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5.惚れ薬は甘く危なっかしく

「ああコレット、なんて愛らしい……君に近づいても、構わないだろうか」


「お待ちになって、フレデリック様!! コレットは今、繊細な作業の途中ですわ! わたくしと一緒に、別の部屋で待ちましょう!」


「離れたところで見ているだけならいいだろう? 俺は今、彼女と離れていたくないんだ。ほらイザベル、君も見てみるといい。あの可憐な姿を」


「それよりわたくしを見てくださいませ!!」


 作業部屋の片隅で騒ぐフレデリックとイザベルを横目で見ながら、コレットはため息をついていた。


 コレットはノートをめくり、フレデリックが飲んだはずの試作品がどんなものだったのか再確認していた。しかし何度考えても、フレデリックがこんなことになる理由が分からなかった。試作品の成分と、フレデリックの症状。それがまったく結びつかなかったのだ。


「あの試作品がどんな働きをしたのかがはっきりすれば、きちんとした解毒剤を作ることができるけれど……それを調べている余裕は、なさそうね」


 コレットはつぶやいて、離れたところで騒いでいる二人をちらりと見た。目が合ったフレデリックが、ぱあっと顔を輝かせた。対するイザベルは、視線で人が殺せそうなほど恐ろしい顔になる。


「だったら、やっぱり症状を打ち消すしかないかなあ……うまくいけばいいんだけど」


 もう一度ため息をついてから、コレットは薬草をしまっている奥の部屋に向かう。迷うことなく必要な薬草を選び出し、重い足取りでまた入り口に戻っていく。


 作業部屋に通じる扉を開けると、その向こうには満面の笑みのフレデリックが立っていた。イザベルが彼の腕に手をかけて、彼を引き戻そうと必死に踏ん張っている。


「あの……道を空けてもらえませんか?」


「ああ済まない、一刻も早く君の顔を見たくてな」


「私が奥の部屋にいたのは、ほんの数分のことですが……」


「その数分が、俺には数時間のように思えたのだ」


「ですから、その間わたくしとお喋りいたしましょうって申し上げているでしょう、フレデリック様あ!」


 このままではらちが明かない。そう判断したコレットは、フレデリックをそっと押しのけるようにして作業部屋に足を踏み入れた。フレデリックはにこにこしながら、彼女の後をついてくる。


「コレット、君はこれから何を作るのだ?」


「……ぜひともフレデリック様に飲んでいただきたいものがありまして。少々、お待ちいただけますか」


 言葉を濁しているコレットに、フレデリックはさわやかに笑いかける。


「それは嬉しいな。コレット、どうせなら俺にも手伝わせてもらえないだろうか」


「フレデリック様、危ないですわ! 駄目ですわ!」


 止めるイザベルの声など耳に入っていないかのように、フレデリックはコレットの隣にぴたりとつけている。


「俺だって刃物くらい使えるぞ。簡単な作業くらいなら、できるような気がする」


「……分かりました。でしたらこちらを、細かく刻んでください」


 すっかりあきらめた顔で、コレットが薬草を一束フレデリックに差し出す。彼は嬉々として包丁を手にすると、薬草を刻み始めた。初めてにしては、意外と危なげない手つきだった。


「わ、わたくしだって!」


 イザベルはコレットの手から別の薬草をひったくると、予備の包丁で刻もうとする。しかしこちらはとてもぎこちなく、じきに指先をほんの少し切ってしまった。


「きゃあ、痛いですわ!」


「大丈夫よ、イザベル。手当をすればすぐに治るから」


 コレットは手慣れた様子で傷薬を取り出すと、イザベルの指に塗って包帯を巻いた。その間もイザベルは、痛い痛いと騒ぎ続けていた。


「大した傷には見えなかったが……そうか、痛むのか。大変だな」


 そのさまを見ていたフレデリックが、心底不思議そうにそうつぶやく。とたんにイザベルはころっと表情を変えた。


「まああ、フレデリック様が気遣ってくださるなんて! ありがとうございますフレデリック様、なんてお優しいの!」


 うっとりとフレデリックを間近で見つめているイザベルと、きょとんとした顔のフレデリック。そんな二人を、コレットは薬草をすりつぶしながら複雑な顔で見ていた。




 それから二時間後、解毒剤は無事に完成した。コレットは、高熱による錯乱の治療薬と気つけの薬、とどめに鎮静作用のある薬草をたんまりとぶちこんだ、恋する青年に飲ませるには少々失礼と言えなくもないポーションを完成させたのだ。


