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19.現実から目をそらして

「フレデリック様、そっちに行きました!」


「任せろ、コレット!」


 そんな二人の叫び声に続き、ばしゃんと大きな水音がした。


「よし、つかまえたぞ!」


 フレデリックが嬉しそうに叫ぶ。二人は療養所近くの川の上流で、魚を捕っていたのだ。それも、手づかみで。


 この辺りは川幅が狭く、しかも浅いので、うまく立ち回れば道具を使わずに魚を捕ることもできるのだ。


 慣れているフレデリックと、こういったことはもちろん初めてのコレット。二人は協力して、もう何匹も魚を捕まえていた。


「そろそろ、十分な数が集まったな」


「じゃあ、昼食にしましょう」


 浮かれた声でそんなことを言い合いながら、二人は川から上がってくる。濡れた足を手早く拭いて靴を履き、慣れた手つきで支度を始めた。


 フレデリックはナイフで魚をさばき、木を削って作った串に通して塩を振る。コレットは持ってきていた野菜をきれいに切り、同じように串に通していた。


 それから地面に木の枝を組み上げて火をつける。何度もこんな風にしてたき火をおこしていたので、コレットももうすっかり手慣れていた。


 たき火の周りに魚と野菜の串を並べてから、二人はそのそばに腰を下ろす。


「魚、たくさんとれましたね」


「ああ。残りは持ち帰って、夕食の材料にしようか」


「でしたら、私が煮込みを作ります。白身のお魚に合いそうな香草の調合を思いついたので」


「そうか、楽しみにしているぞ。君は最初から、煮込み料理はやたらと上手だったからな」


 さすがは魔女令嬢と言いかけて、フレデリックはその言葉をあわてて飲み込む。


 コレットは王宮を離れてこの療養所に来てから、一度もポーションを作ろうとはしなかった。


 必要な道具は一通りそろっているし、周囲には薬草も豊富に生えている。彼女さえその気になれば、いくらでもポーションを作ることが可能だった。


 けれど彼女はこんな風に、毎日フレデリックとふらふらしているだけだった。今日は川遊び、昨日は山歩き、その前は散歩と薬草のスケッチ。


 そしてその間彼女は、すすんで薬草を摘もうとはしなかった。たまに摘んでも、それはそのまま食事やお茶の材料となっていた。


 とびきりの一品になるはずだったあの自信作、パナシーアのことが、まだこたえているのだろう。フレデリックはそう考えていた。


 だから彼は何事もなかったような顔で、話をするりとそらす。


「しかし君も、すっかり野外での生活に慣れたな。料理もうまくなったし、魚を捕るのも上達した。そうだ、どうせなら丸一日療養所を留守にして、遠出してみないか?」


「遠出って、何をするんですか? しかも、夜まで外にいるんですか?」


「森を歩いて木々のざわめきに耳を澄ませ、山を上り空の青さに思いをはせる。そんなところだな。時間をかける分遠くに行けるし、満天の星空の下眠るのはとても素晴らしいぞ」


「外で眠る……ですか」


 当然ながら、コレットにはそんな経験がない。そもそもフレデリックと知り合うまで、彼女は屋敷から出ることすらあまりなかったのだ。


 彼女がためらっているのを感じ取ったフレデリックが、少々強引に食い下がる。


「なに、恐れることはない。この辺りには危険な獣は出ないし、明かりの魔導具を持っていけば鹿や狐も寄ってこないからな。もし何かがやってきたとしても、俺は剣術の心得がある」


 どうやら、フレデリックは何が何でも自分を遠出に連れ出したいらしい。そう理解したコレットは、顔をほんの少しだけくもらせたまま考える。


 本音を言えば、あまり気乗りがしなかった。フレデリックは目を輝かせているが、床も壁も屋根もない、もっと言うならベッドもないところで眠るなど、彼女には想像もつかなかった。


 けれど、とコレットは自分に言い聞かせる。


 精魂込めたパナシーアが騒ぎを引き起こして呆然とする自分を、ずっと支え、励ましてくれたのは彼だった。もし一人でここに来ていたなら、きっと自分は療養所に引きこもって、日々ふさぎこんでいただろう。


