第四話 黒い視線
「オラァッ!」
既に生徒たちを外に逃がすため、眼前の化け物たち相手に囮を買ってから早くも五分が経とうとしていた。
迫り来る化け物の側頭部に回し蹴りを放つ。
確かな手応えと同時に周囲、特に死角に気を向け距離を確保する。
明の喧嘩殺法の大原則は 「決して止まらない」 事である。
これは複数人を相手にし続けてきた明の経験に基づいた喧嘩理論の一つ。
修羅場とは常に流動しており、常に相手より有利な場所を取り続けることが重要。
その場に留まって迎撃し続けていればいずれ力尽きる。
ならば自身の身軽さを最大限生かし、そのすばしこさにモノを言わせ動き続け、相手を撹乱する。
集団の混乱を招くだけでなく、逃走経路の確保も同時に行う隙を無くした短期決戦特化のスピード戦法である。
最も、本人は理論等というものは考えておらず、ほぼ無意識のうちに "こうした方がいい" と思っているだけなのだが。
しかし……。
(あれで沈まねーってか!)
普段の明の全力の蹴りならば、小学生程度の相手ならば一撃で昏倒できる威力を持っている。
にもかかわらず、化け物と化したクラスメートは昏倒どころか立ち上がってくる。
体力も防御力も文字通り人間離れしているらしい。
そして、当然その腕力も――――。
「グルァア!」
「チィイッ!」
横から襲い掛かってきた一撃をなんとか避ける。
大降りの右の拳が食堂の壁に触れたと同時に轟音と共に大破する。
「なんつー馬鹿力だよ! 文字通り加減が効いてねぇ!」
まるで大砲でも撃ったかのような一撃。
マトモに喰らえば小柄な明など一発でミンチであろう。
それだけではない
(あんな力で捕まえられたら一発でアウトだ!)
集団戦で恐ろしいのは数にモノを言わせた包囲網である。
馬鹿力で組伏せられ、囲まれでもしたら食卓の残骸に成り果てたクラスメートと同じ末路を辿る破目になる。
なんとしてでも捕まる訳にはいかなかった。
「うわぁあっ!」
「た、たす、助けて!」
隅っこの方ではいまだにクラスメートたちが固まっている。
明が囮になってるとはいえ、逃げるタイミングを決めかねているようだった。
(時間稼ぎなんてエラソーなことを言ったはいいがこれじゃあ逃げるに逃げれねーな)
食堂にある扉は厨房の非常口をあわせて二つ。
生き残り全員を逃がすとなると、どうしても厨房の奥にまで入る必要がある非常口までは間に合わないだろう。
ならば入り口しか脱出する方法しかないわけだが、化け物の数の多さに今の自分でどれだけ持つか。
そう考えるうちに化け物たちに変化が訪れる。
今まではぎこちなかった化け物たちの動きが、目に見えて良くなってきたのだ。
さらには背後からの攻撃が増えた。
いくら喧嘩慣れしている明でも、当たれば終わりの攻撃を避け続けるのは精神的重圧がかかる。
(もうあんま時間がねーな……。さて、どーすっか)
しかし事態は更なる悪化を招く
「ひ、日暮くん!」
「前!前の扉が!」
(――――ッマジかよ!)
正面扉から入ってくる無数の化け物たち、それらは旅館の従業員の格好をしていた。
どれもその口に鮮血の跡があることから、既に外で"食事"を終えたのだろう。
(どうする!?もう非常口から逃げるしかねぇ!だけどコイツら全員逃がすには遠すぎる!)
出口は一つ、敵の増援、そして次々と動きが良くなる化け物たち。
圧倒的絶望が喉元まで迫りつつあるなか、明は普段使わない頭で必死に現状の打開策を考える。
(窓は……! 駄目だ! バケモンが邪魔だ! それに開けたとしてコイツらがすぐに飛び越えられるかわからねぇ!)
どうする
どうする
どうする
すっかり思考の迷路に嵌まってしまい、それでも攻撃を避けなければいけない。
(クソッタレが……! 他人を気にしながら闘うのがこんなにしんどいなんてよぉ!)
