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魔法中年  作者: 相野 心
1/1

~今からヒーロー~

第1話 おじさんが,魔法使いになった訳


「今年の盆は,・・・。」

つぶやくのも途中で止めた。ぐちゃぐちゃな感情を整理する間もなく,俊二はゆっくりと布団から立ちあがった。

 おそらく,職場は今も燃えているであろう時に,不謹慎なことを思っていた。

(魔法使いの見せ場かな…)


 児玉俊二が高校1年生の頃,運命を変える出会いがあった。今と違い,そこそこモテそうな雰囲気をもっていた時期である。細マッチョ体型に,流行のバンドを真似たヘアースタイル,張り裂けそうな下心で,青春を謳歌していた。

 いつも2~3人の友達と一緒に,自転車で高校から帰るようにしていた。くだらない話をしながら,ちんたらと自転車をこいで帰る時間が好きだった。友達と途中で分かれた後,

 家までの距離を縮めるショートカットとして,宅地に挟まれた細い脇道を,いつも気持ちよく駆け抜けていた。その,脇道で出会ってしまった。…自転車に跨ったまま,倒れて動かなくなった「おじいちゃん」に。

 人助けをした話を聞くときに,「助けを求められる場面に出会うこと」がレアな出来事だと思っていた。目の前にあるレアな出来事に驚いた。そして,見た瞬間におじいちゃんに駆け寄った自分にも驚いた。

 俊二は,自分のことを優しい人間とは思っていない。無理やり格好つけている部分もあったが,基本的には人見知りだった。しかし,この時は体が先に反応していた。

 倒れているおじいちゃんは,正直かなり近寄りにくかった。洗っていないことが明らかに分かる色に染まったスウェット上下にサンダル。日焼けした肌は,長年日差しにさらされて仕事をしていたことを想像させる。自転車だって,何か所も赤く錆びついている部分がある。

「…大丈夫ですか?」

戸惑いながらも,顔を覗き込んで声をかけると,

「う…おぇ…うぁ…」

と,何だか分からないうめき声のような反応があった。この後は,小一時間介抱をして,おじいちゃんを起こして,家まで担いで行った。というのがこの時のエピソードだ。…そんな美談で終わらなかった。

 おじいさんを背負い,言うがままに,古い木造のアパートに到着した。倒れていた場所から,40分くらい時間がかかっていた。背中越しに,骨の細さを感じるおじいさんの体は,高校生の体力からすれば全く負担ではなかった。ただ,体格や風貌から想像するおじいさんの素性に,古びたアパートが妙にマッチしていて納得できた。俊二の勝手な思い込みである。

 部屋の扉を開け,玄関の上り口で,背負っていておじいさんをゆっくりと降ろす。下手な降ろし方をすると骨が折れるのでは,と心配していた。おじいさんをお尻から床に着くように降ろした時,おじいさんが後ろに転がるようによろけた。

「おっ…と。大丈夫?」

と言いながら,右手をおじいさんの背中に回し,左手でおじいさんの右手を掴んだ。結果,とっさに支えたことで,何事もなく座らせることはできた。しかし,その瞬間,左手に焼けるような痛みを感じた。

「アッ,チィ!」

 俊二は思わず自分の左手をまじまじと観察した。怪我も何もない。確かにメチャクチャ痛かったのに…。しばらく確かめたが,外傷もないし,痛みもすぐに治まった。あらためて,おじいさんの様子を見ると,落ち着いてじっと座り込んでいる。

 結局,その後は少し会話をして,部屋の中まで連れて行くことなく玄関を出た。扉を閉める時に,

「…あんがとね。」

とおじいさんが言った。その痩せた顔が,笑顔だったことまで覚えている。


 俊二にとって,自慢できる善行エピソードである。が,自慢したことはない。なぜなら,この出来事以降,「魔法使い」になってしまったからだ。

 最初に異変に気付いたのは,おじいさんを家まで送った日の夜である。風呂で体を洗う時に,痛みを感じたはずの左手を見た。すると,小指の付け根辺りに,何かが付いている。よく見ると,ゴミではなく,小さなホクロのようなものだった。

(こんな所にホクロあったかな?)

