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這いずる女  作者: macbex
2/2

後編

這いずる女の後編です。



 助手席に乗るのは久しぶりだった。

仕事がたまたま休みだった母に頼み込んで、僕たちは養老院という老人ホームに向かっている。電話で祖母の安否の確認は済んでいたが、会わない事には釈然としない気持ちがあったのだ。

「あんたおばあちゃん子だったっけ」

 母の言葉には毒っ気が一切なかった。それが意外だった。

 だが、それは僕の心情の変化と同じことなのかもしれない。三年間ほとんど家に帰らないと、当時あったような家への苦手意識は薄れていたし、母の祖母への感情も時間によって漂白されつつあるのかもしれない。

養老院は「戸吹」という町にあって、ここには大規模なごみ焼却所が存在する。どこの市にも、市内にはこういう施設があって、人が来ない辺鄙な場所に設けられているものなのだ。ごみ焼却炉と老人ホームが近い位置関係にあるというのは、なんだか皮肉なことに思えた。鬱蒼と茂った木々の向こうに、巨大な煙突の姿が見える。地表という皮膚から飛び出た骨の様だった。

「よく来るの?」

 母がろくにカーナビも見ずに運転していくことに驚いた。母は呆れたように、「寝巻とかシーズン毎に持ってかないといけないのよ」と言った。そういった雑務を親族に手伝わせるのは、養老院が姥捨て山とならないための、最後の抵抗なのかもしれない。

 森の中に急に現れた鉄門を抜けると、煉瓦を模したタイルの建物が急に現われた。正面から見ると立派な建物だったが、駐車場のある裏に回ると、ところどころに修繕の行き届いていないところがあった。特に貯水槽と給水ポンプは、いつ作られたのか分からない年代物に思えた。

 受付を済ませ、エレベーターに乗ろうとしたとき、入れ替わりでおりてきた車いすのご老人を見てぎょっとした。何度もここにきている母は慣れたものだったが、普段大学生に囲まれている僕には刺激が強かった。エレベーターの中はやたら大きく、稼働音も大きかったため、二人で乗っていると不安になった。だがこれについても母は無感動だった。

 エレベーターを降りるとすぐにホールがあり、そこは老人の放つ妙なにおいで充満していた。丁度テレビの時間らしく、枯れたひまわりのような禿頭が同じ方向を向いている。テレビを視聴している人が半分、もう半分はそっちの方向に向けておかれているという状態だ。

 あ! 母が急に高い声を出したが、一顧だにする老人はいなかった。かわりに若い女性の職員がパタパタと近寄ってきた。母と懇意にしているSさんという人の様だった。母は毛糸のカーディガンを職員に渡す。

「最近急に寒くなってきたから」

「わざわざありがとうございます。今朝はちょっと調子が悪くて」

 職員に連れていかれた部屋に、おばあちゃんはいた。僕は息を飲んだ。つい、声を絞るようにして。

 おばあちゃんは椿の寝巻を着て、ベッドに伏せていた。

 職員が声をかけると、おばあちゃんは目をゆっくりと開き、難儀そうに首を傾け僕たちを見た。呆然とした表情は、僕たちを見ても変わらないままだった。開いていたカーテンを職員が閉めると、室内は一層どんよりとしたように感ぜられた。

「おばあちゃん、娘さんとお孫さんが会いに来てくれたよ。おばあちゃん」

 職員は耳元で大きな声で話しかける。同じ言葉を二度繰り返すが反応が無い。言い訳するかのように、良い時はうなずいたり、笑ったりしてくれるんですよと言った。

「結構ですよ。ほら、あんたが逢いたいって言ってたんだから、就職の話とかしてみたら? 私カーディガンの申請届書いてくるから」

「あれ、それってSさんにあげたんじゃないの」

 Sさんと母は顔を見合わせると、吹き出すように笑った。僕は急に恥ずかしくなった。いつもだったらこれくらい察せるのに、老人ホームという場所が悪いんだ。

去っていこうとする母を引き留める。なんなの? と言う母は呆れを隠さない。

「すぐ済むからちょっと待っててよ」

「何で?」

「何でって。ちょっと、気味が悪いというか」

「あんたのおばあちゃんでしょ?」

だから怖いんだ! でも、昨日の夜に僕の寝室を生霊が這いずり回った、なんて言えないし、結局僕とおばあちゃんは二人きりになってしまった。僕はおばあちゃんのベッドから、一メートルほど離れた場所に座って、ドアが開いていることを確認してからしゃべった。

 返事の望めない老人と会話をすることは難しい。会話と言うよりは、独白の様になってしまう。

 東京の大学はあまり楽しくないこと。就職活動もうまく行っていないこと。

 友達と言う友達はいなくって、今も人と一緒にご飯を食べるのが苦手なこと。

 喋れば喋るほど、僕はどんよりとした気持ちになってきた。気分が落ち込んでくると、おばあちゃんがそんなに怖く感ぜられないのが不思議だった。

おばあちゃんは相変わらず呆けた表情で僕のことを見ている。枯れた井戸でも見るみたいに。でも、僕の勘違いかもしれないけれど、少しだけ笑っているように見える。Sさんも言っていた、調子の良い時は笑う事もあると。あれ? 僕はおばあちゃんが笑っているのを見たことがあるのか?

 申請書を書き終えた母が部屋に戻ってくる。

だいぶ薄くなった頭髪を優しくなで整えて、来年は米寿か~と呟いた。

「米寿にはみんなで写真、撮りたいね」



結構よくかけた。

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