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25.譲れないもの

 フレデリックは、それ以上イザベルを問い詰めることはなかった。その代わりに彼はすぐにその場を離れ、フランシスの部屋に駆け込んだのだ。


 今の状況は、自分一人の判断でむやみに動かしていいものではない。彼はそう判断したのだ。


「兄上!」


 焦り切った様子で、フレデリックが兄に呼びかける。


「ああ、フレデリックか。来ると思っていた。……先ほどの、イザベルの声のことだね」


「彼女は昨夜、俺とコレットが近づきすぎるのを防ぐためにパナシーアに混ぜ物をしたのだと、そう告白しました。先ほど彼女が魔導具を通して語った内容とは、まるで違います」


 そうして、フレデリックは昨夜の、そして先ほどのイザベルとのやり取りを語って聞かせた。もどかしげに顔をゆがめながら、熱心に言い立てる。


「俺は、パナシーアが欠陥品などではないことを知っています! コレットと共に、何度も改良を重ねたものなのです。そして療養所で、俺たちはまたパナシーアを作ってみました。そしてそれは、間違いなく成功していました」


「そう、か……彼女がこんな、思い切った手に出るなんて。追い詰められてやぶれかぶれになったのか、あるいは……」


 フランシスが、難しい顔をして言葉を続ける。


「おそらく彼女の声は、国中に届いたのだろう。そして民は疑うことなく彼女の告白をすんなりと受け入れてしまったのだろう。彼女はほかならぬ、聖女令嬢なのだから」


 そうして二人は、同時にため息をついた。


「……私たちは彼女のことを、甘く見ていたのだろうね。問題の解決までに、やるべきことが増えてしまった」


「こんなことなら、昨夜のうちにきっちりとかたをつけておくのでした。兄上に身柄を渡し、罪人に準ずるものとして軟禁しておけば、このようなことには……」


 フレデリックが悔しげに歯をかみしめ、頭を抱える。そんな彼に、フランシスは優しく声をかけた。


「まずは、イザベルがさっきついた嘘について、真相を確かめておかなくては。これからどう動くにせよ、そこのところをはっきりさせてからだ」


 その言葉に、フレデリックは重々しくうなずく。


「幸い、あの嘘自体は簡単に突き崩せる。パナシーアが欠陥品かどうかは、しっかりと準備をすれば確かめられるから。けれどそれでも、一番大きな謎が残っている」


「俺たちが最初に抱いた疑問、どうして彼女はそんなことをしたのか、ですね。……昨日の告白にも、きっと嘘が含まれている。彼女はまだ、本意を隠している。そう思います」


「ああ。きっとこの問題をきちんと解決するには、彼女の本当の動機を知らなくてはならない。あくまでも、私の考えでしかないけれど」


「いえ、俺もその考えに同意します。ただ……どうすれば彼女から真意を聞き出せるのか、見当もつきません」


「私もだ。でも、二人で考えればきっといい案が浮かぶはずだよ。子供の頃から、私たちはそうやって助け合って、様々な試練を乗り越えてきたのだから」


 フランシスが穏やかに笑う。フレデリックもつられるようにして、力強い笑みを浮かべた。ずっと張りつめていた部屋の空気が、ふっと緩む。


 明るい紫の目を伏せて、フランシスがまた口を開いた。ほんの少し、悲しそうに。


「……ただその前に、コレットの意思を確認してあげてくれ。この一連の事件で、最も傷つき、苦しんでいるのは彼女だ。そして全ての真相が明らかになることでさらに傷つくのも、おそらくは彼女だ」