 他に異常はなく,あの時の痛みの理由は分からないままである。そして,体を洗うために,石鹸を取ろうと,左手を伸ばした。すると,石鹸が左手に入った。

 自分が取ったのではなく,石鹸が少し浮いて,左手に入ってきたのである。


 これ以来,自分に起きた異変を十分に確認することになった。驚きの連続だった。理解できなかった。何も分からないままに,身についた「変な力」を様々に試した。そして,自分なりに整理できたことは,


1 自分が,いわゆる,魔法使いになったこと。

2 おじいさんの件がおそらく原因であること。

3 左手に変な印が付いたこと。(ホクロはその後,意図的な模様の印に変わっている。)


ということである。


 とにかく,ある日突然,生意気そうな男子高校生が,魔法を使えるようになったのである。おじいさんの件はたまたまの事で,普段から感心されるような善人でもない。セーラー何とかや,何とかマギカのように,倒すべき敵も身近にいない。変身もしない。俊二にとっては,ありがたくも,不安な変化だった。理由も説明もなく,魔法使いになってしまった。


 今や中年おやじの俊二であるが,現在まで,その時のおじいさんに会うことも,説明されることも,この力の目的も,分からないままである。

 最初の頃は,不安を感じながら使っていた魔法だが,慣れるにしたがって欲望のまま使ってきた。犯罪行為はしていない。しかし,傍目で見るとグレーゾーンな使い方はあるだろう。ちょっぴり,エッチなこともあった気がする。基本的には,少しおせっかいな小さな人助けや,家の中でだらくさに過ごすのに役立つ程度の使い道である。


 これまでは,魔法使いが活躍するような人生を送ってない俊二である。つい先ほど入った連絡のように,職場が火事になる,なんて事件は今までは無かった。魔法使い俊二のデビューになるかもしれない。



第2話 メール

 火事の連絡が入る,1時間前・・・


 俊二は,湿った布団の上で,あぐらをかいて座っている。缶ビールをやや握りつぶすように持ちながら,わずかに残った中身を口に流していた。着古したTシャツとトランクス1枚,無精ひげに寝癖のついた髪,清潔感のかけらもない姿である。

 もう,アパートの自室から丸5日は外に出ていない。今年45歳になった児玉俊二は,1週間前に,付き合っていた恋人と別れた。これまで,常に相手が喜ぶことを選択してきた。愛情を全力で注いできたつもりだ。結婚をぼんやりと夢を見ている,そんな幸せの絶頂期にふられた。

 だからこそ「別れの宣告」は,俊二にとって会心の一撃だった。全ての事に対してのモチベーションを根こそぎ流された。見事に失恋した,思春期おじさんがここに誕生していた。


 俊二は,「魔法使い」である。万能ではないが,不思議な力をもっている。何とか少女のようにセーラー服とか黄色い声は持っていないが,魔法が使える,ごく普通の中年である。

 魔法少女ともてはやされる彼女たちも,時期を過ぎると,魔法おばさんになる。今はパンツ1枚で過ごす魔法おじさんの俊二も,以前はもう少し色んな意味でイケていた。

 この魔法使いであるという事実は,一部の人間しか知らないが,過去に交際していた彼女も知っている。アニメなんかでは「秘密にしておかないと・・・」という制約があるが,俊二はその必要をあまり感じていない。大っぴらに言って回ることはしないが,交際している相手には自慢も含めて,ついつい自分からばらしてしまう。

 魔法を除けば,普通のおじさんである。恋愛もするし,酒も飲む。加齢臭を人から指摘されたり,じわじわと腹回りに脂肪も付き始めたりもする。

 壁の時計は朝8時半を指している。つぶれた空き缶を片手に,布団から立ち上がり,ぼんやりと動き出した。わずかな距離も歩くのが面倒臭い。冷蔵庫を力なく指差す。すると冷蔵庫の扉が開く勝手に開く。魔法の無駄遣い。だらくさが板についている。中を覗き込むと,1週間程前に買っていた惣菜が,賞味期限が切れてことごとく変色していた。食事はあきらめ,もう一度冷えた缶ビールを取り出し,敷きっぱなしの布団に戻った。


 俊二は松島中学校で理科の教諭をしている。お盆ということもあり,8日間も休みがあった。普段は満足に休みが取れないが,「山の日」や特別休暇がうまく組み合わさって,あまり経験のない長期の休暇を味わうことになった。まさに,その休暇中の失恋。幸か不幸か,無限とも感じられる,ゆっくりとした時間を与えられていた。

