9.魔女令嬢たちの試行錯誤
イザベルは張り切って、コレットの作業を手伝いにかかる。フレデリックを振り向かせるための惚れ薬を作るために。
「ねえイザベル、まずはこれをすりつぶしてくれないかな」
「臭いですわ! 鼻が曲がりそうですわ!」
「そうかな? じゃあ、こっちの木の実を割って」
「無理ですわ! わたくしの細腕にそんな力仕事なんて!」
「えっと、ならここをお願いできる? 鍋をゆっくりとかき回して欲しいの」
「こうですわね?」
「駄目、速すぎる! もっとゆっくり、鍋の底からかき回すように!」
ずっとこんな調子で、イザベルは助手としては全く役に立たなかった。
すぐに二人ともそのことを悟ったので、作業はいつも通りにコレットが一人でこなすようになった。イザベルはそれを眺めながらやいのやいのと騒ぐだけだ。
そしてじきに、イザベルは気づく。コレットが作っているポーションの色が、鮮やかな青をしていることに。あせりを隠しながら、彼女はコレットに問いかける。
「と、ところで、今はどういったレシピを試していますの? ああ、わたくしは細かいことは分かりませんから、ざっくりと説明してくださいましね」
「リラックス、不安を取り除く、それに酩酊と高揚の効果。前にフレデリック様が飲んじゃった安眠の試作品をもとに、改良してみたんだけど……なんだか違う気がする。これを飲んでも、ぼんやりして居眠りするだけになりそう。いい夢は見られると思うけど」
その通りですわ、そのレシピは違いますわ! と叫びそうになって、イザベルはぎりぎりのところで踏みとどまる。
フレデリックが飲んだのはピンクの失敗作であり、そしておそらくはそれこそが、彼女の求める惚れ薬なのだ。しかしそのことを知っているのは、この世でイザベルだけだ。
どうにかして、コレットの注意をあの失敗作に向けなくてはならない。それも、自分がしたことを知られることなく。イザベルは必死に頭を働かせる。
「……そうですわ、あなたの研究ノートを見せてはもらえませんこと?」
「別に秘密じゃないからいいけど、汚したり破ったりはしないでね」
そうしてコレットから分厚いノートの束を貸してもらったイザベルは、壁際の椅子に腰かけてそれを読み始めた。
「こ、細かいですわ……」
そのノートには、各種ポーションの調合内容と、出来上がったポーションの性質、また、失敗だったものにはその旨も記されている。
文字でびっしりのそのノートは、今のイザベルにとっては大変ありがたいものだった。普段の彼女なら、こんなものには触れたくないと思っていただろうが。
「あの日よりも前に作られたもので……失敗作と記されたもので……鮮やかなピンク色をしたもの……」
コレットに聞こえないくらいの声でつぶやきながら、イザベルはページをめくり続ける。じきに、目当てのものが見つかった。
「あら、これなんてどうですの?」
わざとらしく明るい声を上げて、イザベルがコレットに近づく。ノートを広げて、あのピンクの失敗作について書かれている部分を指し示した。
「あ、それね。なくなっちゃって、結局効果は分からずじまいなんだけれど……そうね、惚れ薬のもとにするなら、そちらのほうが近いかも。……それにしても、どこにいっちゃったんだろう、ほんと」
コレットの言葉に、イザベルは内心ぎくりとする。それでもどうにか優雅な笑みを作り、うきうきとした様子でコレットの言葉をさえぎった。
「そうですわね。本来の効果は『気分を高揚させる』だったようですし、うまくいくかもしれませんわよ? 失敗作も素敵なピンク色をしていたのだし、恋の薬にはぴったりですわ」
「素敵なピンク……って、まるで見てきたみたいな口ぶりね?」
「気のせいですわ。ええ、間違いなくあなたの気のせいですわ。ともかく、これをもう一度作ってみてはいかが? 成功すればよし、失敗すればなおよし。そんな気がしますの」
「……失敗すればなおよしって、そんな調合したことないんだけど」
コレットは気乗りがしない様子だ。それもそうだろう、効果が不明なうえに行方も分からなくなってしまった失敗作を再現することに意味があるとは、とうてい思えないのだから。
「ひとまずやってみましょう。何事も、挑戦が大切なのでしょう?」
しかしイザベルは一歩も引かない。なにせ彼女は、あの失敗作の効果を知っているのだ。なんとしてもコレットに、もう一度あの失敗作を作らせなくてはならない。フレデリックを、どうにかして自分に振り向かせるために。
