第八話 明王衆
「・・・傷、残っちまったか」
鏡に映る自分の頬を撫でながら呟く。一文字に残った傷痕。
未明 暁莉に殴られた左顔面は癒えはしたが、その傷の全てが癒える事は無かった。
そもそも一週間という短い期間で治る怪我では無い。常人ならば数ヶ月を要する大怪我。それが治ってしまうという事実が、自分がもう普通の人間ではないと思い知らされる。
京都で起こった凄惨な事件、その全ては改竄されていた。
凶悪犯による無差別殺人。それが表向きの真相。生き残ったクラスメートの全てはそれが全てと刷り込まれた。どうやったかは知らないが、今までも同じように改竄してきたらしい。
そして真実を知る者は日暮 明ただ一人。
いや
「ほう、なかなか男前になったじゃないか」
「お前」
鴉の濡れ羽とも言うべき美しい長髪を揺らす、これまた漆黒のセーラー服に身を包む美少女。
未明 暁莉
「半鬼といえどその回復力は侮れんな。もし始末することになったら念入りに磨り潰さなければな」
「冗談に聞こえねぇぞ」
この妙に古臭い言葉を使う女に一週間前、殺されかけた。そればかりかせっかく心を開きかけた先生までその手に――――
いや、その事に関しては自分なりに納得した。
いずれ井上は始末されただろう。より多くの人間の血肉を啜りながら、あの醜い姿で夜の京都を徘徊する。
そんなことになる位なら、あの場でこの女の手にかかった事は、ある意味救いだったのかもしれない、と、表向きは無理やり結論付けた。
無論、本音はそれどころではない。
本当なら今すぐにでも目の前の女に飛び掛り、その澄ましたツラを張り倒したくて仕様がなかったが、あの悪夢の全てを知る証人。あの時、あの場所で何が起きたのか、その全てを知るこの女から全部聞きだす必要がある。
だから、不本意ながら我慢する。短気な自分にしては上出来だと思う。
なにより――
この女に飛び掛ったとして、勝てるイメージが全く浮かばない。
恐らくだが、何もできずに瞬殺。もしくはボコボコにのされて終了。自分とこの女との間にある明確な"差"
それが理解できてしまうから、明は戦いを挑まない。挑めない。
「そう睨むなよ。私は少なくとも君の味方のつもりなんだがな?」
「そんなことどうだっていい」
鬱陶しいとばかりに吐き捨てる。元々仲良くするつもりは最初から無い。知りたいことをさっさと教えてくれればそれだけで良かった。
「俺が聞きてぇのは二つ。一つは化け物にならない方法」
そして
「このクソッタレな騒ぎを起こしやがったバカの居場所だ」
自分ばかりか井上までも化け物に変え、その人生の全てを狂わせた犯人。
腸が煮えくり返る
頭に昇る血が今にも噴き出しそうな感覚
なにがなんでも探し出し、ぶっ殺してやらなければ気が済まない。
「ふむ、復讐・・・、いや、仕返しのほうが正しいか。やめとけ、今の君じゃ八つ裂きにされるのがオチさ」
「・・・知ってるんだな、犯人」
「ああ、そもそも、私はずっとそいつを追いかけていた。だが、今は君をどうするかで精一杯さ、君も自分の事を第一に考えた方がいい」
「放っとくのかよ、そいつ」
「少なくとも、しばらくは行動は起こさない。人を鬼に変えるにはそれなりに準備が必要だからね」
その言葉を聞き、顔を俯かせ、両の拳を握り締める。
ただ、悔しかった。
目の前に真相の鍵が転がってるのに、それに手を伸ばす力すらない、無力な己。
仇をとりたい、なんとしてでも、己の命に代えても果たしたい。
「あまり怖い顔をするな。鬼に近くなるぞ」
「うるせぇよ」
鬼に近くなる
暁莉の話によれば、半鬼の状態で尚怒りや憎悪に囚われ過ぎると、人としての理性が薄れ、段々鬼として覚醒してしまうらしい。
そうなってしまってはもう手遅れ、二度と元には戻れず、人肉を喰らう悪鬼に成り果てる。そして、始末される。未明 暁莉によって
「それに、戦いに身を置けば必然的に憎しみに触れる機会も多くなる。私としてはこのまま静かに――」
「忘れろ、ってのかよ」
「・・・ああ」
「できる訳ねぇだろ・・・!」
このまま何事も無く、全てを忘れ、平穏な生活に――――
戻れるわけが無い
もう、無関係ではいられない。この体の奥から湧き上がる怒りが、平穏を許さない。
「俺は、やる・・・! 何としてでも犯人をぶっ潰す!」
「駄目だ」
あっさりと拒否される。それどころか、先ほどの飄々とした顔は鳴りを潜め、逆に冷たい眼差しが明に突き刺さる。
――背筋が、凍りついた
圧倒的な死の予感
無表情に隠された怒りの形相
言葉をださずとも理解した。「これ以上余計な口を開くな」そう目が語っている。
「それは、君のやるべき事じゃない。我々明王衆の役目だ」
「明王衆・・・?」
