23.イザベルという人物
そうしてコレットとフレデリックは、荷物をまとめて王宮に戻ってきた。療養所に向かった時と同じように、魔導具の力を使って一瞬で。
「君はこのまま、客間で休んでいてくれ。俺は少し、兄上と話がある」
「あの、でも……」
自分にも、なにかすべきことがあるのではないか。そう言いかけたコレットの手を引いて、フレデリックは大股で客間に向かう。イザベルが使っている部屋からは離れた、静かな一角にある部屋だ。
「……おそらく明日、イザベルの話を聞くことになる。それはきっと、君にとってつらいものになるだろう。だから今日はしっかり休んで、英気を養うのだ」
そう言うと、彼は懐から小瓶を取り出し、コレットの手に押し付けた。その小瓶の中では、美しい青色の液体が揺れている。
「安眠に効く、とびきりのポーションだ。俺が知る限り最高の腕を持つ者が作ったポーションだからな、絶対に効くぞ」
さわやかに笑って、フレデリックは部屋を飛び出していく。一人残されたコレットは、ぽかんとしてから手にした瓶をまじまじと見つめた。
「これ、前に私が作ってフレデリック様にあげたやつだ……」
泣き笑いに顔をゆがめて、コレットは瓶の中身をそっと飲み干す。甘さのかけらもない、さわやかな酸味が喉を駆け下りていく、そうして彼女は、もう一度微笑んだ。
「……フレデリック様がいてくれて、本当によかった」
そうして彼女は寝台に横たわり、目を閉じる。やがて、安らかな寝息がかすかに聞こえ始めた。
部屋を飛び出したフレデリックは、まっすぐにフランシスの部屋を目指していた。既に部屋着に着替えていたフランシスは、深夜に訪ねてきた弟を快く招き入れる。
「フレデリック、戻っていたのか。こんな夜分に、どうしたんだ?」
「兄上、少々話したいことがあるのです。俺と兄上の、二人きりで」
フレデリックがそこまで言ったところで、フランシスは悲しげな顔をした。どうやら、弟が何の件について話にきたのか、彼には大まかな見当がついたらしい。
「……済まない、パナシーアの件については、まだ調査が済んでいなくてね」
「その件について、新たな証言が得られました」
兄の目を見つめて、フレデリックはきっぱりと言い切る。まったく同じ二つの顔が、無言のまま見つめ合った。
「どういった内容だろうか」
フランシスの言葉に、フレデリックは神妙な顔で事情を手短に説明する。メイドと薬師の証言、そしてパナシーアの件の黒幕がおそらくイザベルであるということを。
「ですが、どうして彼女がそのようなことをしたのか、その理由が不明なままなのです。だから俺はコレットと共に、明日にでもイザベルを問いただそうと思っています。ただ」
フレデリックが言葉を切り、視線をそらす。
「……俺はイザベルのことが、分からないのです。俺から見た彼女は、コレットの親しい友人でした。それなのになぜ、コレットをおとしめるような行いに手を染めたのか……」
戸惑いに揺れていたフレデリックの目が、力強く輝く。
「きっと彼女は、見た目通りのたおやかな令嬢ではない。話を聞く前に少しでも、彼女についての情報を集めておくべきだと思いました」
「なるほど、それで私に、イザベルについて聞きに来たのだね」
フランシスが、ほんの少し苦しそうな目で口を開いた。フレデリックは無言で、大きくうなずく。
「そうだね、私から見た彼女は……イザベルは、何を考えているか分からない、つかみどころのない女性だと、私はそう思う。彼女はとてもしたたかで、抜け目のない女性なのだという、そんな気がする」
フレデリックと同じ顔で、フランシスは語る。弟とはまるで違う、落ち着いて大人びた表情で。
「あの聖女令嬢という仕組みも、そもそも彼女の提案がもととなっている。危険な賭けかもしれないと思ったけれど、民の混乱を速やかに収めるには、最善の手だと思ったんだ。あの時は」
「あの時は?」
戸惑った声で、フレデリックが問う。フランシスは困ったような顔で、静かに言葉を返した。