「分かりました、兄上。もし、コレットがすべてを知ることを望まなければ……」


「私たちはイザベルの真意について隠し通し、二人だけの胸に秘める」


「ええ」


 もう一度うなずき合うと、フレデリックは機敏な動きで兄に背を向ける。まるで羽でも生えているのではないかというほどの勢いで、フレデリックが飛び出していった。


 そんな彼の背中を、フランシスはわずかに不安げな笑顔で見送っていた。




「コレット、ちょっといいだろうか」


 そうしてコレットが泊まっている部屋を訪ねたフレデリックは、部屋に入るなり目をむくことになった。


 コレットはまだ寝間着のまま、寝台の上に座っていた。大きなクッションをしっかりと抱きしめ、何やらぶつぶつとつぶやいている。


「……コレット、どうした?」


「フレデリック様……私、許せないんです」


 青みを帯びた銀の髪は乱れ、その下から鮮やかな青い目がのぞいている。彼女にしては珍しく、その目には明らかな怒りが浮かんでいた。


「許せないとは、何についてだろうか」


 そうフレデリックが問いかけると、コレットはせきを切ったように話し始めた。


「……私が、ろくに社交界でやっていけない娘だって言われるのは仕方ないんです。本当のことですから。でも……でも」


 コレットの肩が、小刻みに震えていた。心配になったフレデリックがその肩に触れようとした時、コレットは普段とはまるで違う低い声で言い放った。


「パナシーアは、間違いなく成功作だった……それを欠陥品にしたのはイザベルなのに、あんな嘘までついて……」


 彼女は顔を上げて、はっきりと言い放つ。


「イザベルはたくさんの人を苦しめた!! そのことだけは、許せない!!」


 いつもは深い湖のように澄み渡っている彼女の青い目は、まるで炎のように燃え上がっていた。


「コレット……君は、どうしたい」


 戸惑いながら、フレデリックが尋ねる。コレットは小声で、短く答えた。


「真実を、知りたいです。どうしてこんなことになってしまったのか。そして全てを、あるべき姿に戻すこと。それが私の、望みです」


「……それによって君が、さらに傷つくかもしれない。それでもか」


 その言葉に、コレットはすぐに力強くうなずいた。


「はい。私が傷つくことよりも、このまま真実がうやむやになってしまうほうが、よっぽど嫌です。私の作るポーションを、みなが安心して口にできないのも嫌なんです。だって私のポーションは、とてもよく効くんですから」


「……君は本当に、まっすぐだな。そして君の頭の中にあるのは、相変わらずポーションのことばかりなのだな」


 そうつぶやくフレデリックの声は、とても優しかった。


「だからこそ、俺は君を見つめずにはいられないのだ。その生き様の美しさに、目が吸い寄せられて仕方がない」


「美しいでしょうか。私はただ、あるがままに生きているだけです。ただ、そのあるがままがちょっと普通とは違っているのも、自覚しています」


 突然別のことを語りだしたフレデリックに戸惑うことなく、コレットが静かに返す。フレデリックも静かに微笑んでうなずく。


「ああ、君はそれでいい」


「……それにあのパナシーアは、あなたと二人で協力して作り上げた特別なものです。私にとっては大切な子供のようなもの。それをおとしめられたままなんて、我慢ならないんです」


 堂々としたコレットの言葉とは裏腹に、フレデリックの明るい紫の目はほんの少し泳いでいた。


 コレットにとってパナシーアが子供のようなものだというのなら、自分にとっても同じようなものだ。彼はそう考えたついでに、こう思ってしまったのだ。つまりあのパナシーアは、二人の間の子供なのだと。


 くすぐったくて照れくさい感情が一気にわき起こってきて、胸がむずむずするのをフレデリックは感じていた。たぶん彼が普通の青年であったなら、思い切り赤面していただろう。


 しかし彼は、二番目とはいえ王子だった。外交などの場では、うかつに本音を顔に出してしまうのは禁物だ。だから彼はフランシスともども、子供の頃からみっちりと特訓を積んできたのだ。


 今までの訓練で学んだことを総動員して、どうにか彼はいつも通りの表情を作ることに成功した。そのまま彼は、コレットに手を差し出す。


「そうだな。君の子供のためにも、共に真実を見つけにいこう」


 コレットはその手を取ろうとしたが、突然真っ赤になった。驚くほどの速さで、毛布をすっぽりとかぶってしまう。


「あ、あの、よく考えたら私、まだ寝間着のままでした! 続きのお話は、着替えてからにしてください! うう、恥ずかしい……」


 さっきまでとは打って変わったあわてふためいた声が、毛布の塊の中から聞こえてくる。フレデリックは愉快そうに笑いながら、部屋を出ていった。


 フレデリックの顔には、もう焦りは浮かんでいなかった。

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