他人を、守る。
言葉に出せば簡単な行為がこれ程までに難しい事だとは思ってもいなかった。
クラスメートを見捨て、一人で逃げるなら簡単だろう。
それでも、日暮 明に"逃げる"という選択肢は存在しない。
ここで逃げ出し、自分だけが助かっても、後で絶対に後悔する。
そんな気がしてならなかった。
愛着の欠片も無いクラスだったが、今この場所で戦い、全員を逃がせる可能性を持っているのは自分しかいないのだ。
―――そう、自分しかいない、頼りの井上は化け物に成り下がり、マトモに動けるのは自分だけ。
だったら―――。
「俺がやらなきゃ誰がやるってんだあぁああああああ!」
咆哮一つと共に正面に向かい突っ走る。
考えに考えた結果の行動が、自分を生け贄にした特攻。
自分が餌になってる間に他を逃がすという馬鹿丸出しの、策とも呼べない無謀。
敵のど真ん中に躍り出たことで、化け物たちの視線が一斉に眼前の「肉」に集中する。
「ただで食われてたまるかァ! テメーら全員道連れだコラァ!」
烈昂の気合と共に最後の決戦に臨む。
椅子を振り回し、テーブルをひっくり返し、滅茶苦茶に暴れまくる。
後ろから掴まれた
―――背負い投げで吹き飛ばす
腕に噛みつかれた
―――袖をを破りながら肉片ごと殴り飛ばす
顔を掴まれた
―――頭突きで突き放す
瞬時に応対することで化け物の力から逃れ続けていたが、少しずつ、少しずつ、真綿で締めるように追い詰められて行く。
いつしか上着を脱ぎ捨て、上半身を曝していた、右腕からはポタポタと赤い雫が流れ落ちている。
呼吸は荒く不規則であり、視界が霞む。
体力に自信のある自分もいよいよ終わりの時が近づいてきたと嫌でも思い知らされた。
「ち……くしょう」
奇しくも眼前には化け物と化した担任、井上の姿があった。
最後に自分を殺す相手が、心を開きかけた担任などたちの悪い冗談のような話だ。
井上が腕を振りかぶる
避ける気も起きなかった
あれを受ければ自分など木っ端微塵だろう
何とも締まらない最期だなとボンヤリ考えた。
(待てよ……)
―――木っ端微塵?
これしかねえ……っ!
「うおらあああっっっっっ!」
レスリングのタックルに似た動きで井上に突撃する。
完全に虚を突かれた井上は体勢を崩し、尻餅をついた。
「オラ、こっちだクソジジィ! そのトロいパンチで俺をぶっ殺すんじゃねーのか!」
いつの間にか明は壁を背にして立っていた。
どこにそんな元気があるのか、挑発的な笑みを浮かべている。
「そーだこっちだジジィ、よーく狙えよな、外すんじゃねーぞ、ん?」
「ガァアアアアア!」
馬鹿にされたと理解できる思考力は残っていたらしい。
猛然と目の前の餌をミンチにすべくその必殺の拳を振り上げる
「おせーよ、ボケ」
すぐさま横に転がり、ギリギリの所で回避する。
井上の剛拳は明ではなく、背後の壁に激突した。
つい先程、元クラスメートが破壊せしめた壁に。
轟音が鳴り響き、食堂の壁に大穴が空く。
逃走経路が、完成した。
「逃げ出せテメーらぁあああああああああ!」
明の怒声が周囲に響き渡る。
「う、うわあああああ!」
「逃げろ!速く!」
「馬鹿、押すんじゃねーよ!」
次々と大穴に殺到するクラスメートたち。
急な餌の逃走に化け物たちも大穴に向け追いすがろうとするが―――。
「そっちじゃねぇ、テメーは寝てろ!」
化け物の一人に明のドロップキックが後頭部に炸裂する。
いまだ元気が残っていたようだ。
追いすがろうとする化け物を尻目に叫ぶ。
「うし、こっからは長丁場だ! 気合い入れて走るぞ!」
奇跡的とも呼べる逃走劇が始まった
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学級委員長である上原 茂は目の前で起こり続ける異常事態に精神の均衡を崩しかけていた。
―――なぜ、こんなことになってしまったのか?