「フレデリック様、どうぞ」


「ありがとう、コレット。これにはどういった効果があるのだろうか」


「……えっと、どう言ったらいいのか……実はフレデリック様は、惚れ薬の影響を受けていると考えられます。その効果を打ち消して、頭をすっきりさせる薬です」


 少し悩んで結局真実を告げたコレットだったが、フレデリックはまったく気にしていないようで、にっこりと笑うとポーションを飲み干した。


「薬草の香りが、とてもさわやかだ。君のポーションは、どれも美味だな」


 そんな彼を、二組の目がじっと見守っていた。コレットははらはらしたような顔で、イザベルは食い入るような目で。


 しかしフレデリックは、相変わらず甘ったるい目でコレットを見つめ続けていた。イザベルがコレットの腕を引いて、一歩下がる。


 そのまま二人は顔を寄せて、ひそひそとささやき合う。


「ちょっと、効いていませんわよ!」


「このポーションは、効くのに時間がかかるの。明日の朝になれば、完治している……はず」


「はず、では駄目ですわ!」


「ひとまず、今日はフレデリック様の相手をしないと駄目みたい。今すぐ帰ってくださいって言っても、たぶん聞いてもらえない気がする」


「ならばわたくしに任せなさい!!」


 めげずにフレデリックに突進していくイザベルを見て、コレットは感心したようなため息をついていた。


 今日の作業はひとまずおしまいということにして、三人は庭に場所を移していた。フレデリックがこんな調子ではとても作業にならないので、ひとまず庭でお茶にしようということになったのだ。


「……こうやってのんびりするのって、久しぶりかも」


 青空の下でお茶を一口飲んで、コレットがつぶやく。


「そうなのか。君はそれだけ熱心に、ポーション作りに励んでいるのだな。素晴らしいことだ」


「フレデリック様、わたくしも一人前の淑女となるために日々努力しておりますわ」


「そうか、イザベルは努力家なのだな」


「ああ……! お褒めいただき、ありがとうございます。わたくし、これからもいよいよ己を磨いてまいりますわ。フレデリック様のために」


 コレットにかけたものとは違う、明らかに社交辞令でしかない褒め言葉に、しかしイザベルはすっかり感動してしまっている。それを見ながら、コレットはひっそりとため息を押し殺していた。


 まったく、面倒なことになってしまった。まさかフレデリック様が、惚れ薬のせいとはいえ自分に言い寄ってくるなんて。


 どうせなら、イザベルのほうに行ってくれれば楽だったのに。イザベルも、フレデリック様と仲良くなりたいみたいだし。


 青い空も、おいしいお茶も、庭に植えられた薬草たちのさわやかな香りも、コレットの気持ちを軽くしてはくれなかった。




 その夜、フレデリックもイザベルも帰っていった後のこと。コレットはベッドの上に座り込んで、あわただしかった一日を振り返っていた。


「……どれだけ考えても、安眠効果を狙ったあのレシピで惚れ薬ができる訳がないのよね。しいて言うならこないだのピンク色の失敗作が、一番惚れ薬に近いのだけれど。あれ、気分を高揚させて不安を取り除く薬になるはずだったし」


 まさにその失敗作こそが今回の騒動の原因なのだが、彼女はもちろん知るよしもない。


「明日、あの失敗作を調べてみようかな。フレデリック様が飲んだ試作品と、何か共通点が見つかるかもしれないし。そうしたら、もっと面白いものが作れるかもしれない」


 そう言って彼女は、仰向けにぽすんと寝転がる。いつもポーションのことしか考えていない彼女の頭の中に、いつもと違うものがちょこんと居座っていた。


「……それにしてもフレデリック様、とんでもないことになってたなあ。あれは忘れてあげたほうがいいよね、やっぱり。惚れ薬のせいでろくに知らない相手に迫ってしまったなんて、どう考えても恥ずかしいし」


 そんなことをつぶやきつつも、彼女は困ったようにため息をついていた。昼間のフレデリックの甘い笑みが、どうにも忘れられなかったのだ。


「あれは薬のせい。あれは本人の意思じゃない。さっさと忘れなさい、コレット」


 自分で自分にそう言い聞かせて、コレットはクッションを抱えて丸くなる。


「……でも、ちょっとだけ、寂しいかな」


 消え入るような声でそうつぶやいて、彼女は目を閉じた。やがて、静かな寝息が聞こえてきた。

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