第十三話 偶像(アイドル) その2
「これが例の不味いドリンクか? 見たところ普通だが」
「冗談じゃねえ! 中身は酔っ払いの吐いたゲロ以下の味だぜ!?」
「なかなか汚い言葉を使うな君」
アイドル、不夜城 ネオンイチオシの商品は飲むのが苦痛なほどの最低な味だった。にも関わらず多くの人間は嬉々として買い漁っている。
もしかして、おかしいのは俺だったりするか?
そんな不安が少しだけ顔を見せたため、こうして訓練中に暁莉に味見してもらおうと思った訳だが……
「悪いな、私は嗜好品の類はあまり採らない事にしてるんだ。これは返すよ」
あっさりと断られ、缶を投げ返された。咄嗟にキャッチし、憎々しげにクソ不味ジュースを睨む。
「ちっ、こんなん返されても飲む気も起きねー!」
「しかし、確かに妙だな? 好評の筈のドリンクが血生臭く感じるなんてな……。なあ、それだけたまたまハズレだったのではないか?」
懐疑の視線を自分に向ける。しかし
「……いや、なんつーかさ、そんな気がしねーんだ」
暁莉の疑問につい神妙な顔になる。確かに食品偽装だとか食中毒だとか、わりとよく聞く話の内の一つかと考えたが、どうも何かが引っ掛かる。
――――そう、あの血生臭さの中に、自分が鬼としての悦楽に浸ったあの時の、苦しいほどの快楽……
「……!」
明の胸に訪れる「イヤな予感」
半鬼として覚醒して以来、明は自分の感覚をできるだけ意識するようにしていた。
大禍との件もそうだが、自分の直感は得てして生死を分ける程に重要な場面を切り抜けてきた。もしかしたら今回も……
「とにかく、調べてくんねーか?」
「……ま、いいか。君の勘を信じてみるよ」
帰ろう、あかりさんが待ってる
それだけ言葉を交わし、明たちは帰路に着いた。
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「ただいまー、ばあちゃん、今日のメシ何?」
家に帰るなり夕飯の催促である。基本的に本能に忠実な明らしい。
だが、返答は帰ってこなかった。
「……ん? ばあちゃん、寝てんのかな」
「あかりさーん、只今帰りましたよー?」
再度呼び掛けるが、返答はない。
流石に不安になり、靴を脱いで玄関から居間に向かい――――
「――――! 明ッ! 避けろ!」
「んえ?」
我ながら間抜けな返事をしたなと思ったと同時に、横っ面にすさまじい衝撃が走る。
言わずともわかる、これは「殴られた」のだ
「へぶぅっ!?」
「明!? ……これは!」
勢いよく玄関に吹っ飛ばされる明を横に見ながら、暁莉はその吹っ飛ばした張本人に目を向け、驚愕した。
「う……ぐぅうううう」
双眸を真っ赤に染めた、明の祖母
日暮 あかりの姿がそこにあった。
「あかりさん……!?」
「う、うううう」
よく見るとあかりは苦し気にうめき声をあげ、暁莉を睨んでいた。いや、それよりも、決して丈夫ではないあの細い体で、明を吹っ飛ばしたのか?そんな力が一体どこに――――
「ううううううあああああああ!」
雄叫びをあげて暁莉に襲いかかる。咄嗟に構えるが、後ろから持ち直した明が声を大にして叫んだ。
「ダメだ! 殺すんじゃねえ!」
「――――っ! わかってる!」
その瞬間、暁莉の姿がかき消え、祖母の背後に現れると同時に首筋に手刀の一撃を叩き込む。祖母は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「て、テメー! ばあちゃんに何しやがる!?」
「安心しろ、意識を刈り取っただけだ。……だが、真似するなよ? これは手練れでも難しい技術だからな」
「そ、そうか……ってんなこたどーだっていい! 何でばあちゃんが!?」
何がなんだかわからない
ただ、あの時と同じ、すさまじいまでの「イヤな予感」が増大するのがわかる。
祖母は、ばあちゃんは何かとんでもない事に巻き込まれて……
そんな事を考えていると、何やら暁莉が手を組み合わせて何かぶつぶつと唱えていた。
「ナウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタ」
その瞬間、明はまるで涼風に包まれるような心地よい感覚に包まれた。
「お、おい」
「――――ん、これで当分はぐっすりだ。暴れることもない」
「おまえ、それって」
「うん? ああ、真言を聞くのは初めてだったな……これは、あまり人前で使って良いものじゃないんだが」
マントラという聞き慣れない言葉を呟く暁莉。恐らくだがこれも明王衆の法力の一つなのだろう。単純にスゴいと思う。……ただ
不動明王
何故かそんな言葉が浮かんだ
マントラなんて生まれて初めて聞いたのに、何故そんな言葉が
そうだ、それだけじゃない
修学旅行のあの木像、――――不動明王像
悪鬼だ半鬼だ色々あって忘れてたが、思えば一番最初に会った「異常な現象」は……
滅せよ
(お不動さん……?)
俺が、滅するって?
俺が
滅せよ、全ての悪を救済せよ
わからない、俺には何がなんだか。でも
――――俺に戦えって言うのか
「――――ら! 明!」
「……あ?」
いつのまにか呆けていたらしい。この異常事態に何やってんだ俺は
「気づいたか? 先程本部から連絡が入った。……不味いことになったぞ」
不味いこと、イヤな予感、そして豹変した祖母
ここまで来ればもう考えられることは一つしかない
――――悪鬼の仕業
「……ついに出やがったか」
「いや、まだ悪鬼の姿は確認されてない、問題はこの地点」
そう言いスマホのマップを見せる。目にするのはここからそう遠くない場所
――――電気街 秋葉原
「ここで一部の市民が突如暴徒と化し、周りの人間を襲い始めたらしい……さっきのあかりさんのように、双眸が真っ赤になり、異常な身体能力を持って、だ」
「秋葉原……」
『秋葉原に住んでるお知り合いから分けてもらったのよ』
まさか、祖母が飲んだアレが……?
血生臭い香り
不愉快な悦楽
鬼の直感が、明に語りかける
「……ふざけやがって……!」
「明?」
今、明の胸に到来するのは燃え盛る炎の如き「憤怒」
奴等悪鬼に対する激しい怒り
そうだ、あいつらは、井上だけじゃなくとうとう自分の一番大切な人にまで手を伸ばしたのだ。
――――許さん 絶体に許さん
「暁莉、俺も秋葉原に行くぞ」
ぶっ殺してやる
この落とし前は、千倍にして返す