第十八話 鬼鴉 その1
夜の東京には魔が潜む……
誰が言った言葉だったか、昔ならともかく今の自分にとっちゃ随分親しい言葉になったものだ。
魔にも色々とある。
ただの都市伝説から、洒落にならない心霊現象まで、色々と込み合ってグチャグチャになってるのが今の東京だ。
まあ、最も、自分に一番近い魔ってのはそんなオカルトじゃあない。
「テメーいい加減吐けやコラァ!」
頭を随分明るく染めた、所謂鉄砲玉が俺を殴り飛ばす。
周囲には似たような連中が俺を囲んでいる。どうやらマジで東京湾に沈めるか群馬の山奥に捨てられるかのどっちからしい。
口中を切った俺は血と唾液の混ざったモノを吐き捨てた。
「沈見ぃ! テメーが組の金を流したのは割れてんだよ! さっさとゲロすれば指一本で済ませてやるつってんだろーがああ!?」
俺にとって最も近い魔……
それは、今じゃ夜は愚か日中でも堂々と歩くクズ共。
暴力と金と薬と賭博と女にまみれた掃き溜めに住む者たち。
現代を生きる腐れ餓鬼共
「……くっ、くく」
「ああ? 何笑ってんだテメェ!?」
何でかって?
そりゃ可笑しいさ、嘗ては俺もその腐れ餓鬼の一人だったからな。
日々を下らない業務で過ごし、時にじいさんばあさんを騙して金を巻き上げ、ヤミ金業者から上納金を取り立てる……目の前の野郎と同じ、どうしようもない雑魚まっしぐらの人生。
――――そんな俺が、偶然にも選ばれたんだよ、しかも、宝くじなんぞに当たるよりも遥かに凄いモノにな。
「くく、くくくくく」
「こいつ、クスリでも極ってんじゃねえか!?」
――――ァ ア
「だとしたらこれ以上は意味ないかもな、とっとと事務所連れて……」
――――ガァ ア ァ!
「……おい、さっきから何だよ、さっきからうるせえな!」
「お、おい、あれ」
――――ガァ! ガァ! ガァ! ガァ!
男たちが上を向くと、電信柱に、壁に、塀に、数十羽のカラスが停まっていた。
日が沈んでまだ一時間も経っていないが、夜であるにも関わらず、そのカラスたちは男たちに向かってけたたましい声で哭いていた。
「カラス? こんな夜中にか?」
「あんな大勢集まるのも珍しいな」
「――――くく、都心の明るさならカラス位いるだろ?」
「テメェ! 沈見! 勝手に動いてんじゃねーぞコラァ!」
気付けば沈見と呼ばれた男は立ち上がり、馬鹿にしたような顔で男たちを見下していた。
男たちは気付かないが、その瞳は夜闇に紛れてはいるが、薄暗い赤色に光っていた。
「もう夜だぜ? よいこはお家に帰る時間だ。カラスと一緒に帰りましょうってか?」
「テメェ……! 嘗めてんのか糞が!」
とうとう堪忍袋の緒がきれた男が沈見に殴りかかる。
対する沈見は一歩も動かない。
その拳が顔面を捉え、打ち抜くかと思われた瞬間。
黒い一迅の影が、男の目の前を横切った。
――――ぐしゃりとナニかが抉られる音が、路地裏に木霊する。
「ぎゃああああああああ!」
「な、どうした! 何が……」
「こ、こいつ、嘘だろ」
急に動きを止めて蹲る男。目を必死に抑え、しかし痛みに耐えきれず転がり回る。
男の両目は完全に潰されていた。
その赤黒い空洞が、目を何者かに……
そう、鋭い何かによって抉り取られたと理解したのは、丁度上から聞こえてきた音のお蔭だった。
グチャ、グチャ
ズルリ
「ま、マジかよ……」
「カラスが」
目玉を喰ってやがる
「あーあ、だからさっさと帰れっつったのによ。カラスに目ぇつけられちまったじゃねえか?」
背後からの声に男たちが一斉に振り向く。
そこには信じられない光景が広がっていた。
沈見の背後を飛び回る……
――――空を埋め尽くさんばかりの、カラスの群れ
カラス
烏
鴉
「カラスと一緒に何処に帰りたい?」
家か? それとも
地獄か?
「う、嘘だろ、こんな」
「あり得ねえ……夢でもみてんのか?」
余りに現実離れした光景に、ただただ呆然とするしかない。
これから訪れる運命にも、恐らく理解できないまま受けるのだろう。
「鳥葬って知ってるか? あれ、生で見るとスゲーエグいんだぜ?」
その言葉が終わると同時に、黒い嵐が男たちを埋め尽くした。
--
不夜城ネオンによる事件から一週間が経過した。
アイドルでありながら悪鬼。人を襲い食らうその存在を滅ぼしてから今日まで、テレビを点ければどの番組も人気アイドルの失踪についての特番ばかりだった。
滅ぼした張本人である明は何処かぼうっとしながらそれを観ていた。
「俺、ホントにアイドルぶっ殺しちまったんだな」
世間では誘拐だの駆け落ちだの様々な臆測が流れているが、現実は自分による殺害。
それも胴体真っ二つのスプラッタホラーな殺し方。
「鬼尖爪」による渾身の斬撃。
「……」
じっと右手を見る。
今でこそ普通だが、ネオンをバラしたあの技はとんでもない切れ味を持っていた。
ただ単に爪を伸ばしただけでは説明がつかない。
まるで、こうするのが当然とでも言うべきか。
何回も使ってきたような懐かしさまで感じる。
「鬼尖爪……か。何で名前知ってたんだ?」
まるで心に浮かんだ言葉をそのまま叫んだようだ。
もしかしてこれも鬼になった影響なのだろうか?
