18.その頃王宮では
「フランシス様、本日の報告書ができあがりましたわ」
やけに可愛らしい声でそう言いながら、イザベルが書類の束をフランシスに差し出した。フランシスはそれを受け取ってさっと目を通すと、イザベルに笑いかける。
「ありがとう、イザベル。『友人の濡れ衣を晴らしたいから、パナシーアの調査を手伝わせてほしい』と君が言い出した時は、さすがに悩んだが……君は思っていたよりもずっと優秀だ。これからも、頑張ってくれ」
「はい、お褒めいただきありがとうございます。必ずや、フランシス様の期待にこたえてみせますわ」
優雅に礼をして、イザベルはフランシスの部屋を後にした。その赤い唇は、大きな笑みの形につりあがっていた。
王宮の一室、今はイザベルの仕事部屋として使われている部屋に戻ると、イザベルは部屋の鍵をしっかりとかけた。
それから部屋中を眺め、クローゼットの中や奥の部屋、ベッドの中や下を一通り改める。
どうやら彼女は、部屋に自分以外の人間がいないことを確かめているらしい。やがて彼女は部屋の真ん中に立つと、くすくすと笑い始めた。
「ああ、最高にいい気味ですわ。あのパナシーアはすっかりぽんこつに成り果てましたし、コレットを追い出すこともできましたもの」
満足そうな顔で、彼女はつぶやき続ける。
「調査団の中にもぐりこめてしまうなんて、ついていましたわ。内側から調査の足を引っ張っていけば、真相を闇に葬り去ることもできるでしょう。そうしているうちに、どんどんコレットの名は地に落ちていく。本当にいい気味」
うっとりとしたイザベルの表情が、ふと凍り付く。さっきまでとは打って変わった冷たい声で、彼女はまた独り言を口にし始めた。
「……もうどうあっても、フレデリック様の心は手に入らなさそうだった。それもこれも、全部コレットのせい。わたくしがずっと前から大切にしてきた恋心を、あの子は思い切り踏みにじった。無意識とはいえ、許せない」
ほんの一瞬だけ、イザベルは寂しそうな顔をした。しかしすぐに、もとのゆがんだ笑みが浮かんでくる。
「だからわたくしも、コレットに目にもの見せてやると決めたんですのよ。そうしたらとたんに、とんとん拍子にことが進みましたわ。うまくいきすぎて、怖いくらいに」
おどけたように身震いしながら、イザベルはくすくすと笑った。先ほどよりもずっと大きく、ずっと狂気をはらんだ声で。
「そもそも今回の件、犯人はこのわたくしですのにね。誰も気づいてはいないようですけれど」
イザベルは机に近づくと、引き出しの奥から紙束を取り出した。この紙束は、コレットの隙をついて少しずつ書き写した、コレットの研究ノートの写しだった。
ぱらぱらと紙束をめくっていたイザベルが、一枚の紙を引っ張り出す。そこには、パナシーアのレシピが記されていた。その上からイザベルの字で、何かがこまごまと書き込まれていた。
「あの子が、よりによってフレデリック様まで巻き込んで作った、最高傑作になるはずだったポーション。これを台無しにしてやれば、あの子もさすがに打撃を受けるでしょう。そう思ったのですけれど、まさか王宮を逃げ出すなんて。ああ、すっきりしましたわ」
民に配られたパナシーアは、コレットたちがフランシスに提出したものとは違ってしまっていた。そのことを知っているのは、イザベルただ一人だった。
薬師たちの隙をついて、イザベルはレシピに近づき、余計な材料を一つだけ書き足したのだ。コレットが普段使っているのと同じインクで、彼女の筆跡を真似て。
ずっと薬草やポーションについて学んできたおかげで、イザベルはパナシーアの効果を台無しにできる材料を正しく選び出すことができた。見た目や匂いを大きく変えることなく、しかし効果をはっきりと損ね、さらに飲んだ人間が体調を崩すように仕向ける、そんな材料を。
パナシーアのレシピが複雑だったことも、彼女に味方した。元のレシピを見たことのあるフランシスは、レシピが変わっていることを見抜けなかった。そして薬師たちも、手を加えられたパナシーアもどきが人々に害をなす可能性に気づいていなかった。
魔女令嬢が精魂込めて作り上げた作品。その言葉に、彼らの目がちょっぴりくもっていたのも、さらにイザベルに有利に働いていた。
もちろん、パナシーアの調査の過程で、コレットがレシピを再確認することになった。しかしイザベルは抜かりなく、コレットの手元には元の正しいレシピが届くように細工していた。だからコレットですら、パナシーアが偽物になっていることに気づかなかったのだ。
こうして、イザベルのたくらみはうまくいった。ポーションに通じているコレットを叩きのめすなら、ポーションに関することで。イザベルはそう考えて、ずっと勉強に励んでいたのだ。
