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12.たまには仕事場を離れて

 フランシスと話した次の日、フレデリックはいつものようにコレットの住む離れに向かっていた。いつになく難しい顔で。


「さて、どうしたものか……」


 結局フレデリックは、あの後夜遅くまで考え込んでいたのだった。


 いったんはコレットを誘うと決めたものの、どのように声をかけていいのか分からなかったのだ。これならもういっそ、誘うこと自体をあきらめてしまおうか。


 彼はまだ、迷っていた。考え込みながら、離れの扉を開ける。そのとたん、声をかけられた。


「フレデリック様、何か私にできることはありませんか」


 扉のすぐ向こう側には、コレットが立っていた。とても真剣な表情で、フレデリックを見上げている。どうやら彼をここで待っていたらしい。


 思いもかけない言葉と、思いもかけない展開に、フレデリックはぽかんとしながら問いかける。


「何か……とは、いったい何のことだ」


「何でもいいです。私がフレデリック様にできること、ありませんか」


 すぐさま、フレデリックの脳裏をたくさんの答えが駆け抜けていった。だったら、目いっぱい着飾ったところが見てみたい。なんなら、そのまま一緒に舞踏会に出て欲しい。


 そんな浮かれた答えを頭から追いやって、フレデリックは精いっぱい冷静に言葉を返した。


「君はどうして、そんなことを言いだしたのだ。それも、こんなに唐突に」


「昨夜、ふと気づいたんです。今こうしていられるのは、フレデリック様のおかげなんだなって」


 コレットがはにかむように笑い、そっと目を伏せた。そんな表情もやはり可愛いと、フレデリックがついつい見とれる。


「前よりもポーションの研究がはかどっていますし……毎日フレデリック様と話せるのも、楽しくて。私、王宮に来てよかったなって、そう思うんです」


 その一言に、フレデリックは内心舞い上がらんばかりになっていた。


 実のところ、彼はずっと気にしていたのだ。毎日毎日彼は彼女のもとに通い詰めていたのだが、ひょっとしたらうっとうしがられているのではないか、と。


 コレットはあまり感情を表に出さないし、立場で言えばフレデリックのほうがはるかに上だ。嫌だと思っていても言い出せないでいるのかもしれない。彼はそんなことを、こっそりと心配していた。


「だから、お礼がしたいなって思いました。でも、何をしたらいいのか分からなかったので、こうして直接フレデリック様に聞くことにしたんです」


 彼の返事は、決まっていた。昨夜からずっと悩んでいた問題にようやく決着がつく時だと、彼はそう悟っていた。


「それは嬉しい話だな。ならば、少しつきあってもらおう」


 力強くさわやかにそう言い切って、フレデリックは胸を張った。コレットはほっとした顔で、こくりとうなずいていた。




「どうだ、こういうのも目先が変わって面白いだろう。……君が楽しんでくれると、その、俺としても……いや、なんでもない」


 その日の午後、二人は山の上にいた。周りはぐるりと森に囲まれていて、小鳥の声が聞こえてくる。人の気配は、まったくない。


「……フレデリック様のしたいことって、これなんですか……?」


 コレットはぽかんとしたまま、辺りをきょろきょろと見渡していた。


 二人の後ろには丸太を組み上げた小屋がひとつ立っている。そして二人の前、木々の向こうには湖か何かがあるらしい。水面がきらきらと光っているのが、ここからでもよく見えていた。


「そうだ。俺は時々、一人でこの山小屋に来る。そうして一晩泊まってから、また王宮に戻るのだ。少々風変わりな趣味なので、公にはしていない。知っているのは兄上と父上、それに側近たちだけだ」


 フレデリックは楽しそうだ。彼の肩には、大きな荷物がかつがれている。


 二人は王宮にある魔導具を使って、ここまでやってきたのだ。一瞬で移動でき、しかも行きも帰りも自由なこの魔導具は国宝の一つであって、コレットのようなただの貴族は一生目にすることもないしろものだ。


