第九話 変わり行く時
日暮 明の人生の全てが打ち砕かれてから更に一週間が経過した。今日は退院日、そして日暮家に帰る日でもある。
久しぶりの我が家を目の前に、通常なら安堵とともに感慨深げな気持ちに浸る所だが、はたしてそうはならなかった。
なぜなら
「へぇ、なかなかいい家じゃないか」
明の隣に当然のように居る、未明 暁莉の存在
「なんでテメーまで家にくるんだよ!」
「あれ? 言わなかったかな。今日から君の家にお手伝いとして来る予定だったのだが」
首を傾げながらさらっととんでもない事を言ってのける。正気か。
この怪力暴力女と一つ屋根の下で暮らす? 冗談ではない。命が幾つあっても足らないし、大体――――
「聞いてねえよ! 大体、よくばあちゃんがOKだしたな!?」
「あかりさんにならちゃんと許可を貰ったぞ? 快くな」
なにか、問題でも――――?
その言葉とともに、曉莉の双眸がスッと輝きをなくした。
瞬間、頭の中が霞がかる不思議な感覚に包まれる
視界がぼやけ、正常な思考が、できなくなり――――
「別に、問題はない」
「そうか、ならいいんだ」
「……」
今、自分は何て言ったのか?
何か、すごく自然に、不自然な言葉を言ったような気が
「――――ってお前! 今俺に何した!?」
「む、気付いたか? 意外に勘は鋭いな」
この女、澄ました顔でとんでもない事を仕出かす。
「軽い暗示だよ。面倒事は大体これでなんとかなる」
「まさか、ばあちゃんにも」
「いいや? あかりさんにはちゃんとした許可をもらってるよ。君の勉強を見るって言ったら大喜びしてたよ」
頭が痛くなってきた。
いくら穏やかとは言えここまでのんびりしていると、いつか詐欺に会うんじゃないだろうか。祖母が一人のときにオレオレ詐欺にころっと騙されそうだ。
少しは人を疑うということも覚えて欲しいものである。
――――尤も、それが祖母の良い所なのだが
「これからこんな美人なお姉さんと一緒に暮らせるんだ。有り難く思えよ?」
「自分で美人とか言うなよ・・・」
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「今日は未明ちゃんの歓迎を祝して――――」
「「かんぱーい!」」
「かんぱーい・・・」
グラスが空中で気持ちのいい音を奏でる。食卓には滅多に食べないご馳走が所狭しと鎮座している。食卓を囲むのはいつもは明とあかりの二人であったが、今日は三人だった。
当然、最後の一人は曉莉である。
「今日は明さんの好きなオムライスもたくさん作ったからね♪」
「ちょ、ばあちゃん!?」
あわてて目線を曉莉に向けると、そこには非常に癇に障る笑顔を浮かべた怪力暴力女が
「へぇ、明くんってオムライスがすきなんですね。うん、いいこと聞いちゃったな」
――――この女、今絶対「似合わねえ」って思ったな
「わりぃかよ、オムライスが好きで」
「ううん、そんな事ないよ? ただ、こどもらしい所があってほっとしただけ」
うるせえ! ガキっぽくて悪かったな! ああ、そうだよ、好きだよオムライス! 大好物だよ!
特にばあちゃんが作るのは絶品だ。究極にして至高だ。
「今日は私も手伝ったから、お口にあえばいいんだけど」
「けっ、不味かったらゆるさねぇからな」
文句を言いながらスプーンを口に運ぶ
その瞬間、明の全細胞が停止した
――――美味い
なんというか、普通に美味い。卵はふわふわの半熟をキープしつつも、しっかりとした食感を保っている。中のチキンライスもまた口にいれた瞬間はらはらと花びらのように散りほどける、やさしい口当たり。
「おいしい?」
曉莉が顔を覗き込んで来る。一瞬、猫を被ってるとは思えない程の、自然な微笑みを浮かべている。
美味しい、確かに美味しいが、なんだか素直にはいと言うのも気に入らない。
「・・・まあまあ」
漸く出た言葉がそれだった。ひねくれた自分らしい、気の利かない台詞。
「・・・そう、お口に合わなかったかな」
少し顔を曇らせ、残念そうな声を出す。どこか儚げにも見える表情に一瞬ドキリとする。
――――こいつ、こんな顔もするんだ
日暮 明にとって、目の前の少女は「圧倒的な力」だった。
自分を完膚なきまでに打ち倒したあのときの、見るもの全てを焼き尽くさんばかりの殺気。振るう拳の衝撃。纏う黄金の炎の勇壮さ。
その全てが圧倒的で、恐怖を感じた。
「死」と言うモノが、形になって襲ってきたかと思った。それほどまでに強く、
――――美しいとすら思った。
だから、目の前でそんな「圧倒的な力」を微塵も感じさせない表情に、不意打ちを食らった気分だった。無言でスプーンを口に運ぶ。
やっぱり、美味い
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その後、歓迎会は無事に終了し、風呂も早々に入った後さっさと寝床に着いた。久しぶりの我が家の布団が、これ程安心できるとは思わなかった。ただ、安心感を覚える一方で、なかなか寝付けずにいた。
