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10.ちょっとした事故の結果

 コレットの作業部屋いっぱいに、赤紫の霧が立ち込めた。それが少しずつ晴れていき、やがて辺りが少しずつ見えてくるようになる。


「……無事か、二人とも」


「はい。……まさか、鍋が爆発するなんて……どうしてあんなことに……」


「わたくしも無事ですわ! それにしても、薬臭いですわ……」


 作業部屋の大机のすぐそばの床に、三人はかがみこんでいた。ついさっきまで赤紫の霧がたちこめていたというのに、三人の服も体も、少しも汚れてはいなかった。


「俺も無傷だ。しかし、あれほどの爆発で、汚れてすらいないとは……ああ、そういうことか」


 首をかしげていたフレデリックが、ふと納得したような顔でうなずく。


 彼の視線の先には、コレットの銀の髪に結ばれた青いリボンがあった。そこから淡い光がわき起こり、三人を優しく包み込んでいる。リボンに描かれた防御の魔法が、発動していたのだった。


「まさかこのリボンが役に立つなんて、思いもしませんでした。……本当にありがとうございます、フレデリック様」


 コレットが呆然としながらつぶやく。彼女はイザベルを守るように、しっかりと抱きかかえていた。さらにフレデリックが、そんなコレットにおおいかぶさっていた。


 赤紫の霧はどんどん薄れていき、やがて部屋の中がはっきりと見えるようになっていた。壁も床も、何から何まで毒々しい赤紫色に染まってしまっている。


 イザベルがコレットの腕から抜け出すと、真っ先に窓に駆け寄って勢いよく開けた。


「ああ、新鮮な空気ですわ……さっきは死ぬかと思いました。まったく、何て日ですの」


 彼女は自分がしでかしたことを棚に上げて、窓から身を乗り出すようにして深呼吸する。


 ようやく落ち着いてくるりと振り返ったイザベルは、しっかりとコレットを抱きしめたままのフレデリックの姿を目にして絶句する。


「ああ、君が無事で良かった……苦労しつつも防御の魔法を描いた甲斐があったな」


 どうやら彼は今の爆発でそうとう驚いたらしく、コレットを抱きしめる腕も、その声も、ほんの少し震えていた。


「このリボンの模様、やっぱりフレデリック様が描かれたんですか?」


 一方のコレットは、いつもと違うフレデリックの表情に、動揺しつつも目が離せないようだった。ほんのり頬を赤らめつつも、つい気になったことを尋ねてしまうのは、彼女らしいといえば彼女らしかった。


「そ、それは! ……その、練習台にしたんだ。ちょうど、防御の魔法の練習をしようと思っていたからな。きちんと効果があることを確認出来て、嬉しいぞ」


 そんなやり取りを、イザベルはこぶしをにぎりながら見すえていた。


 フレデリックがコレットを抱きしめているだけでも許せないのに、あのリボンの模様はフレデリックが描いたものだった。我慢の限界ですわ、とイザベルが心の中でつぶやく。


「……わたくしがいるのもおかまいなしに、何を仲良くされているのかしらあ……」


 窓辺から聞こえてきたどすのきいた低い声に、コレットとフレデリックは同時に顔だけをそちらに向ける。深い緑の目を細めて二人をにらんでいるイザベルの姿を見て、ようやく自分たちの体勢に気づいたらしい。


「これは、その、気が動転していただけだからな! 何せいきなり鍋が爆発したのだから」


「そ、そうですよね。私もびっくりしました」


 うっすらと頬を赤らめてそんなことを言い合う二人を、イザベルは燃えるような、呪うような目で食い入るように見つめていた。




 そんなことがあってから、イザベルは惚れ薬についてきっぱりとあきらめたようだった。


 やいのやいのとせきたてられなくなったコレットがほっとしたのもつかの間、イザベルはさらに不可解な行動に出るようになった。


 彼女は毎日のようにコレットのもとに通い、そして本格的にポーションづくりを学ぶようになったのだ。


「イザベル、今までずっとポーションには興味がなかったんですよ」


 もしかして、自分の手で惚れ薬を作るつもりなのかなあという言葉を飲み込みながら、コレットがそうつぶやく。いつも通りに作業をこなしながら、のんびりと。


「君の頑張る姿に思うところがあったのだろう。……別に、そんな君が素敵だとか、そういったことではないからな。ただ客観的に見て、その、そういうことだ」


 作業を見守っていたフレデリックが感心したように言い、それからあわてて顔を赤くして言い立てる。こちらもいつも通りの照れ隠しだ。


「はい、もちろん分かってます。……それにしても、イザベルと共通の話題ができて嬉しいな」


 無邪気に微笑むコレットを見て、フレデリックはまたさっと頬を赤く染めた。それをごまかすように咳払いし、話題を変える。


「そういえば、君たちはどういったいきさつで友人となったのだろうか」


 コレットとイザベルは、共に伯爵令嬢ではあったものの、それ以外に共通するところがまるでなかった。しかもイザベルは、コレットのことを下に見ているようでもある。フレデリックは二人の関係が、ずっと気になっていたのだった。


「親同士が古くからの友人なんです。私たち、年も一つしか違わないので……イザベルは、ずっと私のお姉さん代わりをしてくれました」


 そう語るコレットの目は、とても懐かしそうだった。


「私、子供の頃から本を読んでばっかりで、いつもイザベルに怒られてたんです。あなたも令嬢なのでしょう、そんなことでどうするんですの、って」


 イザベルの口調を真似ながら、コレットはふふと小さく笑う。


「彼女がいなかったら、私はろくに人付き合いをせずに大きくなったと思います。だからイザベルには、感謝してるんです」


「なるほど、それを聞いて納得した。彼女が君の友人なら、私にとっても友人のようなものだな」


 フレデリックの言葉に、コレットが不思議そうな顔をして小さく首をかしげる。少し遅れて、自分が口にしたことを理解したフレデリックが、あせりながら声を張り上げた。


「その、……友人だ! 私と君は、もう既に友人のようなものだろう! だから、君の友人は私にとっても友人だ!」


 それはとっさの言い訳でしかなかったのだが、コレットはそのことには気づかなかったらしく、嬉しそうに笑った。フレデリックの心臓が、全速力で高鳴り始める。


 和やかで微笑ましい空気が漂う部屋に、コレットの作業の音だけが心地良く響いていた。




 二人がそんな会話を交わしていた頃、イザベルは自室に引きこもっていた。コレットから借りた数々の書物、薬草やらポーションやらについて書かれたそれを、恐ろしい顔で読み込みながら。


「……やはり、惚れ薬を再現するのは難しそうですわね。ですがわたくし、まだあきらめてはおりませんのよ」


 彼女の緑色の目は、昼間の室内でもなおらんらんと輝いていた。まるで、獰猛な肉食獣のように。


「フレデリック様を奪えないのなら、邪魔なコレットを追い落とせばいい。こんなにも簡単なことに、どうして今まで気づかなかったのかしら」


 その小さな赤い唇から、うふふという低い笑い声がもれる。


「ポーションで有名になった魔女令嬢。ならばその名を地に落とすには、やはりポーションが最適ですものね」


 そうやってつぶやく間も、イザベルの目は書物をにらみつけていた。まるでそれが、コレットその人であるかのように。


「覚えてらっしゃい、コレット……」

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