「今は少し、後悔している。民の動揺は落ち着いてきた。けれどそれでも、私は賭けに負けてしまったのではないか、何かを見落としているのではないか。そう思えてならないんだ」
「そう、でしたか……」
兄の言葉をかみしめているような顔で、フレデリックがうつむいて黙り込む。
「少し、話がそれてしまったね。彼女の真意を聞きたいのなら、直接君が彼女と話すのが一番だと思うよ」
フランシスは迷うことなくそう言い切る。その言葉に、フレデリックが驚いたように顔を上げた。
「俺が、ですか?」
「そう、君だ。私にも、イザベルのことはよく分からない。ただ彼女が君のことを気にかけている、もっと言うなら懸想していることだけは間違いないよ」
「なっ!?」
その言葉がよほど思いもかけないものだったのだろう、フレデリックが明るい紫の目を見張って絶句する。
「やはり君は、気づいていなかったんだね。君はいつもコレットのことばかり気にかけているし……おそらくイザベルは、だからこそコレットを追い払いたくてたまらなかったのだろう」
男女のあれこれについてはどうしようもなくにぶいフレデリックに、フランシスがしみじみと言う。
「彼女が本心を打ち明けるとすれば、その相手は君をおいて他にないと思う。それで駄目なら、また対策を考えよう。私も力を貸すよ」
「はい、助言ありがとうございます、兄上。頑張ってきます。……コレットのためにも」
「うまくいくよう、祈っているよ」
そう言って、フランシスはゆっくりとうなずいた。けれど弟と同じ明るい紫の目は、ほんの少し不安げに揺らいでいた。
次の日の朝、目覚めたコレットは自分がどこにいるのかすぐに思い出せなかった。少し遅れて、ああ、ここは王宮の客間なのだと気づく。
「……今日、イザベルと話をするのね……」
同時にそのことも思い出してしまい、コレットの顔がくもった。重い足取りで寝台を出て、身なりを整える。
「コレット、起きているか」
ちょうどその時、部屋の外からフレデリックの声がした。
コレットが扉を開けると、そこには朝から元気いっぱいのフレデリックが立っていた。だがその目元にかすかにくまが浮いていたのを、コレットは見逃さなかった。
「よく眠れたか? これから朝食だ、しっかり食べておくといい」
「……フレデリック様、もしかして夜更かししました?」
「やはり、君には見抜かれてしまうな。何、ちょっと考え事をしてしまってな。これくらい問題はない。執務が立て込んだ時など、徹夜することだってあるのだから」
そう言い張るフレデリックに、コレットは荷物の中から瓶を一本ひっぱりだし、彼に押し付けた。療養所にいる間に二人がもう一度作った、パナシーアの小瓶だ。
「これ、どうぞ。昨夜のお礼です」
「ああ、確かにこれはちょうどいい。ありがたくもらおう」
フレデリックはさわやかに笑って、パナシーアを飲み干す。気のせいか、ほんの少し顔色が良くなったようにコレットは感じた。
「これで、俺の体調も万全だ。いよいよ、この騒ぎにけりをつけよう」
「……はい」
「暗い顔をするな、きっと、いや必ず大丈夫だ。君は安心して、ついてきてくれ」
フレデリックは普段から、妙なところで行動力がある。コレットは今、彼のそんなところをとても頼もしいと思っていた。
そうして朝食を済ませた二人は、イザベルのもとに向かった。聖女令嬢としてあがめられている今の彼女は、王宮でも一番上等な客間で暮らしているのだそうだ。
訪ねてきた二人の顔を見て、イザベルは大いに驚いているようだった。
「まあ、フレデリック様! わざわざわたくしのもとを訪ねてくださるなんて。それにコレットまで。あんなことになってしまって、心配していましたのよ」
コレットは暗い顔で、小さくうなずいた。彼女はイザベルの目に浮かんでいる優越と嫌悪の色を見て取ってしまったのだ。イザベルが友人だと信じ込んでいた時には、一度も気づかなかったよどんだ色を。
そうして、フレデリックが静かな声で言う。
「イザベル。今日は、君がしたことについて問いただすためにきた」




