31.そうして二人は、今日も一緒に
コレットの朝は早い。彼女は誰の手も借りずに身支度を整えると、暮らしている離れの隣にある薬草園に足を運ぶ。早朝のほんのひと時だけ咲く花を摘みにいくのだ。
手かごを下げて、朝露に輝く草花の間を歩く。スカートが濡れることも気にせずに、すいすいと進んでいった。やがて、淡い黄色の花が咲く一角にたどり着く。
「うん、今日もたくさん咲いてる。そろそろ、十分集まったかな」
彼女はそう言いながら、花を摘んで手かごに入れる。ここ数日せっせと摘んでいたこの花は、あとでまとめてせんじて、ポーションの材料にするのだ。
「どうせなら、パナシーアの効果をもっと増やして、万能薬に近づけてみたいし……でもそうすると、今度は値段が上がってしまうかな……いくら王宮が補助金を出してくれているとはいえ、あんまり高くなるのは、ちょっとね」
「おはよう、コレット。今日も君に先を越されてしまったな」
薬草園の真ん中で考え事をしていたコレットに、フレデリックが声をかける。まだ朝早いというのに、彼はとても生き生きとしていた。
「おはようございます、フレデリック様。私はここのすぐ隣で寝起きしているんですから、私が早くて当然です」
「そうだな。だが一度くらい、君をここで出迎えてみたい。……別に、ただの気まぐれだが」
照れ隠しのようにそう付け加えて、フレデリックがコレットに歩み寄る。そのまま手かごの中をのぞき込んだ。
「ああ、今日もたくさん採れたな。これなら、そろそろパナシーアの改良に着手できるのではないか?」
「はい、今日の午後にでも実験してみようと思っています。でも一つ、困っていることがあって……」
可愛らしくまゆをひそめて、コレットはさっき考えていたことを話す。フレデリックは熱心に、その話に耳を傾けていた。
この朝から、一か月ほど前のこと。イザベルが追放されたのを見届けたコレットは、王宮を離れ実家に戻ろうとしていた。
そうして荷造りを済ませ、客間を引き払おうとした彼女の前に、フレデリックが立ちふさがったのだ。
「帰らないでくれ。俺はまた、君と山小屋に行きたい。君のそばで、ポーション作りを手伝いたい。だいたい君が離れてしまったら、民との約束が果たしにくくなるだろう」
コレットは伏せていた目をのろのろと上げて、力なくフレデリックを見る。
パナシーアにかけられていた疑惑は、コレットの願い通りに晴れた。けれどその代償として、彼女は友人を失った。そのことは、じわじわと彼女を苦しめていたのだった。
「民との約束……って、もしかして……」
「君のポーションを流通させる前に、俺が口にするというあの言葉だ」
「……本気、だったんですか。時間が経ったら忘れてくれるかと思ってました」
コレットの言葉に、フレデリックがすぐに反論する。
「俺とてもう一人前の男子だ。約束を軽々しくほごにするなど、ありえない」
「そ、そうですよね。……でも、その約束を守るだけなら、別に私が近くにいなくても……流通直前のポーションを、飲めばいいだけですし……」
「それでは、君にすぐに感想を伝えられないだろう」
まだしり込みしているコレットを、フレデリックはまっすぐに見つめた。
「初めて会ったその日、君は言っていたな。自分で試作品を口にするのは、効果が一番分かりやすいからだと。ならば君のポーションを飲んだ感想も、一刻も早く君に伝えるべきだろう」
ためらいなくそう言い切ったフレデリックが、ふと視線をそらす。やけに大人びた横顔を見せながら、彼は独り言のようにつぶやいた。
「……いや、違うな。それはただの建前だ。照れ隠しなどしている場合ではない。俺は君を、何としても引き留めたい。それが本音だ」
そう言って、フレデリックはコレットの手を取った。かつてあの惚れ薬の影響を受けていた時のことを思い出させる、優雅で愛情に満ちたしぐさだった。
