三叉路の魔物
──夜道には気を付けな、魔物が出るから。
旅行で沖縄に行った時に言われた一言だ。
この魔物とは沖縄県や鹿児島県奄美群島に伝わる悪霊の総称らしい。
そんな話になったきっかけは民宿の前に置かれていた一枚の石板だ。
「──この石板何だろう?」
「石碑かな?」
私が首を傾げると友人の由美子も同じ様に首を傾げた。
「そりゃぁ、石敢當さ。魔除けだよ」
私達の会話が聞こえたのだろう、民宿のおばさんが出て来て教えてくれた。
その石板は、石敢當と言うらしく、言葉通り魔除けなのだそうだ。
「──魔除け?」
「ほら、民宿の前の道が三叉路になってるだろう? 魔物は直進しか出来ないから、魔除けを置いて置かないと家の中に入ってきちまうのさ」
「へぇ、そんなものがあるのね」
「此処らじゃ珍しいものじゃあないよ」
そんな会話をしつつチェックインすると、私達は荷物を置いて夜まで観光に出掛ける事にした。
民宿のおばさんが私達を見送りながら言ったのが、冒頭の言葉である。
──あれもそうだったのかな?
その言葉を聞いた時、ふと私の脳裏を過るものがあった。
◆◆◆
──それは私が小学生だった頃の話。
父が転勤族だった事もあり、その頃は各地を転々としていて、とある地方に移り住んだ時の事である。
私の家の近くには奇妙な三叉路があった。
見た目は至って普通なので、何が奇妙かは説明し辛いのだが、兎も角奇妙なのだ。
「──えっ! 梓ちゃん、そっちの道で帰るの?」
最初に奇妙に感じたのは友人の反応である。
引っ越した先は団地で、同年代の子供が多かったおかげもあり、私はすぐに新しい友人を作る事が出来た。
新学期が始まってすぐの下校時、美奈ちゃんが私を訝しげに見た。その道の先には私達の住む団地へと続く三叉路があった。
「朝はこの道通ったよね?」
「そうだけど、……そっちは皆通らないよ」
「どうして?」
私は彼女の言う事が分からず尋ねた。学校へ行くにも帰るにも、どう考えてもその道が最短距離だったからだ。
「どうしてって、通りたくないっていうか……兎も角皆帰りはその道は通らないんだよ!」
美奈ちゃんは上手く説明出来ない様だった。
私は首を傾げながらも新しく出来た友人の機嫌を損ねたく無かった事もあり、彼女の言う通り少し遠廻りをして帰ることにした。
その後は登校時は三叉路のある道を下校時は別の道を通っていた。不思議な事に団地住まいの他の子供達も皆下校時はその三叉路を避けている様だった。けれど、保護者達も皆黙認している様で、誰にもその事を咎められる事はなかった。
しかし、クラスの当番で少し帰りが遅くなってしまったある日の事。
「──ああ、遅くなっちゃった」
夏も過ぎ、日が短くなっていたせいもあるだろう。薄暗くなる道を一人帰る事になった私は心細さを感じ、少しでも早く家に帰るためにその三叉路を通って帰る事にした。
しかし、そうした事を私は直ぐに後悔した。
三叉路に一歩足を踏み入れた途端に誰かにじっと見られている感覚に襲われたのだ。
──えっ、何?
私は周囲を見回した。しかし、誰もいない。
朝は通行人も多く賑わっている道ではあるが、今は人っ子一人いない。
だが、確かに誰かに見られている、なんとも言い難い不快な感覚があるのだ。
私は冷や汗を浮かべながら、急いでその道を走り抜け、家に帰った。
顔を真っ青にして私が家に飛び込むと、母は私の顔を見て酷く驚いていた。「一体何があったの!?」と母に問われ、私が事情を話すと母は「ああ、そういう事か」と納得した様子だった。
母もあの道の不快な視線を感じた事があったのだそうだ。私が母に尋ねても母にも分からないそうだ。
ただ、母が近所の人から聞いた話によると、
『──別に何かあったというのではないのよ。夕方……黄昏時になると、あのじっと誰かに見られている様な嫌な感覚があるの。だから、この辺りの人は皆、朝はあの道を通っても、帰りは絶対に通らないの』
ということらしい。
それが何時からなのか、どうしてそうなったのか、その近所の人にも分からないという。
私はそれ以降、下校時は絶対にその道を通らなかった。暫くして私は再び引っ越しをした。
◆◆◆
──あの三叉路は今もあのままなのだろうか?
夕暮れ時、観光を終え民宿に向かって歩きながら私はそんな事を考えた。
その時丁度私達は三叉路へと差し掛かっていた。
三叉路に一歩足を踏み入れた瞬間、じっと見つめる視線を感じ、私は背筋が寒くなった。