いつつ、そろそろと顔を上げた。


「で、でも良かったではありませんか。私を差し出せば、アーテル帝国は今まで通り過ごしていけるのでしょう?」


 結婚の話を出す前に言っていたことを思い返し、私は『まあまあ』と父を宥める。

ハッキリ言って、これは破格の条件だから。

普通、戦争で惨敗した国は植民地にされたり多額の賠償金を要求されたりするため。

それなのに、今回は属国扱いさえしないと言う。

まさに夢のような話だ。


「……まあ、確かに悪い話ではないな。エリザベス、貴様が変な気を起こさなければの話だが」


 鋭い目つきでこちらを睨みつけ、父は眉間に皺を寄せる。

どこか物々しいオーラを放つ彼の前で、私は苦笑を浮かべた。


「へ、変な気だなんて……私はいつも、良い子じゃありませんか」


 『やだな〜』と茶化すように笑い、私は青髪を耳に掛ける。

その際、セレンディバイトをあしらったピアスが軽く揺れた。

と同時に、父がこちらへ身を乗り出す。


「貴様が良い子?ハッ!笑わせるな。これまでしてきたことを忘れたのか?」


 半笑いに近い表情を浮かべながら、父はおもむろに足を組んだ。

かと思えば、やれやれと(かぶり)を振る。


うっかり(・・・・)風呂場で溺れること二十回、手首の大動脈を切ること五回、空腹により毒草を食べること三十五回……他の件も諸々合わせて、のべ────三千二十七件の自殺未遂」


「……」


 父親譲りのアメジストの瞳に焦りを滲ませ、私はそろりと視線を逸らした。

『嗚呼……そんなこともあったわね』と他人事のように考える中、父はスッと目を細める。


「貴様はあくまで、悪気がないことを……事故であることをアピールしていたが、故意でやっているのは気づいている────だから、そのピアスを身に付けさせたんだ。もう二度と自殺しないようにな」


 両耳に装着されたアクセサリーを指さし、父は『首輪でも良かったんだが、見栄えがな』と零す。

実の娘を犬のように扱う彼の前で、私はそっとピアスに触れた。


 コレは魔法────世界の理を覆す現象の込められた道具……所謂、“魔道具”で自害を防止する魔法が施されている。

そのため、装着者が意識して自分を傷つけようとすれば、体に電流が走り気絶……もしくは麻痺状態になって動けなくなる。

また、コレを着脱出来るのは魔法を込めた張本人であるお父様のみ。


 『過去に何度か外そうと試みたけど、全然ダメだった……』と嘆息し、私はそっと眉尻を下げる。

が、直ぐに気を取り直した。

だって、あのラミア帝国の皇帝と……暴君(・・)と結婚出来れば、死ぬ可能性は一気に高まるから。

父の監視下から外れて動きが自由になるのはもちろん、あちらの怒りをわざと買って殺される……という手もある。


 ただでさえ敗戦国の皇女は肩身の狭い立場だし、立ち回り次第であっさり命を奪われるでしょう。


 『運が向いてきたわね』と内心ほくそ笑む中、父はおもむろに席を立つ。


「とにかく、変な気は起こすな。大人しくしておけ、一生な」


 ────と、釘を刺された一ヶ月後。

私はあれよあれよという間にラミア帝国へ送られ、盛大な結婚式を挙げた。

恐らく両国の和解をアピールするための措置だろうが、とにかく華やかでドン引きしたことを覚えている。

『なんというか、露骨だったのよね』と肩を竦め、私は皇妃として宛てがわれた部屋を見回した。


 いくら皇帝の妻と言えど、豪華すぎるわね。

所詮、敗戦国の皇女に過ぎないのだからここまでしなくてもいいのに。


 素人目から見ても高価と分かる家具や調度品を見回し、


「なんだか、歓迎されているように感じるのは私の気のせいかしら?」


 と、呟いた。


 いや、そんな筈がないことは私自身よく理解している。

だって、私は────アーテル帝国で、『悪女』と呼ばれる人物だったから。

その悪名は隣国であるラミア帝国まで、届いていた筈だ。

なのに、歓迎など……有り得ない。


 強いて言うなら、同じく悪名高い暴君フェリクス皇帝陛下を貰ってくれた……いや、この場合は貰われたかしら?

まあ、とにかく彼の妻という一番危ない座に就いてくれた感謝を表しているのかもしれない。


「でも、相手はあくまで皇帝……どんなに悪名高くても、その妻の座を狙う人は多く居る筈よね?」


 顎に手を当てて考え込む私は、『う〜ん……』と唸り声を上げる。

が、直ぐに気持ちを切り替えた。


「まあ、そんなことどうでもいいか。私のやることは変わらないし」


 『どうせ、死ぬのだから関係ない』と割り切り、私はソファから立ち上がった。

────と、ここで部屋の扉をノックされる。


「エリザベス皇妃殿下、そろそろ湯浴みの時間です」


 扉越しに聞こえてくる女性の声に、私は『専属侍女かな?』と考えた。

と同時に、目を輝かせる。


 早速、チャンス到来!

皇城勤めの侍女……それも皇妃付きとなれば、貴族の筈。

いくら皇族と言えど、敗戦国の皇女に────


「嫌よ。疲れているの。そんなの後にして」


 ────偉そうな態度を取られたり、意地悪されたりしたら頭に来るでしょう。

そして、殺したくなるでしょう!

というのはさすがに言い過ぎだけど、虐げられたら懲らしめたくなるのが人間の性!


 私の経験上(・・・・・)、箱入り娘のお嬢様は加減を知らない。

だから、ちょっとした悪戯のつもりでやったことが命を奪う事態へ発展するケースも多くあった。

少なくとも────アーテル帝国に居た侍女はそうだったから!

まあ、お父様に気づかれるなり私の専属侍女を外されていたけど。

おかげで、ここ数年は何をしても虐げられず……ひたすら、無視を貫かれたんだっけ?


