32.パナシーアと王子様と私
王都から馬車で一日ほどのところにある、そこそこ栄えている町。そこに、王宮からの使いの馬車がやってきた。
馬車は町の役所の正面玄関の前で止まり、そこから人間が二人降りてくる。王宮の薬師の制服を着た、若い男女だ。
二人はそのまま、はずむような足取りで役所の中に入っていく。少しして、役所の人間たちが馬車の荷物を下ろし、中に運び込んでいった。
さらにしばらく経った後、役所の別の出入り口。町民たちへの窓口となっているその場所に、先ほどの二人の姿があった。
二人はカウンターの奥に、並んで腰かけている。その頭上には『ポーション入荷しました』という張り紙がされていた。同じ張り紙が、役所の外の掲示板にも張られている。
どことなくそわそわとしながら、二人は来客を待っていた。
「ポーション、ちゃんと買いに来てくれるでしょうか……」
「心配するな。以前ほどの人気ではないが、それでも民たちは、君のポーションを買いに来るようになっていると、役所の者たちも言っていただろう」
「はい。ですけど……前の騒ぎで、私のポーションへの信頼は落ちてしまいましたし……パナシーアは、特に……」
「お、おい、そう落ち込むな。君のポーションは本物だ。いずれ民も、そのことをきちんと理解してくれる」
コレットとフレデリックは、他人に聞こえないようにそんなことをささやきあっていた。
パナシーアがまた人々の間に流通するようになって、一か月。人々はパナシーアへの不信とフレデリックの言葉との間で揺れ動きながら、それでも少しずつ、またパナシーアを口にするようになっていた。
そんな報告を受けたコレットが、突然こんなことを言い出したのだ。私たちのパナシーアが必要とされているところを見たい、と。
フレデリックの力を借りてどうにか立ち直った彼女だったが、それでもかつて受けた心の傷はまだ残っていたのだった。自分の大切なポーションに向けられた敵意が今どうなっているのか、彼女はその目で確かめたいと思ったのだ。
そうして二人はお忍びで、近くの町にやってきたのだった。王宮から運ばれたポーションを販売する薬師のふりをして。
先日の演説で全国に顔を知られているフレデリックは、少々変装していた。いつもはさらさらと流している栗色の髪をきっちりとなでつけ、おまけに眼鏡までかけていた。
普段は堂々としていて押し出しの強い彼が、そうしていると驚くほど落ち着いた、大人びた雰囲気になる。ずっと眼鏡でもいいのにな、とコレットはこっそりそんなことを考えていた。
「ほら、コレット。さっそく誰かやってきたようだぞ」
その言葉に、コレットは口をつぐんで前を見る。意識して愛想のいい笑顔を作りながら、来客に向き直った。
「こんにちは、今日はどのような御用でしょうか」
「ああ、ポーションを売ってくれ。妻がたちの悪い風邪を引いてしまって、もう一週間も寝込んでいるんだ」
緊張からかコレットの声は少々震えていたが、来客はそのことに気づいてもいないようだった。暗い顔で、静かにそう答えている。
やってきたのは中年の男性と、十歳くらいの少女、そして五歳くらいの男の子だった。少女の弟らしい男の子は涙目で、コレットたちを見上げている。
「しばらく寝てれば治る、ってあいつは言ったんだが……逆に、日に日に悪くなっていくんだ。医者にかからせようにも、そんな金はない」
「そんな方のために、この窓口はあるのです。症状を教えてもらえれば、適切なポーションを選びます。格安で、お譲りいたしますよ」
落ち着きを取り戻し始めたコレットが、男性たちを元気づけるように微笑む。フレデリックが無言で見守る中、コレットと男性の会話は続いていた。
「整理しますと、発熱、全身の倦怠感、喉の痛み、それに胃腸も弱っている……ということですね」
男性の話を一通り聞き終えたコレットが、難しい顔で考え込む。男性たちはそんな彼女を、固唾を飲んで見つめていた。
「でしたら、こちらとこちら、あとこちらのポーションを……」
「コレット」
複数のポーションを選び出そうとしたコレットの名を、フレデリックが静かに呼んだ。コレットの手が止まる。
目の前の男性たちは、生活に余裕がないように見える。ポーションを何本も買わせるのは、あまりいい案とは言えない。
