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3.訳が分からない朝

 次の朝、コレットは呆然と立ち尽くしていた。


「やあ、おはようコレット。素晴らしい朝だな」


 そんな言葉と共に、なぜかフレデリックが彼女の屋敷にやってきたのだ。しかも彼は、一風変わった花束を抱えている。


 彼は昨日よりもずっとさわやかな、見事な笑みを浮かべていた。ひどく晴れやかな、嬉しそうな、そして妙な甘さを感じさせる笑みだ。


 どうして彼がまたここに来たのか。なぜ花を持っているのか。そしてその笑顔は何なのか。コレットは疑問で頭をいっぱいにしながらも、どうにかあいさつを返す。


「お……おはよう、ございます。ところで、こんな朝からどうされたのですか?」


「君に会いたくて、予定を変更して来てしまった。よければ、また作業部屋の隅にでもいさせて欲しい。邪魔はしないと誓う」


 フレデリックは明るい紫色の目で、じっとコレットを見つめている。哀願するようなその目つきに、コレットの困惑はさらに深まった。


「そうだ、これは手土産だ。気に入ってもらえると嬉しいのだが」


 どことなく恥じらいながら、フレデリックはためらいがちに花束を差し出した。


 普通、貴族の間でやり取りされるのは、バラやユリと言った豪華な花を使ったものだ。ところがこの花束は、可憐で小さな、とても素朴な花ばかりが集められたものだった。


「これ……薬草の花束ですか」


「ああ。魔女令嬢と呼ばれる君には、この花束のほうがふさわしいと思った。王宮の薬草園で朝一番に摘んできた、よりすぐりの花ばかりだぞ」


「……ありがとうございます。その、嬉しい……です」


 コレットも年頃の令嬢なので、花束をもらったことはある。だが目の前の質素な花束は、彼女の好みにとても良く合っていた。


 だから彼女は、素直に礼を言った。訳の分からないことが山積みになっているけれど、少なくともこの花束をもらったことは、嬉しかったから。


 しかしそれに対するフレデリックの反応は、彼女が予想もしていないものだった。


「そ、そうか……君に喜んでもらえたなら、俺も嬉しい……」


 彼はみるみるうちに真っ赤になって、コレットを正面から見すえたのだ。その唇からは、うっとりとしたようなため息がもれている。


 やはり彼の態度は、昨日とはまるで違う。こんな彼がそばにいたら、作業に集中できなさそうだ。さっさと帰ってもらうにこしたことはない。


 しかし、どうして彼がこうなったのかも気になる。コレットは花束を抱えたまま、静かに悩んでいた。彼女の視線の先には、相変わらず彼女を見つめたまま悩ましげなため息をついているフレデリックの姿がある。


 普段のコレットであれば、突然やってきた見物希望の人間など、問答無用で追い返している。彼女にとって何よりも重要なのはポーション作りなのだから。


 相手が王子であろうと、関係ない。事前に約束しているのならともかく、勝手にやってこられても困るだけだ。


 そんな彼女が、珍しくもためらっていた。青い目を宙にさまよわせながら、何事か考えこんでいる。悩んで悩んで、ついに彼女はぼそりと口を開いた。


「立ち話もなんですから……作業部屋に行きましょうか」


 あの作業部屋は、言わばコレットの城のようなものだ。一番落ち着くあの場所で、じっくりと状況を確かめ直してみようと、彼女はそう考えたのだ。訳の分からないこの現状を、いったん仕切り直そうという判断だった。


 しかしそうして作業部屋で二人きりになったその時、さらなる異変がコレットを襲うことになった。


「ああ、やっと二人きりになれた。この時を、どれだけ待ったことか。ここでなら、心置きなく君だけを見つめていられる」


 そんなことを言いながら、フレデリックがコレットに迫ってきたのだ。


 昨日はきりりとしていた彼の目は見事にとろけてしまっているし、口元にはうっとりとした笑みが浮かんでいる。あまりの変わりように、コレットはただぽかんとすることしかできなかった。


 そうして彼は、コレットにゆっくりと近づいていった。そうしてコレットの両手を優しくにぎりしめ、彼女の顔をすぐ近くからのぞきこんだのだ。


 コレットはどうにかして逃れようと、じりじりと後ろに下がる。しかしじきに、彼女の背中が壁にぶち当たった。


「な、な、ななな何事ですか! ち、近いです、フレデリック様!」


「ああ、コレット……もっと近くで、顔を見せてくれ。その愛らしい顔を」


 コレットはポーション作りが大好きだ。空いた時間のほとんどをポーション作りに捧げてしまっている彼女は、男性と仲良くしたことがなかった。こんな風に思い切り近づかれたことも、手をにぎられたこともなかった。甘ったるい言葉をかけられたことも。


