20.私にとって、ポーションとは
療養所の裏手の山の頂上、そこで二人は夜を迎えていた。もう食事も終え、あとは眠るだけだ。
「……本当に、ここで眠るんですか? ただの草っぱらの、ど真ん中ですよ?」
「だからいいのだ。ここでなら、何にも邪魔されることなく星空を見られる」
そう言うと、フレデリックは地面に敷かれた毛布の上にどすんと寝転がった。仰向けになり、にっこりと笑ってみせる。
「ああ、思った通りだ。今日はとびきり星が綺麗だぞ。手を伸ばせば届きそうだ」
その言葉に、コレットも興味を持ったらしい。戸惑いながらフレデリックの隣に腰をおろし、そろそろと横たわる。
「うわあ……」
驚きと感嘆の声が、コレットの口からもれる。彼女はちょっとだけ、泣きそうになっていた。
「こんなに綺麗な空、初めて見ました……」
「そうだろう。俺も初めて見た時は、思わず涙してしまった」
「その気持ち、分かります」
ほうとため息をもらして、コレットはつぶやく。
「なんだかこうしていると、悩みごとが消えていきそうな気さえします。そんなはず、ないんですけどね」
「いや、案外そういうこともあるかもしれないぞ? 気分が明るくなれば、自然と頭もすっきりする。そのついでに新しい解決法を思いつくことだって、あるかもしれない」
「そうでしょうか……」
コレットがぼんやりとした目を、星空に向ける。やがて彼女の唇から、か細い声がもれてきた。
「……私、ポーションを作るのが……怖くなってしまったんです。一番の自信作が、あんなことになって。パナシーアに向けられた怒りの声が、今も聞こえてくるような気がして」
フレデリックは何も言わない。けれどコレットには、彼がしっかりと耳を傾けてくれていることが分かっていた。だから彼女は、さらに言葉を続ける。
「生まれて初めてポーションを作ったのは、六歳の時でした。あれから十年、私はずっとポーションを作っています。私にはそれしかないんです」
コレットの声に、涙が混ざる。フレデリックはそっと手を伸ばして、コレットの手をにぎった。
「ポーション作りは、私が私である証なんです。でも今の私は、ポーションを作れない。私、いったい何者なんでしょうか」
「君は君だ。ポーションを作れようが作れなかろうが、関係ない。君自身が分からなくなってしまっても、俺には分かっている。だから、心配するな」
とても静かに、フレデリックが口をはさんだ。コレットはびくりと肩を震わせて、隣のフレデリックを見ようとする。その拍子に、涙がぽろりとこぼれ落ちた。
フレデリックは寝転がったまま、まっすぐに天を見つめていた。揺るぎない穏やかな笑みを浮かべたその顔は、やけに大人びて見えた。
コレットはフレデリックの手をしっかりとにぎって、ぽろぽろと涙を流しながら星空をながめていた。ずっと重くよどんでいた胸の中の何かが、涙と一緒に流れ出ていくような、そんな感覚を覚えながら。
そうして、二人が療養所に来てから一か月が経っていた。しかしパナシーアについての調査は、一向に進んでいなかった。
ある日、一人王都に戻って食料や必要な物資を仕入れてきたフレデリックが、なんとも複雑な顔をして帰ってきた。出迎えたコレットに、彼は悩みながら言う。
「その……これは君に聞かせていいのか悩んだのだが……しかし知らせないままというのも……」
そんな前置きと共に、フレデリックが衝撃の事実を告げた。今王都では、魔女令嬢に代わり民たちにポーションを分け与える存在が話題になっているのだと。
聖女令嬢。そう呼ばれて民に慕われているのは、なんとイザベルだった。
「イザベル、とても熱心にポーションのことを勉強していましたから、納得はできますけど……でも、驚きました」
「俺も驚いた。民の不安を鎮めるために、兄上がイザベルと共に考え出したことなのだそうだ」