しかもパナシーアであれば、それ一本だけで男性の妻を治すことができる。フレデリックは、そのことを指摘しようとしていたのだ。それはコレットにも、分かってはいた。
それでも、彼女の手は動かない。すぐ近くの箱に収められたパナシーアを、彼女はちらちらと見ているが、それだけだった。
フレデリックと二人で作り上げた、愛しい我が子のようなパナシーア。自信をもって送り出したそれが、民に否定され、罵倒された。そのことはまだ、彼女の心の中でしこりになっていた。
「大丈夫だ、コレット」
そんな彼女の心の内を見透かしたように、フレデリックが小声でつぶやく。短いその言葉は、それでもとても堂々としていて、頼もしいものだった。
「あ、あの、それと」
震える手で、コレットはカウンターの上にもうひとつ瓶を置いた。鮮やかな緑色が、男性たちの目をくぎ付けにする。
「こちらでしたら、一つで全ての症状に対応できます。一本当たりの価格は少し上がりますが、それでもずっと安くつきます……」
「もしかしてそれは、パナシーアとかいうやつか」
自信なさげなコレットの声に、男性の厳しい声が重なる。
「近所の婆さんが、それを飲んで三日寝込んだんだ。もうパナシーアに悪いものは入ってないと言われても、なあ……」
顔をしかめながら、男性はそんなことをつぶやいた。
「王子様は大丈夫だと言っていた。でも、万が一ということもある。うちのやつに何かあったら大変だ。それはいらない。多少高くついても、そちらの三本をもらう」
男性はそう言い切り、コレットはしょんぼりしているのを隠しながら残り三本のポーションの代金を読み上げようとする。
それをさえぎったのは、小さな高い声だった。
「お父さん、そっちの緑のにしようよ」
男性の後ろで弟をあやしていた少女が、口をはさんできたのだ。
「そっちのお薬、もう大丈夫なんでしょう? 王子様はとてもおいしそうにそれを飲んでいたもの」
まさに今、彼女の目の前にその王子様がいるのだが、フレデリックは澄ました顔で話に耳を傾けていた。
男性は困ったような顔で、少女に言葉を返す。
「だがなあ、お母さんの調子がもっと悪くなったら大変だろう?」
「大丈夫よ。友達のお父さんがこないだおなかを壊したの。でも、そのきれいな緑色で治ったって言ってた。半分残ったのを友達のお母さんが飲んだら、頭痛が治ったって。あれは本当に万能薬だよって言ってたよ」
少女の懸命の説得に、男性は心動かされているようだった。そして少女は、悲しげにうつむいて弟の手をぎゅっとにぎる。
「……それに、そっちの緑のほうが安いんだよね? お父さん、薬を買うんだって昨日からご飯抜いてるでしょ。お母さんには治ってほしい。でも、お父さんが苦しいのもいや。緑のにすれば、ご飯食べられるよ」
「おとうさん、ごはん、食べようよ。あのみどり、きれいだよ。だいじょうぶだよ」
泣きそうな声で男の子がつぶやく。少女は弟をあやしながら、父親をじっと見つめた。
男性は黙ったまま考え込み、やがて重々しくうなずいた。パナシーアのほうにあごをしゃくって、ぼそりと言う。
「……そちらをもらおう。ただもしこれで体調がより悪くなるようなことがあったら、責任は誰が取ってくれるんだ」
「私が取ります」
間髪入れずにコレットが答える。フレデリックは、そんな彼女をじっと見守っていた。
「こちらのポーション、パナシーアは必ず効きます。魔女令嬢とフレデリック様の努力の結晶ですから。このパナシーアには混ぜ物がされていません。そのことは、私が保証します」
男性の不安を、コレットはもっともなものだと思っていた。そしてパナシーアを作った者として、イザベルを暴走させてしまった者として、その不安を受け止めなくてはいけないとも思っていた。
彼女は、もとはあまり人間に興味がなかった。自分のポーションで他人を癒やすことができるのは嬉しいと思っていたけれど、それだけだった。
けれどそんな彼女は、フレデリックと関わっていくうちに変わっていった。以前の彼女であれば言わなかったであろう言葉が、次々と彼女の口からこぼれ落ちていく。
「私は、フレデリック様を信じています。その身をもって民の心を安らかにしようというあの方の言葉を信じます。だからどうか、あなたもあの方を信じてください」