 現在,教育界には様々なトレンドがある。教育に関わる政策や制度も二転三転している。そんな教育界の現状について,塾の有名講師や過去学校の先生だった人が,テレビなどで持論を展開している。学校の授業の方法論も,トレンドに沿って随時新たな考え方が提唱されている。

 俊二も盆休みが終われば,教育委員会が主催する授業方法についての研修会へ参加予定である。流行遅れの先生にならない努力であるが,俊二の気持ちの復活が研修日までに間に合うかが参加の条件になっていた。


 二本目のビールを飲み干して,湿った布団に寝転んだ。カーテンの隙間から差し込む,爽やかな朝日がうっとうしい。カーテンの方に指をさし,わずかに空いたカーテンの隙間をなくした。最近,腹回りにつき始めた脂肪は,この「魔法の無駄遣い」によるものだろう。枕元のスマホをたぐり寄せ,ドライブや映画についての検索を始めた。

 別れた直後は,スマホの履歴を未練がましく見ていた。数日後には,過去の思い出が見えてしまう画面が嫌になり,それ以降はスマホを触らないようにしていた。調べ始めて間もなく,1件のメールが入ってきた。


 「もしかして…」

俊二は友人が少ない。最近のメールのやり取りは,付き合っていた彼女だけであった。頭では,彼女の心が変わらないことは,理解していた。期待していないはずだった。それでもメールを開く瞬間に,鼓動が早まり,一気に顔に血が巡る。

 送信元は,自分の職場である松島中学校からだった。送信元が見えた瞬間に,「そうだよな。」と,登ってきた血液が恥ずかしそうに心臓に戻る。緊張感が一気に抜け,興味が失せたままメールをとりあえず開いた。


メールの内容は,

『【緊急連絡】現在,松島中学校職員室のある校舎で火災が発生。通報済み,消火活動中。職員の今後の対応を確認します。可能な限り,早く現場に集合してください。』


「今年の盆は,・・・。」

つぶやくのも途中で止めた。ぐちゃぐちゃな感情を整理する間もなく,俊二はゆっくりと布団から立ちあがった。

 おそらく,職場は今も燃えているであろう時に,不謹慎なことを思っていた。

(魔法使いの見せ場かな…)

 伸び放題の無精ひげを落とし,身支度を整えた。

 ビールの空き缶が入った燃えないゴミの袋を片手に,燃えている学校に向かうため,玄関の戸締りをした。



第3話 庚申塔


 海辺に小規模な中学校がある。海辺ではあるが,海岸沿いの道の反対側は山になっており,両方の自然の魅力に囲まれた環境にある。この辺りでは,主に漁業や農業を営んでいる住民が多く,静かな田舎町である。

 最近はドライブ目的の観光客をよく見かける。海岸沿いの道からは,たまに雑誌で紹介されるような美しい浜辺が見える。車で30分程移動すれば,ビルやマンションが並ぶ町に辿り着く。この町のJR駅が中学校の最寄駅であり,そこから1時間に1~2本だけ運行しているバスが町から村への交通手段となる。


 この小規模な中学校こそ,俊二の勤める勤務先である。その松島中学校は,全校で40人程度の生徒が通っている。学齢期の子どもが減少し続けており,将来はこの中学校が統廃合などでなくなることを予想しても全く不思議がない。

 半島のような地域で校区は広く,1時間ほど歩いて登校する生徒も案外多い。実際には海辺ではなく,内陸側の山道を通学路にしている生徒の方が多い。道沿いには,季節を反映して様々なものが生える。竹林も多いため,春にはタケノコがわらわらと伸びるが,地元の人間にとっては何ら珍しいものではない。放置されたタケノコのほとんどが,誰にも食べられることなく,つやのある緑色をまとった立派な竹へと成長する。

 学校への通学路の途中で,たまに石塚を見かける。これは「庚申信仰」と関係がある。道教に由来する平安時代から続く信仰である。日本では,神道や仏教などと合わさりながら,独自の信仰として変容してきたらしい。