色々な事がいっぺんに起こり、あっと言う間に自分の運命を変えてしまった。にもかかわらず自分はこうして普段と変わらない「安心できる居場所」で温もりを得ている。
その現実と非現実のギャップが心に僅かな齟齬を感じさせる。このままでいいのだろうか、自分はどうなるのか。そんな考えが次から次へと出て来る。
――――いつか、人間じゃなくなる
そんな考えが頭に浮かんだ瞬間、布団に包まってる自分が酷く孤独な気分になる。背筋がぞくりと寒気を感じ、冷や汗が額に浮かぶ。
自分はまだ、人間、だと思う。いや、正確にはそう思っていなければ正気じゃいられないと言った方が正しい。
半鬼
半分が人間で、半分が鬼
中途半端な化け物
なぜ自分が、そんなものになったのだろう
いくら考えてもわからない
暗い自分の部屋がより心を沈ませる
夜は嫌いだ、イヤでも自分が一人だと言う事を思い知らされる。そして、あの悪夢のような事件を思い出す。
――――人を助けようとして、あっさり裏切られた
――――そして、最後は鬼に助けられた
「先生」
俺、どうしたらいいんだろう
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学生の本分は勉強である。よって、如何に勉強嫌いの明でも、学校に通う事は避けては通れない。
今日は久しぶりの学校。天気は快晴。絶好の登校日和である。
「ほう、こうして見ると、やっぱり小学生なんだな」
――――自分の部屋で当然のように寛ぐ未明 曉莉
「うるせえな。じろじろ見んじゃねえよ」
紺のジャージにジーンズと言う動きやすい格好で、ランドセルを背負う日暮 明
眉間に皺を寄せながら、ぶっきらぼうに言い捨てる。なぜ朝っぱらから自分の部屋に上がりこんでいるのだこいつは。
「そのジャージ、ポルトガルのか? また渋いモノを着るな」
「悪かったな、おっさんみたいでよ」
曉莉はふぅとため息を吐きながらさもやれやれと言ったように両手を挙げる。
「昨日といい今日といい、君はもう少し素直な反応ができないのかね」
「素直な反応をしたくないだけだ。・・・言っとくけど、まだ怒ってるんだからな」
「はぁ、ま、いいか。それじゃあそろそろ行こうか」
当たり前のように言う。
行く、とは。一体何処を指しているのだろうか。
「おい、まさかついて来る気じゃないだろうな」
「うん? そのとおりだが?」
「はあ?」
この女は何を言っているのだろうか。いくら小学生とは言え、自分も来年は中学生。保護者同伴で登校など恥ずかしすぎる。
第一、こいつ自身は学校に行ってるのだろうか? 外見だけは女子高生と言っても差し支えないが、本当はかなり年齢が行ってるのでは――――
「君、いま失礼な事考えていたろ」
「別に・・・ってそうじゃねえ。ついてくんなよ、鬱陶しい」
「私は一応君を保護する役目を持っている。そう簡単にはいとはいえないな」
「・・・も、勝手にしろよ」
――――どうせ、すぐフケるし
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窓際の席でぼうっと外を眺める。凄惨な事件の後、一つに統合されたクラス。そこに明の居場所など無かった。
ただ、記憶を操作されたクラスメートたちの何名かが、あの日、自分をあっさり見捨てた事実を明は今でも忘れない。
その事についてはある程度諦めていたが、本気で助けようとして裏切られた自分があまりにも惨めで、こっけいだった。
このように頬杖をついてたら真っ先に飛んで来るはずの濁声も、今はもう聞こえない。二度と。
景色が灰色に見える。何もかもが下らない。ここに居座る理由なんて、何処にも無い。
「ダルい」
その一言に周りがビクッと反応する。これではまるで腫れ物だ
生徒どころか教師まで、生き残りの内、自分だけを厄介者扱いする。それを仕方ないと思う一方で、どうにも癇にさわる。
――――そろそろ、行くか
いつもと同じようにサボろう
ただ以前と変わったのは、その場から逃げるような感覚。
現実から目を背ける行為
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「で、結局こうなるんだよな・・・」
街を適当にぶらついていると、案の定と言うか何と言うか、見事に絡まれた。しかも、見たことのある連中ばかりである
「おいおいさっきから何ぶつぶつ言っちゃってんの?」
「お前、千台の日暮だろ? 結構有名だぜ、お前の悪名はよぉ?」
頭の悪さを全開にしたかのような見た目不良。明は「バカ」とか「ATM」など呼んでる少年たちが一斉に明を取り囲む。
「お前ら他にやることねぇの?」
「うるせぇ! てめぇ日暮ィ! この前はよくもやりやがったな!」
「ぶっ壊されたスマホの分はきっちり払ってもらわねーとなぁ?」
「前の倍は人数連れてきたぜ。土下座すんならいまのうちだよ?」
謝ってもゆるさねーけどな!
