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7.奇妙で平穏な、新たな日常

 こうしてコレットは、生まれ育った屋敷を出て、一人で王宮に移り住むことになった。フレデリック直々のお招きとあって、彼女の両親は大喜びで彼女を送り出した。


 王宮の薬草園は、コレットの想像以上に見事なものだった。書物でしか見たことのない薬草の数々に、コレットは大いに目を輝かせていた。


「すごい……本当にこれ、使ってもいいんですか?」


「ああ。男に二言はない。ちゃんと、父上の許しも得た。君の研究に存分に役立ててくれ、とおっしゃっていた。……一応、植物を丸裸にしない程度で頼む」


「はい、気をつけますね。みなさんが頑張って育ててるんですし、大切にします」


 そう言ってコレットは、今までで一番の笑顔を見せた。そんな彼女に見とれながら、フレデリックは重々しい表情を作ってうなずいた。




 フレデリックの案内で薬草園を一通り見て回ったコレットは、隣の離れに入ってまた歓声を上げた。


 広い作業部屋とたっぷりと物の入る倉庫、そして彼女が寝起きする部屋が用意され、さらに空き部屋もいくつかあった。好きなように使ってくれと、フレデリックが笑う。


 そんな彼に、コレットはためらいがちに切り出す。


「あの、今すぐお願いしたいものがあるのですが。ポーションの開発に必要なものなんです」


 彼女がねだったものを聞いて、フレデリックは首をかしげた。それは頑丈な鍵のついた、二重になったキャビネットだったのだ。


「キャビネットなら、君の屋敷にあったものと同じようなものを用意させてあるが」


「あれじゃ駄目なんです。もっと頑丈な、もっと開けにくいものでないと」


 可愛らしい顔を引き締めて、コレットは一生懸命に主張する。


「ここに来る前に、作業部屋のキャビネットを一通り点検したんです。そうしたら、失敗作が一つなくなっていました」


「誰かが持って行ったのかもしれないと、そう君は考えているのか」


 その問いに、コレットは悩みつつもうなずく。


「もしかしたら、私がうっかりどこかにやってしまったのかもしれませんが……それでも、もっと厳重に管理しておきたいんです。ここは王宮ですし、どんな働きをするか分からない失敗作が外に出てしまったら、大変です」


「なるほど、良く効くポーションの失敗作なら、悪い効果が強く出てしまうかもしれないということか。毒薬になっている可能性もあるということなのだろうか」


「そこまで恐ろしいものには、なっていないとは思います。……たぶん」


「分かった。すぐに手配しよう。一応、念のためにな」


 コレットのポーションは良く効く。とはいえ、その材料はどれもこれも、さほど強い作用を持つものではない。だから失敗作であっても、そうとんでもない効果を発揮したりはしないだろう。二人は、そんなことを考えていた。


 実のところその失敗作の一つがフレデリックの口に入っており、しかもそれがきっかけでコレットがここに来ることになったのだが、もちろん二人はそのことに気づくことなく、真剣な顔でうなずき合っていた。




 コレットの王宮暮らしは、拍子抜けするくらいに平穏だった。


 彼女は最初のうち、大いに身構えていた。そこまで位の高くない伯爵家の令嬢である彼女が、第二王子に呼ばれて王宮に住むことになったのだ、きっと不満を抱いている者もいるに違いない。彼女はそう考えていたのだ。


 ところが実際は、魔女令嬢として名高い彼女が王宮にやってきたことに、みな喜ぶだけだった。コレットはその歓迎ぶりに少し戸惑ってはいたけれど、気を取り直してポーション作りにいそしんでいた。


 そしてそんな彼女のもとに、毎日のようにフレデリックが通っていた。


 彼は日常の執務をこなしながら、ほんの少しでも時間が空くと、いそいそと離れに向かうのだ。自分の胸の内にある思いを解明するためなのだからなと、誰にともなく言い訳しながら。


 二人の間に、甘い語らいはない。話しているのはもっぱらポーションのことや、隣の植物園の草花のことだ。


 けれどフレデリックはとても幸せそうだったし、コレットの笑顔も増えていた。たまたま様子を見に来た彼女の両親が驚くほどに、彼女は柔らかな表情をするようになっていたのだ。


