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斯くも愛しき言の泡

みんな、私のことを「何を考えているかわからない」って言うの。「きっと何も考えていないに違いない」って。失礼しちゃうわ。


例えば、今日はどんな人に会えるかしら、とか。私を見つめてくれる誰かに、どんな仕草を、どんな言葉を返してあげようかしら、とか。

そんないろいろを考えているのに、みんななかなか気づいてくれないんだから。


褒められるのは好き。「綺麗」「可愛い」「美しい」、そんな言葉を聞くと、嬉しくって堪らなくなるわ。


お喋りするのも好きよ。誰かの話を聞くのも、誰かに話を聞いてもらうのも。

私の声は届かないとしても、それでも私はみんなに言葉を贈るわ。


さっそく誰か来たみたいね。


可愛いお嬢さん、こんにちは。ご機嫌はいかが?


今日は雨が降っているのかしら?素敵な傘を持っているのね。私、傘にはちょっとうるさいのよ。

ほら見て。私の傘も、とっても素敵でしょう?花の模様がお気に入りなの。

花びらの数は四枚が普通なんだけど、私は五枚。ちょっと特別な感じがするでしょう?朝も昼も夜だって、ずうっと一緒なんだから。


あら、お嬢さん、もう行ってしまうのね?残念だけど仕方ないわ。どうか良い一日を。


私はあのお嬢さんよりも大人だから、私の纏う「大人の余裕」がちょっと退屈だったのかもしれないわ。もう少しお姉さんになったら、今度はゆっくりお話ししましょうね。


………?

あれ、何かしら。


なんてこと!向こうに小さな靴が落ちているじゃない!拾って届けてあげられたらいいんでしょうけど……悔しいわ、こんな時に人間みたいな足があれば、そこら中を駆け回って持ち主に届けられるのに。


ひらひらの足は気に入ってる。でも、綺麗なだけじゃ駄目ね。

誰かの笑顔のために動けるのがいい女。そうでしょう?


あ、よく見るお姉さんだわ。落ちた靴に気づいてくれるかしら。

気づいて……気づいて、お願い………気づいた!良かった。


あのお姉さんなら、きっと靴を無事に届けてくれるでしょう。何と言っても、あのお姉さんは私たちの面倒をみてくれる優しい人だから。


それにしても、靴って素敵ね。


私、素敵な傘はあるけれど靴は持っていなくって。

あれがあれば陸を自由に歩けるんでしょう?どこへでも行けて、誰にでも会えるなんて。いいなあ。


今度はカップルが来たわ。デートかしら?


私を見て「綺麗だね」って言う彼女。

それに対して、「君の方が綺麗だよ」なんてありきたりな言葉を返すのはやめてちょうだい。

今どきそんな言葉流行らないし、私、恋のスパイスにされるのだけは嫌なんだもの。


───私たちに“恋”は理解できるのか、そんなことを聞いてきた人もいたわ。


理解できるわ。当然よ。どんないきものも、愛や恋なしには生きられないんだから。


もちろん私にだって、大好きな人がいるわ。

……ええ、人よ。人間。誰よりも素敵な人なんだから。


私の好きな時間は一日の終わり。あたりが暗くなって、必要最低限の明るさだけが私たちを照らす夜。


景色はちょっと寂しいけど、そんな誰もが寝静まる時間が一番好きなの。


だってほら、夜はあの人が来てくれる時間だから。恋人との逢瀬ほどどきどきすることってないでしょう?

だからこうしてみんなが寝てしまっても、私だけはあの人を待つために起きているってわけ。


……まだかしら。逢瀬の時間はあっという間に過ぎていくのに、あの人を待っている時間は呆れちゃうくらい長いんだから不思議よね。

でも、会えない時間だって楽しいわ。

何を話そうかしら、何を話してくれるかしら、そんなことを考えられるから。もちろん、一緒に過ごす時間の楽しさには敵わないけれど。


ああ、あの人よ!今夜もちゃんと来てくれた!