 淡々と仕事だけこなしていく侍女達の姿を思い浮かべ、私は『完全に一人相撲だったな』と苦笑する。

ちなみに、私が悪女と呼ばれるようになった所以は侍女への度重なる嫌がらせと傲慢すぎる振る舞いのせいだった。


 ただ死にたいだけなのに、悪名ばかり高まっていく……いや、自業自得なのだけど。

でも、やっぱり殺されるには他人の恨みを買うしかないと思うのよね。

一応、何度か善行を働いて『いつか、私を殺しに来て』と頼んだことはあるのよ。

誘拐されて死にかけていた少年とか、行き倒れて困っていた少女とかに。

でも、見事に不発だった。


 『だから、早々に方針を変えたんだよね』と思い返していると、侍女が扉越しに声を掛けてくる。


「殿下がお疲れなのは、我々も承知しております。ただ、今日は新婚初夜ですので我慢していただきたく……」


「お断りよ。どうして、私が我慢しないといけないの?」


 『私は皇妃なのよ!』と己の身分を振りかざすと、侍女は悩んだ末にこう切り返す。


「では、せめて体を拭かせていただけませんか?」


「却下。顔も名前も知らない他人に、体をベタベタ触られるのは嫌なの」


「それでは、先に自己紹介を……」


「だから、今疲れているんだってば!後にして!」


 これでもかというほどヒステリックに喚き散らし、私は近くにあった花瓶を扉へ投げつけた。

その途端、ガシャンと物のぶつかる音や割れる音が鳴り響く。


「いいから、さっさと消えてよ!これ以上、私の機嫌を損ねないで!」


 『貴方、何様のつもり!?』と怒鳴り、私はニヤリと笑う。

これで第一印象は最悪だろう、と考えて。


「……申し訳ございません。では、また一時間後にお伺いします」


 ────という言葉の通り、侍女は再び部屋を訪れた。

それも、時間通りに。

『寸分の狂いもないわ』と思いつつ、私は体を拭いてもらう。


「ちょっと……!力が強いんだけど!」


 本当はちょうどいい力加減なのだが、私はひたすら侍女の仕事に文句をつける。

が、彼女は笑顔で『申し訳ございません』と謝るだけだった。


 えっ?何で……?これだけ言ったら、普通は怒るわよね……?

初日だから、我慢しているだけ?


 『相手は敗戦国の皇女なのに?』と小首を傾げていると、侍女がようやく作業の手を止める。


「では、ネグリジェに着替えましょうか」


「嫌よ!私、このウェディングドレスを気に入っているんだから!」


「そうですか……では、髪だけでも」


 少し乱れている髪を見つめ、侍女はヘアブラシを手に取った。

でも、私は断固拒否。


「このままでいいわ。もう下がって」


「ですが……」


「下がって」


「……畏まりました」


 渋々といった様子で引き下がり、侍女はワゴンを押して退室。

これでようやく、ゆっくり出来る────かと思いきや、彼女と入れ替わるようにして男性が入ってきた。

それもノック無しで。


「────ふ〜ん?俺の花嫁(・・)は随分とワガママだな」


 『侍女や侍従から話は聞いているぞ』と言い、こちらへ一直線に向かってくるのは────ラミア帝国の皇帝であり、私の夫であるフェリクス・ルーチェ・ラミアだった。

燃えるような赤髪を掻き上げ、ニヒルに笑う彼は輝いているとさえ感じる黄金の瞳を細める。

結婚式で初対面したときはタキシード姿だったため、童話に出てくる白馬の王子のような風貌をしていたが、今は猛獣のような人間に見えた。


「ワガママ?どこが?ここに居る者達が無能だから、仕方なく指示を出しているだけでしょう?」


 腕を組んで顎を反らし、私は偉そうに振る舞った。


 私が死ぬ一番の近道はこの暴君から嫌われて、首を刎ねられること。

噂によると、皇帝になるため自分以外の皇族を全て殺したり、邪魔な貴族を根絶やしにしたりしているらしいし、敗戦国の皇女くらいあっさり殺害するでしょう。

だから、とにかく嫌われなきゃ。


 『そのために湯浴みだって我慢したんだから』と奮起し、私はキッとフェリクスを睨みつける。


「第一、私はこんなところに嫁ぎたくなかったのよ。それなのに、半ば無理やり……本当、最悪だわ。きちんと結婚してあげただけ、感謝してよ」


 手で青髪を払い、私は『あ〜あ、本当気分悪い』とボヤく。

すると、フェリクスは私の前に跪いた。


「そうだな。俺のものになってくれただけ、有り難いと思わなくちゃ」


「……はっ?」


 まさか肯定されるとは思わず……私はピタッと身動きを止める。

訳が分からず混乱する私を前に、フェリクスは優しく……本当に優しく手を握ってきた。


「結婚してくれてありがと、エリザベス」


「ど、どういたしまして……?」


「あと、ウチの使用人が使えなくてごめんな。直ぐに全員殺して、新しいやつを入れるから」


「そう……えっ!?」


 特に深く考えず相槌を打ってしまったものの、内容を理解するなり私は身を乗り出した。

『正気……!?』と困惑しながらフェリクスの肩を掴み、前後に揺さぶる。


「ちょっ……何を考えているのよ!?解雇ならまだしも、殺すなんて……!」


「エリザベスを満足させられないやつなんて、生きる価値ないだろ?」


「はっ……!?えっ!?」


「大丈夫。代わりはいくらでも居るから」


 『この国、無駄に大きいからな〜』と言い、フェリクスはヘラヘラ笑う。

その様子は暴君というより、サイコパスに近かった。


 な、何でそういう思考回路になるの!?

というか、私に甘くない!?一応、妻だから優遇しているってこと!?あの暴君が!?


 『唯我独尊・冷酷無比を体現するような人物なのに!?』と驚愕し、私は目を白黒させる。

が、動揺している場合ではないと己を叱咤し、何とか平静を保った。


「い、いや別に殺さなくてもいいわ!あの子達は確かに無能だけど、使い道はありそうだし!ほら、有効活用しないと!」


 『この暴君なら、本気で殺りかねない』と危機感を抱き、私は慌てて使用人を庇う。

さすがに殺害は見過ごせないため。

『私の僅かに残った良心が痛む!』と思案する中、フェリクスはクスリと笑みを漏らした。


「ふ〜ん?挽回するチャンスをやるなんて、エリザベスは優しいな」


 いや、貴方が異常なだけよ!


 と怒鳴りたくなるのを何とか堪え、私は嫣然と笑った。


「ま、まあね……!私は天使のように清らかな心を持っているから!」


「ああ、そうだな」


 『間違いない』と首を縦に振り、フェリクスは立ち上がる。


「ところで────」


 ベッド脇に腰掛ける私を優しく押し倒し、フェリクスはニヤリと笑う。

黄金の瞳に獣のような獰猛さを滲ませながら。


「────そろそろ、初夜を始めてもいいか?」


 私の髪を一房掬い上げ、フェリクスはスッと目を細めた。

かと思えば、ウェディングドレスのスカートに手を掛ける。

見るからに湯浴みを済ませていないのは丸分かりなのに、彼は襲う気満々だった。


 ちょっ……嘘でしょう!?汚いとか、思わないの!?

ほぼ一日中、外に居てたくさん汗だって掻いたのに!