 今回はフレデリックの付き添いということで、特別に使用許可が下りたのだ。ついさっきまでコレットは魔導具をきらきらした目で見ていたが、いざ移動してしまってからはずっとこうして戸惑っていた。


「ひとまず中に入ろう。荷物を置いたら、まずは釣りだな。この季節の魚は脂がのっていて、とても美味なのだぞ」


 そう言ってフレデリックは、コレットの手を引いて小屋に入っていく。中はがらんとしていて、質素な木の寝台が二つと最低限の家具があるだけの部屋だった。けれど居心地は悪くなさそうだと、コレットはそんなことを思う。


 フレデリックは荷物の中から組み立て式の釣竿を二本取り出し、またコレットを連れて小屋から出ていく。彼は普段よりもずっとくつろいだ、柔らかな表情をしていた。


 そうして湖のほとりに腰かけて、二人並んで釣竿を垂らす。フレデリックに教わった通りに竿を動かして魚を誘いながら、とうとうコレットは我慢できずに口を開いた。


「あの、フレデリック様は、これから何をされるつもりなのでしょうか?」


「そうだな、まずは魚を釣って、夕食の支度をして……二人で食事をして、休む。明日の朝はその辺りを散歩してから朝食だ。そのあとはのんびりしてから、昼前には王宮に戻る。一応、そんな予定を立ててはいる」


 王子という立場にはまるでふさわしくないその予定に、コレットは目を白黒させていた。それがおかしくて、フレデリックがぷっと吹き出す。


「はは、やっぱり変わっていると思うか。だがこれは、俺の大切な気晴らしなのだ。……その、君がいればもっと楽しいかもしれないと、そう思った」


 フレデリックの明るい紫色の目に、水面のきらめきが映り込んでいる。辺りにあるのは静かな森と湖、そしてよく晴れた空、それだけだった。だからなのか、いつになくフレデリックは素直に言葉を紡いでいた。


「そしてできることなら、君にもこういったことを楽しんでもらえれば、と……」


 そこまで言ったところで、フレデリックがふと言葉をとぎれされた。その横顔がどんどん赤く染まっていくのを、コレットは目をぱちぱちさせながら見守っていた。


「いや、あくまでも俺は、君の友人で! ああそうだ、友人だ! だから、共に休暇を楽しむのも、当然で!」


「はい、当然ですね」


 急にあわてふためき始めたフレデリックに、コレットは優しく笑いかける。弟を見守る姉のような、そんな温かなまなざしだった。


「ここは静かな、素敵な場所だと思います。それに、こうやって釣りをするのも初めてで、わくわくしています。ここに連れてきてもらってよかったなって、そう思っています」


「あ、ああ。君が喜んでくれたなら、何よりだ」


 その時、コレットが手にしていた釣竿が大きくしなる。どうしていいか分からずに、コレットが困り果てた目をフレデリックに向ける。


「しっかりにぎっていろ、絶対に離すな!」


 そう言って、フレデリックがコレットの釣竿をしっかりとにぎる。互いの手はしっかりと触れ合ってしまっているし、互いの体はぴったりとくっついてしまっている。けれどそのことを気にかけている余裕は、今の二人にはないようだった。


 二人がかりで悪戦苦闘することしばし。ひときわ大きな魚が宙に舞い上がり、草地の上で大きく跳ねた。


「おお、これは大物だ!」


「うわあ、釣れた……!」


 手を取り合って喜ぶ二人。そして同時に、自分たちがあまりにも近づきすぎていることに気づく。ぱっと顔を赤らめつつも、どちらも手を放そうとしない。


 穏やかな午後、静かな湖のほとり。誰にも邪魔されることなく、誰に見られることもない。だから二人は、ただじっとお互いの姿だけをその目に映していた。言葉も忘れて。


 そんな二人を、通りすがりの水鳥たちが興味深そうに見守っていた。

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