フレデリックが困ったようにため息をつき、それからコレットに笑いかける。
「だが、彼女がそんな名で呼ばれるようになったことで、魔女令嬢の悪評が薄れつつあるらしい。みな、新しいものに飛びついて、古いものについては忘れていく。そういうことなのだろうな。俺たちが王宮に戻れる日もそう遠くはないだろうと、兄上はそう言っていた」
「……そうなったら、私は自分の屋敷に帰ります。ポーションを作れない以上、もう王宮の離れにいる意味もありませんから」
寂しそうに、コレットがそう言った。フレデリックは思わず彼女を抱きしめそうになるのをこらえ、小さくうなずいた。
「君の意思は尊重したい。だがそれでも、俺は君があそこに残ってくれれば嬉しいと、そう思う」
「……はい」
それきり黙り込むコレットを、フレデリックは悲しげな、しかし温かい目で見守っていた。
そんな話をしてから、さらに数日後。フレデリックは朝から、どことなくけだるそうにしていた。そうして昼頃、療養所の庭を歩いていた彼はふらふらと木陰に向かい、そのまま座り込んでしまったのだ。
「フレデリック様、顔が赤いです。もしかして、熱でもあるのでは……」
「……ああ、久しぶりに体調を崩してしまったようだな。済まないが、しばらく休む。なに、二、三日も寝ていればすぐに治るだろう」
子供の頃は病弱だったというフレデリックは、だるそうにしながらもとても冷静だった。病気自体に慣れている、そんな態度だった。しかしその声はかすれ、ひび割れている。
「だったら、王宮に戻ったほうが……」
「なに、ここのほうが静かでいい。……別に、君を一人きりにしたくないとか、そういったことではない……いや、あるな」
熱のせいなのかいつもより少しだけ素直にそう言って、フレデリックは部屋に引っ込んでいった。一人残されたコレットは、呆然としながらつぶやく。
「発熱と倦怠感、それにのどの痛み……私には、レシピが分かる。材料になる薬草も全部ある。あれくらいなら、すぐに治せる。前にも、作ったことがある」
コレットはフレデリックが去っていった方を見て、それから裏手の草地を見る。そちらには、必要な薬草が生えている。けれど彼女の足は、ぴくりとも動かなかった。
「……でも……もし、失敗したら?」
狂ってしまったパナシーアのように。かつてフレデリックが偶然口にしてしまった、あの惚れ薬のように。
自分のポーションはよく効く。裏を返せば、失敗したときの問題も普通のものより大きいのだ。
すっかり自信を失ってしまっている今のコレットは、失敗することがなにより恐ろしかった。またフレデリックを大変な目にあわせてしまったらどうしよう。彼女は、そんなことばかり考えてしまっていた。
「……放っておいても、数日で治る。フレデリック様はそう言っていた。私も、そう思う」
コレットは一人、つぶやき続ける。自分自身に、語りかけるように。
「でもその間、フレデリック様は苦しみ続ける。それでいいの?」
ポーションを作れなくても、君は君だ。星空を見ながら彼が言った言葉が、コレットの頭の奥で鳴り響く。これからも王宮に残っていて欲しいという言葉も。
うつむいて、コレットは考え続ける。やがて彼女は顔を上げ、ひとつ深呼吸した。
それからゆっくりと大股に、歩き出す。屋敷の裏に広がる、草地に向かって。
二時間後、コレットはフレデリックの部屋を訪ねていた。両の手のひらで包み込んでしまえるくらいの、小さな瓶を手にして。その中では、さわやかな空色の液体が揺れていた。
彼女はあれから必要な薬草を集めて、大急ぎでポーションを作り上げたのだった。戸惑う心とは裏腹に、彼女の手は全ての作業を完璧にこなしていた。
そうして彼女は、寝台に横たわるフレデリックに声をかけた。今までの人生で一番、勇気を出して。
「……あの、フレデリック様」




