第二話 悪童
「それじゃあ、修学旅行には行かないって言うの?」
「ああ、そうだよ。…どうせつまんねーし」
卓袱台を囲み、主菜の秋刀魚の骨を取ることに苦戦しつつも憮然と言い放つ。
どうしてこの魚はこんなにも食いづらいのかなどと、わりとどうでもよい思考をしながら、明は眼前の祖母、日暮あかりとともに夕食を採っていた。
全体的に柔らかい印象を持つ穏やかな女性である。
人当たりもよく近所の付き合いも悪くない。
どうしてこの凶器が歩いているといった超不良にこんなにもおっとりとした祖母がいるのか、彼の家庭事情を知るものは口を揃えて疑問を挙げる。
「でもねえ……つまらないのは明さんにお友達がいないからじゃあないの?」
「悪かったな、どーせ修学旅行なんて古臭い寺を廻るだけだろ、全然キョーミねーし、うん」
「でも二日目の大阪は確か…えーと、な、なんだったかしら、ゆ、ゆにばーちゃる」
「ユニバーサルな」
「そうそう、大阪なんて若い頃に一回行ったきりでねぇ、あの頃はちょうど万博があって……」
懐かしいといった感じに頬に手を当てて思い出に浸る祖母を見て、明は自分の失敗を悟った。
あー、しくった。長くなるなこりゃ
味噌汁を啜りながらゲンナリした顔つきで話を半分聞き流す準備をする。
女性の話は、長い。
これは年齢とは関係ないと思う明であった。
「でもね明さん、こどものうちは修学旅行みたいな大きな行事、行かないとぜったい後悔するわよー。…行ってきなさいよ、せっかくなんだから」
思い出話も長くなり、いい加減食器を片付けたいと思い始めた頃に、目の前の祖母は急に話を明に振った。
「……今日、井上から電話あっただろ」
「うん、すごく心配してたわよ、いい先生じゃないの、今時本気で明さんを怒ってくれる先生なんて」
「アイツが?ねーよ、そんなこと」
「本当に優しい人ってのはね、誰かに対して注意したり、怒ったりできるモノなの。自分の余裕を削って他人を気に掛けるのは優しさの証拠よ?」
「……で、何て言ってたのさ」
「『せめて顔ぐらい出せ』よ」
「ケッ」
明の担任の井上先生は小学校入学当時からの主任を兼ねており、よく問題を起こす明の指導をしていた。
今でこそ大分穏やかではあるが、若い頃は「鬼井上」とよばれ、数多の不良どもの相手をしてきたベテラン教師であり、傍若無人、喧嘩上等の明が二番目に頭のあがらない人物でもある。
ちなみに一番目はあかりである。
「じゃあ何か、旅行中も井上が同伴ってか?うわー、ありえねぇ」
「友達が一人もいない明さんが悪い!」
ビシィと指を刺されるが、残念ながら全くもってその通りのため何も言い返せない。
長年のボッチ生活がすっかり板についてしまったために忘れがちだったが、本来学校生活、しかも小学校ともなると、とにかく友達がいなければ悲惨の一言である。
授業中は寝てるかフケるかの二択である不良の明も、集団生活という名の前には赤子に等しかった。
こういった大きな行事の前では嫌でも自分の置かれてる状況を直視することになる。
結局は観念して行った方がいいという流れになりそうではあったが、これ以上は堂々巡りで時間の無駄である。
「解ったよ、行くよ、せーぜー思い出作りに励んで来るぜ」
「宜しい、自分なりにいっぱい楽しんでらっしゃい。あ、でも喧嘩はダメよ?」
「できるだけ我慢するさ。…相手によるけど」
「明さん?」
「ごめんなさい、大人しくしてます」
思わず柄にもない敬語が出た。
時々この祖母は般若もかくやと言わんばかりの凄みを見せる。
ここら辺はやはり自分の祖母なのだと実感した。
「観念して行ってきなさい。…………………生八つ橋向こうで送ってね♪」
「結局食い物目当てじゃねーか!」
台無しである
なんとも間の抜けた空気になるが、それが自然と心地よく、ささくれだった自分の心を癒した気がする。
祖母は祖母なりに自分を心配してくれているのだ、ただ、表面上の言葉で表すのが苦手なだけで、その気遣いは嫌でも身に沁みた。
不器用さの加減も自分はこの祖母に似たのだろう
(ありがと、 ばあちゃん)
普段の明なら絶対に言わない言葉を心中で発しながら、明は旅行先の土産について考えを巡らせた。
もしも、あの時、修学旅行に行かなければ、あの時嫌だと言っていれば、自分は人間でいられたのだろうか
全てが始まったあの日、あの日場所で、日暮 明の細やかとも呼べない平穏が、日常が、全て崩れさってしまった
時計の針はもう戻せない
運命の出逢いが、呪われた魔の都、京都で待っていた
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「三十三間堂は矢を奥までを放つことで有名だがーーって日暮!話を聴いとるのか!」
(クソだりぃ………)
奇妙な光景であった
私服姿の壮年の男性が、これまた私服姿のこどもをパンフレット片手にひき連れていた。
端から見れば親子連れ同然であるが、壮年の男性のこどもに対する呼び方が苗字であるためその関係はまずない。
周囲からは誘拐?だのなんだのあることないこと言われてるが、この絵面の酷さではそう思われても仕方がないと明は若干諦めつつそう思った。
むしろ大声を上げれば本気で間違われるんじゃないだろうか?