 諸説あるが,簡単に言うと人間の中には3匹の虫がいて,行いの罪悪を神様に告げる役割がある。庚申の日に眠ると,この3匹が体から這い出て天帝に伝え,寿命が縮められる。だからその日は眠らないで,虫が体から勝手に出ないように,というものである。信仰の象徴である石塚を庚申塔と呼び,明治の初期以降,区画整理などによって各地で撤去されてきた。「庚申」という文字や,猿が掘られているものなど様々である。決して多くはないが,この地域には残って点在している。


 通学路を一人の学生が足早に歩いている。集合時間は8時だが,7時40分位に家を出たので慌てていた。母親に言わせると,いつものことである。「もっと遠い人もおるのに…」と愚痴のような母親の注意を今日も聞いて家を出た。

 中学2年生の若井翔太は,夏休みの剣道部の練習に,少し遅れるかもしれないと心配しながら登校していた。同級生が真っ黒に日焼けしているのに,翔太は白いままである。やや細い体に,身長が170㎝を超えていて,見た目の印象は文科系の体格の良い子ども,といった感じである。

 竹刀と水筒しか荷物がなく身軽なため,時々小走りになりながら学校をめざしている。部員が少なく,1年生の頃からレギュラーで試合に出ている。自分なりには,実力で選ばれていると思っている。3年生が引退した現在,次期部長になることを先週末に顧問から言われたばかりだった。

 散歩ならば,涼しい木陰が多い道なのでベストコースではある。当然,翔太にとっては全く別である。慣れてはいるが通学路の大半が舗装されてないので,石や落ち葉で覆われており決して歩きやすい道ではない。じんわりと汗ばみながら,40m程の見通しが良い山道まで来た時,少し驚き,足を止めた。その道の先に普段見ない光景が見えたからである。

 庚申塔の前で膝をつき,しゃがみこんで,何かを探している女がいる。その塔は竹藪を背にして,ひざ丈ほど伸びた草に囲まれるように立っている。けもの道に毛が生えた程度の山道で,人が通ること自体が珍しいような場所だ。白い薄手のシャツに紺色のパンツに見えるが,その女は何かを探しているようだ。遠目でよく見えないこともあり,年代はハッキリしないが女性であることは分かる。いつもの退屈な登校中には,たまに動物の死骸を見つけることはある。しかし,人とすれ違うことはかなり珍しい。


 状況が違えば,「落し物ですか?」と言えるくらいのコミュニケーション力はある。50世帯ほどの地域のため,近所の人は親戚のようなものである。思春期特有の妙に恥じらう面はたまに顔を出すが,普段から地元での挨拶や簡単な会話は慣れている。

 何を探しているのか気にはなったが,いつも通り登校中は気持ちに余裕がない。遅刻した場合,部活の顧問から嫌味のような口調で長めのお叱りを受ける。そんな面倒くさいことになる前に到着したい。もう一度速度を取り戻して,歩き始めた。

 その庚申塔を通り過ぎる瞬間,女が「おはよう」と声をかけてきた。反射的に「おはようございます」と返した。体育会系の中学生らしい,スムーズな反応がとっさに出る。感心な子供だ,とその女に思われているだろうか。やや複雑な気持ちを振り切って,そのまま通り過ぎた。そのはずだった。

 次の瞬間,翔太に「あれ?」と疑問符が浮かんだ。記憶はそこで終わる。

 翔太は全身の筋肉が力を失い,まるで画面がプツンッと消えるように,思考することもなくその場に倒れた。

 倒れた瞬間の痛みすら覚えていないだろう。瞬時に人形になったかのように,ひざが折れて道に転がってしまった。ついさっきまで,多少早いテンポで聞こえていた翔太の足音が消えた。そのせいで,竹林を抜けた風が笹を揺らす,かすれた音が際立つ。


 庚申塔から半歩離れた所で,先程までしゃがんで探し物をしていたはずの女が,いつの間にか立っていた。慌てる様子も助ける素振りもない。突然の出来事を目の前に,固まっているのだろうか。心地よく流れる風が,肩を少し過ぎるほどの女の黒髪を揺らす。

 30代前半だろうか。美しさとは別の,凛とした知的さが魅力的な女性である。首元がやや広く開いた白いシャツから,細い銀色のチェーンネックレスが見える。女は,左手に何かを持っていたが,それをポケットに納めた。意識もなく倒れている翔太を見降ろしている。しかし,心配している表情ではない。どちらかといえば,安心したようなやわらかさが表情に見える。

