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風魔忍者に転生して親孝行する。  作者: 風猫(ふーにゃん)
第三章 勅命民衆蜂起編
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第27話 東国乱世の終焉『地下衆の覚悟』

永禄10(1566)年9月下旬 陸奥国三戸城

尾崎兵庫助大弁太夫重久


 

 儂は地下と呼ばれる昇殿を許されぬ公家である。家職は兵庫寮、すなわち朝廷の武具を保管保守を行う。官位は正七位大弁太夫。

 そんな下級の身分ながら、帝の武具を持ちやれとの勅命を賜り、摂津から風間家の船で伊豆下田へと参った。

 そこに居わした関白殿下から、多数の公家衆が帝の詔に従い、関東東国各地へ寺社や民達を諭すために向かったことを知らされた。

 地下の身分にあっても我が尾崎家は、帝の武具をお預かりする家。今こそ、お役に立たねばと、家督を息子に譲り、儂も東国へと旅立って参ったのだ。


 儂が関東から東国に入った頃には、既に各地で民達が蜂起して、地方の土豪達を破って残るは大勢力の大名ばかりとなっておった。

 ここまで民達を率いて来た公家衆に、話を聞くと、制圧を終えた関東から武器兵糧の支援を受けておるが、武器は半数の者達にしか行渡っておらず、到底大名家の城を落とす力は無く、風間家や上杉家の軍勢を待つしかないとの話であった。


 儂は伊豆の下田を出る際に、風間家の当主孫左衛門様から、素手では戦いになるまいとお言葉をいただき、我ら主従4名でも使える手投げ焙烙玉と機械弓を賜った。そして、関船で陸奥の松川浦まで送ってもらっていた。

 

 儂に従って付いて来てくれたのは、家人の茂房と下人の藤次と弦太。皆長年儂に仕えてくれた者達で齢50近い。この儂の最後のご奉公に、どうせ老い先短い身であるからと付いて来てくれた者達だ。

 その主従で荷車を引き寺々で情報を得ながら、伊達輝宗の米沢城を睨む山寺まで来た。

 そこには、なんとなんと、前関白行空様があらせられた。儂は数回お目通りしたことがある。


「おおっ、大弁太夫ではないか。そちも来てくれたか。」


「はい、前関白さきのかんぱく様もご健勝のご様子、誠に麗しゅうございまする。

 我ら老い先短い身なれば、主上に最後のご奉公に罷り越しましてございまする。」


「おお、儂もそなたと同じよ。名ばかりの関白であったが、死花を咲かせる得難い機会を得たと思うておるのじゃ。はははっ。」


「ところで前関白様、伊達家攻めはどんなご様子でございまするか。」


「うむ、米沢城には1,500ばかりの武士が居る。包囲しておる農民達は5,000余もおるが攻め入るとなると、相当の被害を覚悟せねばならぬ。

 それにもうすぐ秋の刈入れじゃ。農民達は村々へ戻らねばならぬ。そうなれば、伊達は打って出て来るであろうな。

 村々に散った農民達が、無残に殺られるのが目に見えておる。」


「前関白様、某が伊達家に使者に立ちましょう。たとえ我らを破っても風間家や上杉家が来れば勝ち目などありませぬ。降伏するよう諭しまする。」



「難しいぞよ、奴らは一揆の者など会わぬと追い返しておる。それに命も危うい。」


 実は行空が自分で使者に立とうと考えていた。たとえ、可能性が低くとも民の被害を少なくできるなら、やるべきだと思っていた。


「地下と言えど、某は公家にございまする。

伊達も会うことは拒べますまい。どうか使者をお命じくだされ。」


「 · · 分かった、そなたに頼もう。」


 そう言って行空は頭を下げた。元公卿にはありえぬことであった。




 それから儂は、茂房と藤次、弦太の3人を呼び風間の大殿からいただいた焙烙玉を身に纏い、前関白様から預かった書状を懐に入れ、地下の束帯《朝廷の仕事着》である纔著さいじゃくを纏い米沢城へと向かった。