「大体、なんで旅行先で歴史の勉強すんだよ、おかしいだろ、旅行させろよ、エンジョイさせろよ!」
「修学旅行とはあくまで授業の一貫だぞ!普段真面目に勉強しないお前の頭を働かせてやってるんだ!むしろ感謝してほしいくらいだ!」
(このジジィマジで誘拐犯にしてやろうか)
日本が誇る歴史の街、京都
嘗ては歴代の天皇もここに居を構え、悠久の時を過ごした由緒ある雅やかな趣漂う花の都である
それと同時に、恐らく日本で最も血生臭く、争いが絶えなかった魔都の側面も持つ
最も、頭の中身の大半から「勉強」という言葉がスッパ抜けている明には全く知った事ではなかったが。
「巡る寺でいちいち説明やってたら日がくれちまうぜセンセー」
「安心しろ、次で最後だ。そのあと土産を買うぞ」
「へぇ、で、次ってどこさ」
「お前は録にしおりも見ないのか全く……ああ、ここだ!ここ!」
着いた先は古ぼけた寺院のなかでも一際年季の入ったお堂だった
「迦楼羅堂………聞いたことねぇな」
「ここにあるお不動さんが素晴らしいと評判でな!一度来てみたいと思ってたんだ!」
やっぱり趣味全開じゃねーか、何が授業だコラ
心で愚痴を言いつつ気になる言葉が明の脳裏をよぎる。
「お不動さんって何?」
「なんだ今のこどもは!お不動さんも知らんのか!いや、知らんのはおまえだけかも知れんがな!」
がははと笑う井上に若干イラッとしつつも態度には出さない
………つもりであったが、思いっきり顔に出ていた。
こういった妙な所は素直である。
「だからお不動さんってなんだよ」
「不動明王の事だ、聞いたことないか?悪鬼羅刹を捩じ伏せ仏様を守る。お稲荷さんや大黒様と並ぶ庶民に人気のある神様だ」
「不動、明王ね………」
バリバリと頭を掻きながら欠伸を一つし、気だるげに本堂に入っていった。
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「これは…何と言う………」
井上がぽかんと口を開け普段見せないような間抜けな顔を晒している。
恐らく自分も同じような顔をしているのだろう、それほどまでに目の前の『それ』は圧倒的だった。
「……すげぇ」
座したその姿はまさに大山のごとき威容を持ち
視線だけで魑魅魍魎を射殺さんばかりの憤怒の相
背中には燃え盛る神鳥、迦楼羅の焔を背負い
右の剣は諸悪煩悩を叩き切る鋭さが想像出来た。
これこそがありとあらゆる悪鬼羅刹を捩じ伏せ叩き切る護法の頂点。
大日如来の化身、不動明王である。
心臓が先程から激しく鼓動している
呼吸もはっきり解るほど荒くなっている
冷や汗が止まらないのは、自分が後ろめたい存在である事を理解しているからかも知れない
「こんな……こんなの、俺」
「日暮?」
「…………」
直視できない自分を、恥ずかしいとは思わなかった。
生まれて初めて、気圧された、恐怖した。
そう思わせる力が目の前の像から伝わってきた
「……お不動さんはただ怒ってる訳じゃなくてな」
突然井上が話しかけてきた。
その口調は普段からは考えつかないほど穏やかだった。
「道を過った民衆を、どんな手を使ってでも正しい道に引き戻す覚悟の表れなんだ。決して命を奪うためじゃない」
「覚悟の表れ……」
「お前がこの明王像に何を感じたかは解らんがな」
「少なくとも、自分を省みる余裕があるだけ、お不動さんも容赦してくれるさ」
そう言って笑った井上の顔に、明は顔も見たことのない父親の姿を重ねた。
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「眠れねえ……」
その夜、あてがわれた部屋の慣れない布団の中で、明は日中に見た不動明王像の事を考えていた。
今まで感じたことのない感覚、身体中を焼きつくされんばかりの熱と衝撃。
この体験だけでも京都に来て良かったと思わなくもない。
「…………」
無言で寝返りを打つ、眠れない、完全に目が冴えてしまってる
「…………」
あの鮮烈な像が頭から離れない
見たい、もう一度だけ
明日は大阪、次はいつ京都に来れるか解らない、もう見れないかもしれない
次は、真ん前から、臆せず見たい、あの衝撃をもう一度だけ、もう一度だけ――――――
「………行くか」
考えたら即行動、行動力の高い不良ならではの発想であった