耳障りな嘲笑が鼓膜に響く。普段だったら苛立ちに顔を顰める所だが、今日の明は――――
「・・・感謝するぜ」
――――こうやって遊んでいた方が、まだ気分が紛れる。
見下すように、半目で嘲笑う
「ふざけんなクソ餓鬼!!」
バカにされたと思ったのだろう。怒声とともに明に殴りかかる。
明は拳を回避すべく、目の前の不良に
――――集中した
その瞬間、世界が変わった
(こいつ・・・)
――――遅い
拳がやけにゆっくりに感じる。まるでスローモーション映像のようにゆっくりと明に迫る。こんな経験は初めてだった。
何故だか頭がやけに冴える。視界がクリアになり、自分でも不思議なほど酷く落ち着いている。
軽く体を横にずらし、拳を避ける。空ぶった勢いのまま不良は転倒する。
「野郎!!」
「ぶっ殺せ!!」
次々と不良たちが襲い掛かって来るが、その全ての動きが遅く、下手をすれば寝てしまいそうなほどにゆっくりだった。
先程と同じように、軽い動作で全ての攻撃を紙一重でかわす。
その後も繰り返し明を襲うが、あたらない
掠りもしない
ただ空ろな目で全てを把握していた。
「こいつ、マジか・・・!?」
「なんで。なんであたらねえんだよ!」
段々と不良たちにも焦りが表れ始める。いや、焦りと言うよりはむしろ、これは
――――恐怖
「!」
背後から、腕を回される。何時の間にか後ろにこそこそと忍び寄っていたらしい。
「よし! 捕まえたぞ!」
「やれ! ぶっ殺せ!」
好機とばかりに襲い掛かる。羽交い絞めにされた標的など、もはやサンドバックのようなものだ。
しかし――――
「もういい、飽きた」
万力に砕かれる青竹
そんな音が、はっきりと響き渡った
「ぎゃああああああああ!」
明を羽交い絞めにしていた不良が、絶叫とともに腕を押さえ、のた打ち回る。その抑えている腕は奇妙に捻じ曲がっており、不自然な様相を顕していた。
「こ、こいつ、腕が!」
「てめぇ、なにしやがった!?」
次々に言葉を浴びせる不良たちを前に、それでも明は冷静さを失わない。目の前の人間たちの姿が、段々とぼやけてくる。輪郭がはっきりしなくなった顔で何かを喚いている。それがどうしようもなく可笑しかった。
「何、って」
きょとんとした顔で、困ったように周囲を見渡す。
視界にコンクリート片が映る
右手で転がっていたコンクリート破片を掴む
右手に丁度収まったそれは――――
――――粉々に砕け散った
「にぎっただけだよ、こんな風に」
不良たちは顔を青くしている
誤った。挑む相手を
誤った。狩る獲物を
――――だが、後悔してももう遅い
「死ねよ、お前ら」
無機質な瞳孔は、赤く、縦に裂けていた。
--
全てが終わったころには、周囲には倒れ伏せる不良たち。そのどれもが苦痛と恐怖に顔を歪め悶えている。明はそんな彼らを一瞥すると、まるで興味を失ったかのようにその場を後にした。
自分でも上手く手加減できたと思う。そうでなければ、一体どうなっていたか?
――――簡単だ、あの夜のように、血と肉に埋め尽くされた、地獄が一つ生まれるだけだ。
なんとなくだが、理解できる。これが半鬼としての自分のチカラ。化け物じみた超感覚、そして、怪力。
そのチカラを十全に発揮した結果が、今。
「はは・・・」
洩らした嘲笑は、自分に対するもの。改めて認識した。自分の異常性。
――――居場所を求めた筈の街にも、居場所がなかった
「もう、なにがなんだか・・・」
力なく、路地裏を歩く、時刻は四時を回る。日はまだ昇っていたが、今の自分は酷く暗い道を歩いている気がした。
――――その背後から、何かが近づく
「……!」
違う
先程のした不良たちとは違う、不気味な感覚。
この背筋に氷を入れたような感覚は。
「・・・誰だ」
警戒を含みながらゆっくりと振り向く。
振り返る視線のその先で、明は確かに見た。
「み、み、み、みつ、つけたたたた」
「ひ、ひ、ひぐ、ひぐらしししししし」
「ころ、こ、ころす、ころす、ころす」
「ころすころすころすころすころすころすころすころす」
「な・・・」
見るからに「異常」な男
目の焦点は合っておらず、口調も非常におぼつかない
半笑いの口の端からは涎があふれ、生理的嫌悪感を催す
――――明は覚えていないが、ソレはかつて、佐久間と呼ばれた、不良の少年だった。
「コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス」
「コッ・・・コガガ」
「ガ・・・ガ・・・」
佐久間の口調が急に変わり、その長身が急激に膨張する。
瞳は赤く染まり
牙は口からはみ出し
増幅した筋肉が衣服を突き破る
「・・・マジ、かよ」
こんな、こんなにはやく、遭うことになるなんて
――――ほんと、ついてねえってレベルじゃねーな
「グルァアアアアアアアアアアア!!!」
鬼が、再び現れた