「……分かった。ちょっとだけだからね」
そんなイザベルの鬼気迫る雰囲気に押されたのか、コレットが眉間にしわを寄せてうなずいた。
そうして二人は、いよいよあの失敗作を再現し始めた。
といっても、なぜ失敗したのかはコレットにも分かっていなかったので、ひとまず元のレシピで何度も調合して、偶然失敗するのを狙うという、なんともまだるっこしい方法を試していたのだった。
「成功、成功、こっちも成功……同じものばかりこんなにあっても困るわ。フレデリック様に頼んで売りに出してもらおうかなあ」
もとより失敗作ができるとは思っていないコレットは、出来上がったポーションをせっせと瓶詰めしている。しかしイザベルは、内心ぎりぎりと歯噛みしていた。
あの惚れ薬そのものを再現するのはあきらめて、このポーションを元に新たに惚れ薬を作るようコレットを誘導すべきなのかもしれない。
彼女がそう考えたまさにその時、フレデリックが作業部屋にやってきた。
「コレット、調子はどうだ」
「まあフレデリック様、ようこそいらっしゃいました。今日はわたくしも、コレットの作業を手伝っておりましたの」
今の今まで鬼のような形相をしていたイザベルが、目を潤ませて可愛らしく小首をかしげる。そのまま、彼女はフレデリックにじりじりと迫っていった。
フレデリックは少し後ずさりながらも、コレットに問いかける。
「そ、そうか。今日は何を作っているのだ?」
「今までに作ったポーションを、より改良しているところです。その、安眠とか、その他色々」
まさか惚れ薬を作ろうとしていたのだ、などと言う訳にはいかない。最初に作った青い惚れ薬もどきを示してそう答えたコレットに、フレデリックは苦笑する。
「安眠、か。思えば俺が無理を言って君から譲り受けたのも、安眠の効果があるという試作品だったな」
「……失敗作、でしたけど。まさか、惚れ薬になっていたなんて」
「あの試作品、いや失敗作か? のおかげで、今こうして君はここにいる。そう考えたら、なんというか……妙にくすぐったくなった。っと、俺はかの高名な魔女令嬢を城に招くことができたのが嬉しいのだからな。その、君に対しては、特にどうとも思っていないぞ」
「ふふ、分かってます」
照れ隠しなのがばればれのフレデリックに、コレットは明るく笑いかけた。
このつっけんどんな物言いに、彼女も最初の頃は少々とまどっていたのだが、今ではもうすっかり慣れてしまっていた。というより、そんな彼を可愛らしく思っていた。
そしてそうやって語り合う二人は、やはり初々しい恋人たちにしか見えなくなっていた。イザベルがここにいることなどお構いなしに、二人はくすくすと笑い合っている。
当然ながら、イザベルは面白くない。どうにかこうにか二人の間に割り込もうとするものの、二人はまたすぐに、自分たちだけの世界に入ってしまっていた。薬草やらポーションやら、イザベルにはまったく分からない話で盛り上がってしまっている。
二人の様子をうかがいながら、イザベルは大机の真ん中で煮えている鍋に、薬草を適当に放り込み始めた。二人はやはり、話に集中してしまっていて気づかない。
ぽい、ぽいと無造作に、イザベルはそこらのものを鍋に放り込み続けた。
こうなったら、訳の分からない大失敗のポーションを完成させてしまいましょう。うまくいけば、コレットがこれを口にするはずですわ。今度こそ、おなかでも壊してしまえばいいのに。
そんな思いと怨念を込めて動き続けていたイザベルの手が、ぴたりと止まる。コレットとフレデリックが話をやめて、大鍋を見た。
「あれ、何この臭い……えっ、嘘、鍋が!」
三人の視線の先には、ぼこぼこと泡立ち赤紫色の液体をあふれさせている大鍋があった。三人が見つめている間にも、どんどん液体の勢いは激しくなり、大机の上に広がっていく。
コレットは大机に駆け寄り、そこに置かれていたノートを胸に抱えた。今までの研究結果が記されたノートは、彼女にとって何よりも大切なものなのだ。
そんな彼女を気遣うように、フレデリックが彼女に駆け寄る。その腕には、怖いですわと騒ぐイザベルがぶら下がっていた。
三人が大机を離れようとしたその時、大鍋が爆発した。立ち尽くしていた三人を、赤紫色の霧が包み込んだ。