 しばらく様子を見た後で,女は振り返り,あらためて庚申塔の前にしゃがんだ。背中側では翔太が転がったままである。

 大きく息を吐いた後,女は手を伸ばし,やや苔のついた石肌に触れた。触れただけのはずである。その瞬間から,腰の高さもなかった庚申塔は,ムクムクと大きさを変え始めた。


 この出来事のおよそ1時間後,中学校で火災が発生した。



第4話 通学路にて


 町から村へ続く海岸沿いの一本道は大渋滞だった。学校の火事が渋滞の原因であることは,俊二にはすぐに想像できた。途中までバスを利用し,渋滞に気付いた後は,途中下車して歩くことにした。

 しばらくは車道沿いを歩き,その後は生徒が普段使っている山道の通学路を選んで学校へ向かった。さすがに朝から飲んでいたことは知られたくない。酔いを醒ます目的もあり,爽やかな山道を歩いていた。

 あと,10分もせずに到着できる場所まで来た時,先の方で人影が見えた。学校が火事ということを考えれば,色んな人が集まるだろう。今の職場で長く務めていることもあり,この界隈の住民であればよく知っている。誰だろうか,と思いながら少し足早に歩き始めた。

 しかし,見かけた人影には,とうとう会うこともなく,学校が見えてきた。道端にある庚申塔の横に,竹刀袋と水筒が置いてある。落とし物というより,きれいに並べておいてある。そして,間違いなく,自分の学校の生徒の物だろう。俊二は手に取って,持ち主の名前を確かめた。「若井」と書いてある。「あいつか・・・。」若井の顔を思い浮かべた。この場に置いておくより学校で渡そう,と置いてある荷物を抱えた。


 もう,酒の影響はない。急いで学校へ向かおうとした時,後ろから「ちょっと待って!」とやや強めの語気で呼び止められた。

 振り返ると,さっき通り過ぎた道に一人の女性がいた。自分の後ろから来ていたのだろうか。生徒の親か,または姉が竹刀を取りに来たのだろうか。

 俊二は「これですかね?」と言って,竹刀袋を差し出した。女性にネコババしたと勘違いされていないか少し心配して笑顔をつくった。

「ん…。と。竹刀取りに来られたんですか?」

 俊二は相手の疑いを消せるように,もう一度荷物の話を投げてみる。女性はあまり表情を変えずに,今度は丁寧に言葉を選ぶようにしゃべり始めた。

「急にすみません。私は守裕子といいます。あなたと同じように、力があります。」

言うと同時に掌を広げて,小指の付け根にある印を見せた。

 俊二は固まった。魔法について、知りたい事は山ほどある。色々聞きたい欲求を抑えながら、初対面の守という女性にどんな反応を見せるべきか、悩んでいた。

 話題を他に逸らすことは無理である。この女性が,魔法について,ある程度知って話しかけてきたことは確信できる。まずは、目的が知りたかった。

「たまたまこの道を通ったんだけど…。俺,ストーカーされてんのかな?職場の火事で急いでるんだけどね。」

魔法には敢えて触れずに、会話を続けてみた。

「見える人から、あなたがここを通ることを教えてもらったんです。学校は燃やしてますが、人に被害は出てません。」

 どうも、守の話は苦手だ。説明してるふりをしながら、謎をチラ見せするやり方である。付き合うと面倒臭いケンカをしそうな女である。かわいいけど。

 自分の中で、一つはっきりした事がある。今、優先する事は、職場に向かうのはやめて、守の話を聞く事だ。

「守裕子ちゃん、だったよね。きちんと、分かるように、説明聞かせてよ。突っ込みどころ、あり過ぎだしね。」

「ついてきてください。ちゃんと説明します。」

そう言うと、庚申塔を指差した。すると、まるで生き物が成長するように、なめらかに大きさを変えていく。瞬く間に、人がくぐり抜けられる程度の石門に変わった。

 裕子ちゃんに付いて、門に向かった。何を聞けるのか、まだ分からないが、とりあえず名前のちゃん付けはOKみたいだ。



第5話 今さらの講義


 石の門は,決して立派な門ではなかった。本当に,庚申塔を無理やり引き延ばしたような,輪っか状の石である。裕子の後ろから付いて,門をくぐった。

 周りを見渡して,思わず,

「は?」

と,声が出てしまった。

 何もない。殺風景とかいう問題ではない。見渡す限り,白い空間が広がっており,出口らしい「枠」が先の方にある。直感的に,裕子からはぐれることが致命的なミスであることを感じた。できるだけ同じ場所を踏むように歩きながら,次の枠を抜けた。そして,もう一度間抜けな声を出してしまう。