 野外挙式であったことを思い返しながら、私は『えっ!?そういう性癖!?』と戸惑った。

が、このまま流される訳にはいかないので一生懸命知恵を絞る。


「だ、ダメに決まっているでしょう!」


「何故だ?俺達は夫婦だろう?」


「夫婦だから、何!?初夜を過ごすのは、当然だって言いたいの!?私の意思は!?」


 髪やドレスに触れるフェリクスの手を叩き落とし、私は身を捩った。


「いい!?さっきも言ったけど、私は結婚なんてしたくなかったの!だから、戸籍上の関係だけで我慢して!性欲解消やお世継ぎ問題は、他の女に頼りなさい!」


 『愛人を作るなり、側妃を迎えるなり好きにしていい』と告げ、私は何とかベッドから抜け出した。

が、フェリクスに腕を引っ張られ、再びベッドに引き戻される。

『まさか、無理やり襲うつもり!?』と思案し、身構えるものの……彼はそれ以上、何もしてこなかった。

ただ、ベッド脇に座って倒れた私を眺めているだけ。

何を考えているのか、分からない無表情で。


 お、怒らせた……?ということは────チャンス到来!?


 意図せずフェリクスの逆鱗に触れることが出来た私は、思わず頬を緩めてしまう。

が、急いで表情を取り繕った。

『ここからが本番よ』と自分に言い聞かせながら。


「いきなり、何をするのよ!この私に暴力を振るうなんて!まあ、たまたまそこにベッドがあったから怪我をせずに済んだけど!全く、これだから男は……!」


「……悪かったよ」


 素直に謝罪の言葉を述べ、フェリクスは掴んだままの腕を離す。

あまりにも従順な彼を前に、私は『なんだか、調子が狂うわね……!?』と悶々とした。


「そ、そんなに夜の営みをしたかったの?やだ、ケダモノね!」


「……うん、ごめん」


「えっ?」


 本当に夜の営みをしたかっただけなの……!?


 とは言えず、まじまじとフェリクスの顔を見つめる。

すると、彼は若干頬を赤くしながら手で口元を覆い隠した。


「────やっとエリザベスを抱けると思ったら、つい……暴走して、悪かった。ちゃんとエリザベスの意思を確認するべきだったよな。これからはケダモノにならないよう、気をつける。だから」


 そこで一度言葉を切ると、フェリクスは僅かに身を乗り出した。


「せめて、同じベッドで寝てほしい。もちろん、手は出さない。乱暴もしない。優しくする」


 見えない尻尾や耳を垂れ下げ、フェリクスは『頼む』と懇願してきた。

とても暴君とは思えない対応に、私は頭の中が真っ白になる。

そして────


「い、一緒に寝るくらいなら……」


 ────と、うっかり了承してしまった。

その結果、新婚初夜は最悪で……一睡も出来ずに朝を迎える。

別にフェリクスのことを警戒していた訳じゃないのだが……どうも、落ち着かなくて。

男性と同じベッドで寝るなんて、初めてだったから。

『お父様とすら、したことないわよ……』と辟易しつつ、私は湯浴みを済ませる。

今日は寝不足で喚く元気もないため、大人しく侍女達に世話された。


 まあ、今後も何かするつもりはないけどね。

だって、彼女達は多分どんなことをされても────私を虐げないもの。

フェリクスに知られれば死ぬ、と分かっているため。


 至極当然のように『殺す』と言ってのけたフェリクスを思い返し、私は嘆息する。

ここに居る使用人達はいつも、あんな異常者を相手しているのかと思って。

『絶対、胃に穴が開くわよ』と同情しつつ、私はチラリと侍女の方を見る。


「ねぇ、貴方────フェリクスの嫌いなものや苦手なものって、知っている?」


 今後はフェリクス一人に狙いを定めるため、まずは情報収集を始めた。

『絶対に嫌われてみせる!』という覚悟を固める中、侍女は髪を結う手を止める。


「陛下の、ですか?」


「ええ」


「そうですね……私は最近働き始めたのであまり詳しいことは知りませんが、お野菜はあまり好きじゃないそうですよ。それから、公務をサボりがちだとか」


 『あくまで人伝に聞いた話ですが』と補足しつつ、侍女はササッと髪をハーフアップにする。

さすがは皇城勤めのエリートとでも言うべきか、手際が良かった。


「野菜と仕事、ね。分かったわ。ありがとう」


「いえ、殿下のお役に立てたなら幸いです」


 ニッコリ笑って一礼し、侍女はメイク道具やアクセサリーを片付けていく。

その様子を眺めながら、私は次の作戦を立てた。


 効果があるのか甚だ疑問だけど、とりあえず────フェリクスの嫌いなものと苦手なものをとことん押し付けてやろうじゃない。


 『好感度爆下げしてやるわ!』と奮起し、私はドレッサーの前から立ち上がった。

と同時に、侍女へ生野菜をフェリクスの執務室へ運ぶよう要請する。

案外素直に『はい』と返事する彼女を一瞥し、私は彼の元へ急いだ。


「失礼するわよ」


 ノックもせずに扉を開け放ち、私は散らかった執務室へ足を踏み入れる。

すると、執務机の上で剣の手入れをしていたフェリクスが僅かに目を見開いた。


「どうしたんだ?こんなところに来て。もしかして、俺に会いに来……」


「ただ、仕事の進捗具合を見に来ただけよ。これでも皇妃だからね。ところで、この書類の山は何?あと、何故ペンではなく剣を握っているの?貴方、仕事する気ある?」


 半ば捲し立てるようにしてそう言い、私はギロリとフェリクスを睨みつけた。

自分だって、一切仕事をしていないというのに。

我ながら『貴方、何様なの!?』と言いたくなる態度を取り、腕を組む。


「私、不真面目な人って嫌いなのよね。やるべきことをやらずに好き勝手するなんて、最低じゃない?だから、嫌なの」


 『本当に軽蔑するわ』と低い声で告げると、フェリクスは────


「これから、やろうと思っていたところだ。俺は真面目だからな」


 ────そこら辺に剣を放り投げ、ペンを手に取った。

『今日はたまたま書類が溜まっていただけ』と主張しながら、どんどん仕事を片付けていく。

所謂やれば出来るタイプなのか、かなり手際は良かった。

────と、ここで頼んでおいた生野菜が届く。

ペンのように細長くカットされたソレを前に、私は内心ほくそ笑んだ。

『あとはこれをフェリクスの口に突っ込むだけ』と思いつつ、私は執務机の前まで足を運ぶ。


「頑張っている貴方にご褒美よ」


 そう言って野菜を一つ手に取り、フェリクスの口元へ差し出した。


 さあ、嫌がりなさい!

そしたら、『好き嫌いはダメよ』と言って、無理やり口に突っ込むから!何度も!貴方が私を嫌いになるまで!


 『野菜地獄を味あわせてやる!』と意気込む中、フェリクスは


「エリザベスの手から食べさせてくれるのか?それは嬉しいな」


 と言って、素直に食べた。

突っ込むまでもない従順さに、私は一瞬面食らう。

『えっ?野菜、嫌いじゃなかったの?』と困惑していると、あっという間に一本平らげる。

若干顔色を悪くしながら。


 あっ、本当に嫌いなんだ。でも、私のことを気遣って食べたってこと?