 でも彼が毎日療養所から連れ出して、あれこれと連れ回してくれた。毎日忙しくて、色々なことを思い悩む暇すらなかった。


 だったらこの彼の提案にも、乗ってみるべきなのだろう。コレットは心を決めて、そろそろとうなずく。


「そうか、ならば今日のうちに準備をして、明日の朝一番に出かけよう」


 返ってきた見事な笑顔に、コレットはほっと胸をなでおろす。緊張したし迷ったけれど、この選択をして良かったと、そう思いながら。




 そうして次の朝、二人は療養所を発っていた。コレットはごく普通の大きさのリュックを、フレデリックは身長の半分もありそうな大きなリュックを背負って。


「私、もう少し荷物を持てますけど……」


 あまりにも荷物の大きさが違うことを気にして、コレットがそうつぶやく。フレデリックは得意そうに胸を張っていた。


「何を言う、君はか弱い女性だ。男性であり、体を鍛えている俺が大きな荷物を持つのが当然だろう」


「ええっと……ありがとうございます」


 はにかみながらコレットが口にしたその言葉に、フレデリックが頬を赤らめる。目を見開いて、ぷいと横を向いた。


「別に、いちいち礼を言わなくてもいい。これは俺が勝手にやっていることなのだからな。そうだ、これは鍛錬なのだから」


 どうやら、久々に照れ隠しが頭をもたげたらしい。少々苦しい言い訳を付け加えて、フレデリックは足を速める。


 コレットはぽかんとしていたが、駆け足でフレデリックを追いかけた。彼女の顔には、くすぐったそうな笑みが浮かんでいる。


「だったら、私も鍛錬しますね。普段運動不足ですから、ちょうどいいです」


 そうして二人は、跳ねるようにして進んでいった。どちらからともなく笑い声がもれ始める。


 二人の行く手には、朝の柔らかい太陽がおっとりと輝いていた。




 その日の夕方、二人は療養所の裏手にそびえる山の頂上にいた。そこは背の低い木々に囲まれた空き地になっていて、石を組んで作ったかまどが真ん中にすえられている。


「前に来た時に作ったものだ。もうかなり前のことだが、まだ十分に使えそうだな」


 かまどを確かめて笑顔になるフレデリックに、コレットは小首をかしげて尋ねる。


「そういえば、フレデリック様はやけにこの辺りに詳しいなとは思っていたんですけど、前にも療養所に来たことがあるんですか? その、フレデリック様は病気とは無縁に見えますが……」


「はは、そう見えるか? だが実は、子供の頃の俺は少々病弱でな。空気のいいここで数か月ほど療養していたのだ。……もっとも、医者や使用人たちの隙をついて、よく脱走して辺りの野山をうろつき回っていたが」


 フレデリックは妙な具合に行動力があるが、療養先でもそんなことをしていたとは。コレットはおかしさをこらえきれず、小さくふふと笑っていた。


「病人が山歩きとは、確かにおかしいだろう。だがそうやってあちこちを歩き回ったおかげで、俺はこうして健康な、たくましい体を手に入れたのだ」


 ばんと手のひらで胸を叩きながら、フレデリックは頼もしい笑みを浮かべる。


「そうして俺は、たまたまこの山の上に続く道を見つけた。あの頃はまだ小さかったし、ここまで登ってくることはできなかった」


 彼の視線が、辺りの木々に向けられる。懐かしんでいるような声で、彼は続けた。


「俺はそれが悔しくて、三年後に兄上を誘ってもう一度療養所に来た。そうして使用人たちの手を借りながら、ここまで登ってきたんだ。みんなで手分けして荷物を持ち、みんなで一緒にこの山頂で眠った。あの日の星空は、今でもはっきりと覚えている」


 凛々しくさわやかな横顔に、コレットはつい見とれてしまう。それに気づいているのかいないのか、フレデリックはにっこりと笑った。


「さあ、暗くなる前に火をおこしてしまおう。それから夕食の支度だ。ずっと歩いてきたから、きっととびきりおいしいぞ」


 それから二人は手分けして火をおこし、食事の準備を始めた。フレデリックが少し離れた水場まで水を汲みに行き、コレットは食材を切り始める。


 フレデリックが去っていったほうを眺め、コレットがふとつぶやいた。


「フレデリック様は虚弱体質を克服し、すっかり元気になった……。私も、克服しないと、いけないんだろうな」


 何のことやらさっぱり分からないそんなつぶやきは、誰の耳にも届きはしなかった。

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