「コレット。俺は、君と離れたくない。俺には君が必要なのだ。どうかこれからもずっと、俺とともに歩んで欲しい」
「あ、あの……もしかして、また失敗作か何か、飲んでしまいましたか?」
間近で見つめてくるフレデリックの視線に耐え切れなくなって、コレットが話題をそらす。しかしフレデリックは、ひときわ優しく微笑んできた。
「ああ、懐かしいな。あれは俺が君の屋敷を初めて訪ねた時のことだったな」
コレットの手を放すことなく、フレデリックは穏やかにつぶやく。
「あの時の俺は、普段の俺とはまるで違うふるまいをしていた。……ただ今にして思えば、あれは俺の本心だったと、そう思うのだ」
「本心……って、まさか」
出会ったばかりのコレットに、やたらと甘く優しい言葉をささやきかけていたフレデリック。そのあまりの様子のおかしさに、コレットとイザベルはあの失敗作が惚れ薬だったと結論付けたのだ。
けれどそれを、本心からの行動だったとフレデリックは言い切ったのだ。
「間違いない。俺はずっと、君のことが気になっていたのだ。ただひたすらにポーションを作り続け、領民たちを救っている令嬢。その話を聞いた時から、ずっと」
フレデリックが熱く語り、コレットはあたふたと戸惑い続ける。
「そうして俺は君と知り合いになった。やがて俺は君をあの山小屋に誘いたいと思うようになった。君の仕事を手伝いたいと思うようになった。打ちひしがれて王宮から離れることになった君を、支えたいと思った」
そこまで語って、フレデリックが不意に目を伏せる。
「……いつかの夜、君に話したことを覚えているだろうか。俺は第二王子だから、いつかこの国を出ていくかもしれないと、そんな覚悟を決めているのだと」
「はい。一度だって、忘れていません」
「そうか。……それは、嬉しいな。実はその話をしたのは、君が初めてだ。兄上にだって、話してはいない」
切なげに微笑んでから、フレデリックは高らかに宣言する。
「俺にとって君は、何よりも特別な存在だ。だからどうか、俺を君のそばにいさせてくれ」
熱意と誠意のこもった言葉に、コレットは青い目を見張った。それから悲しげに目を伏せて、ぽつりとつぶやく。
「……あなたがいなかったら、私はきっとこの騒動を乗り越えられなかった」
唐突に違う話を始めたコレットを、フレデリックは止めなかった。
「私、小さな頃からずっとポーションのことばかり考えていて、ろくに友達もいなかったんです。親に引き合わされた、イザベルだけで」
イザベルの名を口にした時、コレットの顔がすっと暗くなった。フレデリックのほうを見ることなく、彼女はつぶやき続ける。
「そもそも私、人間にあまり興味がなかったのかもしれません。私のポーションで人々が喜ぶ顔を見るのは好きでした。でも、その一人一人のことはまるで意識していなかった」
フレデリックは黙って彼女の言葉に耳を傾けている。その顔には、彼女のことを見守るような温かい笑みが浮かんでいた。
「それなのに、フレデリック様のことは自然と気になっていました。普段は一日たりとも作業部屋を離れていたくないと思うのに、フレデリック様に連れていってもらった山小屋はとても楽しかった。ポーション以外のことが、こんなに楽しいと思えるなんて思いもしなかった」
コレットがポーション以外のことを熱く語るのは、おそらく初めてのことだった。彼女ははにかむように口を閉ざし、ためらいがちにまたつぶやく。
「たぶん、ですけど……それって、私にとってもフレデリック様のことが、特別だからなんだと思います」
その言葉に、フレデリックは満足げに微笑む。けれどうつむいたままのコレットの顔は、やはりゆううつそうにくもったままだった。
「……フレデリック様。私、ここにいていいんでしょうか。フレデリック様が力になってくれたとはいえ、まだ魔女令嬢への風当たりは強いです。私がいたら、あなたにも迷惑をかけてしまうかも……」