自分には分からない。
ただ、この力があったからこそ勝てた事は確かだ。
「考えてもしょうがねーな」
ゴロリと寝転がり、目を瞑る。
テレビからは相変わらずアイドルのニュースが流れているが、明は完全に興味を喪っていた。
買い物に行っていた暁莉の帰宅を告げる声が聞こえたのは、これから十分後の事である。
--
「お菓子とマンガ雑誌と……頼まれた物はこれで全部かな」
ごそごそと買い物袋から物を取り出す。
ポテトチップスや炭酸飲料など、如何にも子どもが好きそうなお菓子が並ぶ。
しかし、明は目当ての物が見つからなかったためにその眉間にシワを寄せる。
「待てよ、あれがねーぞ」
「ああ、忘れてた……しかし、君も見かけに似合わず渋い趣味を持ってるな?」
「余計な事言ってねーでさっさと渡せよ」
「はぁ、まったく、少しは素直になったかと思ったらこれだよ」
手に渡されたのは「木彫り全集」
仏像等の彫刻の本だった。
言わずもながら日暮 明が所望した本である。
ちなみにマンガ雑誌とは某社の週刊マンガ雑誌である。
跳躍の方はあまり読まないらしい。
「君、仏師に興味があるの? ホントに似合わないな」
「うるせーないちいち。興味があってわりーかよ」
仏師とは仏像などを専門に彫る彫刻家の事である。
その歴史は古くは平安初期まで遡り、主に比叡山関係の物が多くある。
鎌倉初期の運慶は特に有名だろう。
明にそういった知識は無いが、京都迦楼羅堂で見た不動明王像にいたく感動を受けたのは事実。
もっと見たい、どうやって作ったか知りたい。
そして、自分も作ってみたい。
生まれて初めて興味を持った事が彫刻とは、人生分からないものだ。
「ふむ、仏師か……確かあの人もそれが趣味だったような」
「何だよ、当てでもあるのか?」
「ああ、私の師に当たる人がそういう趣味を持っててね。私はあまり詳しくないが」
「そっか」
仏師なんて意外と近くにいるもんだなと明は思った。
「それより、ホントに食べないのか? チョコレート。折角買って来たのに」
「キライなんだよ。チョコ」
バリバリとポテチを咀嚼しながら気だるげに応える。
菓子は好きだが意外にもチョコレート嫌いである。
「う、嘘だろ……君、本当に小学生か!?」
愕然とした顔で暁莉が後退る。
「大袈裟に言うな、別にフツーだろが。昔食い過ぎて吐いた事があるんだよ」
「だからってなあ……ちなみに、他に嫌いな食べ物は?」
「カレー」
即答である。
世の小学生の大半が好きと答えるカレーとチョコレート。
それをあっさり否定する明は、舌までひねくれているのではないだろうか?
「……やっぱ君、何か変だよ」
「お互い様だろが」
午後の他愛ない一時が過ぎる。
この後、あかりが町内会から帰ってくるまで明は彫刻の本を読み耽った。
読めない漢字は暁莉に聞いた。その度にからかう暁莉に何度も腹を立てたが、彫刻をやる以上漢字くらいは読めたほうが良いと思い、我慢した。
明の心中で初めて興味を持った彫刻は、後に彼の進退を決める重要な意味を持つことになる事を、この時は誰も知らない。
--
「へえ、ネオンが殺されちまったのはその明王衆って連中の仕業か。こりゃ俺ものんびりしてられないな?」
椅子を背にしてスマートフォンを片手に通話をするのは、夜の東京の住人、沈見。
その軽薄な態度は見るものの眉をひそめさせるには充分だが、彼の正体を知るものが見れば、その内に秘められた残虐性を看破しただろう。
「ああ、はいはい分かってますって。暫くはあまり大きく動きませんから。心配しなくても目立った行動はしませんよ」
そこまでまくし立てて、通話の終了を押す。
途端に軽薄な態度が鳴りを潜め、急激に不機嫌な顔になる。
「ふん! 大禍の野郎め、偉そうにしやがって」
通話の相手……自分を変えた存在に対し毒づく。
確かに、自分の人生を変えてくれた事に関しては感謝している。それなりに恩を返すべく奴の「実験」と「計画」に協力しているのも事実だ。
しかし、沈見は大禍の本質……
あの自分を完全に見下した目が気に入らなかった。
「職業柄さな……わかっちまうんだよ、大禍さんよ」
自分を見下す視線って奴が
「精々計画とやらを進めてくれや……甘い汁は、俺が全部吸ってやるからよ?」
野望と野心に満ちた瞳は、紛れもなく悪鬼のそれである。
明の戦いの日は、そう遠くない内に訪れようとしていた。