 つまるところ彼女は、色恋沙汰にはとんと縁がなかったのだ。そんな彼女にも、フレデリックの様子が尋常ではないことはすぐに分かった。これはいわゆる、恋する者の目なのだろうと、彼女はそうあたりをつけていた。


 それはそうとして、どうしてこうなったのだろう。コレットは大いに混乱していた。いくら考えても、フレデリックがこんな態度をとっている理由は分からなかったのだ。


 彼女は日頃、ポーションのことしか考えていなかった。だから彼女はいつも質素ななりをしていたし、青みがかった美しい銀髪も適当に編んで垂らしているだけだった。


 とにかく作業の邪魔にならないこと、彼女が重視しているのはそれだけだった。普通の令嬢とは、まるで違う身なりだ。


 自分は飾り気のかけらもない。しかも愛想もよくないし気の利いた話もできないし、男性を立てるなんてまずできない。


 だから彼女は、男性が自分に思いを寄せるなんてことはまずないだろうと、とても冷静にそう思い込んでしまっていたのだった。もっとも実のところ、愛らしい彼女にひっそりと思いを寄せる男性は、幾人もいたのだが。


「本当に君は可愛らしい……このまま連れ帰ってしまいたいくらいだ」


 そうして、フレデリックはさらに顔を近づけてくる。感極まったような彼のため息が、彼女の髪をかすかに揺らしていた。


 ちょっと呆然としている間に、とんでもないことになりかけている気がする。これは一刻も早く、彼から離れなくては。コレットは身を縮めて視線をそらしつつ、場違いに明るい声できっぱりと言った。


「わ、私はここを離れる気はありません。私のポーションを待っている人がたくさんいますから。どこかに遊びに行く暇も、よそに引っ越す余裕もありません」


 しかしフレデリックはまったくめげることなく、さらに食い下がってきた。


「ならば俺が、お忍びで通ってしまおうか……一日たりとも、君と離れていたくない」


「あの、私なんかのために執務をおろそかにするのはよくないですよ。それより、近いです。近すぎます。節度を守りましょう」


 コレットは必死に頭を働かせながら、逃げ道を探す。この甘ったるい空気に飲まれてしまってはまずい。何がどうまずいのか分からないが、そんな気がしていた。


 その時、ふと彼女はあることを思い出した。何でもいいから話をそらそうと、そのことを口にする。


「あっ、そうだ。ところでフレデリック様、昨夜はよく眠れましたか。昨日の試作品がどうだったのか、教えてください」


 その言葉に、フレデリックはぴたりと動きを止めた。目を伏せて、コレットから視線をそらす。やった、とコレットは心の中でつぶやいた。


「実は、まったくと言っていいほど眠れなかった」


「なるほど、失敗だったのですね。ではその旨を書き留めたいので、ちょっと離れてくださいね」


 じりじりと横に動いて、コレットはフレデリックの手をさりげなく振りほどこうと試みる。


 しかしフレデリックは、にぎったままの彼女の手をそっと胸におしいだいて、ひときわ甘いため息をついていた。


「目を閉じると、君の澄んだ声が、その可憐な姿がよみがえってくるのだ。胸がひとりでに高鳴って、眠るどころではなかった。夜の闇があんなにも切なく寂しいものだなんて、今まで知らなかった」


「……そのお話は後でうかがいますので、とにかく手を放してもらえませんか」


 夢見るような目つきのフレデリックとは裏腹に、コレットの声にはあからさまに焦りがにじみ出ていた。しかしフレデリックは、一歩も引かない。


「ああ、ほかならぬ君の願いだ、何をおいてもかなえてやりたい。が、この手を放すのも嫌だ。俺はどうすればいいのだろう。教えてくれ、愛しいコレット」


「だから、放してくださいって言ってるじゃないですか」


 この押し問答は、どうやらコレットに不利なようだった。どれほど彼女が拒んでも、フレデリックの耳にはまるで入っていないらしい。


 どうしよう。どうしたら、フレデリック様をふりほどけるのだろうか。いっそ実力行使に出るべきだろうか。でも、たぶんそれでもうまくいかない気がする。


 コレットが本格的に困り果てていたその時、作業部屋の扉がいきなり開かれた。

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