と、イザベルがふうとため息をつく。
「……フレデリック様まで一緒に逃げたというのは、心底腹立たしいですけれど。でも、もう仕方ないのでしょうね。わたくしも、前を向いていかなくては」
イザベルは紙をひとまとめにすると、また引き出しにしっかりとしまい込む。それから軽く髪を手で整え、作業部屋を後にした。
「フランシス様、少々よろしいでしょうか?」
またしても可愛らしい声で、イザベルがフランシスに話しかける。執務中だったフランシスは、フレデリックと全く同じ顔をほころばせて、イザベルのほうを向いた。
「ああ、君か。もしかして何か、新たなことが分かったのだろうか?」
何も知らないフランシスは、期待に満ちた目でそんなことを尋ねている。イザベルは悲しげな顔で首を横に振った。
「申し訳ありません、まだ、何も……力及ばず、悔しいですわ」
しれっとそんな嘘をついて、イザベルはフランシスの隣に立つ。かよわさを見せつけるように小首をかしげて、目をぱちぱちとさせながら言葉を続けた。
「今回は、それとは別にひとつ、思いついたことがありまして……そちらのお願いに、参りました」
「いったい何を思いついたのだろうか」
「今、民は混乱しています。かの高名な魔女令嬢のポーションが、急に役立たずのしろものとなってしまったからですわ」
「……そうだな。こんなことになると、誰が予測できただろうか……コレットとフレデリックがパナシーアの資料を持ち込んだあの日、私たちは輝かしい未来だけを思い描いていた」
コレットの名が出てきたことにわずかにいらだちつつも、イザベルは上品に言葉を続ける。
「過ぎたことを悔やんでも仕方ありませんわ、フランシス様。こうなってしまったからには、急ぎ民を落ち着かせなくてはなりません」
自信たっぷりに、そして意味ありげにイザベルが微笑む。フランシスは明るい紫の目を見張り、じっと彼女を見つめた。
「そのために、魔女令嬢に代わる新たな目印を作ってやるというのはどうでしょう。今まで民は、魔女令嬢が作ったものならばと、彼女のポーションをこぞって買い求めておりました。同じように、民が安心してポーションを買うことができる存在を示してやるのですわ」
「民が信じることができる、何か別の目印を作る、か……」
「ええ。例えば『フランシス殿下もお認めになった、特別なポーション』とか、そういった感じのものですわ」
その言葉に、フランシスは難しい顔をする。彼の頭の中に、フレデリックの面影がよぎっていた。
幼い頃の彼ら兄弟は、とても仲が良かった。彼らはいつも一緒で、そこに上下はなかった。しかしいつしか、フレデリックの態度は変わっていった。彼は、自分は第二王子でしかないのだと、そう主張して一歩引くようになっていた。
弟はその立場に縛られているのだと、フランシスはそう考えていた。しかしフランシスもまた、弟と似たようなものに縛られ続けていたのだ。
自分は第一王子だ。国を傾けないために、自分は傷のない象徴とならねばならない。民が心から自分を信じられるように。彼は子供の頃からそう考えていた。
だからこそ、彼はとても慎重で、穏やかな人物になったのだ。周囲と衝突し、余計なことでもめないように。
そんなことを思い出しながら、フランシスはゆっくりと口を開く。
「……私の名は、そのような形で使うのは危険だ。特に、コレットのことがあった直後だから」
さらに考え込んでいたフランシスの目が、イザベルの上で止まった。
「……イザベル、君はもしかして、基本のポーションを作れたりはしないだろうか」
「まあ、突然どうされましたの?」
「君を、二人目の魔女令嬢とするのはどうだろうか。当たり障りのないポーションを、君の名で売り出す。そうすれば民は、君に注目する。彼らの不満を、より早く鎮めることができるだろう」
イザベルは心底驚いたという顔で、深い緑の目をぱちぱちとまたたいている。
「ただ、またポーションについて民が不満を感じた時、今度はその怒りが君に向いてしまう。そういった意味では、危険な役どころなのだが……」
「いえ、フランシス様のおおせとあらば、粛々と務めてまいりたいと思います」
「済まない。だが、やはり君が最適なのだ。薬草やポーションの知識があり、人目をひきつける華のある人物。私の知る限り、ほかにはいない」
ためらいがちにそう言って、フランシスは目を伏せる。どことなく、悩んでいるような表情だった。
「後で、詳細を話し合おう。済まないが二時間後に、またここに来てくれ」
「はい、フランシス様。それではいったん、失礼いたしますわ」
そうしてイザベルは、フランシスの部屋を後にした。たおやかな足取りで廊下を進む彼女の口から、かすかなつぶやきがもれていた。
「……ふふ、計画通り、ですわね」