 城門の兵達は、公家装束の我らに驚いたのか、使者であることを告げると城内に案内された。

 城の広間に通されると、上座に伊達輝宗殿両脇に重臣達、そして我らと上座の間には、護衛の武士達が10人ばかり、いつでも斬りかからんと片膝立ちで構えていた。もちろん左右にも数多の武士がいる。


「尾崎兵庫助大弁太夫にござる。前関白九条 稙通公の使者として罷り越した。

 朝廷の使者を下座とは、伊達家はさすがに東国の田舎者であるな。ふはははっ。」


 なにも答えず、渡した前関白様からの書状に輝宗が目を通す。そして読み終えると顔を上げ、口を開いた。


「帝がお望みの世など、幻にござるよ。現に鎌倉よりこの方、朝廷などお飾り。武士の世にござる。我ら武家は離合集散を繰り返し、足利幕府亡き後、再び幕府を打ち立てるでありましょう。

 我が伊達家は、我が武威で生き抜いて行く所存。戻られ、我が領地の農民に申し伝えられよ。今すぐ自分らの生きる場所へ戻るべしとな。」


「その空威張りは、どこから出るのですかな。輝宗殿、そなたは見捨てられたのです。領主に相応しからずと領民から。

 この領主では自分達の暮らしが立ち行かぬと。ただの土一揆と思いなさるな。たとえ戦に負けても領地には誰も戻らぬ。関東へ行く手配ができておりますでな。

 皆の者、どうするのじゃ。領民失くして、生きて行けるのか。死ぬより辛い未来が待っておりますぞ。」


「ええい、斬り捨ていっ。」


 その声に護衛達が立ち上がるより速く、茂房が前に出て叫んだ。


「これが目に入らぬかっ。火薬ぞっ。この部屋など吹き飛んでしまうわ。俺達とともに吹き飛ぶなら掛かって参れっ。」


 だが、その言葉を信じぬ馬鹿者が茂房に斬りかかった。茂房は斬られながら、前へ飛び込み火縄で点火し爆発した。

 『ドドッガーン』

 儂はその時、藤次と弦太に床に押さえ付けられ庇われていた。爆発が終わった瞬間に、藤次と弦太は、上座の輝宗に向かって走り、火薬に点火して、輝宗や重臣達を吹き飛ばした。

 『ドドッガーン』『ドドッガーン』


「主君が主君なら、家臣も家臣よな。愚かな。」


 そう言って、儂はふらふらと立ち上がりながら、斬りかかって来る者達を眺めながら、身に付けた焙烙玉に火を付けた。

 最後のご奉公っ。『ドドドッガーン』



 城で数回の爆発音が聞こえ、城内で騒ぎが起きて混乱しているのが伝わって来た。

 そしてほどなく、錯乱したように纏まりもなく、打って出て来る者達がいたが、城を囲む農民達に討ち取られていった。

 それも治まると、城から老臣が現れ、降伏を申し出て来た。奥の女子供の命を助けてほしいと。

 こうして、伊達家は滅んだ。公家を見くびったのが間違いじゃったな。武勇はないが、その覚悟は武士に引けを取らぬのじゃ。




✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣



永禄10(1566)年11 月中旬 陸奥国田村城

行空(九条 稙通)