嫌いなんて言ったら、悲しむと思って……いや、それはさすがにないか。


 『弱点を知られたくなくて、無理に食べているだけ』と思い直し、私は次々と野菜を差し出す。

が、最後までフェリクスは文句一つ言わなかった。


 この程度の嫌がらせじゃ、ビクともしないか。

まあ、ケダモノ扱いされても全然怒らなかったくらいだからね。

さすがにもうちょっとレベルを上げた方が、良さそう。


 『フェリクスに嫌われること……』と考え、私はあることを閃く。

────と、ここで寝室の扉が開いた。

相変わらずノックなしで入ってくるフェリクスは、こちらを見ると少し嬉しそうに笑う。

『待っていてくれたんだな』と呟きながらベッドの脇に腰掛け、うんと目を細めた。


 いいところに来たわね、フェリクス!


 早速作戦を実行に移せるとあって、私はついつい頬を緩めてしまう。

が、何とか平静を装った。


「あのね、フェリクス。一つ大事な話があるの……」


 出来るだけ悲しそうな……思い詰めたような表情を浮かべ、私はわざと視線を反らす。

すると、フェリクスは何か察したのか真剣な顔つきになった。


「どうした?まさか、誰かに意地悪でもされたのか?」


 『重々言い含めておいたんだが、甘かったか』と零し、フェリクスは途端に表情を険しくする。

なんだか物騒なオーラを放つ彼の前で、私は慌てて首を横に振った。


「ち、違うの……そうじゃなくて、あの────私、好きな人が居るの」


「……あ”?」


 これまで聞いたこともないような低い声を出し、フェリクスは一瞬にして真顔へなった。

かと思えば、こちらへ身を乗り出す。


「念のため聞いておくが、それは────俺以外の男なのか?」


「え、ええ……」


 何とか首を縦に振る私は、未だ嘗てないほどの威圧感に身を震わせる。

本能的に彼のことを怖いと思ってしまった。

でも、それと同時に歓喜する。

────これでようやく死ねる、と。


 長かった……実に長かった。ここまで来るのに、丸十年。

あのピアスを装着された時はもうダメかと思って絶望しかけたけど、今日まで頑張って本当に良かった。

だって、このまま私が生きていたら────世界は終焉(・・)を迎えていただろうから。


 父の……いや、アーテル帝国歴代皇帝たちの悲願を思い浮かべ、私はスッと目を細めた。

『もうじき、貴方達の思惑は阻止される』と考えながら。

これ以上ないほどの達成感と幸福感に見舞われる中、フェリクスは手で顔を覆い隠した。

かと思えば、『はぁー……』と大きく息を吐く。


「エリザベス、お前さ────そんなに死にたいの?」


 どこか淡々とした口調で問い掛け、フェリクスはチラリとこちらを見た。

思ったより落ち着いている様子の彼を前に、私は困惑する。


 それは……どういう意味?

いや、状況から考えると、浮気に怒って殺害を仄めかしているように見えるけど……フェリクスの言い方はまるで、私の思惑を見抜いているような……そんな感じがした。


 なんと答えればいいのか分からず押し黙る私に対し、フェリクスはスッと目を細めた。


「俺は────エリザベスに生きてほしくて……生きるのが楽しいと思ってほしくて、皇帝になったんだ。お前をこちらへ呼び寄せるには、それ相応の地位や権力が必要だったからな」


「……えっ?」


「アーテル帝国と戦争したのだって、そうだ。全てはエリザベスのため」


 どことなく暗い表情を浮かべながら、フェリクスはこちらへ手を伸ばした。

そして、優しく……壊れ物に触れるかのように、私の頬を撫でる。


「最初はアーテル帝国内で不当な扱いを受け、思い詰めるがあまり死のうとしているのかと思っていた。だから、俺の元へ来た以上もう心配は要らないのだと……誰もエリザベスを虐げる者は居ないんだと示せば、死ぬのをやめると考えた。でも、俺の読みは見事に外れて……ずっと死ぬことばかり、願っている」


 『やり切れない』とでも言うように顔を歪め、フェリクスはハッと乾いた笑みを零した。


「挙句の果てには、他に好きな人が居るだと?エリザベスは俺の忍耐を試しているのか?お前の目的を知らなかったら……虚言だと気づいてなかったら、本気で理性を失っていたところだぞ」


 『まあ、それがお前の狙いだろうけど』と肩を竦め、フェリクスは小さく笑う。


「なあ、教えてくれよ……何でそんなに死にたいんだ?十年前(・・・)も、今も────お前は生きて幸せになることを望んでいる筈なのに」


「!?」


 ハッと息を呑む私は、黄金の瞳を凝視して固まった。


 十年前……赤髪金眼の男……って、まさか────


「────誘拐されて死にかけていた少年()、なの?貴方……」


 過去に助けた人物を思い出し、私は『そういえば、似ているかも……』と考える。

と言っても、外見特徴は一致している程度の『似てる』だが。


「そう。俺が誘拐されて死にかけていたガキ」


 苦笑気味にそう答え、フェリクスは大きな溜め息を零した。


「本当は明かすつもりなかったんだけどな。当時の俺、凄く格好悪かったから」


 『女みたいにヘナヘナしていただろ』と語るフェリクスに、私は何も言えなかった。

確かにお世辞にも、格好いい少年だったとは言えなくて。

だからと言って、格好悪い訳ではないが。

なんというか……あの頃のフェリクスは儚げな美少年という風貌だったのだ。

今のような獰猛さは一切ない。


 というか、あの少年皇族だったのか……。

いや、『凄く身なりの良い子供だな〜』とは思っていたけど。

でも、せいぜい貴族か商人の子供くらいに考えていたわ。


 『まさか、未来の皇帝だったとは……』と驚く中、フェリクスは少し乱暴に髪を掻き上げる。


「まあ、バレたついでに白状すると、あの誘拐は兄達の仕業だったんだよ。俺が妾の子にも拘わらず、優秀だったから気に入らなかったんだと思う。だから、裏社会の人間を雇って誘拐・殺害しようとした。でも、エリザベスの介入により失敗。さすがに隣国の皇女様を殺す訳にはいかず、泣く泣く手を引いたんだ」


「な、なるほど……」


 『そんな事情があったなんて、知らなかった』と苦笑し、私は視線を反らす。

思った以上に大事だった、と内心ヒヤヒヤしながら。


「それで、私に恩を返すために色々頑張ってきたってこと?」


「ああ。でも、一番の理由は────」


 真っ直ぐにこちらを見据え、フェリクスは私の頬を包み込んだ。


「────エリザベスに一目惚れしたからだ」


「へっ?」


 思わず素っ頓狂な声を上げると、フェリクスはちょっと呆れたように笑う。

でも、こちらを見る黄金の瞳はとても穏やかで……優しかった。


「誰よりも生きることを望んでいるくせに、死のうとしていて……でも、目は驚くほど澄んでいて……真っ直ぐ未来を見据えている。そんなエリザベスがひたすら愛おしくて、どうにか幸せにしたくて俺は今日まで生きてきたんだ」