「は?」

 そこに現れたのは,先程と違い,色のある風景だった。そして,この場所も何となく分かる。おそらく,ここは,おじいさんの部屋だ。高校生の時にたまたま助けた,あのおじいさんの部屋だ。その時は,部屋の奥に上がってないが,間違いないと確信できる。


 俊二たちは,6畳の和室の押し入れから入ってきたようである。部屋の真ん中に小さな机。その周りに座布団が4人分並べてあり,既に1人座っている。教え子の若井である。裕子は壁際に靴を脱ぎ,すぐに空いている座布団に座った。妙な光景である。そして,座っている2人は何もしゃべらず,こちらに顔を向ける。

 俊二も覚悟をしてここまで付いてきた。残りの空いている座布団に,ドンと胡坐をかいて座った。ここに若井まで現れて,正直な感想がこぼれる。

「裕子ちゃん,聞きたいことが増えっぱなしだよ。」

おどけて見せた後,続けて,

「まずはね,何か言いたいことがあるんだろうけど,俺が先に聞くよ。」

机に腕を乗せ,ゆっくりとした口調で切り出した。

「どうぞ。あんまり時間の余裕がないから,一つだけで今は我慢してください。」

「一つね。分かった。」

変なシチュエーションのおかげで,苛立ちが薄れている。和室のせいか,妙に落ち着いてしまう。少し考えて,一番知りたいことを絞り出した。

「裕子ちゃんと同じらしいけど,この能力は何?」


 間近で見ると,裕子はいい女である。話し方は好きではないが,薄い唇の動きに見とれながら,説明を聞く。

「私たちの能力は,一般的に魔法とか超能力とか言われてるものです。物を動かしたり,物の形を変えたり様々です。できることは,力を使う人間の能力の差が大きいみたいです。だから,本当の意味では私も分かっていません。」

 要するに,能力の可能性については,裕子自身ができることや見たことのある範囲でしか分からないということだろう。

「ちなみに私は,『人を見る』ことが得意です。その人の色や匂いを感じるようなニュアンスですが,見たいことが見えます。あなたが私と同じ魔法使いということも,私だから分かると思います。読心術に近いものと考えてください。」

難しい自己紹介だが,魔法使いにはそれぞれ,得意分野があるらしい。

「なぜ能力が使えるかについては,誰かから能力を『継承』したからです。引き継いでいる間は,小指の近くに印が現れます。次の誰かに能力を渡した時に消えます。」

積極的に継いだ覚えはないが,だいたい見当はつく。

「私たちのような魔法使いが,何人いるかは分かりません。ですが,継承していくことを考えれば,魔法使いの人数は常に一定なんだと思います。たぶん。」

自信なさげな部分もあったが,知っていることは全部言ったような顔つきだ。


「ちなみに,裕子ちゃんは誰から引き継いだの?」

「私は,旅行先で知り合った人からです。」

旅先で知り合った人というフレーズに,色っぽい話を期待してしまう。

「車に轢かれた猫を見つけました。まだ息があったので,病院に連れて行きました。

 正直,助かる見込みが薄いのは分かってましたが,放っておけなかったんです。近くを通る人に聞きながら,一番近い動物病院に運んだのですが,診療時間が終わってるの一点張りで医者が見てくれませんでした。」

ちっとも色っぽくない。しかし,裕子の好感度が急上昇している。

「病院近くのコンビニの駐車場の端っこで,死んでいくのを見てるしかなくて…。

 で,その時に,駐車場に止まっていたトラックから,おじさんが降りてきたの。近づいて来て,いきなり手を掴まれて。『頑張って』っておじさんが言った瞬間,もの凄い痛みを感じたの。それが,私が引き継いだ経緯です。」

(警察沙汰,ぎりぎりやな…)

怖い状況にも思えるが,善行エピソードという共通点がありそうだ。

「一旦,質問はここまでにしてください。もう,時間的に限界なので,今度はお願いを聞いてください。」

俊二の質問ターンは終わりのようだ。


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