 東国での民達の戦も終わりが見えて来た。

 秋の収穫を終えると、大名の居城の周囲13里(50km弱)から、収穫した作物と領民が消え去ったのだ。

 もちろん大名も包囲が緩むのを待ち、兵を城外に出したが、ことごとく鉄砲隊の襲撃を受けて逃げ帰っていた。

 風魔が鉄砲騎馬隊が東国を縦横無尽に駆け巡っていたのである。

 そして気がつけば無人の地である。農民兵が抜け、少ない武士だけの兵で城を明けて遠出をする訳にも行かない。だが、城の兵糧は保って半年。

 大名達はこんな兵糧攻めがあるかと、頭を抱えていた。


 そして、無人の地に残る城に、風間家或いは上杉家の軍勢が押し寄せ、大砲で次々と城を壊滅させて行った。

 大名達に残された選択は、何倍もの軍勢との野戦か、城を包囲されて打って出るか、籠城して砲撃を受け一族共々滅ぶかである。

 そして戦わずして、領地の召し上げと奉行職以上の切腹である。

 彼らは思い知る。戦に勝てば良い時代は終わったのだと。



「行空様、出羽と陸奥の南半分は討伐が終わり、領民達が戻り始めております。

 我らも風間様の指示に従い、所定の湊で荷を受け取り、割り当てられた村へ参りまする。」


「おお、少しでも早う新政を始めねばな。

今度会う時は京の都じゃ。達者でおれよ。」


「はい、それでは行空様もお達者で。」


 行ってもうたか。この城におった公家衆も次々と戦乱の治まった地へ赴いて行く。

 儂は、東国の各地の状況を纏めて伊豆の風間家へ報せ、新政の指示を受けて公家衆の手配りをしとる。

 いつの間にやら、公卿に戻されたらしいわ。主上から頼りにしておると文をいただいたからな。ほほほほ。




✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣✣



永禄10(1566)年11月下旬 出羽国檜山城外

風間吉右衛門



 俺は風魔騎馬隊1,600騎を率いて、先月来この東国の地を駆け巡っている。

 本来100騎が基本だが、時により50騎にも30騎にも分散し、或いは大軍勢ともなる。

 先月は、農民達が収穫作業で諸城の包囲が

緩んだ隙を狙い、城から出て来るのを討伐して回った。

 1日千里を走るなどという言葉があるが、優に25里(約100km)は、幾度も走ったわ。

 愛馬達もよう頑張った。まさに、神馬よ。


 そして今は、出羽の安東愛季の居城檜山城に砲兵隊とも合流し、集まって来ている。

 我らの役目は、砲兵隊の護衛と足軽鉄砲隊が崩れた時に助けること。なにもなければ、見守るだけだ。


檜山城は、日本海から10kmの内陸の周囲との標高差約130mの霧山にある。地名から「霧山城」とも「堀ノ内城」ともいわれる。 

 東西1500m、南北900mの大規模な山城で西方には羽州街道がある。

 城は霧山の山麓の馬蹄形地形を利用して、堀切や段築のある要害としている。城の中核である本丸、二の丸、三の丸は南側の最頂部にあり、北側緩斜面にも多数の曲輪や腰曲輪がある。


 そのため、俺達が攻城戦で通常用いている半カノン砲(射程490m)では届かないため、今回はフルカノン砲(射程2km)4門を運んで来ている。

 大砲の弾種も増えており、徹甲弾、榴弾、焼夷弾の威力に敵う城などない。


「ドガーン、ドガーン、ドガーン。バリバリ、ボワッ。バリバリ、ボワッ。」


 始まったな。砲撃はまず、曲輪や腰曲輪に向けられる。兵の溜り場を攻撃し被害を与えるとともに、本丸にいる女子供らの避難の時にを与えるのだ。

 三の丸や諸庫、二の丸、本丸の順に破壊炎上して行く。城門、塀は最後だ。敵勢の出口を増やす意味はないからな。


 城の搦手門から女子供が出て来たようだ。風魔の鉄砲隊が保護している。

 そろそろ、やけっぱちになった奴らが打って出る頃だな。

 ああ、出て来た、出て来た。竹束で鉄砲を防ぐ気らしが無理だな。

 三方を囲まれ、どちらに向かっても横から射撃を受ける。

 ああ、終わったな。さて、次の城へ向かうとするか。









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