 愚直なまでに本心を吐き出し、フェリクスは親指の腹で私の頬を撫でる。


「だから、教えてくれ……頼ってくれ。俺を利用してくれ────エリザベスが生きて、幸せになるために」


「!」


「俺はエリザベスの踏み台でいい。道具でいい。下僕でいい」


 淡々と……でも、本気と分かるトーンで捲し立て、フェリクスは私の頬から手を離した。

かと思えば、私の手をそっと持ち上げる。


「自分で言うのもなんだが、俺は利用価値のある存在だ。存分に有効活用しろ」


 そう言うが早いか、彼は私の手の甲に口付けた。


「まあ、他所(よそ)に男を作ったら怒り狂う面倒なオプション付きだけどな」


 おどけるように肩を竦め、フェリクスは持ち上げた手をギュッと握り締める。

自分の想いの強さを表すかのように……。

だから、だろうか……私は咄嗟に手を振りほどくとが出来なかった。

でも、


「わ、たしは……」


 巻き込んではいけないと分かっているから、何とか身を引こうとする。

やんわりと拒絶の意思を露わにする私の前で、フェリクスはフッと笑みを漏らした。


「それでも、まだ『死にたい』って言うなら────俺も道連れにしていけ」


「なっ……!?」


「俺はエリザベスと一緒なら、地獄でも構わない。いや、違うな……俺にとっては、エリザベスの居ない世界が────地獄なんだ」


 迷いのない口調でそう言い、フェリクスは握った手を引っ張った。

そのせいで、私は彼の胸へ飛び込む羽目に。

『えっ?ちょっ……!』と慌てる私のことなど気にせず、フェリクスは強く抱き締めてきた。


「お前さえ居れば、俺はどこでも幸せだ。だから、死にたいなら心中にしろ。まあ、たとえ置いていっても直ぐに追い掛けるけどな」


 クツリと笑い、フェリクスは少し体を離す。

そして、私の胸元に人差し指を突きつけた。


「エリザベス、お前の命はもうお前だけのものじゃない。それを理解した上で、よ〜く考えろ。俺はエリザベスと一緒なら何でもいいが、お前は場合によっちゃ後悔しそうだからな」