 そんなある日、フレデリックが唐突に姿勢を正し、口を開いた。


「その、だな。今日は一つ、受け取って欲しいものがあるのだが……」


 ためらいがちなフレデリックの言葉に、コレットが手を止めて不思議そうな顔で彼を見る。フレデリックは一つ深呼吸して、何かを差し出した。


 彼の手にのっているのは、幅広の青いリボンだった。絹地のその表面には、手描きのものらしい複雑な模様がうっすらと浮かび、銀色に輝いていた。


 今までにも、フレデリックがちょっとしたものを彼女に贈ってきたことはあった。


 新しい大鍋、より切れ味のいい包丁、できたポーションを保存するのにちょうどいい大きさの小瓶など。それらはどれも、ポーション作りに関係のあるものばかりだった。


 それがどうして、今回はリボンなのだろうか。どう見ても、ポーションには関係がなさそうだ。コレットがいぶかしげな目をリボンに向けていることに気づいたらしく、フレデリックは大いにあわてながら説明し始めた。


「勘違いするな、それはただの飾り物ではない。強固な守りの魔法がこめられているのだ。君は様々な実験をしているし、こういったものがあったほうがいいだろうかと、ふとそう思ったのだ。万が一爆発でもしたら、大変だからな」


 ポーション作りで、爆発? まさかそんな、とコレットがつぶやいているが、フレデリックはそれには取り合わずに声を張り上げた。


「決して、君に似合いそうだとか、前々から準備していたとか、そういうことではないからな!」


 フレデリックは口調こそ荒いものの、それが照れ隠しであることは明らかだった。コレットが微笑んで、ぺこりと頭を下げる。


「ありがとうございます。お気持ちが、とても嬉しいです。……それにこれ、とっても可愛いですし」


 それからもう一度リボンに目をやって、彼女はふと何かに気づいたように目を見張った。


「……でもこの模様、宮廷魔導士が描いたにしては妙にぎこちないような……?」


 それを聞いたフレデリックが、顔を赤くしたままぴたりと動きを止めた。実は、このリボンに魔法の模様を描いたのは、ほかならぬフレデリックだったのだ。


 彼はこのために宮廷魔導士にみっちりと教えを受け、一筆一筆丁寧に描き進めていったのだ。自分の手でコレットを守ることができる、そう考えたら、つい熱が入ってしまっていた。


 頼むからそれ以上気にしないでくれ、と無言で祈るフレデリックに、コレットは無邪気に笑ってリボンを髪に結んだ。


「でも、このぎこちなさも味になっていると思います。それに、誰かが一生懸命に描いてくれたんだなって、そんな気もして……。とても、気に入りました」


 優しい青のリボンはコレットの銀の髪にとてもよく似合っていて、妖精のような彼女の愛らしさを引き立てていた。フレデリックは目を真ん丸にして、彼女に見入っている。


「……フレデリック様?」


「あ、ああ。俺の見立てに間違いはなかったなと、そう思っていたところだ。……だが、その…………可愛いと、思う」


 聞こえるか聞こえないかぎりぎりの声で、最後に褒め言葉を付け加える。しかしその言葉は、しっかりとコレットの耳に届いていた。彼女はほんの少し頬を上気させながら、ひときわ晴れやかに笑う。


「すごく、嬉しいです」


 その笑顔に、フレデリックは今までの照れ隠しをかなぐり捨てて、コレットに見とれた。その唇から、ほんのり甘いため息がもれる。そんな彼に、コレットもはにかむように笑いかけた。


 本人たちは自覚していなかったが、そんな二人のさまは、どこからどう見ても初々しい恋人たちの姿そのものだった。


 お互いのことしか見えていない、けれど好意をまっすぐに出すのも照れくさい。そんな、子供と大人の狭間の少年少女たち。


 誰も見ていない、誰も二人を止めない。それをいいことに、二人は堂々と、静かに甘く見つめ合っていた。




 離れの窓の外、そこに広がる薬草園。ひときわ大きな薬草の茂みのすぐ後ろで、イザベルが呆然と立ち尽くしていた。


 彼女はコレットに会いにきたという名目で、その実フレデリックに会いに来たのだった。しかし運悪く、彼女は離れの中での一部始終を目撃してしまったのだ。


 離れの中では、まだコレットとフレデリックが見つめ合っている。イザベルは二人に見つからないようにかがみこみ、ハンカチをかみしめる。叫びたいのを、こらえるように。


 恐ろしいほどの上目遣いで、彼女はじろりと離れをにらむ。うめくように、低くつぶやいた。


「認めませんわ、認めませんわあ……どうしてあんな子が、フレデリック様と……」


 ちょうどその時、離れの中から軽やかな笑い声が聞こえてきた。イザベルの深い緑の目が不穏な光をたたえて細められる。怒りに震える唇が、見事な笑いの形につり上がった。


「ぜえったいに、邪魔してやりますわあ……うふふ、ふふふふふ……」


 上品で柔らかい声のまま、地獄の底から響いているのではないかというほどおどろおどろしく、イザベルは笑う。


 そんな彼女との様子とは裏腹に、空はからりと晴れて、とても気持ち良く澄み渡っていた。

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