熱のこもったその言葉に、男性は戸惑いつつもうなずく。フレデリックは冷静そうな顔をしていたが、実のところ大いに動揺していた。コレットがこんなにもはっきりと信頼を表明するのは、初めてだったからだ。
「あ、ああ……分かったよ」
「私はコレット、普段は王宮にいます。もしパナシーアが効かなかったら、さらに悪くなるようなことがあったら、私が責任もってその後の治療に当たります」
男性はコレットをじっと見る。彼女が今着ているのは、王宮の薬師の制服だ。そのせいか、彼は彼女の言葉を信用したようだった。代金をカウンターに置き、パナシーアの小瓶を手にする。
「……その、ありがとう、コレットさん」
「ありがとうね、お姉ちゃん! あと、そっちのお兄さんも!」
頭を下げて、男性たちが出ていく。その背中を見送って、コレットはほうと息を吐いた。
その日の帰り道、馬車の中でコレットとフレデリックは今日のことを話していた。
「思っていた以上に、パナシーアも売れていったな。それだけ病人が多いということではあるが、同時に彼らの力になれたことを嬉しく思う」
まだ眼鏡をかけたままのフレデリックが、ほっとしたように微笑んだ。
コレットの願いを聞いてここに来たのはいいが、かえって彼女を傷つける結果になるのではないかと、彼はそのことを心配していたのだ。
「はい。ここに来て良かったです。これからのポーション作りに、さらに精が出せそうです」
そう言ってはにかんだ笑みを見せるコレットに、フレデリックは目を丸くしてみせた。
「既に今でも、十分頑張っていると思うが。あまり、根を詰めるな。……そうだ、礼を言っておかねばな。ありがとう」
「……えっと、何のことですか?」
「今朝方、俺のことを信じていると言ってくれただろう。他の誰よりも、君に信じてもらえて、とても嬉しかった」
「ああ、そのことですか。お礼なんていりません。私はただ、思ったままを、感じたままを言っただけですから」
その言葉に、フレデリックはぴたりと動きを止める。それから横を向いて、ごまかすように咳払いをした。
「君は、やっぱり変わっているな」
「ふふ、そうですね」
「思えば、俺が君のもとを訪ねようと思ったのも、とびきり変わり者で有能な令嬢がいると聞いたからだった」
フレデリックは懐かしそうな目で、馬車の窓の外を眺める。
「そうして出会った君は、やはり変わっていた。だから俺は、君ともっと話したい、君を知りたいと思った」
コレットは小さく微笑みながら、彼の話に耳を傾けている。
「知れば知るほど、君は変わっているのだと実感する。そうしてそんなところに、驚くくらいひきつけられている」
ゆっくりと、フレデリックの明るい紫の目がコレットに向けられる。底抜けに晴れやかな笑顔で、彼は言った。
「俺は君が好きだ、コレット。この感情は、きっとずっと前から俺の中にあったのだろう。あの惚れ薬が、気づくきっかけをくれたというだけで」
しかし、コレットは何も言わない。膝の上でぎゅっとこぶしを握ったまま、うつむいている。
「……その、もしかして迷惑だっただろうか……?」
ふと不安を覚えたフレデリックが、小声になってコレットの様子をうかがう。やがて、蚊の鳴くような声がした。
「…………私も、その…………好き、です」
その言葉に、フレデリックは必死に耳を澄ませる。コレットは顔を伏せたまま、ぼそぼそとつぶやいた。
「フレデリック様がいない生活なんて、もう考えられません。これって、好きってことで合ってます、よね……」
青みを帯びた銀の髪の間から、真っ赤になった耳の端っこがちらりと見えている。フレデリックは満足そうにうなずいて、いつもの堂々とした声で答えた。
「ああ、合っている。どうかこれからもよろしく頼む。ずっと、いつまでも」
コレットはやはり顔を上げずに、こくんとうなずいた。その口元に、嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
ここで完結です。読んでいただいて、ありがとうございました。
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