「君にかけられる迷惑なら、大歓迎だ。君の重荷をともに背負える、こんな光栄なことがあるだろうか」
朗らかなその声に、コレットはぱっと顔を上げる。すぐ近くに、優しく微笑むフレデリックの顔があった。彼女は唇をかすかにふるわせたまま、明るい紫の目を見つめ続ける。
手を取り合ったまま二人は、じっと見つめ合っていた。やがてそろそろと、コレットは空いた手をフレデリックの手に重ねる。ちょうど、両手でフレデリックの手をとるような、そんな姿勢だった。
「……あの、これからも……よろしくお願いします」
「ああ、もちろんだ」
その時のフレデリックの晴れやかな笑顔に、コレットは見とれる。きっと私は、一生この笑顔を忘れることはないんだろうな。彼女は、そんなことを思っていた。
そうしてコレットは、また王宮の薬草園の隣にある離れで暮らし始めた。以前と同じように、日々ポーションの研究にいそしんでいる。
そしてフレデリックは、以前にもましてここに入り浸っていた。今まで彼は、執務の合間をぬってコレットに会いに来ていた。しかし今の彼は、執務の一環としてやってきていたのだ。
「国内におけるポーションの開発、製造及び流通の管理を全て俺に任されるとは……父上も兄上も、思い切った決断をされたものだ」
だからこうやってコレットと会い、彼女の研究を手伝うことも、彼にとってはもう仕事の一部なのだ。だから堂々と会いに来ることができると言って、フレデリックは晴れやかに笑っていた。
早朝の薬草園で、二人は話し込む。コレットが考えているパナシーアの改良案について。
「ふむ、パナシーアの効果をさらに増やしていきたい、しかしそうすると値段が上がってしまう、か……」
「あと、さらに薬草を加え続けると、バランスが狂ってしまって今までの効果にも影響が出てしまうかもしれなくて……」
さわやかな朝日が、そんな二人を照らしている。朝露に濡れた薬草のほのかな香りに包まれながら、二人は顔を寄せ合っていた。
「ならば、複数の種類に分けてしまうのはどうだろうか。最初に作ったパナシーアを基本として、少しずつアレンジを加えたものを数種類も作るのだ」
「確かに、現状ではそれが一番現実的ですね。それなら、新たなパナシーアをもう数種類作ればなんとかなりそうです。でも、流通やなんかが面倒になりませんか?」
「そちらについては、心配するな。……俺たちの新しい子供が世に出るのだ、俺も頑張らないとな」
その言葉に、コレットがぽかんとしてフレデリックを見つめる。フレデリックは一瞬遅れて、自分が口走った言葉に気がついた。ずっと胸の内に秘めていた言葉を、ついもらしてしまったことに。
「ああ、その、だな。君はポーションを、自分の子供のようなものだと言っていただろう。ならば俺にとっても、パナシーアは子供のようなものなのかもしれないと、そう思っていたのだ」
あわてふためきながら、フレデリックは言い訳を始める。
「……あれを作り上げるまで、俺も多少なりとも力を貸したし……それに、なんといっても君の子供なのだし……」
そこまで言った時には、フレデリックはもう真っ赤になっていた。そのさまがおかしくて、コレットがくすりと笑う。
「そうですね。確かに、フレデリック様にとっても子供ですね。……だったらこれからも、二人一緒に子供をたくさん作っていきましょう」
事情を知らない者が聞いたら大いに誤解しそうな言葉をさらりと口にして、コレットは愛らしく微笑んだ。
「では、せっかくだから薬草摘みを手伝ってください。私たちの子供のために、薬草がまだまだ必要なんです」
「任せておけ。君にしっかり教わったからな。薬草摘みにも、もうすっかり慣れたぞ」
「はい、頼りにしていますね」
そうして二人は、和やかに話しながら丁寧に薬草を摘み取っていく。二人の明るい笑い声だけが、静かな薬草園に響いていた。