先程聞いた「明王の使い」といい、よくわからない言葉が次々と出てくる。
「なんだよ、その明王衆ってのは」
「ほんとはあまりおおっぴらに話せないのだがな」
「ま、どうせ長い付き合いになるんだ、知ってて損はないだろう」
そう言いつつ暁莉は説明し始める。
――明王衆
古くから朝廷に仕え、都を跋扈する悪鬼羅刹を滅してきた法力僧の集団。
現代の世に置いても鬼の発生を食い止め、日本の平穏を影から支え続けた。
その者たちが信仰するのは降魔の象徴、仏法の守護神
――明王――
即ち
降三世
軍荼利
大威徳
金剛夜叉
そして――――
「不動」
正しき怒り
不動明王
「不動、明王」
オウムのように繰り返し、噛み締めるように答える
ありとあらゆる災厄を撥ね退け、悪鬼羅刹を打ち倒し、迷える衆生を救済する神
あの日、迦楼羅堂で出会った衝撃が、再び明の体を包む。これは単なる偶然だろうか。いや、偶然にしてはあまりに――――
「私は、災厄を撒き散らす鬼を滅するために明王衆に所属している」
「そして、君のような被害者を守る為に戦う」
「戦うのは私たちだけでいい。君が戦う必要は無いんだ。君は、既に救われた命だ。態々命を粗末にする真似をするなど、亡くなった彼に申し訳が立たないだろう?」
「それは」
「安易に薄暗い道を歩むんじゃない。陽の光の当たる真っ直ぐな道を歩く事が、君に出来る最大の恩返しなんじゃないかな」
「・・・」
陽の光の当たる、真っ直ぐな道
そんなもの、どこにあるって言うんだ。
不完全とは言え、化け物の領域にに片足を突っ込んでる自分が、一体、どんな道を歩けと。
「勝手なこと・・・」
抜かしてんじゃ、ねぇよ
そう言う筈だった言葉が、出ない。
ただ、虚しかった。
行き場の無い怒りが、急速に冷え、濁った気持ち悪いモノになり臓腑に溜まる。
――俺に出来ることなんて、無い
その事実が、ただ辛かった
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「それにしても、未明さんにはなんてお礼を言ったらいいか・・・!」
柔らかい笑顔を浮かべながら感謝の言葉を発するのは、明の祖母、日暮 あかり
大怪我を負った明を保護し、病院へ搬送した。それが未明 暁莉の描いたシナリオ。
すっかり信じた祖母の顔を見ているとげんなりした気分になる。真相を知る自分としては祖母を欺いている事に罪悪感を抱く。
「いえ、礼を言われる程でもありませんよ。人として当然の事をしたまでですから」
そして、同じく完璧な笑顔を張り付かせた女がいけしゃあしゃあとほざく。
古風な喋り方は何処へやら、如何にも「私、普通の女子高生です」アピールが明の癇に障る。
――――なに猫被ってんだ。ブス
ガツン!
「ごっ!?」
目にも止まらぬ神速の拳骨が明の頭上に炸裂する。
「まぁ、一体なんの音かしら?」
「何処かで交通事故でもあったのではないですか?」
ニコニコと笑顔を崩さずにさらりと言ってのける
この女、心が読めるのか!?
頭をさすりながら、目前の暴力女を睨みつける
――何すんだコラ
――邪な考えはお見通しだよ
明の最大級のガンくれは、暁莉の柔らかいスマイルによって受け流される。何処までも底知れない女だった。
「まぁ明さん。駄目ですよ? 命の恩人さんにそんな顔をしては」
「ぐっ・・・!」
その上祖母までも味方に着けている。非常に卑劣かつ的確な人心掌握。ふざけるなと叫びたい。
「それで、退院はもう・・・?」
「ええ、そうなんです! お医者様も大変驚いてましたよ。こんなに治りの早い子は初めてだって。明後日には帰れるみたいで、もうほっとしましたよ」
「それは良かったですね。明くんも早く退院できて良かったね」
なーにが「良かったね」だブs
「明くん?」
うつくしいおねーさま
とっさに心の中で訂正する。
「笑っていない笑顔」がこれ程恐ろしいモノとは思わなかった。
「本当に心配したけど、無事で良かったわ・・・」
あかりのポツリと呟いた一言が耳に入る。本当に安堵しきった、どこか疲れたような声。
「……」
違う
本当は無事なんかじゃない。自分はもう化け物になりかかっている。血と殺戮に酔った悪鬼。それが自分。もう二度と戻らない体。
もし、それが祖母の知るところになったら、自分は耐えられるだろうか?
いや
――拒絶されないだろうか?
それだけが怖い。どうしようもなく怖い。
一抹の不安を抱きながら、それでも自分は生き残ってしまった。だったら、精一杯生きるしかない。たとえ嘘にまみれた生活を送るのだとしても、真実を隠して生き続けるのだ。
生きることが、井上に対する恩返しなら、自分はそれで納得できる。
――――そして、俺は一時的に平穏に戻った
それがすぐに崩れ去るモノとも知らずに