背が高くってスタイルが良くてタカアシガニみたいでしょう?おまけにとっても綺麗な声の持ち主なの。あの人の声を聞いているだけで、一日の疲れなんて吹き飛んじゃうわ。


あの人、本当に不思議なの。どんなに上手く群れの中に隠れていたって、必ず私を探し出しちゃうの。

他の人間は私たちの区別なんてつけられないっていうのに、あの人だけは違う。いつだって私を見つけちゃうんだから不思議。

これってきっと“愛”のなせるわざってやつよね。


私の姿が見えなかった時は泣きそうな顔なんてするものだから、「仕方ないわね」って隠れていた岩場から出て行ってあげるの。


可愛いところもある、私の大切な人。


……聞いた?「今日も綺麗だね」ですって!もちろんよ。

大好きな人のためなら私、綺麗でいるための努力は惜しまないんだから!早寝早起きは基本。好き嫌いなく食事を摂ることも忘れずにね。


過度なダイエットは私たちの愛には不必要だもの。健康的でいることが何より大切なのよ。身体だけじゃなく、心にもね。


今日も会いに来てくれたことがとっても嬉しいから、特別に私のダンスを見せてあげるわ。

主演は私、観客はあなた。一夜限りのスペシャルステージよ。


激しい踊りは苦手。ゆっくり、揺蕩うように舞う方が得意なの。流されてるだけなんかじゃないわ。れっきとしたダンスよ。


どうかしら、今のターン。綺麗に決まったでしょう?あなたに見せたくてずっと練習していたんだもの。

あなただけのプリマドンナを、もっともっと褒めてちょうだい。


そして笑って。そう、あなたのその笑顔が見たかったの。出演料はあなたの笑顔だけで十分。むしろお釣りが出るくらいよ。


ねえ、今日は何があったか聞かせてくれる?楽しいこと、大変だったこと、なんだっていいの。あなただけが見える世界の話を私に教えて?


またあの子が脱走したの?懲りないわね。

何度逃げても連れ戻されちゃうのに、何度でも脱走するんだから。

むしろ、追いかけてもらうのを楽しんでいるんじゃないかしら?ガラスの壁の隙間を無理矢理すり抜けてまで抜け出すなんて、よほどあなたと遊びたいのね……


……そう、ガラス。ガラスは嫌い。

私と外の世界、私とあなたを隔ててしまうから。

こんなものに邪魔をされていなければ、あなたの声がもっとよく聞こえるはずなのに。


ええ、これがないと生きられないってことはわかってる。でも、住む世界が違うって現実を四六時中突きつけられるのは酷なことだと思わない?


ああ、一日でいいわ!たった一日で構わないの。お伽噺の人魚姫みたいに人間の姿になって、愛する人の隣を歩けたら、どんなに幸せなことかしら!

手を繋いで浜辺を歩くの。今みたいに他愛のないお喋りをして、お日様が水平線に沈んでいくのを眺めるの。


もしもあなたとそんな時間を過ごせたなら、泡になるのも───いえ、私の場合は水に溶ける、の方が正しいわね───悪くないんじゃないかしら。


だって、大好きな人と話ができる。

何にも遮られることなく、あなたのその目を見つめることができる。

それだけで、これから先の命なんていらないくらい。


それくらい、あなたのことが大好きで大好きで仕方ないの。


……ええ、知ってるわ。私はあなたとは違ういきもの。

どんな魔法もお伽噺の中でしか使えない。わかってるわ。

でも、願うだけなら許されるでしょう?


あなたの命の時間の、何十分の一も生きられない私。

永遠の命があれば、なんて思ったこともあるけど、やっぱり嫌。あなたに置いていかれるだなんて、きっと私には耐えられないでしょうから。

それに、いつかいなくなってしまうからこそ、今がとっても愛しく思えるものでしょう?だからいいの。


私の命の時間は短くて、あなたとずうっと一緒に生きるなんてできやしないけれど。

だから私の最期の時は、どうかあなたの側にいさせてね。


コップ一杯の海水に私を入れたら、いつものようにたくさんお話をしましょう。


なんでもいいわ。あなたの伝えたいこと、全部聞いてあげちゃうんだから。

それはきっと眠る前の子守唄みたいに。

あなたの声は水を伝わって、どこまでも優しく聞こえてくるんでしょうね。素敵だわ。


あなたの子守唄を聞きながら、私は静かに水になっていくんでしょう。


遺してあげられるものなんてこれっぽっちも持っていないけれど……私が死んだら、あなたは涙を一滴でも流してくれるのかしら?

もしそうだとしたら幸せね。こんなに幸せないきものは、世界で私だけに違いないわ。みんなに言って回りたいくらい。


そうそう。あなたに大事なお願いがあるの。我が儘と思うかもしれない。でも、ちゃんと聞いてほしいの。

もしもあなたが私のために涙を流してくれたなら、その涙は私がいた水の中に注いでね。

そしたらきっと、あなたの涙を抱きしめてあげられるでしょうから。


言葉は泡沫。浮かんでは消えていく儚いきらめき。

だからどうか、私が水に還ってしまうその日まで。

たくさんの言葉を贈ってね。私もあなたにたくさんの愛を贈るから。

これは約束。あなたを愛する、綺麗で可愛いミズクラゲとの約束よ───。

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