 『存分に悩め』と言い渡し、フェリクスはよしよしと私の頭を撫でる。

心底、楽しそうに。


「まあ、一つアドバイス出来ることがあるとすれば────試しに何で死にたいのか言ってみる、くらいだけだな」


 『言うだけタダなんだし』と述べ、フェリクスはズイッと顔を近づけてきた。


「もしかしたら、エリザベスの予想に反して案外あっさり解決することかもしれないぞ?」


 そんなことはないと思うけど……でも、一度相談してみるのもいいかもしれないわね。

なんせ、フェリクスは私と共に死ぬ覚悟を決めているのだから。

これまでは相談相手が口封じとして殺される事態を危惧して、誰にも頼らないようにしていたけど……今回ばかりは例外。

どうあっても、私の運命に巻き込まれようとするのならいっそ────。


「毒を食らわば皿までよ、フェリクス」


「言われなくても、分かっている」


 『その覚悟でここに居るんだ』と語り、フェリクスは頭を撫でる手を止めた。

かと思えば、私の腰に手を回す。

『逃げないし、逃がさない』とでも言うように。


 全く……面倒な男に惚れられちゃったわね。

ある意味、人生最大の失敗だわ。


 『はぁ……』と深い溜め息を零しつつ、私は黄金の瞳を見つめ返した。


「今から話すのは────アーテル帝国の皇帝にのみ、引き継がれる話よ。信じられない点も多くあると思うけど、最後まで聞いてちょうだい」


 そう前置きしてから、私はゆっくりと昔の記憶を手繰り寄せる。


「────あれはまだ私が八歳だったとき……」


◇◆◇◆


 十年前、まだ破滅願望を抱く前の頃────私は普通の子供のように遊んで、笑って、未来を渇望していた。

でも、ある日父に地下へ連れて行かれ────観音開きの扉の前に立たされた。


「破壊の化身ヘレスよ、私の娘エリザベスを連れて参りました。どうでしょう?波長は合いますでしょうか?」


 父は不気味なオーラを放つ扉に……いや、その向こう側に居る誰かへ話し掛け、不安と期待を露わにする。

と同時に、扉の向こうから


「────ああ、これまでの()とは比べ物にもならないほど合うぞ」


 と、少年の声をもっと高くしたような……ガラガラにしたような声が聞こえてきた。

その瞬間、私の体は総毛立つ。

まるで、拒絶反応を示すかのように。


 なんか……なんだろう?これは悪いものの気がする。

絶対にあそこから出しちゃダメなような……そういう感じがするの。


 本能的に危機感を抱き、私は後ろへ下がろうとした。

が、父と手を繋いでいるため逃げられない。


「では、この子を供物として捧げれば貴方様は……!」


「ああ、外に出られる。この忌々しい封印とも、近いうちにおさらば出来るだろう」


「嗚呼!なんと……!では、今すぐ儀式を始めましょう!」


 そう言うが早いか、父は私の首根っこを掴み────扉に押し付けた。

と同時に、不快感や嫌悪感が一気に膨らむ。

私はとにかく扉から離れたくてジタバタ暴れるものの、子供の力じゃどうしようもなく……されるがまま。


「大人しくしていなさい、エリザベス!供物と言っても、貴様に実害はない!」


「そ、そういう問題じゃ……!」


 『この危険な存在を外に出してはいけない』ということが、何故理解出来ないのか分からず……私はブンブンと首を横に振る。

でも、父は全く意に介さず……風魔法で私の手首を切った。

かと思えば、出血箇所を扉に押し付ける。

いや、塗りたくると言った方が正しいかもしれない。

あまりにも乱暴な扱いに呻き声を上げる中、父は


「******」


 聞き取れないほどの早口で、何か捲し立てた。

恐らく、儀式に必要な呪文か何かだろう。

『不味い……!このままじゃ、本当に……!』と焦る私は、何とか身を捩って逃げようとする。

が、それよりも早く────儀式は終わってしまった。

何故分かったかと言うと、扉の向こうに居る化け物と繋がったような感覚を覚えたから。


 なに、これ……凄く気持ち悪い。


 全身をヌメヌメした何かに撫でられているような錯覚がして、私は吐きそうになる。

思わず涙目になる私を他所に、父はようやく手を離した。


「どうでしょうか?儀式は滞りなく終わった筈ですが」


「ああ、問題ない。きちんと繋がっている。この共鳴度なら、恐らくあと二十年ほどで外へ出られるだろう」


「ほ、本当ですか……!」


 パッと表情を明るくする父に対し、化け物は『本当だ』と即答する。


「ただし、それまで贄を死なせるな。絶対に、だ。その娘の生きた分だけ、私は力を取り戻せるんだからな」


「はい、重々承知しております!」


 『歴代皇帝の手記を何度も読み返しましたから!』と言い、父は興奮気味に頬を赤くした。


「まさか、自分の代で貴方様の封印を解けるとは……!もう少し掛かるものかと思っていました!」


 まるで子供のようにはしゃぐ父に、化け物は『くくっ……!』と低く笑う。


「まあ、今のうちに願いを考えておくといい。歴代皇帝の願いに相反するものでなければ、世界征服でも何でも叶えてやろう」


「おお……!有り難き幸せ!」


 神でも崇めるかのように両手を組んで、父は何度も頭を下げる。

その光景がなんだか異様に見えて……私はクルリと身を翻した。

あんな狂っている父の姿をもう見たくなかったのだ。

何より────あの化け物と一緒に居たくなかった。


 あれは絶対に外へ出しちゃダメなものだ……!

どうにかして、封印解除を阻止しないと!


 などと考えながら、私は階段を駆け上がる。

────と、ここでふと父達の会話を思い返した。


 あの化け物は私の生きた分だけ、力を取り戻せると言っていた……つまり────私が死ねば、封印を破れないのではないだろうか。


 不意に足を止めて後ろを振り返る私は、唇に力を入れる。

怖いという感情を押し殺すために。


 世界を……皆を守るためには、私が死ぬしかない。

父達の会話内容から察するに、贄は誰でもいい訳じゃないみたいだから。

出来ることなら、このことを公にして父の企みを完全に阻止したいけど……私には不可能。

なら、せめて……時間稼ぎを。


 震える体に鞭を打ち、私は必死に涙を呑んだ。

『大丈夫。怖くない』と何度も自分に言い聞かせながら、深呼吸し────ゆっくりと段差を蹴る。

その瞬間、私の体は宙を舞い、大きな音を立てて転がって行った。

痛みや衝撃で息も出来なくなる中、父が慌ててこちらへ駆け寄ってくる。

────これが私の初めての自殺未遂だった。


◇◆◇◆


「────これは後から調べて分かったことなのだけど、何代か前の皇帝がそのへレスという化け物と取り引きを行ったらしいの。でも、ソレを実行する前に封印されてしまって……」


 父の書斎にこっそり入って覗き見た歴代皇帝の手記を思い出し、私は幾つか補足していく。

出来るだけ細かく、正確に。


「ただ、契約そのものは生きているから、ヘレスと私達アーテル皇室の間に縁みたいなものがあるのね。それを介して、力を少しずつ回復させているみたい。原理はイマイチ私も分からないのだけど、二代前の皇帝はこう綴っていたわ」


 人差し指をピンと立て、私は少しばかり表情を硬くした。


「ヘレスは私達と同化し、混ざることによって外の影響を受けられるんじゃないか?って。つまり、不足している力を得られる機会が増えるってことね。で、波長が合うほど……契約した皇帝の血を濃く引いているほど、より強く外の影響を受けられるらしいの」


「なるほど。あくまで取り引きという縁を通じて回復している訳だから、契約者に近しい者であればあるほど回復が早いって訳か」


「そういうこと。まあ、何の根拠もない話だから実際なところは分からないけど」


 小さく肩を竦め、私は『はい、説明終わり』と話を切り上げる。

と同時に、毛先を少し指先でいじった。

どんな反応を返されるか……果たして対処可能な案件なのか、不安になってしまって。

こうでもしないと、落ち着かないのだ。


「それで……これは貴方の力でどうにか出来そうなの?」


 緊張で声が裏返りそうになりながらも、私は何とか質問を投げ掛けた。

すると、フェリクスは『う〜ん……』と悩ましげに眉を顰める。


「結論から言うと────対処は出来る。ただ、その封印場所に行って直接ヘレスに会わないといけない」


「……えっ?出来るの?」


 態度からして無理そうだと判断していた私は、思わず聞き返してしまう。

まじまじと顔を見つめる私の前で、フェリクスは


「ああ、全然対処可能だ。ヘレスだかなんだか知らないが、俺の敵ではない」


 と、迷わず答えた。

『当たり前だろ』と言わんばかりの即答ぶりに、私は一瞬目が点になる。

だって、もしそうなら……私のこれまでの努力は全部無駄になるから。


 なんか……一人で勝手に盛り上がって、悲劇のヒロインを演じていたみたいで恥ずかしい。

凄く居た堪れない。


 自己犠牲精神丸出しで『皆のために死なないと』と思っていた自分が、あまりにも馬鹿らしくて……頬を紅潮させる。

『何様だ、自分……』と項垂れる中、フェリクスは私をお姫様抱っこして立ち上がった。


「エリザベス、ヘレスの正確な居場所は分かるか?」


「えっ?えっと……あの扉の前までなら何度か行ったことがあるから、分かるけど……」


 とてもお姫様抱っこを指摘出来る雰囲気じゃなくて素直に答えると、フェリクスは不敵に笑う。


「なら、対処出来るな。その場所に案内してくれ────今から行く」


「はっ……?へっ!?今から!?」


 訪問申請やら留守中の国の安否やらが脳裏を過ぎり、私は『大丈夫なの!?それ!』と困惑する。

が、フェリクスはどこ吹く風。全く気にしていない。


「大丈夫だ、こっそり行くから。魔法で飛んでいくから、時間もそう掛からない」


 『何も心配しなくていい』と主張するフェリクスに、私はつい絆されてしまう。


「まあ、そういうことなら……」


 ────と、了承した自分を殴りたくなったのはそれから三時間後のこと。

どうにかこうにか国境を越え、皇城へ忍び込み、地下に来たはいいものの……フェリクスは何故か、殺る気満々なのである。


 てっきり封印を強化したり、私とヘレスの間に結ばれた縁を断ち切ったりするのかと思ったら……まさかの実力行使って……嘘でしょう?


