第19話 和製倭寇『奴隷開放作戦』
永禄9(1565)年12月上旬 薩摩国黒島
風魔小太郎
この当時、九州の東南アジア貿易の拠点は九州西北部の肥前松浦半島にある平戸だった。平戸には龍造寺家の傘下に入った松浦党という水軍衆がおり、中国人の倭寇やポルトガルの宣教師なども居住しており、南蛮貿易の拠点となっていた。
当時、中国の明は「海禁政策」を行っていて、私貿易を禁止していた。それまで貿易によって利潤を得ていた中国人達はその政策に反発して台湾や、東南アジアに移住し貿易の拠点としていた。
平戸もその一つであった。武力で略奪するというよりは、武力で脅して貿易させるというのが倭寇の実態だった。
寄港する取引相手には入港を拒否するというような事態にならないよう、それなりの利益を与えていたようだ。
倭寇で有名な人物としては、中国人の王直がいる。ポルトガルと日本の貿易を仲介して莫大な利益を上げた人物だが、明に捕縛され死刑になったという。
俺はこの平戸の襲撃を行うことにした。
目的の第一は、倭寇の船を破壊して南蛮との貿易仲介を阻止すること。
第二は、松浦水軍の戦力を削減すること。
第三には、乱取りで捕虜となり、平戸に集められた、南蛮に売られる日本人奴隷を救出すること。
だが、三番目が簡単ではない厄介な代物なのだ。今までは売られて船に乗せられたから奴隷達が纏まっていたが、売られる前の奴隷達は各雑兵なりの個々が所有して、捕らえている場所も多種多様なのだ。
そのため、偽装南蛮貿易船を入港させ、奴隷を購入と見せて、略奪する作戦を立てた。
用意したのは、過去に捕縛して改装したガレオン船と、琉球の中国人通訳、そしてフィリピン遠征に行った水夫達。日本人水夫達には髭や化粧でフィリピン人に変装させた。
俺は、変装して中国人通訳に英語で話す役だ。船に貿易品として、絹の代わりに綿糸に金箔を散らした綿織物や陶磁器を用意した。
そんな南蛮貿易船で平戸に入港した俺は、立派な軍服を着て中国人通訳と二人、商館に入って商談をする。
「よく来たね、歓迎するよ。」
『ウェルカム、ナイスミーチュ。』
『I prefer and ask.』
「よろしくお願いします。」
「売り物は何か。」
『ホワット.イズ.アーテクル』
『Cloth and chinaware』
「布地と陶磁器です。」
「対価は何か」
『ホワット.イズ.コンサイドレーション』
『Silver and slave』
「銀と奴隷です。」
「分かった、用意する。」
『アイシー、イッツ、プレパレッド。』
『Thank you very much.』
「ありがと、ございます。」
金糸の織物に注目が集まり、仕入れ先をしつこく聞かれたが中国ではないとしか教えなかった。言い値で買わぬなら、他へ行くと言ったら皆言い値で買うそうだ。陶磁器も皆売れた。
奴隷は皆同じ値で取引され、後で商館で金を払うとして、引き換えの木札を渡して、先に奴隷達を小早でガレオン船に乗せた。
そして、ガレオン船のドラの合図で待機していたキャラック船5隻が湊を襲撃。次々と中国船や関船を砲撃し、炎上させて行く。
俺達はその混乱に乗じて脱出し、ガレオン船に戻った。
すぐに総帆を上げて出港し、追って来る松浦水軍の関船や安宅船を湊の外で迎撃する。
湊の外には、さらにキャラック船5隻がいて、次々と松浦水軍の船を沈めて行く。
松浦水軍の小早は、焙烙玉で炎上させた。
ものの1時間で松浦水軍を壊滅させ、悠々と帰還。支払いはしてないが、買取った奴隷は157人だった。
このことは、ポルトガル宣教師から本国に伝えられ、イギリス人であったと報告された。イギリスには濡れ衣を被ってもらおう。
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永禄9(1565)年12月中旬 薩摩国黒島
風魔小太郎
九州では、日向の伊東義祐が飫肥役と呼ばれる島津豊州家と日向南部の侵攻を繰り返していた。
また、豊前豊後の大友宗麟は、12年前にフランシスコ・ザビエルに大友領内での布教を認めたために、家臣の宗教対立から謀反に苦しみ、毛利家の侵攻に悩まされていた。
肥前の龍造寺隆信は、嘗ての主家少弐氏を滅ぼし、大友宗麟が支援する少弐氏の生き残り少弐政興や少弐氏旧臣と争っていた。
要は下剋上の真っ盛りなのである。俺はこの梟雄三家に冷水を浴びせることにした。
既に龍造寺家傘下の平戸を襲撃したが、九州各地の水軍の船を破壊してして回ることにした。
三隻のキャラック船の艦隊で、西は島原湾から、有明海、薩摩湾。別働隊で北九州の周防灘から豊後水道、日向灘、志布志湾を湊に停泊している大型の安宅船や関船を破壊炎上させ海上で見掛けた商船の帆を炎上させて、航行不能にした。