心待ちにしていた修学旅行。
歴史ある京都の町並みを友人と共に散策し、
土産を沢山買い、
初日の豪華な夕食を堪能し、
二日目の大阪を楽しみにしながら布団についたはずだった。
最初に、耳をつんざく悲鳴が上がった。
何事かと様子を見に行くと、額から角を生やした友人らしき"化け物"が、これまた動かなくなり肉の塊と化した友人を貪り喰っていた。
―――そこからはまさに地獄だった
化け物を取り押さえようとした教師は喉元を食い破られ絶命した。
化け物は一人ではなく、複数いた。
密かに好きだった女子を守ろうとした。
その女子が化け物に変貌した。
井上先生はある言葉を聞いた途端、引き返してしまった。
いつしか食堂に追い詰められ、非常口から逃げ出そうと考えた矢先に―――
井上先生を含めた、化け物の大群が押し寄せてきた。
すぐさま逃げようとするが叶わず、一人、また一人と化け物の餌食にされた。
もう駄目だと思った時に、現れたのだ、アイツが、
あの札付きの不良―――
日暮 明が。
毎日のように授業をサボり、喧嘩に明け暮れ、周囲に迷惑を撒き散らすしか能の無かったあの日暮が
――――あの、どうしようもないクズが
アイツの起こす問題のせいで、クラス会でどれだけ他の委員長から文句を言われた事か。
そんなクズが、化け物相手に大立ちまわりを演じたと思ったら、みんなを逃がすという奇跡を起こしたのだ。
―――なんだそれは、お前はクズじゃなかったのか?
こんな異常事態でもなければなんの役にも立たないお前が、みんなを助けたヒーローになる?
冗談じゃない!
普段から授業を真面目に受けて、テストで良い点をとって、塾にも通って成績を上げて、親からの期待通りの自分であり続け、周囲からの信頼を得て学級委員長になった自分が、
まるでなんの役にも立てずに部屋の隅でビクビク震えるしかなかった。
ここで無事に生き残っても、あのクズはみんなを救った英雄で、自分は役立たずの能無しとして認識される。
今まで培ってきた信頼も、学級委員としての名誉も、全てアイツに奪われる。
許されるか、そんなこと
―――絶対に許されない
そこまで考えてある事を思い出す。
そういえば、井上先生はなぜ、化け物溢れる場所に引き返したのだったか。
――確か、誰かがいなくなって、そいつを探すために――。
「……みんな、走りながらでいいから、少し話を聞いてくれないか?」
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旅館からの奇跡の脱出から早十数分、生き残ったクラスメートと共に安全な場所へと逃げようとしていたが、すぐさま次の問題にぶち当たった。
「外も似たような状況かよ……」
建物の影から歩道の様子を見ると、先程嫌というほど相手をした鬼モドキ、人食いの化け物が餌を求めて徘徊していた。
―――この京都で、なにかが起こっている。
あの不動明王が発した言葉。
「鬼誕の日」
あれがなにか関係しているのだろうか。
あの不動明王は自分に何をさせたかったのだろうか、『滅せよ』だの『降伏せよ』だの意味がわからない。
自分はただの……と言うより、かなりワルな人間だが、こんな不信心の塊みたいな奴じゃなく、もっとマジメで信心深い人間に頼めと言いたかった。
最も、そのお陰で皆を助けられたわけだが。
―――いや、アイツを助けられなかったか
「井上……バカ野郎、どうしちまったんだよ」
もっと話がしたかった。
何だかんだで自分を心配してくれた、お節介焼きのクソジジィ。
アイツも祖母の言ったように、自分のために余裕を削ってくれたのだろうか。
今となってはなにもわからない。
「日暮くん」
急に後ろから、やけにねっとりとした声が聞こえてきた。
この声の感じには聞き覚えがある。
常日頃から自分に対して降りかかる陰口
教師の侮蔑の言葉と視線
―――他人を見下した声
「……何だよ、上原、用でもあんのか」
「君がぼくの名前を覚えてるなんてね、少し驚いたよ」
上原 茂
明のクラスの学級委員を務める秀才。
流した髪に端正で細い線が女子に人気のある少年である。
明はこの上原の作ったような敬語が苦手だった。
「これからぼくたちがどう行動するか考えていた所でね」
「警察に行きてぇところだが、見ての通り表もバケモンだらけだぜ、スマホも忘れてきちまった」
「ああ、それならぼくに考えがあるんだ、みんなもぼくの案に乗ってくれたよ」
いつの間にか、上原の後ろには生き残りの生徒たちが集まっていた。
気のせいだろうか
―――どれも一様に、恐れや敵意のような視線を自分に向けているのは。
「日暮くん、君にはもう一度、みんなのために囮になってもらうよ」
この日、俺は少ない人生の中で、後々まで残るトラウマを抱える破目になる
人間は守るべき存在なのか、これから始まる戦いの最中何回も己に問うた疑問
この疑問にマトモに答えてくれた人間はいない……。