 剣片手に扉と向かい合うフェリクスを見つめ、私は目眩がした。

『案内なんてしなければ良かった……』と早くも後悔する私を他所に、彼は観音開きの扉に手を掛ける。

────と、ここで何者かの足音が耳を掠めた。


「おい、そこで何をしている!?」


 そう言って、私達の前に姿を現したのは────父であるサミュエル・カーター・アーテル。

どこか焦った様子で駆け寄ってくる彼は、私達の正体に気づくなり目を見開いた。


「何故、貴様らがここに……!?いや、それよりも扉から離れろ!あの方の機嫌を損ってしまう!」


 手にした燭台をこちらへ向け、父は『立ち去れ!』と喚く。

が、フェリクスは顔色一つ変えない。

不気味なほど無表情で、無感情。でも……だからこそ、彼の怒りを感じ取れた。

『あっ、これは不味いかも……』と直感で悟る中、フェリクスは────


「お前がエリザベスの首根っこを掴んで、手首を切って、供物に捧げたんだっけ?」


 ────父の横腹を剣で突き刺す。

その途端、父は呻き声を上げて蹲った。


「な、にを……」


「お前にも同じことをやってやりたいが……エリザベスの前だし、やめておこう。それに、お前の場合────こっちの方が効きそうだからな」


 そう言うが早いか、フェリクスは観音開きの扉を切り裂いた。

強力な封印など、諸共せず。

『なんという破壊力……』と唖然とする私の横で、父は硬直する。

が、事態を呑み込むなり歓喜した。

なんせ、数百年続いた封印が解かれたのだから。


「は、破壊の化身ヘレスよ!どうか、姿をお見せください!」


 横腹の負傷なんて気にせず、父は身を乗り出す。

キラキラした目で扉の向こうを見つめ、期待に胸を膨らませた。

でも、肝心のヘレスは一向に姿を現さない。それどころか、父の呼び掛けに返事することさえなかった。


「破壊の化身ヘレス、だったか?これまで、お前のために働いてくれた奴の願いを叶えなくていいのか?こんなに会いたいって、言っているのに」


 『可哀想だろ』と吐き捨て、フェリクスは扉の向こうへ足を踏み入れる。


 えっ?入って、大丈夫なの?悪影響とか、受けない?


 『健康被害ないの?』と狼狽える中、フェリクスはどんどん奥へ入っていった。

そして、何かを壊すような物音が響いたかと思うと……泥のような黒い塊を持って帰ってくる。


「ほら、これが────お前の渇望していた、破壊の化身ヘレスだ」


「「えっ……?」」


 思わず父とハモってしまう私は、人の頭よりやや大きいソレをじっと見つめた。

と同時に、ヘレスだと確信する。

あのとき感じた気配が、ソレから確かにしたため。


 私の恐れていたものって、こんなにちっぽけだったの……?

見た目で判断しちゃいけないのは分かっているけど、なんというか……拍子抜けだわ。


 『いや、私的には良かったのだけど』と肩の力を抜き、安堵する。

その隣で、父はワナワナと震えていた。


「こんなものが破壊の化身ヘレス、だと……?そんな馬鹿な……」


「嘘だと思うなら、部屋へ入って確かめるといい」


「……」


 父は黙って立ち上がり、痛む体を押して部屋の中へ入った。

と言っても、一歩だけだが。

さすがに奥までズカズカ入っていく勇気はないらしい。


「……何も、ない」


 じっくり室内を見回した父は、厳しい現実と直面して崩れ落ちる。

と同時に、黒い塊の方を振り返った。


「そ、それじゃあ本当にソレが……」


「ああ、破壊の化身ヘレスだ。その成れの果てとも言うな。恐らく、封印された時に根こそぎ力を奪われたんだろう。本来の力の一割も残っていない」


「そんな……」


「だが、この世界を支配する程度の力はあるぞ。弱くなったとはいえ────元神(・・)だからな」


 『人間とは格が違う』と言い、フェリクスは黒い塊を床へ叩きつける。

その際、『ふぎゃっ……!』という何とも情けない悲鳴が木霊した。


「まあ、その力さえも今からなくなるんだけどな────俺が殺すから」


「はっ……?」


 訳が分からないといった様子で、父は目を白黒させる。

が、そんなのお構いなしでフェリクスは剣を振るった。

でも、黒い塊に避けられてしまう。


「ま、待て……!待ってくれ!────一番目(・・・)の使徒よ!」


「お断りだ、元三番目(・・・・)


 これでもかというほど殺気を放ち、フェリクスは再び剣を振り下ろした。

先程よりも早く、強く、正確に。

そのため、黒い塊は避けられず……見事直撃。

水溜まりを勢いよく踏んだ時みたいに、水飛沫……いや、この場合は血飛沫だろうか?

とにかく体液をそこら中に飛び散らせて、絶命した。


 あっ、ヘレスとの繋がりが……気持ち悪い感覚が、なくなった。


 かつて切られた手首を眺め、私はパチパチと瞬きを繰り返す。

なんとも言えない解放感を覚える私の前で、父は大きく瞳を揺らした。


「ほ、本当に殺すなんて……これじゃあ、今までの努力が……」


「無駄になったな、見事なまでに。いやぁ、いい気分だ」


 爽やかな笑みを浮かべてそう言い、フェリクスは剣を鞘に収める。

と同時に、父の頬を鷲掴みにした。


「本当はお前も今ここでズタズタにしてやりたいんだが……エリザベスは嫌がるだろうから、やめてやる。でも、これで終わると思うな。戦争の対価として、お前の生前退位を迫ってやる」


「なっ……!エリザベスを嫁にやれば、それ以上は何も望まないと言っていただろ……!」


「ああ、そうだな。でも、気が変わった」


「そんな横暴な……!」


 『道理に反している!』『おかしい!』と捲し立て、父はひたすら抗議する。

が、フェリクスは笑って


「まあ、俺────暴君なんで」


 と、答えるだけだった。


 相変わらず、めちゃくちゃな人ね……私ったら、とんでもない男に惚れられちゃったみたい。


 『これは果たして、運がいいのか悪いのか』と苦笑しつつ、私は小さく(かぶり)を振る。

────と、ここで再びフェリクスにお姫様抱っこされた。

『えっ?』と思った時には、もう遅くて……いつの間にか、地下を出ている。

ついでに、城からも。


「は、早い……」


 夜空を駆け抜けるフェリクスに抱かれるまま、私はキョロキョロと辺りを見回した。

すると、彼が口を開く。


「もうすぐ、俺達の皇城()だ」


「えっ!?もう!?」


「ああ。行きは方向や現在位置を確認しながら移動していたから、遅かっただけ。本来のスピードはこのくらい」


「いや、行きも充分早かったと思うけど……」


 『アレで遅いですって……?』と困惑し、私は一つ息を吐いた。

なかなかついていけないフェリクスの感覚に辟易しつつ、ふと────ヘレスとの会話を思い出す。


「そういえば、『一番目の使徒』とか『元三番目』とか一体どういう意味なの?」


 『あのときはそれどころじゃなくて聞き流しちゃったけど』と零し、首を傾げる。

すると、フェリクスはスッと目を細めた。


「……まあ、エリザベスには教えてもいいか」


 独り言のようにそう呟くと、フェリクスは前を見据える。


「『一番目』とか『三番目』とかの番号は────神様の序列を表している。つまり、俺は一番偉い神様の使徒……謂わば、代理人だ」


「えっ……!?それって、相当凄いことじゃない!?」


「まあな。ちなみにあの黒い塊は、元々三番目に偉い神様だったんだ。でも、色々やらかしたせいで他の神々の怒りを買い、封印された訳。大人しくしていれば、そのうち出して貰えただろうに……余計なことをするから、消されたんだよ(・・・・・・・)