周防灘では毛利水軍とも戦闘になったようだが、大船の大半を沈め駆逐したという。
九州の制海権をほぼ制した俺は、九州における倭寇を実施に掛かった。
俺の倭寇は、奴隷貿易である。戦乱を繰り返す大名達の主要湊に乗り込み砲撃で脅して
攻撃しない見返りに奴隷を安価で提供させた。対価は陶磁器と綿布、それと青銅製のフランキ砲だ。フランキ砲は、めちゃ火薬を喰うやつで、2〜3回使用すると壊れる代物だ。我ながらあ漕ぎな商売だが、倭寇だから仕方ない。
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永禄9(1565)年12月下旬 伊豆国下田城
新田角兵衛
儂はもと大木家の姻戚で、水之尾村の土豪にすぎなかったのじゃが、一族の当主大木家に嫡子小太郎様が生まれて、その養育を頼まれてただ傍に付いておっただけなのじゃが。
その小太郎様が弥勒菩薩様のお告げを授かった日から、それまでの生活が一変した。
しばらくの間は、一族にも秘密にすると言われて、儂に濁り酒を買うて澄酒を造り、行商で他国に売る差配などを任された。
そして、あれよあれよと言う間に、伊豆を領地とする大名になって、風間家が誕生すると家老にさせられてしまった。
家老の職など絶対に無理と言ったのじゃが、今までどおり、小太郎様の家族の世話をしてくれればいいと言われて、断り切れんかった。騙された、少しずつ仕事が増えとる。
増えたのは、棒禄も風間家一となっとるのじゃから、文句を言うと嬶にどやされるが。
このところの儂の仕事は、小太郎様から送り込まれて来る南蛮に奴隷に売られようとした者達の受け入れじゃ。
他家に知られないように、伊豆大島以外の伊豆諸島に送り込んでおる。
伊豆諸島は、ちょうど開拓が軌道に乗ったところで、砂糖きびやゴムの木の栽培に人手がいくらあっても足りないくらいじゃから、重宝しとる。儂の仕事は、彼らの戸籍を作り、病の有無を調べたり、棲家や食糧、仕事の手配じゃ。
その手配りのために、週に一度は伊豆諸島を巡っておる。おかげで見知った者も増え、島の者達からは島家老と呼ばれとる。呼び名などどうでも良いがな。
島へ行く時は、島の子らの土産に菓子を持って行くのが、恒例になり島の子らが懐いて来おる。
小太郎様は土産を玩具にしとるがな。
まあ、小太郎様と儂で、島の子らの人気を二分しとると言うことだ。はははっ。
今日も三宅島に137人の者達が来た。
儂と島の役人10名で受け入れの手続きをしておる。
皆、黒島で休養や治療をしており、問題のある者はおらぬ。乱暴狼藉者は、九州に打ち捨てておるからな。
「ご家老様、住いの割振りは終わりましたぞ。これから案内致します。」
「大型長屋の残りは如何ほどじゃ。」
「はい、40戸ほどですが、来月には70戸が完成致す予定にございます。」
「そうか、その分の寝具と日曜品を用意せねばならぬな。報告書を出しておけよ。」
「はい、後ほど。それから、島に新しい漁船が届きまして漁獲の量が上がっております。どうやら、深層の魚が掛かるようで、珍しい魚が増えておりますよ。ご家老も召し上がって見てください。」
「そうか、夕餉にでも塩焼きで喰うて見るか。楽しみじゃ。」
「ご家老様、以前いただいた米の炒菓子を作る機械でございますが、子らの人気が高く、原料の米が不足で、どうしたものかと。」
「米の代わりに稗と粟を使え、水飴で固める菓子にするなら、十分のはずじゃ。
それからな、小麦で砂糖小豆の餡を包み饅頭を作れ。日持ちせぬから、下田から持っては来れぬがこの島で作れば問題ないわい。」
「へぇ、そうしますわ。砂糖は売るほどありますんで。」
「贅沢な話じゃな。はははっ。」
「うひゃあ、これがおら達の家かやっ。すげぇ、立派な長屋じゃねぇいか。なんで台所で、水がでるだぁ。」
「お前さん、聞いてなかったのかい。屋根におっきな水瓶があるだと。そっから水が流れるようになっとるだと。水瓶には毎日、当番で手押しポンプで水を入れておくだと。」
「そうけい。おい見ろや、畳みだぜ畳っ。」
「あんた、落ち着きなよ。この島は戦もないし、しっかり働いて殿様にご恩を返さなきゃね。きゃ〜見て、布団だよ布団っ。」
「おめぇだって、落ち着いてねぇじゃねぇかよ。それにしても、鍋釜食器、箪笥に衣服まで揃っているなんて、夢のようだな。
日向で乱取りにあった時には、もう人生が終わったと思ったが、弥勒菩薩様のお告げを受けた殿様に助けられるなんて、俺と嬶は幸運だった。そうだ弥勒菩薩様の神棚を作って毎日拝まにゃ。ついでに殿様も祀るかな。」




