066 ヒリュウ継嗣戦(その2)
「ルキウス様を下ろせ!」叫び声を上げながらフェリシアが飛び出す。
「待て! 無闇に飛び出すな!」ジョルジョが大声で止める。だが、ルキウスが絡むと見境がなくなるフェリシアには、届かない。
フェリシアは、狙いをつけさせないように、稲妻のごとき鋭さで右へ左へ不規則に動き、網の下にいるチロを目がけて突進する。
だが、チロは動かない。ジグザグに進んでくるフェリシアに狙いがつけられないからか。
フェリシアが、チロまであと二トゥカ(二メートル四十センチ)弱に迫った。あと一歩でフェリシアの間合いだ――
(届け!)フェリシアは大きく右足を踏み出して右手だけで槍を押し出した。
ギリギリでかわし、一瞬で間合いから抜けるチロ。〈速さ〉のリュウオンシは伊達じゃない。
フェリシアは、踏み込んだ右足を軸にして、チロが避けた右側へとほぼ直角に体を回転させ、右腕も引き戻す。チロとの距離は二トゥカ半(三メートル)。(一瞬でそこまで動けるのか!)フェリシアは右足に力を入れて踏ん張り、回転した勢いを借りて左足を大きく踏み出す。ガッ、左足が地面に着く、と同時に腰を捻ってさらに右足を蹴り出す。そしてその勢いをかりて強く右腕を伸ばし、手の中で柄を滑らせてチロを突く――だが、
「きゃっ!」短い悲鳴とともに、フェリシアは宙に浮いていた。
「ダァーハッハ、アーハッハッハ。いやぁーお見事、お見事。こうまで上手くいくとはな。チロ、良くやった」
ジーノは、吊り下げられた二人をニヤけながら見上げているチロに近寄り、肩を叩いて労う。
「クックック。お前らほんと単純な。間合いをとられると焦れて短気になるルキウス。ルキウスが絡むと冷静さを失うフェリシア。調べた通りだわ。アーハッハッハ」と嘲笑うジーノ。
「汚いぞ、お前ら! 下ろせ! 正々堂々勝負しろ!」とルキウス。
「そうよ、この卑怯者が! 下ろしなさい! 前みたいに全員叩きのめしてあげるわ!」とフェリシアも怒鳴る。
負け犬の罵声など意に介さぬ、とばかりにジーノは続ける。
「ルキウス、おめえ、その性格のせいで格下に負けてエデュカティオの首席を逃したらしいな。フェリシア、おめえはルキウスに絡んでた公爵の息子をボコって国王に訴えられ、和解するのにえれえ大金を払ったらしいじゃねえか。お前ら二人とも、痛い目にあってるわりにゃあ成長しねえなぁ。ガァーハッハッハ」
「……」さらなる恥辱に、紅潮を増すルキウスとフェリシア。だが、事実だけに何も言い返せない。
「どうした? 何か言い返せよ。ヘッヘッヘ。いやぁしかし、俺らみたいな奴隷出にやられるたあ、お貴族さまも大したことねぇなぁ」
「うるさい! あんたたちなんかにルキウス様もわたしも負けてない! さっさと下ろしなさい!」
「ジーノ! いい加減その口を閉じろ! 今そっちに行ってやる、待ってろ!」
怒りが頂点に達している二人だが、網の中からでは何もできない。
だが、ルキウスとフェリシアは、ジーノに向かってただ吠えているだけではない。さっきから、体に絡まっている網を切ろうとずっともがいている。
「あぁそれな。無理無理、絶対に切れねえから。おまえらも知ってるだろ、ビッグスケルトスパイダー。網はそいつの糸で編まれてる。ウェイディングラビットの狩りで使ったのが冒険者ギルドの倉庫にあるのを思い出してな、そこからいただいた。ナイフどころかルキウスの剣でも無理だぜ」とジーノがせせら笑う。
確かに切れない。さっきから何度も試しているのだ。ルキウスは最初、剣で切ろうとしたが網の粘着液で自由に動けず、ナイフに持ち替えた。だが、全く歯が立たない。
ビッグスケルトスパイダーは、巣にかかれば人でも喰らう、体長一トゥカ(一メートル二十センチ)を超す巨大な蜘蛛型の討伐必須害魔獣である。
腹部背面に羽があり、羽を閉じて頭胸部を下にしたときのフォルムが、スケルトンモンスターの巨大な頭に見えることからそう呼ばれている。
この網が、その魔獣の糸でてきているなら、半世界中のどんな刃物でも切ることはできない。いやそれどころか、五トゥカ(六メートル)級の魔物の力でも引き千切ることはできない。まさに半世界最高強度の糸なのだ。
「しかしおめえらいい格好だな。見ろよ、フェリシアなんて俺に股おっぴろげて誘ってやがるぜ。俺はごつい女は好みじゃねえが、フェリシアみてえなエロい姿態の女なら味見も悪くねえな。イッーヒャッヒャッヒャッヒャ」
ジーノの言葉にニヤニヤと相槌を打つのは、いつの間にかジーノの隣に来ていたリザイア。
ジーノとリザイアの視姦するような好色極まりない視線。それを避けようとフェリシアは、姿勢を変えるために必死で身をよじる。だが、動けば動くほど網が絡まり、淫靡さが増す。そしてそれが、余計にジーノとリザイアを喜ばせた。
「きさまぁ! フェリスを愚弄するか! 取り消せ! その下卑た態度を今すぐ詫びろ! アリアの拉致も、ステラさんのこともだ! 俺はお前を絶対に許さん! お前の首を刎ねて懲罰広場の杭に晒してやる! 俺から逃げられると思うなよ!」
普段のルキウスからは信じられないほどの激昂した態度。だが、ジーノは痛くも痒くもない。しょせんは罠に捕らわれた憐れな野生動物と同じ。
「おい、いい加減にしろ! お前はいったい何のために俺たちを誘い出したんだ! 継嗣戦じゃなかったのか? ルキウス君やフェリシアさんは関係ないだろ。下らないことは止めて、二人を放せ!」
見かねたジョルジョがジーノを怒鳴りつける。
「あぁ? まあ確かにな。おめえの言う通りだ。わあった。んじゃ、お二人には静かになってもらおうか」
ジーノは、腰の雑嚢から小さな吹き矢を素早く取り出し、ルキウスとフェリシアに向け、矢を吹いた。
「なにをす」
「ルキウスさまー! お」
二人は一瞬で……昏倒した。