 呆れ気味に溜め息を零すフェリクスに対し、私はパチパチと瞬きを繰り返す。


 だって、その言い方だとまるで────


「ヘレスを消したのは、フェリクスじゃないの?」


 ────神様のご意志で、ヘレスを殺したように聞こえるから。


 訳が分からず困惑する私を前に、フェリクスはニヤリと笑う。

『いい質問だな』とでも言うように。


「本来、神は消滅しない存在なんだよ。所謂、不老不死ってやつだな。でも、一番目が消滅を許可した時のみ核……人間で言う心臓を破壊出来る。つまり、俺がヘレスを殺せたのは一番目に『殺されてもしょうがない』と判断されたからなんだ」


 『要するにヘレスは見捨てられたんだよ』と語り、フェリクスは小さく肩を竦めた。

────と、ここでラミア帝国の皇城へ到着する。

慣れた様子で寝室のテラスへ降り立つフェリクスは、そっと私を床に下ろした。

と同時に、跪く。


「まあ、とにかく邪魔な存在は消えた。もう死ぬ必要はない。エリザベス、お前は────生きていいんだ」


 改めて運命が変わったことを告げ、フェリクスは私の手を優しく握った。


「その上で、もう一度聞く────エリザベスはこれから、どうしたい?」


 真っ直ぐにこちらを見つめて問い掛け、フェリクスは黄金の瞳に穏やかな光を宿す。


「アーテル帝国へ行く前にも言ったが、俺は何があってもエリザベスと一緒に居る。それこそが、俺の幸せであり望みだからだ」


 揺るぎない思いを再度伝え、フェリクスは握った手に力を込めた。

かと思えば、少しばかり身を乗り出す。


「俺と共にあるのは負担かもしれないが、絶対に不自由な思いはさせない。どんな願いも叶える。あっ、もちろん浮気・目移り・火遊びは厳禁だぞ」


 『それ以外でな』と言い含め、フェリクスは小さく笑う。


「まあ、とにかくエリザベスの素直な気持ちを聞かせてくれ」


「私の気持ち……」


 これまでは、半ば追われるようにして……『死ななきゃ』という使命感に押されるようにして、生きてきた。

そこに私個人の感情など、なく……あるのは、生きていることへの申し訳なさと焦りだけ。

でも、今はもう……そんなものを感じなくていいのか。

生きたいって……死にたくないって、大声で言っていいんだ。


 先程まで実感のなかったヘレスの死が、現実味を帯びてきて……私は涙を流す。

ただただ、ホッとしてしまって。


「私っ……生きたいわ……死にたくない……もっと、色んなことをしたい……」


 ずっと胸の奥に押し込めてきた本音を……願いを口にし、私は堪らず崩れ落ちた。

すると、すかさずフェリクスが抱き止める。

おかげで、怪我をせずに済んだ。


「やっと聞けたな、エリザベスの本当の気持ち」


 嬉しそうにそう呟くフェリクスは、私の体をギュッと抱き締める。


「これからは明るい未来だけ考えて、生きよう。大丈夫、エリザベスの幸せを邪魔するやつは全部消すから。俺がお前の全てを守る」


 『何も心配は要らない』と繰り返し、フェリクスは優しく背中を撫でてくれた。

私が落ち着くまで、何度も……何度も。


 嗚呼、とても心地良い……安心する。


 目の前に居るのはとんでもない暴君で、サイコパスの筈なのに……私はついつい気を緩めてしまう。

そして、気づけば眠っていて────ベッドの上で目を覚ます。

横を見ると、そこには案の定フェリクスの姿が。

さすがにアーテル帝国とラミア帝国の往復移動やヘレスの討伐で疲れたのか、珍しくまだ眠っていた。

子供のようにあどけない寝顔を晒す彼に、私は『ふふっ……』と笑みを漏らす。


 こうして見ると、暴君には見えないわね。


 何の気なしにフェリクスの頬へ触れ、私はスッと目を細めた。

『眠っている今なら……』と思いつつ顔を近づけ、彼の頬に軽くキスする。


「今日は本当にありがとう────ちょっとだけ大好きよ」


 起こさないよう気をつけながら小声で告げると、


「俺は愛している」


 フェリクスはふと目を開けた。

意地の悪い笑みを浮かべながら。

悪戯っ子のような雰囲気を漂わせる彼の前で、私は頬を紅潮させる。

と同時に、飛び退いた。


「な、なんっ……何で!?いつから、起きていたの!?」


「エリザベスがクスッと笑った辺りから」


「いや、すっごい序盤……!」


 想像の三倍は早く起きていた事実に、更なる衝撃を受ける。

と同時に、私は頭を抱え込んだ。


「わ、忘れてちょうだい……!」


「嫌なこった」


 即座に首を横に振り、フェリクスは断固拒否の姿勢を見せる。

全くもって聞き分けの悪い彼に、私は頬を引き攣らせた。


「ちょっ……!私の願いは基本、何でも叶えてくれるんでしょう!?」


「これは例外。可愛い妻の可愛い行動は全て覚えておきたいからな」


「なっ……!?話が違う!」


「俺は暴君だからな」


「今、それは関係ないわよ!もう!」


 『暴君と言えば、何でも解決すると思っているの!?』と喚き、私はペシペシとフェリクスの胸板を叩いた。

が、当然のようにノーダメージ。

『そりゃあ、相手は神様の使徒だもんね……』と項垂れる中、フェリクスは私の手を掴む。

と同時に、押し倒した。


「そんなことより────さっきの続き、しなくていいのか?」


「へっ……?」


()の寝込みを襲っておいて、お預けはなしだろう?」


「は、はい……!?」


 寝込みを襲ったつもりなどない私は、目を白黒させる。

が、勝手にキスしたことは事実なのでどう反論すればいいのか分からなかった。

『果たして、アレは襲ったうちに入るのか』と考え込む私の前で、フェリクスはちょっと余裕のない表情を浮かべる。


「こっちは初夜から、ずっと溜まっているんだよ。いい加減、諦めてくれ」


 『頼むから……』と懇願し、フェリクスは私の唇を奪った。

と同時に、ベッドの軋む音が鳴り響く。


 ちょっと……いや、かなり思うところはあるけど、覚悟を決めよう。

元はと言えば、私のせいなんだし。


 自業自得ということでフェリクスに身を委ね、私はそっと目を閉じた。

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